第二百六十六話「死か、研究か」
「サクラ、準備できた?」
『はい。拡散凍結弾のシグナルを確認、電脳と接続完了。いつでもいけます』
「それじゃあディジュ、氷を溶かすわよ」
「……はい!」
ララが虚空に指を滑らせる。
その動作で、冷気を発していた小さな弾丸は機能を停止せさた。
凍結した森林が、徐々に融解していく。
「段々氷が柔らかくなってくるわ。ルゥシィがどれくらいで出てくるかは知らないけど」
「大丈夫です。何時でも対応できます」
そびえ立つ氷柱の側には、ララとディジュが立っていた。
二人は氷の中で静止する少女から視線を離さない。
彼女達の後方では、有事に備えてイールとロミが、モービルの側で待機していた。
「丸二日くらい凍らせてたけど、生きてるものなの?」
「ルゥシィに限らず、改造した魔物は大体生命力を高めているので」
少し後悔している様子でディジュが言った。
過酷な実験にも耐えられるように、オリジナルと比べ段違いの生命力が備えられていたが、今ではそれが枷となって襲いかかってくる。
「一応、弾の準備はしておくからね」
「はい。その時はお願いします」
ファクトリーで作成した拡散凍結弾を装填して、ララが言う。
ディジュは緊張した面持ちで頷く。
そして――
「っ!」
氷の中の少女が、ぎょろりと目を向ける。
土色の瞳が二人を射抜く。
「くるわよ」
ララがハルバードを構える。
ディジュは白衣のポケットに手を伸ばす。
氷柱に、細かな亀裂が走り始める。
硝子を圧縮するような耳鳴りのする音が聞こえる。
未だルゥシィの身体は動かないが、強大な力で内側から押しのけようとしていた。
「――!」
氷が砕ける。
透明な欠片が降り注ぐ。
ララがハルバードを振り、大きなものをなぎ払う。
小さな氷が、二人の頬に当たって溶けた。
「あは、あはははははっ!」
狂気的な嬉笑が、濡れた森に響き渡る。
遠くで動物たちが怯え草むらを揺らす。
「……久しぶり、ルゥシィ」
「ディジュ。ディジュ! ディジュ!!」
身体がまだ完全に溶けきっていないのだろう。
瞳孔を開ききった少女は、おぼつかない足取りで己と同じ姿の少女に歩み寄る。
白衣の少女は、彼女に向けて、腕を突きつける。
「それより近づかないで」
「……はえ?」
その手に握られているのは、赤い魔石を埋め込んだ小さな杖だった。
捻れた枝の先端が、ルゥシィの眉間を示す。
ディジュが魔石に魔力を送り込むと、中に刻まれた魔術回路が起動する。
光の輪が浮かび上がり、複雑精緻な魔方陣を描く。
「貴女のために作った、貴女を殺す杖よ」
それはディジュが昨日作り上げた、対魔物用の凶器だ。
射程は短く、精々が手を伸ばした程度。
一度使用すると魔力の供給源である魔石が破損するため使い捨てだが、その分その威力は絶大だ。
「もし一歩でも近づいたら、これで貴女を殺す」
「あはっ、怖ぁぁいなぁ」
ぎょろりと目を動かし、大仰に腕を振って、ルゥシィが笑う。
「なぁんで、わたしをすぐに殺さないのぉ?」
ディジュの瞳を見つめ、ルゥシィが尋ねる。
その杖を使い、氷柱ごと破壊してしまえば、余計な手を煩わせずに事は終わったはずだった。
ルゥシィは敵ながら、その事が引っかかっていた。
「ちょっとお話したくて。私が無理を言ったの」
「そうそう。私は問答無用だって言ったんだけどね」
油断なくハルバードを構えたまま、ララは頷く。
なぜか敵と意見が一致するという奇妙な状況である。
「私と、お話?」
ディジュの言葉がよほど意外だったのか、ルゥシィは間延びした口調を消していた。
「そ。お話」
ディジュは硬い表情を解くと、柔和な笑みを浮かべてルゥシィを見た。
「貴女はなぜ、私を研究室に閉じ込めたの? それでなぜ研究を続けたの? それが私には分からない。貴女は私を出し抜いた時点で、いくらでも自由を勝ち取れた。施設の警備なんて軽く突破して、外に出られた。だけどなぜ、貴女はそれをしなかったの?」
「……」
杖を構えたままディジュが問いを投げかける。
ルゥシィは先ほどまでとは打って変わって、口を硬く噤んだ。
