第二百六十二話「なんで?」
一行がコパ村の側の沢に到着したとき、丁度赤い夕日が山の尾根へと沈みきった。
家々の窓から漏れ出るランタンの明かりと、僅かに姿を覗かせる月の光の中を進み、宛がわれた小屋に帰還を果たす。
「ほら、降りられるか?」
イールが、ロッドの背に乗っていたディジュに手を貸す。
小柄な彼女は少し躊躇した後、ぎゅっと目を閉じて飛び降りた。
「ほい、到着。ここが今の私たちの拠点よ。もう遅いからご飯だけ食べて、ちゃっちゃと寝ちゃいましょう」
ドアを開けながら、疲れた声でララが言う。
なんだかんだと波瀾万丈な一日で、誰もがくたびれていた。
満場一致で全員が頷き、ぞろぞろと小屋の中へと収まっていく。
「サムズへの報告も明日で良いか」
「今日する気は起きないわね……」
鍋と火の準備を始めながら、ララが言った。
彼女が鍋を持って水を汲みに行っている間に、イールとロミが食事の準備を始める。
勝手知ったる仲の三人は、特に言葉を交わさずともそれぞれの仕事をこなしていた。
その間、ディジュは壁に背を当てて足を折り、両手で抱えるようにして頭を埋めていた。
三人もそんな彼女に声を掛けず、そっと落ち着くままにした。
「ほら、ご飯できたわよ」
ディジュはゆさゆさと肩を揺らす動きと、鼻腔をくすぐる良い香り、そしてそんな優しい言葉で目を覚ました。
自分でも知らぬうちに眠っていたらしく、彼女はくしくしと目元を擦る。
「す、すいません私、寝てしまって……」
「あれだけ疲れてたらしょうがないさ」
慌てるディジュに、イールは軽く返す。
その間にロミが木の器にスープを注ぎ、全員に回す。
「とりあえず何か食べた方が良いですよ。お腹が空いてると、余計悲しくなっちゃいますから」
そんな言葉と共に器を差し出すロミに、ディジュは俯きがちにありがとうと感謝を述べる。
「じゃ、食べましょうか」
ロミが自分の器にもスープを注ぎ、号令を掛ける。
全員が器と匙を持ち、夕餉が始まった。
「ああー、疲れと空腹は最高のスパイスね」
肉ブロックと香辛料を投げ入れただけのスープに舌鼓を打ち、ララが目を細める。
味に飽きるほどに食べた料理だが、今日だけは格別の一皿である。
瞬く間に器を空け、お代わりを注ぐ。
イールもロミもそれに続いて我先にと鍋をのぞき込んでいた。
「どう? おいしいでしょ」
「……」
ララが隣に座り込んだディジュの顔をのぞき込む。
村へ帰る馬上でも、ララ達が料理を準備している間も、ずっと塞ぎ込んでいたディジュは、ゆっくりとした動きで匙を口に運んでいた。
「……甘い」
「そ、そうかな? スパイス効いてると思うんだけど……」
「とっても、美味しいです」
ディジュの声が震える。
驚いたララが彼女の目を見れば、土色の瞳に大粒の涙が浮かんでいた。
ララはふっと表情を緩めると、食事を再開する。
「味が分かるなら、もう大丈夫よ」
その言葉を聞いてか、ディジュは涙を白衣の袖で拭うと、勢いをあげて食べ始めた。
生命の衝動を感じたような気がして、ララは胸の奥にじんわりと広がる熱を覚えた。
「食べたら寝なさい。ぐっすり寝たら、気持ちも晴れるわ」
そんなララの言葉通り、食事を終えたディジュは、スイッチが切れたように深い眠りへと落ちていった。
◇
その翌日のことだった。
ララはドンドンとドアを叩く音で飛び起きる。
「何事!?」
「さあな」
同じく目を覚ましたイールも首を傾げ、ドアの方を見る。
ディジュはまだ深い眠りにあり、ロミもいつも通り泥のようだ。
「おーい、いないのか?」
ドアの向こうから声が届く。
それは、この村のまとめ役であるサムズのものだった。
「はいはい。おはよー」
相手が分かれば安心である。
ララが側に置いてあった服を着ながらドアを開けると、いつもと同じがっちりとした筋肉質な男が立っていた。
いつもと違っているのか、そのサムズが少し焦っている様子だったことだ。
「どうしたの? なんかあった?」
「いやな、さっき変な魔導具に乗った奴らがやって来て、お前らに会わせろってうるさいんだ」
「変な魔導具?」
サムズの言葉に、ララとイールは一瞬で剣呑な顔になる。
彼女達の頭に浮かんだのは、ディジュを狙う追っ手。平たく言えば『錆びた歯車』の残党だ。
とはいえあの洞窟には既に他の構成員はいないはずであり、ディジュがここにいるというのも知り得ないだろう。
「ちなみに、どんなやつだ?」
