第二百七十三話「こういう経験もいいと思うわよ」
闘技場の位置と姿を確認したララたち一行は、その後空腹を満たすため、ランタンの光が照らす大通りへと移動した。
威勢のいい客引きの声が、左右に所狭しと立ち並ぶ露店からひっきりなしに飛び込んでくる。祭りが近く、人々の様子もどこか浮き足だって、喧噪が耳に心地よい。
「ん〜! やっぱり露店で買って歩きながら食べる串焼きって、妙に美味しいのよねぇ」
そんなことを言って目を細めるララの両手には、いつの間にか大きな肉の刺さった串が何本も握られていた。
「携帯食料は買ったから、ここで買わなくてもいいんだぞ?」
「なんでわざわざそんなもったいないことしないといけないのよ」
折角の露店は楽しまないと! とララは野暮なことを言う相方を一蹴する。
とはいえイールも本気で言っているわけではなく、ちゃっかり彼女の手にもどこかで買い求めたらしい小魚の素揚げが積まれた紙袋が握られている。
「イールさんのそれも美味しそうですね」
ロミがこんがり黄金色に揚がった小魚を見て、青い瞳を輝かせる。
「プラティクス名物って訳じゃないみたいだけどな。まあ、旨いよ」
近くに大きな川のないプラティクスでは、このような魚を使った料理はそれほど有名ではない。
しかしそこはヤルダに勝るとも劣らない大都市である。連日絶え間なくやってくる行商人たちによって、辺境中のありとあらゆる物品が流れ込む。
「名物っていうなら、ロミの持ってる飴の方がそうじゃないの?」
「そうですねぇ。確か、露店のお兄さんもおっしゃってましたよ」
そんなロミの手に握られているのは、透明な飴でコーティングされた小振りな赤い果実だった。
串の先端に刺されたそれに、ロミはぱりんと音を立ててかじり付く。
シャクシャクとした食感と、果実の甘い味が、彼女はとても気に入っている様子だった。
「そういえばここは果物が名産だったか」
「周りの農地で沢山育ててるらしいわね」
ララたちが入ってきた方角の門の外は、麦などの畑が広がる見晴らしの良い穀倉地帯だった。
しかし、その反対側では温暖な気候を生かした果樹栽培が盛んに行われているらしい。
そのおかげで、瑞々しい果実を使った商品を並べる露店の数が、ほかの町と比べても一際目立つ。
「ふぅ、美味しかった!」
「もう食べ終わったのか!?」
ララが脂の付いた指先をぺろりとなめて目を細める。
瞬く間にその小さな口へ吸い込まれてしまった串焼きと、彼女の手に残るその残骸を見て、イールたちが目を丸くした。
「おなか空いてたからねー」
「相変わらずの底なしだなあ」
ぽんぽんと下腹部を叩いて満足げに熱い吐息を漏らすララ。
しかし彼女はまだ食欲を満たせていないようで、またきょろきょろと周囲の露店を物色する。
「まだ食べるんですか?」
「串焼き五本とサンドウィッチだけじゃおなかも膨れないわよ」
軽く言い放たれる言葉に、そんなことはないと言いたげにロミが目を細める。
「それじゃちょっと新しいの買ってくるから〜」
「あ、ちょ」
早速次の標的を見つけたらしく、ララは脱兎のごとく駆け出す。
イールは慌ててその背中に手を伸ばすが、瞬く間に人混みに紛れてしまい、見失ってしまう。
「どこで合流するんだよ……」
「まあ、最終的には教会に戻ってくるでしょうし」
「それもそうか……。じゃああたしらはあたしらで楽しむとするか」
そうして、イールたちもまた、歓楽街の喧噪の中へと紛れていった。
†
「この包み焼きも美味しいわねぇ」
イールたちと別れ、一人で歩くララ。
彼女の手にはすでに新たな食べ物が握られていた。
今持っているのは中に具材を包んで焼いたパンである。
挽き肉とチーズとたっぷりの野菜が刺激的なスパイスと共に、火傷しそうな程に熱い出来立てのパンの中に入ったそれは、単体でも十分一食分を担えるほどのボリュームだった。
「もぐもぐ……」
そんな大きなものも一瞬で胃の府に落とし込み、ララは満悦な笑みを浮かべる。
「エネルギーも回復してるわね」
視界の端に浮かぶホログラム。
そこに示されたナノマシンを稼働する為のエネルギー残量を示すバーが徐々に長くなっているのを確認して、彼女は頷く。
小柄なララは、本来ならばそれほど栄養を必要としない。
しかし常に大量のエネルギーを求めるナノマシンを起動させているため、その外見に似付かない莫大な食事が必要なのだ。
「さーて、次は何を食べようかなーって、あれ?」
またもや新たな食事を探し求めて露店街をさまようララは、ある露店の前を見つめて首を傾げる。