「確かに貴女は私の研究をよく手伝ってくれたわ。私と遜色ないほどに、いや、もしかしたら私よりも能率的に作業を進めていたかも知れない。だけど、それは全部私が強制させていたこと。自由意志の判断に置かれた貴女が、何故研究の続行という道を選んだのか、私は知りたいの」
無言の少女に向けて、ディジュは更に言葉を重ねる。
それは暗い部屋の中で生をつむぎながら考えていた、一つの大きな疑問だった。
「――嫌だったわ」
長い沈黙を経て、ルゥシィは唐突に口を開いた。
「とても嫌だった。形ある形に押し込められて、いらない知識を流し込まれて、同胞の身を切り刻むことを強要されたのは」
「……」
ルゥシィは被検体だ。
彼女は運良く成功した被検体だったが、その足下には夥しい数の失敗者が積み重なっていた。
同族の身に、己の手でナイフを差し込むのは、拷問だった。
「でもね、あるときから分かり始めた。段々と、少しずつだけど。――形には意味があって、知識には意義があった。実験は貴女の遙かな果て無き理想郷へと赴くための船だった」
その詩的な表現は誰が教えたものだろう。
ララがちらりとのぞき見た隣の少女の頬が僅かに赤く染まっているのは、見間違いではないはずだ。
「貴女は、私に共感してくれたってこと?」
「私は夢を見たのよ。貴女と同じ夢を。あるいは必然だったのかも知れないわ。貴女と同じ姿で、貴女と同じ知識を持って、貴女と同じ事をしながら、貴女と一緒に生活していたのだから、貴女と同じ夢を見るのも、きっと最初から決まっていたこと」
ディジュの夢。
それは魔物が人間と共生する世界。
ルゥシィが、まだディジュに成りすましていた彼女が狭い洞窟の奥でララ達に語った理想だった。
「なら、なんで私を閉じ込めて……」
「実験は危険だった。倫理――人の道さえ踏み外した作業が必要だった」
ルゥシィが嬉しげに語っていた名前。
施設にいたはずの構成員は、消えた。
「貴女――」
ディジュの土色の目が揺らぐ。
「人の道を外れた実験は、人ではない人にやらせるのが効率的だと思ったのよ」
「っ!」
杖が震える。
決意の炎が揺らぐ。
その向こう側で、黒髪の少女はララが初めて見る慈愛に満ちた表情を浮かべていた。
「許されざる者は、断罪されるべき。せめて貴女の手で、私を殺して」
「――ルゥシィ」
彼女は杖の先を掴むと、自らの胸元に引き寄せる。
全てを覚悟した目が、交錯する。
「――ちょぉっと待ったぁぁぁあああですわ!」
「ぴえっ!?」
そこへ、突然の闖入者が現れる。
ぎょっとしたララが顔を向けると、木々をなぎ倒して一台の魔導自動車が躍り出た。
それは二三度地面をバウンドすると、急ブレーキを掛けて地面を滑る。
ようやく止まったのは、ララのすぐ側だった。
ドアが乱暴に開かれ、中から現れたのは、白衣を装った赤髪の少女。
テトルはずかずかと二人の間に押し入ると、むふんと胸を張る。
「話は聞かせて頂きましたわっ! それなら私に良い案がありますの」
「……どこから聞いてたのよ」
村で滞在していたはずのテトルの登場に、三人は唖然とする。
ルゥシィですら反応に困っていた。
「それで、良い案って?」
仕方なくララが尋ねると、テトルは口を弧にしてルゥシィを見た。
「貴女も、私の下で働きませんか?」
「はっ!?」
三人の声が揃った瞬間だった。
予想外も予想外な言葉だ。
「ディジュはとっても優秀な研究者。そんな彼女と同じ能力を持つ方がいらっしゃるなら、是非とも手に入れたいというもの。当たり前ですよね?」
「いやその理論はおかしいと思うんだけど!? ていうか魔物なのよ?」
「魔物を研究するのですから魔物が研究室にいるのは何らおかしくありませんわ!」
「暴論すぎない?」
思わず突っ込みを入れるララだが、強すぎるテトルの言葉はそれを寄せ付けない。
ルゥシィの方へと歩み寄り、むんずとその手を握る。
「さあ、答えをお聞かせください。死か、研究か」
「……ひっ」
爛々と光る赤い瞳に迫られて、ルゥシィは情けない悲鳴を上げた。




