第二百三十五話「できるだけすぐ帰ってくるから!」
「う……ぁ……」
「エイレーネ!」
瞼を震わせ、エイレーネに意識が戻る。
ララが声を掛けると、彼女は曖昧ながらも状況を認識したようだった。
「エイレーネ! 大丈夫? 何があったか分かる?」
ララが尋ねる。
「こう……すい……」
か細い声でエイレーネは懸命に伝える。
その内容に、取り囲んでいた面々か顔を見合わせた。
「香水……。精霊花の香水のことかしら」
「十中八九そうだろう。それ以外に思い当たる節はない」
ララの言葉にケイルソードが頷く。
その時、ララの服の袖をエイレーネが掴んだ。
「お願い……。あれを――あの香水を捨てて」
「分かった。私たちが責任を持って対処するわ」
罪悪感に苛まれているのだろう。
エイレーネの悲痛な声に、ララはしかと頷く。
すると、若いエルフの女店主は、力尽きたようにまた意識を失った。
「みんな、聞いたよね」
ララの言葉に全員が首肯する。
「僕とティーナで他の家を回るよ。ララ達は長老達に指示を仰いで貰えるかい?」
そう言ってソールはティーナと共に足早に駆けていく。
それと入れ替わるようにして、ケイルソードが三人の長老を連れて雑貨屋の前にやってきた。
「ララ! エイレーネの様子はどうだ?」
「さっき少しだけ意識が回復して、精霊花の香水の香水を捨ててって頼まれたわ」
「そうか……」
ララが手短に事情を説明すると、ケイルソードは眉間に深い皺を寄せて唸る。
「とりあえず、長老のみなさんが無事で良かったわ」
そう言って、ララがケイルソードの隣に並ぶ三人のエルフを見る。
コルミを筆頭とした三長老は、どうやら偶然にも精霊花の香水をしようしておらず、全員が十全に動けるらしかった。
村の最大権力者かつ最も魔法的技量に優れた彼らが残ってくれたことは、この状況下ではなによりもありがたい。
「長老。私たちはできるかぎり貴方たちの指示に従うわ」
エイレーネをそっと寝かせ、ララがコルミの瞳を見て口を開く。
それに追従するようにして、ロミとイールも三人に視線を向けた。
「ありがとうございます。本来ならば御客人に村の厄介ごとを押し付けるのは気が進まないのですが、今回ばかりは非常事態が過ぎますから」
頼もしく胸を張る三人に、コルミが心からの感謝を告げた。
「原因は恐らく、エイレーネが言ったとおりに精霊花の香水なのでしょう。精霊花は精霊樹の根元でしか育たない花。その特長として、周囲の魔力を根刮ぎ奪い去ってしまうと言う物があります。恐らくマスティアはそれを知らないままに栽培し、精製してしまったのでしょう。私たちにも見逃してしまった責任があります」
「ごめんね。とりあえず今は救護所を設営して被害を受けている村人を集めよう。場所は広場にある集会所で良いだろう」
アーホルンが一歩踏み出し今後の行動指針を示す。
ケイルソードはそれを受けてすぐさま駆けだしていった。
「僕はケイルソードと一緒に救護所の準備に回る。ララ達は村人をそこに運び込んでくれないかい?」
「分かったわ。とりあえず広場に連れて行けば良いのね?」
「ああ。それでいい。その後は僕たちが何とかするからね」
そう言って、アーホルンはちらりとルクティーユの方を見る。
今まで一言も発さなかった彼は眉間に皺を寄せ、肩を小刻みに震わせていた。
「ねえ、ルクティーユ。今回はまさにキミの出番だ」
「……そうですね。人間たちには精々馬車馬のように働いて貰いましょう」
ララ達に険しい目を向け、ルクティーユが言う。
その様子を見て、アーホルンは肩を竦める。
「ルクティーユはね、エルフで一番薬学に精通しているんだよ」
「アーホルン! 今はそのようなことどうでもいいのです! さあそこの三人。なにをぼうっと突っ立っているのですか! さっさと散りなさい!」
アーホルンの暴露をかき消すようにしてルクティーユが声を張り上げる。
「ふふ、分かったわ。それじゃあ行きましょう」
ララ達はその様子に表情を緩めると、早速駆けだしていった。
「サクラ、ソールの位置は追える?」
『大丈夫ですよ。今情報を送ります』
随伴するサクラからデータを受けて、ララ達は木々の間を走り抜ける。
向かう先はソール達が見て回っている人家だ。