薄く焼いた生地にジャムやフルーツを巻き込んだ、クレープのような商品を売るような店らしい。
その店先で、きょろきょろと視線を揺らす挙動不審な少女が居た。
フードを目深に被り、素顔は明らかではないが、ゆったりとした衣服に包まれた華奢な肩は幼い印象を見る者に与える。
「どうしたの? 何か困り事? 若い女の子が一人だと危ないよ?」
自分のことは棚に上げ、ララは気さくにその少女へ話しかける。
突然声を掛けられた少女は、驚いた様子で肩を跳ね上げ、フードの向こう側からララを見る。
ララと同じ白い前髪の隙間から、わずかに透き通ったエメラルド色の瞳が見返してきた。
「あう、あ、その……」
首を傾げたまま、ララは気長に少女の返答を待つ。
彼女は長い袖から細い指先を出して、つんつんと先を合わせる。
「あの甘い香りのお菓子が食べたいのですが……」
「クレープのこと? ……たぶんクレープって名前じゃないと思うけど」
「はい。くれーぷです」
どうやらお金がないらしい。
ララは彼女の肩を軽く叩くと、露店の前の列に並ぶ。
「おっちゃん、二つ頂戴」
「あいよっ!」
威勢のいい声と共に差し出されたそれを持ち帰り、ララは片方を少女に渡す。
「はい、どうぞ」
「い、いいのですか……?」
驚き目を大きく見開きながら、少女は恐る恐るクレープを受け取る。
なれない様子でしげしげとそれを見つめ、やがてうれしそうに小さく声を上げた。
「いいのいいの。かわいい女の子が困ってたら、助けるのが道理ってもんよ」
「か、かわっ……! そんなこと言われたのは、初めてです」
「ほんとに? お顔はよく見えないけど、とってもかわいいわよ。雰囲気的に」
「ふ、ふんいき……?」
こくりと首を傾げる少女。
ララは少し頬を赤く染め、逃げるように自分の手のクレープにかじりつく。
「ん〜〜! 甘くて美味しい! ほら、食べて食べて」
ベリー系の酸味と、クリームのとろけるような甘みが、もっちりとした生地と絡み合う。
異世界の料理も捨てたものじゃないな、とララは頬を押さえて思った。
そんな彼女を見て食欲を刺激されたのだろう。
少女もまた、急かされるように大きなクレープに歯を立てる。
「お、おいひい!」
口いっぱいにほおばりながら、少女は仰天して言う。
フードの下の瞳は大きく見開かれ、背筋がぴんと反り返る。
小さな体の全てを使って、彼女はその感激を表していた。
「良かった良かった。それだけ喜んで貰えると、私も作ってくれたおっちゃんも嬉しいわ」
ぱくぱくと残りを口に運びながら、ララは眉を下げる。
いつも行動を共にする三人組の中では最年少である彼女にとって、まるで妹のような存在は新鮮だった。
「このようなものがあると聞いて居ても立ってもおられず、つい部屋を抜け出してきてみたのですが」
「あら、こういうの初めてだったのね」
この町の出身ならば、連日連夜開かれている露店にはなれているだろう、と思っていたララは意外そうに口を開く。
彼女の言葉に、少女は恥ずかしそうにうつむき、もじもじと指先を絡ませた。
「その、いつもは買ってきてもらうのですが。今日はあいにくと皆さん忙しそうで」
「そういうことだったのねぇ。まあ、こういう経験もいいと思うわよ」
食べ終わった包み紙を折りながら、ララが言う。
それに賛同して、少女は小さくはにかんだ。
「ごちそうさま、っと。それじゃあどうする? お家まで送っていこうか?」
「いえ、心配無用です。私のお家はとても目立つので、一人でも帰ることができるのです」
少し得意げに胸を張って、少女が言う。
ララは意外に思って眉を上げ、ふっと笑みを浮かべる。
「そっか。でも、夜遅くに女の子が一人で歩くのは」
「大丈夫ですよ」
突風が二人を包み込む。
前触れのない出来事に、ララは咄嗟に腕で視界を覆う。
「だ、大丈夫!? って、あれ?」
風が収まり、ララは目の前にいた少女に声を掛ける。
しかしその時にはすでに、ララの目の前から小さな人影は忽然と姿を消していた。
「ええ……」
あまりの急展開に、ララは呆然とする。
きょろきょろとあたりを見回しても、彼女の痕跡すら見つからない。
大通りの人混みの中から、あの小さな姿を探すのは困難を極めるだろう。
「……一人で帰れるって言ってたし、大丈夫なのかな」
未だ後ろ髪を引かれるようだったが、ララはそう口に出すことで自分を説得する。
「デザートも食べちゃったし、帰ろうかな」
町の真上に浮かぶ、大きな黄金色の月を見上げ、ララは一人小さく呟いた。




