第二百六十八話「私そんなに強くないんですけど!?」
第7章です。
なだらかな丘陵地帯の瑞々しい緑の中を駆け抜ける一集団がいた。
一頭の艶やかな毛並みの駿馬とそれにまたがる赤髪の女傑が先陣を切り、後を追うようにして二台の鉄の車が付き従う。
鉄の車の片方、艶消しの灰色に塗装された小型の車に乗るのは、赤髪の少女と彼女が率いるヤルダの秘密組織の構成員達。
暗い迷彩色の大型トラックに乗るのは、小柄な白髪の少女と流れるような金髪の神官の少女だ。
二つの車は低く唸り、それに応じるように併走している馬もまた嘶く。
世の旅人達が見ればその速度に腰を抜かし、世の傭兵達がその姿を見れば新手の魔物かと剣を引き抜くような、異様な一行だった。
「ん~、今日もいい天気! 迷彩色に変えてみたけど、どうかな? 目立ってないかなぁ」
「うぅぅ、ララさんもう少し優しく運転をですね……」
「大丈夫よ。そう簡単に壊れるほどこのモービルは柔じゃないわ」
「そうじゃないです!?」
「あはははっ! ……そろそろね」
草原を二分する細い街道の先を見て、白髪の少女――ララが口を開く。
後ろの座席で杖を抱き抱えるようにして座っていたロミの声は聞こえないのか、聞こえないふりをしているのか。
彼女は胸元をまさぐると、服の下から小さなペンダントを取り出して起動する。
「イール、テトル、この先の分かれ道で止まりましょう」
ララはペンダントに向かって話しかける。
すると、程なくしてペンダントの向こう側から二人の声が返ってきた。
『了解。そろそろロッドも休ませないとな』
『分かりましたわ。ああ、これでお姉さま達ともお別れですのね』
テトルの寂しそうな声に、ララは思わず目を細める。
「ララさん、そろそろですよ」
「ん、ありがと」
ロミの声で、ララはゆっくりとブレーキを踏み込む。
土煙を上げて爆走していた迷彩トラックは、徐々にそのスピードを落としていく。
それが完全に停止したのは、ララが示した地点、街道が二股に分かれる根本だった。
「ふぅ。久しぶりに思いっきり運転すると気持ちいいわね!」
運転席から飛び出して新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みつつ、ララはすがすがしい表情で言った。
「勘弁してくださいよう。もう少しゆっくり運転してくれないと、おしりが割れちゃいます」
そんな彼女に文句を放つのは、同乗していたロミである。
馬車になれた彼女にとって、優秀なサスペンションの備えられたララのモービルは驚嘆に値するものだった。
だがしかし、それ以上にララの運転は荒く、サスペンションでも吸収しきれないほどの激しい上下運動に襲われていた。
「もうちょっと道路が舗装されてたらねぇ」
自分の運転技術は棚に上げて、ララはタイヤ跡の残る道を見る。
長年の往来によって自然に作られただけの街道は、石が転がり土がえぐれ、お世辞にも良い道とは言えない。
晴天の続く今ならば乾いてしっかりしているが、これが雨でも降ろうものなら一瞬でぐずぐずのぬかるみと化すのだろう。
そんな道を爆走したのである。
「でもですね」
「まあまあ。ロッドも久しぶりに全力疾走できて楽しそうだったぞ」
なおも苦言を呈そうとするロミの言葉を遮ったのは、汗を拭きながらやってきたイールだった。
彼女は自慢の長い深紅の髪を一束に纏め、胸当てを外して汗を逃がしている。
快適な車組とは違い、一人だけロッドと共に駆けてきた彼女は、適度な運動で気分も爽快らしかった。
「イールさんも大概体力お化けですよね……」
朝に野営地を出発して以来、昼に掛かろうとする今まで休憩なしである。
それに耐えるロッドもなかなかのタフネスだが、その上に乗って常に力を入れている彼女はもはやロミから見れば人間の範疇から多少はみ出している。
「まあ、あたしはこんな腕だしな」
そういってイールは右腕の手甲を外し、睫を伏せる。
露わになるのは、鱗に覆われた異形の腕。
尋常ならざる力を持ち、主の魔力のことごとくを吸い尽くす、邪気の醜腕である。
「イールさん、なんか最近それを理由にしておけば大体大丈夫みたいに考えてません?」
「そ、そんなことは……」
じと目で詰め寄るロミにたじろぐイール。
「お姉さま!」
「うわっと」
そんな彼女の腰に、ひしとしがみついてきたのは、イールよりも小柄で少し色の薄い長髪の少女だ。
白衣の裾を翻し、勢いよく突進してきた彼女は、イールの実妹テトルだ。
