第二百六十七話「それじゃ、行ってきます」
薄く目を閉じたルゥシィの細い首に手を回し、抱きつくようにしてララはホックを結んだ。
「これでよし、ってほんとにこれで良かったの?」
二三歩後ろへ下がって全体像を確認し、一つ頷いた後、ララは困惑してルゥシィを見る。
彼女は己の首に掛けられた細いシンプルなネックレスに指を触れて頷いた。
「ええ。――これくらいしないと、皆納得してくれないと思うから」
ネックレスの装飾部に嵌められた赤い石を見て、彼女は完爾として微笑む。
「入るぞ」
そこへ、控えめなノックと共にイールの声がやってくる。
ララが声を上げれば扉が開き、イールを先頭にロミ、テトル、ディジュの四人が小屋の中に入ってくる。
「終わったか?」
「ええ。ちゃんと」
そう言って、ララは服のポケットをまさぐる。
取りだしたのはルゥシィに付けたネックレスの色違い、落ち着いた黒色のものだった。
「はい。こっちがディジュのね」
「ありがとうございます。……私たちの我が儘を聞いて貰って」
「良いのよ。ファクトリーの試運転もしたかったしね」
申し訳ないと頭を下げるディジュを、ララは軽く笑っていなす。
「でも、本当によろしかったのですか?」
不安そうな表情を浮かべ、テトルが直前のララと同じような台詞を言った。
「その、自爆装置なんて付けなくても、私達は――」
「いいんですよ。これは私たちのけじめですから」
テトルの声を遮り、ディジュとルゥシィは同時に頷く。
彼女達の為にララが作った一揃いのネックレス。
それは、彼女達を殺す凶器だ。
「いつか、ルゥシィが魔物となってしまったとき、私がこのネックレスに魔力を流すか、ネックレス自体が破壊されてしまった時には、ルゥシィのネックレスが爆発して首を吹き飛ばす。――ちゃんと要件は満たしてくれましたよね」
「そこのところは抜かりなく。その時は完璧に仕事をこなすわ」
それは安全装置だ。
ルゥシィという不確定要素と隣合って仕事をしなければならない『秘密の花園』のメンバーの安寧を作り出すための装置だ。
ルゥシィが自我を失い、魔物の本質を取り戻してしまったとき、ディジュは責任を持って彼女を殺すと、昨日ルゥシィがテトルの手を握ったときに決意した。
ララはそんな二人から依頼を受け、ファクトリーを利用してこのネックレスを作成した。
「それに――」
ディジュはルゥシィの首に掛けられた白いネックレスを見て、自分の胸元の黒いネックレスに指を掛ける。
「色違いのネックレスを付けてた方が見分けが付きやすいでしょう?」
冗談めかして笑う二人。
ネックレスの色以外は寸分違わない姿の二人の少女は、まるで双子の姉妹のようでもあった。
「ルゥシィさんも納得しているんですか?」
そう尋ねたのは、ロミだった。
神官として複雑な心境の彼女ではあるが、ルゥシィは昨日とは一変して大人しく従順で、だからこそ混乱していた。
「ええ。これはディジュと私が一緒に決めたんですから」
ロミの方を向き、ルゥシィは頷く。
彼女の言ったとおり、ネックレスの依頼を持ち込んだのは二人同時だった。
森での一件の後、一度村に帰って一夜を明かした時に、二人は密に話し合ったのだという。
「きっと、私はいつか魔物に戻る。確証はありませんが、可能性はあります。その時が来ても良いように、安全策を講じるのは私たちの責任でしょう?」
そう言って、ルゥシィは微笑みを浮かべた。
己の首のネックレスが、いつか自分を殺すものだと知った上で、彼女は笑った。
その土色の瞳に秘められた決意と覚悟を見て、ロミはふっと表情を緩めた。
「それなら、仕方ないですね」
「はい。仕方ないんですよ」
ロミの言葉を繰り返し、ディジュは少し冗談めかして言った。
「そろそろ時間ですわね。お二人はもう準備できていますか?」
テトルが首に掛けた懐中時計を見て言った。
出発の時間が近づいていた。
「はい。と言っても私たちに荷物はありませんから」
「このネックレスだけ、あればいいんです」
