第二百四十話「術式解放。転位開始」
「二人ともしっかりして! 怪我はない?」
『外傷はありません。意識だけを失って拘束されているようです』
ララが掛け寄り、腰のナイフを引き抜く。
二人の手足を縛る粗い縄を切って拘束を解くと、彼らの表情は幾分和らいだ。
「精霊花の香水を嗅がされたのかしら」
『その痕跡は見当たりません。物理的、魔法的どちらかは判断は付きませんが、香水ではないようですね』
狭い庵の中には、ソールの使っていたと思われる家具類が配置されている。
それらに特に荒らされた様子はなく、乱闘の形跡も認められなかった。
「ソール……。なんだか、嫌な予感がするわ」
堅く瞼を閉ざす二人を見つめ、ララが爪を噛む。
彼女の頭の中では巡らせたくない思考が巡り、彼女の予想は行きたくない方向へと展開されていく。
いくつもの仮説を立て、反駁を試みるが、そのことごとくが自身の予想によって打ち砕かれる。
「確かめなきゃ、いけないわね」
ぎゅっと拳を握りしめ、ララは誰に言うでもなく言葉をこぼす。
そんな主人の様子を、サクラは何も言わず静かに見守っていた。
「――サクラ、広場の人に二人のことを伝えに行ってくれる?」
『了解しました』
「私は、ちょっと出かけるわ」
『そちらも、了解しました。お気をつけて』
静かに立ち上がりララが告げる。
長き時を共に駆けた相棒のAIは、それに粛々と従う。
サクラが庵を飛び出し、広場の方向へと消えたのを見送ると、ララは小さくため息をつく。
「第一種戦闘装備展開」
ナノマシンが励起し、白い輝きが彼女を包む。
特殊金属の機構が展開され、細い体を覆う。
それは紛う事なき彼女の全力装備、その完成系だった。
「信じたくはないけれど、――いや、信じたくないからこそ、確かめなくちゃ」
青い瞳に固い決意の光を宿し、彼女は独白する。
彼女は胸ポケットに確かな重みを感じると、地面を蹴って庵を飛び出した。
ララは風になった。
木々の隙間をくぐり抜け、何よりも速くその場所を目指す。
それだけに全身全霊の力を注いだ彼女はまさしく風だった。
疾る。
多少の障害物は破砕して、時を縮めることだけに専念する。
標はただ一つ、胸に感じる重みただそれだけだ。
「くあっ!?」
幹から伸びる太い枝に足をかけたララは、唐突に体勢を崩す。
「この枝、実体が……っ!」
針のように鋭い木の葉に身を丸めながら、ララは歯ぎしりする。
魔術か魔法か、また別の何かなのかは分からなかったが、それは幻の影だった。
偶然にこのような物が進路上に現れることもない。
何者かの意図を感じて、彼女は憤った。
「そっちが会いたくないのなら、力尽くでも会いに行ってあげるわよ!」
腐葉土を蹴る。
地面すれすれに張り巡らされた細い糸を除け、彼女は駆ける。
「あるって分かったのなら簡単よ! 私にそんなのが通じないなんてずっと知ってたでしょうに!」
深い森の中で彼女は一人吼える。
木々を揺らし、鳥達は驚き飛び上がる。
構うどころか気づいた様子もなく、ララは疾駆した。
「『環境探査』!!」
白い光が迸る。
天使の光輪の如き白い光は地面を舐めて情報をフィードバックする。
「インプット、処理、適応。手の内はまるっとお見通しよ!」
その瞬間から、ララのスピードは桁違いに加速する。
音を置き去りにして、風すら脱ぎ捨て、彼女は森の中を進撃する。
道なき道を突き進み、抉ったような道を作り出す。
さながら光学兵器のような破壊力を持って、彼女はただ一点に向かって進んでいた。
「ちっ! 鏡面結界!」
走った後、ララは苦悶の表情を浮かべる。
進めども進めども、広がるのは鬱蒼と茂った森ばかり。
それは全て先ほども見たばかりの木々だった。
特定の区画を合わせ鏡のように取り囲み、無限に増殖させる高等魔法。
その術中に、彼女は囚われていた。