「テトル、もうちょっと優しくだな」
「そんな、私とっても寂しくて自制が利きませんの……」
「お願いだから利かせてくれよ」
白衣の裾で目元を隠し、テトルはわざとらしくよよよと泣き真似をしてみせる。
外見こそ幼い彼女だが、その実辺境一の大都市ヤルダの秘密組織『秘密の花園』の指揮を執る若き天才である。
「テトルのとこの魔導自動車も、結構安定してきたんじゃない?」
「ええ、おかげさまで。ヤルダとハギルの定期便の中でかなり改善できましたから」
ララが感心した様子で、微動している魔導自動車を見上げると、テトルはくるりと向き直って胸を張る。
彼女が開発した魔導自動車は、実際の運用を通して日夜様々な改造が続けられており、この車体はその集大成とも言える出来であった。
「もっとも、まだ量産は難しいですけどね」
「これだけ高級な素材がわんさか使われてたらなぁ」
「一応、軍部からは要請もあるのですけれど、それも費用の面が邪魔をしてなかなか話が進まないんです」
「教会も一枚噛んでたりするんですか?」
「もちろん。レイラ様を通して協力してもらっておりますわ」
魔導自動車は、元々ララが作り上げた一体のロボットが種となって開発された。
いわば、ララがこの文明の中へ投じた一つの石だ。
その存在がどのような波紋を広げるのか、ララは少なからず興味がある。
「いつか、この車が珍しくなくなる時代がくるといいわね」
「それを目指して、私たちが頑張っているのですわ」
「……私たちも頑張らないとね」
胸を張るテトルの背後から、声が聞こえる。
ララ達が視線を向けると、そこには全く同じ容姿をした二人の少女が立っていた。
「ディジュ、ルゥシィ。大丈夫なの?」
驚いてララが尋ねる。
テトルの魔導自動車に乗っていた二人は、慣れない車での移動に速攻で酔って寝込んでいたはずだった。
「私は元々大丈夫でしたよ。魔物なので」
目にかかった黒髪を指で押しのけ、むふんと息を吐くのはルゥシィだ。
「一番初めに倒れて、『すみません、私はもう無理です』なんて泣き言言ってたじゃない」
そんな彼女を小突く土色の目の少女は、ディジュ。
ディジュはまごう事なき人間であり魔物の研究者だが、ルゥシィは彼女が生み出した実験体である。
二人はララ達と敵対している『錆びた歯車』の構成員だったが、紆余曲折あった後に『秘密の花園』へと向かい入れられた。
「もうララ達とはここでお別れなんだよね。そしたら、私たちも頑張らないと」
言って、ディジュが前方の分かれ道を見る。
一方は大都市ヤルダへと続く道。テトル達が進む道。
もう一方は城塞都市プラティクスへと続く道。ララ達が進む道だ。
「うぅ、ここでお別れなんて悲しすぎますわ。やっぱり私がついて行けば……」
「テトルは向こうでやることあるんだろう?」
「それに首飾りでいつでも話せるじゃない」
「そういう問題じゃないのですわっ!」
未練しかない様子のテトルとは対照的に、イールとララはドライな反応である。
「ディジュさんも、ルゥシィさんも、お体には気をつけてくださいね」
「私は大丈夫ですよ。魔物なので」
「私も、今度は日頃からちゃんと食べるようにするわ」
恐らく、魔物であるルゥシィはその事実を隠して生きることになるだろう。
苦労の予測される彼女の生活を案じるララに、ルゥシィは笑みで答えた。
「私はディジュと二人で一人。うまく協力しながらやってくわ」
「……そうですね。必ずヤルダに立ち寄りますので」
「そうそう。私もイールも、今生の別れって訳じゃないんだし」
「うぅぅぅ、そうは言われましても……」
惜しみながらも手を振ってディジュ達はララ達と離れる。
ぎゅっとイールの腰に張り付いていたテトルも、しぶしぶながら離れる。
「そもそも、ララがいる時点であたしらはそんなに危険もないだろうよ」
「私そんなに強くないんですけど!?」
何を今更という目線をよけつつララが主張する。
そんな様子を見て、テトルも思わず吹き出した。
「ふふっ。そうですわね。ララお姉さまがいらっしゃるなら、安心ですわね」
「テトルまで!」
「それでは、また暫しのお別れですわね。……お元気で」
そう言って、テトルは数歩後ずさる。
「ええ。みんなもね」
ララ達もそれに応じ、そして車に乗り込む。
「じゃ、行ってくる」
ロッドに乗ったイールがテトルに手を振る。
テトルはそんな姉に手を振り返し、はにかんだ。
別れを惜しむように、一頭の馬と一台のトラックはゆっくりと道を進み始めた。
 




