第二百三十四話「――やあ、お待たせ」
「俺は長老たちの所へ行ってみる。ティーナはソールを呼んできてくれ。後の三人は村人の様子を見てこい」
朝靄の中を走りながらケイルソードは矢継ぎ早に指示を飛ばす。
こういった時の彼はいつも以上に言葉が鋭く的確になる。
ララ達は素早くそれに反応して頷く。
ケイルソードは速度を上げ、村の中央に聳える大樹へと向かった。
「それじゃ、私はソールの所に。ララさんたちも十分気を付けてね」
「分かってるわ。ティーナもね」
ティーナはソールの家へと向かうため、ララ達と別れる。
村の中央に広がる広場へとたどり着いた彼女たちだったが、依然として村には不気味な静寂が満ちていた。
「流石にこれはおかしいよね」
「だな。いつもならもう何人か出歩いていていい時間だ」
中央にある井戸の側に立ち、ララ達は周囲を見渡す。
平時ならば朝の水を汲みに村人達が集まり言葉を交わしている場所も、今朝は人影の一つも見ない。
「これといって不自然な魔力的反応はありませんね。エルフの村特有の、濃い魔力だけです」
杖を掲げ、何らかの魔法を使ったロミが言う。
第三者による魔法の行使という線は薄まった。
「とりあえず知ってる人の様子を見に行きましょ」
「そうですね。ここから一番近いのは……雑貨屋さんでしょうか」
ロミの言葉に三人は頷き、早速村に一軒だけの雑貨屋へと足を運んだ。
いつの間にか朝靄は晴れ、青空が木々の隙間から顔を覗かせる。
太陽の光が降り注ぎ、無人の村を照らしていた。
「エイレーネ! 起きてる?」
始業時間はとっくに過ぎ去っているというのに、雑貨屋は扉を閉じきっていた。
商品を乗せた台も仕舞われ、閉店時の様子そのままだ。
ララが控えめに戸を叩くも反応はない。
「どうする?」
眉を寄せてララはイールを見る。
「どっかに窓はないか?」
イールの言葉にしたがって、三人は雑貨屋の側面へ回り込む。
エルフの村ではガラスは貴重らしく、窓も大抵は木の格子と茣蓙のような覆いで閉じられているだけだ。
エイレーネの雑貨屋の窓も同じく、壁に開けられた窓は村特産の織物を使った覆いが下がっている。
「むぅ、内側から閉じられてるわね」
しかし、内側から木板の戸が閉められ鍵が掛けられているらしく、敷物をめくっても中はうかがえない。
仕方ない、とララは小さくつぶやくと、体内のナノマシンを起動する。
ほのかに白く光を放ちながら、彼女はコールした。
「緊急時だから仕方ないよね……。『近距離探査』」
彼女を中心として白い光の波が広がる。
それは壁をすり抜け、周辺を走査する。
広範囲を詳細に探索する『環境探査』をより小規模で簡素化したこのコマンドは、省エネルギーで必要時間も短いという特長があった。
「いたわ。ベッドで寝てるみたい。……でも妙ね」
壁越しに室内の様子を捉えたララは、その中にエイレーネの反応を見つけて首を傾げる。
「標準的なエルフのバイタルデータを持ってないから分からないんだけど、鼓動がずいぶん弱いわ」
ララの言葉に、イールたちも眉を顰める。
彼女たちもエルフの身体についてそれほど詳しいというわけではない。
しかし、それでも違和感は拭いきれない。
「とりあえず、無事なら謝ればいい。少々手荒だけど――」
そう言ってイールはおもむろに剣を振り抜く。
シャリンと刀身が鞘を滑り、朝日に煌めく。
彼女は小さく息を吐くと、窓に嵌まった戸めがけて突き刺す。
カンッ! と小気味良い音と共に蝶番が断たれる。
「お邪魔します!」
格子がはずれた瞬間、ララが軽い身のこなしで室内へと飛び込む。
「むっ?」