「どうすればここから抜け出せる? どうすればあそこにたどり着ける?」
走りながら考える。
境界を突破して、新たなる区画を横切りながら、彼女は打開策を考える。
「多分キーアイテムはこのブローチね。ならこれを解析すれば……」
ぎゅっと握りしめるのは、青い宝石のはまったブローチ。
魔術的な知識はララにはないが、それが理論ならば解読できる。
解読できるなら使いこなせる。
「糸口を、抜け道を、傷を、罅を、穴を、光を、影を、裏を、表を、探せ、探せ、探せ探せ探せ探せ――!」
ぎゅっと握りしめたそれに己の血を流し込む。
分子よりも小さな機械が忍び込み、その全容を走査する。
ララは眼を閉じ意識を集中させる。
どれがどこに影響しているのか、なにがなにとつながっているのか、その全てを見て、検証して、理解していく。
まるで砂の粒を集めて城を築くような、途方もない作業だ。
頭の奥が熱を持ち始めるのを彼女は感じていた。
「放熱に0.003%を投入。パフォーマンスの下限値を設定。さあ、考えなさい」
いつしか足は止まり、深い森の中で少女は立ちすくむ。
瞳を閉じて、頭を下げて、彼女は静かに口をつぐむ。
あらゆる可能性を模索する。
あらゆる痕跡を探し出す。
情報を蓄積し、照合し、規則性を浮き彫りにしていく。
無数の仮説を打ち立て、実証し、それを種とした新たな理論を打ち出していく。
人類が見つけだし、エルフが育んできた叡智を、数分で再発明する。
道なき道を模索して、彼女は暗い空間を沈み続ける。
「基礎理論の確立完了。発展理論へ応用。仮説空間認識術式の構築、失敗。検証情報をフィードバック――」
いつしか、彼女の周囲にはいくつもの光が現れていた。
赤や青や黄や緑、自然を彩る原色たちが、まるで新たなる旅人を祝福するかのように踊り出す。
「浮遊魔素の位相固定。元素概念の仮説提唱。検証。証明完了。フィードバック」
古き歴史の中に生きた、数万もの賢者たちが、その長き生命の全てを費やして見つけだしたこの世の真理。
そのことごとくを彼女は一人で、一瞬にして見つけだしていく。
たった一つの小さなブローチを種にして、彼女は世界の裏側へと視点を向ける。
「防護術式展開。位相転換術式展開。特定存在をターゲット。目標を固定」
彼女の周りを飛んでいた色たちは、次第に形を与えられていく。
白と青が混じり合い、それは円陣を構成する。
赤と黄と緑と黒と紫と、その他様々な考え得る限り全ての色が線となり、角となり、意味を持つ。
それは見る者が見れば卒倒するほどの、滅茶苦茶で整然で力まかせで理論的な混沌だった。
「――転位術式構築。発動予想、目標値達成。――プリセット登録完了」
ララが目を開く。
青い瞳に紫電が弾けた。
「これが、魔法使いの眼ね」
口角を上げる少女。
その視界には、色彩に溢れた世界が見えていた。
「詠唱回路起動」
彼女の声に応じて、彼女を取り囲む図形達が動き出す。
それは、まさしく魔法陣と呼ぶべき代物だった。
魔法陣の色は解け合い、混じり合う。
黒と白に二分され、七色へと分離する。
刹那の瞬間で形を変えて、その都度意味を変えていく。
時間と時間が重なり合い、次第に力が増幅されていく。
「さあ、待ってなさい。今から私が会いに行ってあげるから」
ララはそう言うと一点を見据える。
その先にあるのは暗い森だが、彼女にはありありと目標が見えていた。
「術式解放。転位開始」
最後の言葉が下される。
魔力を取り込み限界まで濃密に練られた術式が、その箍を外される。
爆発的な魔力の奔流が、結界内を駆けめぐる。
想定された規模を遙かに上回る爆発に、結界の骨子が軋んだ。
その渦の中心で、ララは美しい笑みを浮かべていた。
そして爆発が最高潮に達し、結界に耐えきれないほどの亀裂が走り、崩壊するその瞬間。
ララの姿は跡形もなく消失した。
 