そう言って、二人がテトルの方へと歩を進める。
「それじゃああたしらも出発かな」
「そうね。魔物の問題も解決したし」
小屋の隅に置かれていた荷物を持ち上げてイールが言う。
ディジュとルゥシィがいなくなる今、彼女達がこの村にやってきた理由もなくなる。
「お姉様方は、次はどちらへ向かわれるの?」
「そうだなぁ。どこがいいかね」
「それなら、プラティクスの方へ行きませんか?」
ロミがうずうずと肩を揺らして言った。
「プラティクスか。いいな」
「あの辺りなら美味しいものもあると思いますよ」
「そうですわね。プラティクスはたしか、果物が有名だったと思いますわ」
ロミの口から飛び出した地名に、イール達が明るい声を上げる。
その後ろで、ララが憮然とした表情で立っていた。
「……プラティクスが分からない」
「おっと、すまんすまん」
ララの文句を聞いて、イールが振り返る。
「プラティクスはヤルダの隣にある都市の名前なんだ」
「城塞都市プラティクスと言って、大きな鋼鉄の外壁が特徴なんです」
「へぇ……。それは一度見てみたいわね」
ヤルダにも外壁はあったが、周囲の話しぶりからしてそれよりももっと立派なものなのだろう。
ララは俄然やる気を出した様子で、活力を漲らせる。
「じゃ、あたしらの次の目的地も決まったな」
「プラティクスなら私達と途中まで道は同じですしね」
そうと決まれば、出発である。
ララ達が小屋の外に出ると、快晴な空が広がっていた。
「お、もう出発するのか?」
「ええ。お世話になったわ」
外でずっと待っていたらしいサムズがララに声を掛ける。
気の良い青年は彼女らに白い歯を見せて笑った。
「良いって事よ。あんたらは村を助けてくれた恩人だからな、またいつでも来てくれ」
「私たちはやるべき事をやっただけよ」
ララの言葉に、イールとロミも頷く。
彼女達にしてみれば、調査の間の拠点として小屋を快く貸してくれた彼らに感謝したいくらいだ。
「じゃあな、達者で」
「サムズ達も元気に暮らしなよ」
言葉を交わし、ララ達は車に乗り込む。
乗り込んでしまえば、あとは別れだけだ。
「ちょっと待って!」
その時、サムズの後方から慌てた声がやってきた。
モービルのステップに足を掛けていたララが振り返ると、一人の女性が何かを抱えて走ってきた。
「ポト!」
「ララさん、忘れ物ですよ」
それは、村に住む婦人だった。
緑の目を細め、彼女はララに抱えていた籠を手渡した。
「わ、パンだ!」
その中をのぞき込み、ララは歓声を上げる。
それは焼きたてのパンだった。
香ばしい小麦の匂いのパンは、狐色に焼かれて艶がある。
「一度も来てくれないまま帰ろうとされるんですもの。慌てて作ってきたんですよ」
「あはは。ごめんなさい」
むっと眉を寄せるポトに、ララは頭を掻く。
いつかの川辺で、彼女と交わした約束を思い出す。
ララは籠の中から、一つを取りだして囓る。
「おいしいっ」
ふんわりと柔らかなパンは、噛みしめると素朴な小麦の甘みが口に広がる。
素直な味で、これだけでもとても美味しいパンだった。
そんな彼女の反応を見て、ポトは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「そう言ってくださると私も嬉しいわ。本当は是非、ゆっくりと家で食べて貰いたかったんですけど」
「きっとまたこの村に来るわ。だから、その時は一緒に食べましょう」
「そうですわね。楽しみにしています」
ララの言葉を受けて、彼女は胸を膨らませる。
いつかの未来を思い浮かべ、二人は約束を交わした。
「それじゃ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
そうして、今度こそララはモービルに乗り込む。
エンジンが点火し、低く唸る。
窓越しに視線を交わし、ララ達は村を発った。
モービルのあげる土煙を、ポト達はずっと見送っていた。




