第二百六十一話「わたしの出番ですね!」
おどおどとしながら穴から出てきた少女は、今も氷柱となっている少女とうり二つの姿をしていた。
荒れ放題の黒髪を忙しなく弄りながら、細縁の眼鏡の奥で土色の瞳を潤ませている。
ララは彼女の肩にそっと手を添えて、イール達に向き直った。
「そういう訳で、この子が本物のディジュね」
「本物ねぇ。またニセモノじゃないだろうな?」
「うぅ……。もうルゥシィと同じ種族の魔獣はいませんので……」
訝しむイールに怯えた様子で、ディジュは声を震わせる。
ララがジト目を送ると、イールはばつが悪そうに後頭部に手をやった。
「あのぉ、お話が全然見えてこないのですが……」
この中で唯一取り残されていたロミが、遠慮がちに手を上げる。
「簡単に言えばまあ、向こうの氷漬けは偽物で、こっちが本物ってことね!」
「それが分からんって言ってるんだろ。偽物の方は、こっちのディジュが造った魔獣なんだろう?」
ララの頭を小突き、イールが細くする。
頷いたのは、肩を震わせていたディジュだった。
「そうです。ルゥシィは、スライムを土台にして改造した魔獣です。擬態能力と知性を強化して、私の助手として使っていました」
「だからって外見までそっくりにしなくても良かったんじゃない?」
「ルゥシィを造ったときにその場にいたのが私だけで……。彼女が知ってる人間は私だったんです」
「それでアレはディジュに擬態したのね」
ララの言葉に、ディジュはこくりと頷く。
「全くの偶然でしたが、それによって彼女はとても扱いやすかったです。なんといっても、全く自分と同じ存在でしたから」
単純に作業効率は二倍となった。
二人で時に分担し、時に手を合わせながら、ディジュ達は研究を進めていたという。
齟齬が現れたのは、丁度イライザが捕まった時期のことだった。
「彼女の自我が、とても強力になっていたのに気が付いた時には、もう手遅れでした。私は研究室の奥の物置に閉じ込められ、ルゥシィはディジュになりました」
「あー……。やらかし案件じゃない」
容赦の無い言葉を浴びせられ、ディジュは更に小さくなる。
そのことは彼女自身が一番分かっていたのだろう。
「アームズベアとか、ゾンビを造ったのもディジュなんだよな?」
「A4とZ8ですね。あの子達も私が造りました」
「A4に、Z8? ルゥシィみたいに名前は付けてないの?」
首を傾げるララ。
ディジュは頷く。
「ルゥシィは一緒に作業をしてたので、自然と名付けてましたが……。改造魔獣は基本的に被検体なので、ラベルを貼っているだけでした」
「じゃあ、ジャンとかペーターとか名付けてたのは、ルゥシィだけだったのねぇ」
偽のディジュと地下の部屋で出会ったとき、彼女が試験管の中の魔獣達を指さして言ったことを思い出し、ララが何気なく呟く。
ディジュは眼鏡の奥の目を見開き、酷く驚いた様子だった。
「る、ルゥシィが……その名前を……?」
「そうだけど。どうかしたの?」
狼狽える少女の肩に手を乗せて、ララが視線を合わせる。
ディジュは喉の奥から絞り出すようにして、言葉を吐き出した。
「その名前は……あの施設にいた、『錆びた歯車』の構成員の名前です……」
「なっ!?」
ララ達はその言葉に仰け反る。
嫌な予感が、三人の胸の中に湧き上がる。
「あの、一つ聞いて良いですか?」
ディジュが上目遣いでララに尋ねる。
「あの施設に、私以外の人は……いましたか?」
ララ達は顔を見合わせる。
あの近く深くに広がる秘密の施設には、人の気配は無かった。
彼女達の反応で察したのだろう。
ディジュは咄嗟に口元を押さえる。
ロミが素早く彼女の元へ駆け寄り、優しく背中を撫でた。
「ディジュさん。辛いでしょうが、一つだけ。ルゥシィが魔物に名前を付けていた件は、どう思われますか?」
遠慮がちに放たれた疑問に、ディジュは口を噤む。
イールが重ねるように問い掛ける。
「この近くの村を襲ったアームズベアと、洞窟の中で出会ったゾンビは、体内に二つの魔石を持っていた。この事実に思い当たる節はあるか」
ディジュの呼吸が乱れる。
視点が定まらないまま、彼女は氷柱になっているルゥシィを見る。
「まさか……」
「何かあるのね?」
「…………人体合成を、したのかも知れません」
長い空白の後、掠れた声が風に溶ける。
「被検体に、人間を使ったのかもしれません。魔石を、追加するために……」
「そんなことができるのか?」
「……理論は構築していました。ただ、あまりに非人道的だったので、私は封印していましたが」
「ルゥシィはしてしまったのね」
問い質すララの言葉に、ディジュは顔を土気色にして頷いた。
「ルゥシィは、人間の姿こそしていますが、人間ではありません。そこに倫理など、無かったんでしょう」
未だ信じ切れない自分を説得するように、ディジュは言った。
長くない時間とは言え、閉鎖された組織の中ではそれなりの思い出もあるだろう。
彼女は今、それを想起しているに違いなかった。
自然と、土色の瞳から冷たい涙が溢れ出す。
「……ディジュ。まだ地下には六体の魔獣がいるが、どうしたらいい?」
イールがディジュと視線を合わせて問いかける。
琥珀色の瞳に貫かれ、ディジュは身体を震わせるが、決意して口を開く。
「……安らかに眠れるよう、導いてあげてくれませんか」
「それなら、神官のわたしの出番ですね!」
努めて明るい声色でロミが言う。
任せて下さいと胸を叩く。
ディジュはそんな彼女に抱きつき、胸に顔を埋めた。
押し殺した嗚咽が、神官服の隙間から漏れ出す。
「……一旦、村に戻ろうか」
「そうね。少し休ませてあげないと」
ララとイールはそう言うと、今度こそコパ村に向けて帰還する準備を始めた。
いつの間にか時刻は夕方に差し掛かり、森の中には薄く影が浮かび上がっていた。
 




