第二百五十一話「自分の目しか信用できない」
暗闇の中を探照灯の細い光が伸びる。
ゴツゴツとした黒い岩肌はじっとりと湿り気を帯び、上からは悠久の時を経た鍾乳洞垂れ下がり、静寂の中を微かな駆動音が反響する。
三つの小さな球体は、銀色に輝きながら宙を滑るようにして進む。
その筐体には、一つの小さなレンズがあるほかに、判読できない文字が描かれた札のようなものが張られてあった。
三つは互いの死角を補い合う様に、全く同じ速度で、正三角形を形作って移動する。
完璧に揃ったフォーメーションは、まるでそれらが一つの生物かのように錯覚さえする。
しばらくは、その目には闇しか映らなかった。
光さえ飲み込む、圧倒的な黒だ。
「どうだ、ララ。何か見つかったか」
草地に座り、目を閉じたララに、イールが話しかける。
ララは今、三つの目を塒の先へと侵入させ、その内部を偵察していた。
すべては遠隔で行われ、情報はララの電脳へと送られる。
モニターに類する機器が無いため、調査の様子を知るのは、ララただ一人だけだった。
「うーん、特には。磁場強度も電波相も異常なし。音波測定で返ってくるのは分厚い岩の反応だけ。真っ暗だから視界は悪いけど、見える範囲に怪しい物もない。ついでに言えば固有ビーコン識別波も反応無いわね。ロミの方は?」
ララは目を閉じたまま答える。
三つの視界と数多くのセンサーから送られる膨大な情報は、彼女の脳の演算能力の約半分を費やして分析される。
目を送り込んで半刻ほど経っているが、未だにこれと言った収穫はない。
「わたしの方も異常はありませんね。魔力濃度、魔法残留反応、龍脈支流位相、高濃度魔力反応、動体魔力反応、その他いろいろ。ぜんぶ異常が無いか想定の値域内です」
第三の目に貼り付けられた札は、ロミお手製の簡易的な魔導具だ。
それらは周囲の魔力的、魔法的な痕跡を探り、仮に異常を察知することがあれば術者であるロミにフィードバックする。
だが、そちら側からの調査も芳しくはない。
「ううむ、これじゃあ本当にただの洞窟だぞ」
「ただの洞窟があんな隠し扉で隠されてるものかしらね」
情報の解析を行いながらも、イールのぼやきに返す程度の余裕はあるララである。
実際の所、昨日彼女が力任せに開いた扉は、通常であればまず発見できない程度には巧妙に隠蔽された、明らかな人工物である。
しかしこうも長時間に亘って戦果が無ければ、イールが首を傾げるのも不思議ではない。
「科学的アプローチでも魔法的アプローチでも見逃してる項目がある? そんなもの、存在するのかしら。うにゅぅ、分かんなくなってきた」
止めどなく流れてくる情報を裁きながら考察を進めるのは、中々負担が掛かる。
多少は電脳によるサポートもあるとはいえ、同時に複数のことをこなすのと同じことをしているのだ。
「しかし、随分と広い洞窟なんだな」
調査開始から半刻もの間、それなりの速度で目を動かしているが、未だに終端には辿り着かない。
その事実に思い当たり、イールが訝しむ。
「それもそうね。一体どこまで続いてるのやら」
「穴は水平なんでしょうか」
「水平? いや、ちょっと傾斜が。傾斜……? むむむ?」
「どうしたんだ?」
ロミの何気ない一言でララが唸り始める。
何か分かったのかと二人が彼女の方へ意識を向ける。
「今の深度、地下百メートルを大幅に超してる。そういえば傾斜の角度はほぼ一定だわ。知らない間に随分深くまで潜ってるわね……」
「どうしたんだ、ララ」
「この洞窟、随分深くまで続いてるみたい。サクラが中継基地してくれてるお陰で電波強度が変わらないからうっかりしてたわ」
ララは額に手を当てて言う。
分かりやすくかみ砕いて説明すると、その異常性に二人も気が付いたようだった。
