第二百三十一話「それじゃあねー!」
太陽は人々の真上にまで昇り、白い綿雲を透かして燦然と光を注ぐ。
アームズベアによって倒壊させられた家屋の整理も一段落つき、ロミの尽力もあって急を要する負傷者も一命を取り留めた。
コパ村に流れる空気は弛緩し、いつしか人々の顔にも柔らかい色が見て取れるようになっていた。
「作業も区切りが付いた。家が無くなった奴もいるが、幸い集会所は無事だから、しばらくはそこで寝泊まりしてくれ」
先ほどララと言葉を交わしていたサムズが、広場に集まった村人に声を掛ける。
子供を抱いて座り込んでいた母親や、傷を負った恋人の側に立つ青年、治療を受けていた老人、村人たちはその言葉を聞いて一層安堵したようだった。
「皆、よく耐えた。負傷者は多くいたが、神官様のおかげで命を落とした者はいない。村を代表して、最大限の感謝を」
「ふぇっ!?」
サムズは、未だ治療を続けていたロミに向かって頭を下げる。
それに倣うようにして、その場にいた村人たちが口々に感謝の言葉を浴びせかけた。
暢気に包帯を巻いていたロミは青天の霹靂と言った様子で、耳まで赤くして身を縮めた。
その時治療を受けていた男が小さく悲鳴を上げたのはご愛嬌というものだ。
「そ、そんな。わたしはわたしにできることをやっただけです。実際アームズベアを退治したのは、向こうの二人ですから」
大勢の目に晒され顔を真っ赤に染めたロミは、注意を逸らそうと広場の隅に来ていたイールとララを指さす。
親鳥に続く雛のごとく、村人たちの目がそちらに向かう。
「それもそうだ。イール殿、ララ殿、二人の力がなければ死者も出ていたところだ。あなた方にも感謝を」
サムズに続き、またも感謝の嵐がわき上がる。
突然話の矛先を向けられた二人は苦笑気味に頬を掻いた。
「これだけ感謝されると、むず痒いわね」
「ま、第一印象はこれ以上ないくらいに良くなったんだ。僥倖さ」
慣れないララに、イールは涼しい顔で言う。
「とはいえ、あたしの腕見てなんも言わないでくれるのは有り難いね」
彼女は自身の右腕を一瞥して、肩の力を抜く。
これまで幾度と無くこれが原因のトラブルに遭遇してきた。
今回、自分のこの腕によって交渉が決裂してしまうことが、彼女の個人的に最大の懸念材料だったのだろう。
「そうだ。別に私たち村を助けに来たんじゃなかったわ」
「あたしはそういうの苦手だからな。よろしく」
「ぐ、まだ何にも言ってないのに……」
ララは本来の目的を思い出したらしく、座っていた瓦礫から立ち上がる。
ちらりとイールに視線を送ると、何かを言う前に予防線を張られる。
仕方なく、彼女は単身でサムズの所まで歩いていった。
「あの、ちょっといいかしら」
「うん? ああ、そういえばさっき話があるって言ってたな」
「そうそう。今、大丈夫?」
「ああ。もちろん。村のみんなはとりあえず休憩に入って貰おう」
サムズはララの申し出に快く頷くと、早速村人たちにゆっくり体を休めるように言う。
被害を免れた家々から食事が提供され、村に煮炊きの煙が上がり始める。
「それじゃあ話を聞こうか」
場所を少し移し、二人は手頃な瓦礫に腰掛ける。
サムズは腰に付けていた手ぬぐいで汗を拭き取り、居住まいを整えた。
「うん。私たちは偶然ここに来た訳じゃないってことは分かるわよね」
「さっき聞いたからな。何か用事があるんだろう?」
話を切り出すララに、サムズは頷く。
「実は、とある種族の人たちが、あなたたちと交流を図りたい。具体的に言えば、貿易がしたいって言ってるの。私たちはその橋渡し、仲介役を頼まれて、こうしてやってきたのよ」
「ほう? どこそこの村って訳じゃなく、種族ときたか」
