第二百七十四話「ほんと、レイラはいったい……」
「ただいまー」
「おかえり。思ったより早かったな」
ララが教会の宿舎に帰ってくると、部屋の中ではラフな格好のイールたちが出迎えた。
イールは髪を束ねていた紐をほどき、ロミも神官服を脱いで袖のないシャツ一枚になっている。
「包み焼きとクレープだけ食べてきたわ」
「くれーぷ?」
聞き慣れない単語に、ロミが首を傾げる。
彼女はベッドの上に寝転がり、小難しそうな本を枕に広げていた。
小さな顔をこちらに向けて、不思議そうに目を丸くした彼女を見て、ララはやはりと目を細める。
「なんか、薄い生地にジャムとかクリームとかを包んだお菓子よ」
「なんだ。花菓子のことか」
「花菓子っていうのね、あれ。……ちょっと悪いことしちゃったな」
どうやらあの食べ物の正式な名前は、花菓子というらしかった。
イールによると、細長い円錐状の形と生地に包まれた色鮮やかな中身が、一見すると花束のように見えることからその名前がついたのだという。
「どうかしたのか?」
「んー、ちょっとね」
どう説明したものかとララは言葉を濁して困った顔をする。
少し考えた後、彼女が思い切って先ほどあった出来事を話すと、案の定彼女たちは困惑してお互いの顔を見合わせた。
「花菓子の名前を知らない奴なんているんだなぁ」
「そもそもこんな夜中に小さな女の子だけで歩いているなんて、心配ですね」
「一応私も小さい女の子だと思うのですが!」
「ララは勝手に飛び出していったんだろ」
元気良く手を伸ばして声を上げるララは、三白眼のイールにあえなく一蹴される。
そもそもナノマシンを持つ彼女が悪漢に襲われたところで、悲鳴を上げる方など火を見るよりも明らかだった。
「イールのいけず……」
「言いがかりだろそれは」
ぷっくりと頬を膨らませて抗議するララだが、対するイールも長いつきあいの中でいい加減慣れてきた。
「ともかく、不思議な子ですね」
そんなわけで、その日はロミののんびりとした声によって幕を閉じた。
†
翌日、ララは窓を叩く人々の雑然とした声に目を覚ます。
暖かなシーツの中でもぞもぞと体をくねらせるが、わあわあと降り注ぐ言葉の雨はやむ気配を見せない。
「……うむぅ」
観念して彼女がベッドから這い出てくると、ちょうど眉間にしわを寄せたイールも起き出してきたところだった。
「いったい何の騒ぎだ?」
「さあ。とりあえず外に出て確認してみましょうか」
そう言って、二人は大きな欠伸を一つすると、手早く着替えて装いを整える。
宿舎を出て聖堂へと向かうと、すでに老齢のシスターはしゃっきりと目を覚まして祈りも済ませていた。
「おはようございまーす。なんだか表が騒がしいけど、何かあった?」
「あら、お早いですね」
ララが寝ぼけ眼をこすりながら話しかけると、シスターは一瞬驚いた様子だったが、すぐに柔らかな笑みを湛えて口を開いた。
「今日は闘竜祭の初日ですよ。まだ闘技場での催しはありませんが、市長さまからのご挨拶があるんです。よければこの後行ってみては?」
「あれ、闘竜祭って今日からだったんだ?」
「あたしらはかなりギリギリだったんだな」
全く祭りの日程を把握していなかった二人はまさに寝耳に水と言った様子で目を丸くする。
なんだかんだと言い合って、妙なところで間が抜けているのは二人とも同じだった。
「それならせっかくだし市長さんの話も聞きに行くか?」
「そうね。ちょっと気になるし。……でもまずは」
ララは頷きながらも苦い顔になって宿舎の方を向く。
それを見て、ああとイールも仏頂面を浮かべた。
「あれ、お二人ともここにいたんですね」
その時、聖堂の隅にあった扉が開き、奥からのんきな声が響いた。
聞き覚えのある、しかしここで聞けるはずのない声に、二人は肩を飛び上がらせて驚き、錆びたブリキのような鈍い動きで振り向く。
「おはようございます」
「ろ、ロミが……」
「起きてる、だと……!?」
愕然として硬直する二人。
きょとんとするロミは、すぐにむっと唇をとがらせる。
「二人とも失礼ですね! わたしだってちゃんと起きられるんですよ」
「そ、そんなバカな。ロミ、昨日なにか変なもの食べちゃった?」
「何か悩みがあるのか? あたしでよけりゃ相談にも――」
「二人ともなんでそんなひどいこと言うんですか!」
「普段を省みれば分かるんじゃないかしら」
ぷんぷんと柔らかな金髪を振り乱して立腹するロミ。
ララとイールは少しいじりすぎたか、と彼女に見えないように視線を交わしてくすくすと笑い合った。
「それで、ほんとに今日は珍しいじゃないか」
「お祭りの気配に当てられて起き出したの?」
「いえ、そうではなくて……」
二人が向き直って問うてみれば、一転してロミはもじもじと恥ずかしそうに指先を絡ませる。
そうして、彼女は意を決して小さく口は開いた。
「――……ちゃって」
「え?」
か細い声を聞き逃し、思わずララが問い返す。
ロミは真っ白な頬を赤く染め、目をきゅっと瞑って再度答えた。
「教会で寝てると、修業時代を思い出しちゃって体が勝手に起きちゃうんです!」
「……」
「……ええ」
ロミは一息にそう話すと、耐えきれないと頬に両手を当ててしゃがみ込む。
そのあんまりにもあんまりな理由を聞いて、イールとララは先ほどとはまた別の気持ちで視線を交わした。
「ロミさまも武装神官となられる前は、それはそれは厳しい修行をしていらしたのでしょう。武装神官は狭き門であり、険しい道でございますから。その上、レイラ様のご指導ともなれば、それはそれは……」
プルプルと震えるロミに代わって、納得した様子のシスターが詳しく語る。
それを聞いて、二人は意外そうに眉を上げた。
「武装神官になるのってそんなに大変だったんだな」
「レイラってそんなに厳しかったの……」
普段のロミからは分からない、教会に奉仕する者の辛さ、そして間接的にレイラの知らない一面を垣間見て、二人は思わず声を漏らした。
「ロミ、大丈夫?」
「お前も苦労してたんだな」
「うぅ、怖いよぉ。火の玉が飛んでくるよぉ」
「どんな修行をしてたんだよ……」
まるで数年幼くなったかのようなロミの様子に、イールが思わず眉を寄せる。
しっかり者のロミがここまでなるほどとは、一体レイラの修行とはどれほどのものだったのだろうか。
「けどまあ、いつももこれくらいの時間に起きてくれると嬉しいんだけどね」
「そうだな……。レイラに毎朝首飾りで起こしてもらうか?」
「こここ殺す気ですか!?」
悪い表情を浮かべて容赦のない言葉を漏らすイール。
途端にロミは正気に戻って彼女に詰め寄った。
イールが冗談だと一笑に付しても、彼女は青い瞳に涙をためてイールの胸を掴んで離さなかった。
「ほんと、レイラはいったい……」
そんな彼女を見て、ますますララはレイラの事が分からなくなる。
何処か遠くの町の神殿の一室で、誰か赤髪の少女が小さなくしゃみをしたような気がした。




