第二百八十話「注目の一人よね」
歓声と共に闘技場の門が開かれる。
八方向に等間隔で配置された大きな扉の奥から現れるのは、様々な武具を装った男女だ。
もっとも多いのは、剣を携えた鎧姿。
しかし一言に剣と言ってもその長さ、大きさは千差万別である。
鎧もまた、普段イールが愛用しているような革をベースに急所だけ板金で覆ったものから、全身を分厚い金属で覆った重厚なものまで。
各々のスタイルに合った、どれも使い込まれた武装である。
「うわぁ、強そう……」
そして、そんな武器防具を纏った彼らの肉体もまた、鋼のように鍛えられている。
遠く離れた観客席からでもそれは如実に伝わり、ララが思わず声を上げる。
「魔法使いもいらっしゃいますね」
ロミの指摘通り、闘技場に現れたのは戦士だけではなかった。
ローブを纏い、魔力を高める様々な装飾品を身につけ、杖や指輪、果ては魔導書などの道具を携えた男女もまた、屈強な戦士に混じって歩いている。
「さぁ! ご来場の皆々様、ただいまより繰り広げられますのは竜闘祭が第一陣。名のある実力者たちが入り乱れての大乱闘でございます。ここに立ち並ぶ五十人の勇士の中から本戦に挑めるのはたったの五人! 敵も味方も分からない、波乱の一幕を刮目ください!」
拡声の魔法に乗って、威勢のいい口上が観客席に響きわたる。
ララが以前から予想していたとおり、初めは人数を絞るための乱戦形式で行われるようだった。
「なかなか面白そうじゃないか」
イールが目を輝かせ、興奮気味に熱い息を吐いて言う。
彼女だけではない、間近に迫った激戦の予兆を機敏に感じ取り、闘技場全てが興奮し始めている。
人々の哮りが大気を揺らす中、司会の男が姿を消す。
入れ替わりに現れたのは、大きなラッパを抱えた男たち。
彼らは静かに視線を交わすと一つ頷き、大きく息を吸い込む。
雑音をかき消し、天高く突き抜けるような劇音が響く。
「始まりますよっ」
ファンファーレの下で、ティラがささやくように言う。
それを合図に、闘技場から雄叫びがあがった。
鉄と鉄とが打ち付けられ、火花が散る。
魔力を帯びた火球が飛来し、氷の壁を穿ち砕く。
手近な者からがむしゃらに、己の腕だけを信じて動く者たちがそこにいた。
「おうおう、なかなか混沌としてるな」
文字通り高みの見物を決め込んだイールが、手のひらでまぶしい日差しを遮りながら愉快な声で言う。
ドワーフの魔術師が大岩を飛ばしたかと思えば、エルフの戦士が凄まじい剣戟によってそれを壊す。
広がる土煙に紛れて獣人の短剣使いが人々の足下を切りつけてゆく。
中には一時的な共同戦線を張る者から、背中を向けた味方を切りつける裏切り者まで、まさに多種多様な戦況が呈されていた。
「周りの全員が敵ってことね」
「これは、魔獣退治とはまた違った戦い方が必要なんですね」
信頼できる仲間はいない。
全員が単独で群と対峙しているようなものだ。
「毎年、この乱戦はとても盛り上がるんですよ」
ティラがエメラルドの目を細めて言う。
毎年この光景を見届けてきた彼女も、飽きるということはないらしい。
「治癒を担当している術者が一番忙しいのも、この乱戦なんですけどね。まず場外に運び出すのが大変なのだとか」
そう言って彼女は場内の一点を指さす。
そこには、足の腱を切られて地に伏した若い戦士がいた。
周囲の参加者は自分の戦いに気を取られ、彼に注意を回す余裕はないらしい。
時折容赦なく踏まれ、蹴られ、だんだんと生傷を増やしていく。
「ほら、来ましたよ」
ティラの声と同時に、白い制服を纏った男が颯爽と現れる。
彼は気を失っているらしい戦士を軽々と担ぎ上げると、風のように場外へ抜け出していく。
「あれが治癒術師か?」
「はい。中でも乱戦の中を駆け抜けるために特別な訓練を受けた、専門家なんですよ」
この竜闘祭のためにプラティクスの市議会によって運営されている集団なのだと、ティラが語る。
「昔は乱戦の中で亡くなっても自己責任ということになっていたんですが……」
「ええ、そんな生臭い」
ティラの口から飛び出した衝撃の事実に、ララがたじろぐ。
「ある時、とある有名な傭兵の方がお亡くなりになってしまわれたのです」
「おっと。それは大変じゃないか」
ティラが頷く。
傭兵は、魔獣の討伐によって力ない民の平穏を守る存在でもある。
竜闘祭で有望株として見られていた彼は、それに値する実績と実力を持っていた。
「ギルドから激しい抗議があったと聞いています」
「確かに、その方がいらっしゃれば達成できた依頼がいくつもあったでしょうしね」
「ですから、その一件以降、死者を出さないように制度がいくつか整備されたんですよ」
それ以降、重傷者はいても死傷者を出したことはないのだと、ティラは胸を張って言う。
そして、命さえあれば、この世界なら大抵は事なきを得るのだ。