床に着地してすぐ、ララは窓の外にいる二人に手を向けて制止し、自分は服の袖で口元を覆う。
「なんだか妙に甘ったるい匂いがする。……これは香水?」
昨日、彼女たちも売り子を手伝った精霊花の香水。
それを何倍も濃密に凝縮したような臭気が部屋中に満ちていた。
すでにそれは香しいという表現を通り越し、腐った果実のような感覚を鈍らせるものだ。
「どうしたララ?」
窓の外でイールが尋ねる。
「ちょっと部屋の中がおかしい。イールたちは入らないほうが良いわ」
少し吸ってしまったララは、それだけで感覚が少しぼやけているのを自覚していた。
引っかかるのは、この室内の異常を事前の探査で気づけなかったことだ。
「ナノマシンのスキャンに引っかからない? データ上は特に変わった様子は無かった。この世界特有のものだから?」
思考を巡らせつつ、彼女は部屋の中を見渡す。
壁に沿うようにして置かれたベッドの上で、薄いシーツが上下している。
「エイレーネ。起きて頂戴」
ララはベッドに近づき、瞼を閉じるエルフの女性に話しかける。
肩を軽く揺らしてみるも、反応はない。
「ちょっとこれは寝坊助ってレベルじゃないわね」
異常なほどに深い眠りだ。
ララは窓へ戻り、イールたちに声を掛ける。
「今からエイレーネを運び出すわ。イール受け止めてね」
「分かった。任せろ」
「わたしは治療の準備をしておきますね」
二人が頷くのを見て、ララはエイレーネの元に戻る。
「ちょっとごめんね」
そう言ってララはナノマシンを起動する。
身体を強化し、その小さな体からは信じられないほどの力を発揮する。
彼女よりも背丈の大きなエイレーネの背中と腰に手を回し、お姫様だっこの要領で持ち上げる。
「これでも起きないか」
昏々と眠り続けるエイレーネに、表情を曇らせる。
早足で彼女は窓へと向かい、待機していたイールへと託す。
「これは、寝てるのか?」
「ぜんぜん起きないけどね」
エイレーネの体を受け取りながら、イールが驚いたように言う。
素早くロミがエイレーネの顔をのぞき込む。
「傷はありません。苦しんでる様子もないですし……」
素早く診断を下しながら、彼女は杖を構えて魔法を展開する。
「体内の魔力量が極端に少ないです。エルフは人間より多いのが普通なのに、私たちよりもずっと少ない」
とりあえず応急処置です。といってロミは杖の先をエイレーネの胸に付ける。
そうして反対側を握りしめ、力を込める。
「イール、あれは何やってるの?」
「魔力を譲渡してるんだろ」
外から見ると、いまいち何をやっているのか分からなかったが、要はロミの魔力をエイレーネに受け渡しているようだった。
かなり負担のかかる作業らしく、ロミの表情はこわばっている。
「大丈夫?」
「はい、なんとか。ただ、まるで底のない樽みたいで、注いでも注いでも……」
エルフと人間では、そもそもの魔力量がかけ離れている。
ロミの持つ魔力では、エイレーネの枯渇した魔力を補うのは難しいらしい。
「――やあ、お待たせ」
そこへ、二人分の足音がやってくる。
飄々とした声に三人が振り向けば、息を切らしたティーナと、ソールの姿があった。
「ソール! 無事だったのね」
「この通りピンピンしてるよ。まだあんまり事情は分かってないけど」
ソールは困惑した様子で言う。
彼も村の惨状に心当たりはないらしかった。
「ソールさん、魔力の譲渡はできますか? エイレーネさん、魔力が枯渇していて」
「大丈夫、問題ないよ」
ロミの訴えに、ソールは頷く。
杖を借りて、ロミに代わって魔力を注ぐ。
そうして、数分の時が流れ――。
「――ぅぅ」
エイレーネの唇がかすかに震えた。
 