「精霊花の香水の影響は、二人にもあるかも知れないよね。私が中に突入して運び出すから、二人は外で受け取って貰って良い?」
「了解した」
「分かりました!」
走りながらララが救出の流れを伝えれば、はっきりした声が返ってくる。
ここまでの長い旅で、彼女達の意思疎通も円滑だった。
「ん、ここね」
視界の端に展開したマップと照らし合わせ、ララは一軒の人家を特定する。
その家の前では、ソール達も立っていた。
「お待たせ! 中に人はいる?」
「ああ。いいところに来てくれた!」
ソールはやって来た三人に気が付くと大きく手を振り上げた。
彼らは被害に遭った村人を発見したものの救出する手段が見つけられないでいたようだった。
「考えなしに飛び出しちゃってね。面目ない」
「私が中から運び出すから、そこから広場まで運んでくれない? 今長老達が救護所を設営してくれてるはずだわ」
「そうか。分かった」
そう言って、ソールはしっかりと頷く。
その隣でティーナもいつになく真剣な顔でいた。
「じゃ、お邪魔して……」
早速、ララが静寂に満ちた建物の中に突入する。
内部では、うっと顔を顰めるほどの濃密で甘い、腐った果物のような香りが満ちている。
これは完全に件の香水だった。
『ララ様、あそこの部屋のようです』
「みたいね。行きましょう」
サクラを連れて、ララは部屋の中を進む。
織物で仕切られた扉を抜けて、寝室らしき部屋に入る。
そこに、エルフの夫婦が倒れていた。
「ナノマシン起動。身体強化」
『演算処理支援を行います。並列演算、起動』
ララの身体が薄く光りを帯びる。
その小さく細い身体を強靱に変化させ、竜の如き膂力を得る。
彼女は寄り添うようにして倒れていた二人に小さく声を掛けるが、当然にして無言である。
「奥さんから運びましょう」
そう言って、彼女は女性エルフにそっと腕を回す。
微かな若草のような青い香りを感じながら、彼女は軽い足取りで外へと歩き出した。
「一人目よ。もう一人、旦那さんも倒れてたわ」
「分かった。この人はあたしが」
意識のないエルフをイールに引き渡し、ララはまたすぐに奥へと引き返す。
それを見送ることなく、イールとロミも広場へと急いで向かった。
†
ララ達がピストン輸送で村人を救出すること数時間。
被害状況はかなり深刻だと言うことがだんだんと判明してきていた。
仮説の救護所ではルクティーユが筆頭指揮を執って対処薬の開発に尽力しているが、その成果も今のところは芳しくない。
反対に被害を受け昏倒している村人は、全体のほぼすべてという壊滅的な結果が露わとなっていた。
「多分この人達で最後よ」
村の外れに住んでいた一家を担架で運び込みながら、ララ達が救護所に帰還する。
そこではコルミとアーホルンが応急処置的に患者へ魔力を注ぎ込み、ルクティーユが山のような本を開いて額に汗を掻いていた。
「無事だった村人は?」
「あんまり多くない。みんなルクティーユ長老の指示を受けて森に薬草を採りに行ってくれてるよ」
ソールが浮かない顔で言う。
香水を買わず、被害を免れた少ない村人達も総出でこの事態に当たっているようだった。
「あたし達はどうしたらいい?」
村人の搬入が終わり、手が空いたイールが尋ねる。
「ふん。魔法の技術も薬草の知識もない貴方たちに今できることはありません」
そんな彼女に対して、苛立ちを募らせたルクティーユが吐き捨てる。
それにイールは顔を顰めたが、特段何も言わずに頷く。
「わたしは患者の方の看病を。これでも一応神官なので」
「ありがとう。助かるよ」
ロミがおずおずと申し出ると、アーホルンが目を細めて感謝の意を示した。
「それじゃああたしは水でも汲んでるさ」
「助かります。水はいくらあっても足りませんから」
イールはそう言って、広場の井戸へと釣瓶を落とした。
「ごめん、二人とも。私はちょっと行きたいところがあるんだけど」
そこへ、ララが手を合わせて口を開く。
「どうしたんだ?」
「会いたい人というか、話を聞きたい人がいるのよ」
目を伏せて口ごもる彼女に、イールは小さく息を吐く。
「分かった。ここはあたし達に任せろ」
「恩に着るわ。できるだけすぐ帰ってくるから!」
そう言って、ララは深々と頭を下げると、サクラを伴って駆けだした。