「これはやっぱり、明らかに人為的な洞窟ですよね」
「施設というよりは道だろうな。どこまで伸びてるんだ全く」
ララの口頭からしか状況が把握できない二人は困ったように眉を寄せる。
一応、ララの脳内には情報を元に構築した詳細な地図があるのだが、見せることができる物でもない。
「ん、ちょっと待って」
「どうした?」
突然、ララが声を上げる。
訪れた変化にイールが思わず身構える。
「壁……。行き止まりに着いたみたい」
「ぶっ壊してみるか」
「第三の目に武装は無いわよ」
素晴らしい物理戦法に舌を巻きつつ、ララが窘める。
とはいえ最初の隠し扉を破壊した彼女も言えたものでは無いが。
「それじゃあ、わたし達が実際に行くしかないってことでしょうか」
「そうなるわね。まあ、幸いここまでの道中に異常な箇所とか敵性存在は見つからなかったし、ちょっと長いだけで安全な――ッ!?」
言葉の途中、ララが表情を強ばらせる。
焦った様子で彼女は指先を動かし、何かを操作するような素振りを見せる。
「ど、どうしたんだ?」
急変したララに、イールが問いかけるが、答える余裕もないらしい。
「ちょっと待って、どういうことよ。サクラ!」
『はい!』
「電波強度確認! 各識別番号を照合して、異常ログがないか参照!」
『電波ロスト、異常ログ見受けられません!』
「電波ないのに異常もないの!? そんな出鱈目があるの!?」
半ば悲鳴じみた声でララが叫ぶ。
詳細が分からない二人が顔を見合わせる。
「ララ、落ち着け。何があったか教えろ」
「……第三の目が三つとも消えた」
「消えた?」
「反応が、返ってこないの」
肩を揺らされ、正気に戻ったララが、焦燥した表情で言う。
「つまり……?」
「何者かに、一瞬で、知られること無く、三つとも壊された」
「……ッ!?」
的確で端的な説明だった。
それだけに、イール達に走る衝撃も大きい。
「ララの機械が、壊されただと?」
「それも、一瞬で?」
二人が確かめるように尋ねる。
まだ彼女達も信じられていないのだ。
しかし、現実には三つの機体からの情報送信は途絶え、識別反応も応答はない。
「何か見落としていた? そんな筈無いわ。じゃあどこから? 私の目を欺いた? そんなことができるの?」
ララの思考が高速で巡る。
あらゆる仮説を立てては検証し、可能性を潰していく。
無数の選択肢を洗い直し、現実を模索する。
「……分からない」
しかし、それでも。
彼女の圧倒的な演算能力を以てしても、その真相は闇のヴェールに包まれたままだった。
自分の無力感に打ちひしがれ、ララは目を開く。
眩しい木漏れ日が降り注ぐ。
だが、彼女の心象はその対極にあった。
「……しょう」
「なんだって?」
ぼそりと小さく零れた言葉。
イールが聞き返す。
ララはきっと目を見開き、彼女を見つめる。
「突入しましょう。直接この目で、何があったのか確認しなくちゃ」
真っ直ぐな瞳。
苛烈な決意を湛え、青い瞳はイールを穿つ。
「わたしも賛成です。魔力的な異常は、何も見当たりません。今も安定して、札からはその結果が送られてきていますから」
ララの訴えに、ロミも同調する。
破壊されたのはララの第三の目だけで、ロミが作った札型の魔導具は健在のようだった。
そこからの反応を辿れば、自ずと事件現場に辿り着くだろう。
「そうだな。やっぱり自分の目しか信用できない。行こうじゃないか」
二人の目を交互に見て、イールは口角を上げる。
彼女もまた、答えは決まっていた。
そもそも、もとよりそのつもりである。
十分な物資はすでに用意が完了している。
三人は立ち上がると、真っ暗な洞窟の奥へと足を踏み入れた。
 