「ちなみに、この乱戦は何回戦まであるの?」
「そうですね。ちょっと待ってください」
ララの問いかけに、ティラは赤いポーチの中から一枚の折り畳んだ紙を取り出す。
それは今回の竜闘祭のパンフレットのようなものらしく、この闘技場の壁でも散見できるものだった。
「今年は五試合あるみたいですね。そこで二十五人まで絞った後、一騎打ち形式の決闘で勝ち抜き戦になります」
「五試合ってことは参加者は二百五十人くらいいるってこと? かなり多いのね」
「最近はだいたいそれくらいですね。始まった当初はまだ評判も広まっていなくて、ここまで大規模ではないらしかったんですが」
「今だとこの竜闘祭で勝ち上がれば箔がつくんだろう? すごいじゃないか」
ティラは頬を赤らめてはにかむ。
幼いながらも市長として、竜闘祭の評判を聞くのはうれしいらしい。
「ソーセージはいかがー? 焼きたてこんがりのソーセージだよー」
そんな四人の元へ、景気のいい声が飛び込んでくる。
ララが驚いて顔を上げると、そこには大きな箱を持った若い少女がにこやかな表情を浮かべて立っている。
首掛けの紐を通された箱は、イールたちも持ち歩いている保存箱の大型版のようだ。
その中には、売り文句の通り焼きたてのソーセージや清涼飲料の入った木のボトルが並んでいる。
「お、いいな。一つくれ」
猛烈な日差しの下、燃え上がるような熱気の最中である。
嫌でも喉は渇くし、何か摘みたい気持ちにさせられる。
「私も! ソーセージ三本、やっぱり五本頂戴」
「わたしもお願いしますー」
イールにつられるようにして、ララとロミも財布を取り出す。
気がつけばティラも串に刺さったソーセージ片手に、冷えたジュースを飲んでいる。
「まいどー! 竜闘祭、楽しんでいってね!」
売り子の少女はティラの正体には気づかなかった様子で、朗々と声を上げて離れていく。
手を振ってそれを見送った四人は、早速熱々のソーセージに歯を立てた。
ぱりっと小気味のいい音と共に皮がはじけ、中から火傷しそうなほどの熱い肉汁とジューシーな肉が現れる。
「あふっ」
「おいしいですねぇ」
「はむぅ」
はふはふと口を動かしながらも、四人はそろって笑みを浮かべる。
脂の溢れる口内にジュースを流し込めば、爽やかな清涼感が心地良い。
「やっぱり、こういうジャンキーなものを食べながら観戦するのは楽しいわね」
以前は数えるほどしかこういった経験をしていなかったが、ララはそれを思い出しながらしみじみと言う。
彼女の思い出の中では平和的なスポーツ観戦が主で、現前で繰り広げられる血生臭い争いとは少し違いもある。
けれど本質の部分では同じ、今では気兼ねなく楽しめる娯楽である。
早速一本目を食べきって、ララは大きく息を吐いた。
「ほら、ララさん。戦況が動きそうですよ」
ティラが声を上げる。
場内ではすでに半数ほどが退場し、見える地面も広くなってきていた。
彼女の指摘通り、激戦はやや落ち着き始め、参加者たちは周囲をより冷静に見られるようになっていた。
「あの人、黒い鎧を着た方が、【黒鉄】さんですよ」
「なんか聞き覚えあるわね。注目の一人よね」
記憶を手繰りつつララが言うと、ティラは頷く。
今年参加している膨大な数の人々の中でも、特に名を挙げられる実力者の一人だった。
名前の通り、真っ黒な金属の鎧で全身を覆い、素顔さえ分からない大柄な男は、その手に重厚な大剣と大盾を持っている。
「お手本みたいな重戦士だな」
「ドワーフにしては大柄ですし……。鬼人族でしょうか」
イールとロミも彼に注目する。
素早さを捨て、攻撃力と耐久に特化したような姿の彼は、その通りほとんど動かずに周囲を睥睨していた。
「……囲まれてるわね」
彼が実力者だというのは、当然ほかの参加者も察しているらしい。
一時休戦し、彼らはぐるりと壁を作って【黒鉄】をかこむ。
じりじりとにじり寄り、円を狭くしていく。
その中心で、【黒鉄】は泰然とした態度で待っていた。
「おらああああっ!」
つかの間の均衡が破れる。
痺れを切らしたらしい若い男が、片手剣を振り上げて迫る。
それは【黒鉄】の背後。
本来ならば、その分厚い兜によって視界が制限され、彼の姿は見えなかったことだろう。
しかし、
「がふっ!?」
まるで背中にも目があるかのように。
【黒鉄】は漫然とした動きで大剣を振るう。
それは男のわき腹に直撃し、骨を断つ。
「ああああああああああああああああっ!」
絶叫が闘技場に響く。
すぐさま白服の男が現れ、負傷者を担ぎ去っていく。
だが、それはきっかけとしては十分だった。
「続けぇぇええ!」
誰かが叫ぶ。
それを皮切りに、武器を掲げた集団が殺到する。
魔法が吹き荒び、剣が差し向けられる。
黒々とした鎧に、無数の刃が迫った。
 