己の予想を確かめる為、イールが尋ねる。
サムズは顎に指を当てて眉を上げた。
「薄赤い長髪で、白い服着たチビだよ」
「……あー」
その言葉で、二人は察する。
「すぐに準備して会いに行くって伝えて頂戴」
「あいよ。じゃあ集会所で待ってるからな」
ララが言付けを頼むと、サムズは快く引き受けて去って行った。
「それじゃ、行きましょうかお姉さん」
「……なんで来たってよりも、なんでこんな早く来たって疑問が浮かぶなぁ」
おどけるララに、イールは苦虫を噛み潰したような表情で答える。
二人はロミをたたき起こし、ディジュもついでに起こして身支度を調えると、早足で村の中央にある集会所へと向かった。
「イールお姉様! ララお姉様! 会いたかったですわ!」
「……朝っぱらから元気だなぁ」
彼女達が集会所のドアを開けるや否や、耳の奥にじんじんと響くような声に襲われる。
イールが眉を寄せながら視線を戻すと、そこに立っていたのはやはりテトルだった。
壁際には数人の『青き薔薇』の隊員達が並んでいる。
「そりゃあ夜を徹して魔導自動車でやって来ましたから」
むん、と胸を張るテトルに、ララ達が目を丸くする。
「もしかして寝てないの!?」
「あ、いえ。交代で運転しましたから仮眠は取っていますわよ」
一応、身体を労るのは忘れていないようだ。
「それでまた、なんでやって来たんだ? 遠話の首飾りじゃできない用事か」
テトルは頷くと、イール達の背後に視線を向けた。
「その方がディジュさんですね?」
「正確に言えば本物のディジュだがな」
「本物?」
首を傾げるテトルに、イールが軽く昨日のことを説明する。
テトルは驚き、そしてショックを受けてたじろぐ。
「……そうでしたか。それは」
掛ける言葉が見つからず、テトルが眉を下げてディジュを見る。
状況の分かっていないディジュは、彼女を見返してきょとんとしていた。
「それで? 用事はなんなんだ?」
「そうですわね。……単刀直入に言いましょう。ディジュさん、私達の所で研究を続けてみませんか?」
「えっ!?」
テトルの言葉に、ディジュが声を上げて驚く。
驚いたのはララ達も同様だった。
「い、いいの!? ディジュの研究って禁忌なんじゃ……」
「把握の上ですわ。それを加味しても貴女の能力は捨てがたい。レイラとも密に話し合った上で決めたのです」
「そんな……」
毅然とした姿勢で言い切るテトルに、ディジュは困惑を隠せない。
まさか自分が、そのような言葉を掛けられるとは思っていなかったらしい。
「そういえば、私のことを教えるのを忘れていましたわね。私、ヤルダ評議会の下で『秘密の花園』という組織を取り仕切っていますの」
その組織名は聞いたことがあるのだろう。
ディジュの動揺は目に見えて大きくなる。
それも不思議ではない。
敵対していた組織の長が直々に現れ、手を差し伸べているのだから。
「なんでまた『秘密の花園』に取り込もうとしてるんだ?」
「もちろん、ディジュさんの能力を評価しているからですわ」
胸を張ってテトルが頷く。
「でもなあ……」
イールが歯切れ悪く言葉を漏らし、ララと目を合わせる。
テトルはそんな二人の様子に首を傾げた。
「ディジュは、『錆びた歯車』の構成員だぞ」
「………………はえ?」
イールの放った爆弾に、テトルはしばらく硬直する。
やっとのことで口から漏らしたのは、可愛らしい声だった。
「なんで?」
「いや、なんでって言われても」
信じ切れないテトルの問いかけに、イール達は戸惑う。
事実である以上、他に言うこともない。
「……むしろ、僥倖なのかもしれません」
しばらく長考していたテトルは、ふっと顔を上げるとそう行った。
「いいの? 敵対組織よ?」
「だからこそ、ですわ。『錆びた歯車』の残党は数が少なく、拘束できているのはイライザのみ。他にも情報源が欲しかったところですから」
そう語るテトルの顔に嘘は見られない。
臨機応変な彼女の対応に、ララは思わず目を見張る。
「そういうわけで、ディジュさん。改めて聞きたいのですが」
「は、はい!」
テトルはララ達の後ろで身を縮めていたディジュに視線を向ける。
ディジュは緊張して背筋をぴんと張った。
「私たちの『秘密の花園』へ、いらっしゃいませんか?」
ふっと花のような笑みを浮かべ、テトルが手を差し伸べる。
ディジュはぷるぷると震えながら思い悩み――
「よ、よろしくお願いします……」
そっと彼女の手を握った。
 