サムズは不思議そうに首を傾げる。
「種族ってことは、相手は人間じゃないな? 竜族とかか?」
「……えっとね」
彼の問いかけに、ララは口ごもる。
ここで話してしまっていいか、少し悩む。
逡巡の末、彼女は意を決して顔を上げた。
「あなた達との貿易を望んでるのは、エルフよ」
「…………はぁ?」
サムズの片眉が飛び上がる。
ララの言葉を理解できないらしく、腕を組んで首を傾げていた。
「えっと、まあ、俺もそれなりに生きてきて経験やら知識やらはそれなりにあるつもりだ。だから、エルフって存在も知ってる。その特徴もな」
彼は自分に言い聞かせるように、一息にまくし立てた。
むんむんと唸り、額に手を当てる。
「……辺境一の隠者が、何でまた俺たちと取引したがってるんだ」
ララの言葉を信じたか信じていないかは定かではないが、彼はひとまず彼女の言葉が正しいものとして話を進める。
「正確に言えば、私たちに頼んできたのはエルフの指導者みたいな人なんだけどね。その人が言うには、エルフは今停滞してるらしいの。それを打破して、締め切った種族世界に新たな風を通す必要があるって」
「そのために、俺たちを?」
「うん。だから、コパ村との交流はその足がかり。ゆくゆくは人間全体と交流を広げたいって言ってたわ」
サムズは短い髪をかきむしり、眉間に皺を寄せる。
「……随分と話が壮大だな。壮大すぎて、ついていけねぇ」
「とりあえず、今は先方が取引したいって申し出てることを知ってほしいわ」
「その段階から随分話が大きいんだが……。まあいい。もし仮に俺らが交流を持つに到るとして、向こうはどんなのが欲しがってるんだ。あと、俺たちに何をもたらしてくれる?」
サムズの質問。
ララはそれを聞いてあっと声を上げる。
「……そういえば、向こうの需要は聞いてなかったわね」
そんな言葉にサムズはがっくりと肩を落とす。
彼は大きくため息をつくと、またも髪をかきむしる。
「とりあえず、それが分からんとどうしようもないだろ」
「村で何か交易品になりそうなものはあるかしら?」
「まだ俺たちもこの村に来て日が浅いからな。畑をするにしてもここからだ。今はその日その日を暮らすだけで一杯一杯だな」
「むぅ、これは困ったわね……」
ララは唇に親指を当てて考え込む。
エルフ側の欲している物をリサーチするのを失念していたのは完全にこちら側の落ち度だ。
人間側へと輸出できるものなら、人造魔石を始めとしてそれなりにリスト化できるのだが。
「なあ、ララさんよ」
「ふえ? 何かしら」
むんむんと思い悩むララに、サムズが声を掛けた。
「俺ら、まあ最悪俺だけでもいいが、村の人間をそのエルフのとこへ連れてってくれたりしないか? それが無理なら、向こうから何人か来てくれてもいい」
「む、たぶんできるとは思うけど、一回聞いてみないと」
「それなら向こうに聞いといてくれ。エルフのことは良く分からないからな、もしかすると俺たちとは違った物が貴重かもしれん」
「その可能性はあるわね。一回持ち帰って検討してみるわ」
「よろしく頼むよ」
サムズの意見を聞いて、ララは心のメモ帳に帰った後やるべきことを記す。
ひとまず、サムズは完全な拒絶は示さなかった。
それだけでも、ララ達が今日この村に来た成果である。
「そう言えば嬢ちゃん達は向こうの森から来たよな? そっちにエルフがいるのか?」
「まあ、確かにそうではあるけど、何にもなしじゃたどり着けないと思うわよ」
「そりゃあそうか。伊達に森の隠者なんて名前はついてないよな」
そう言ってサムズは快活に口を開いて笑う。
「ま、なんにせよこの村はまだ始まったばかりだ。言い換えれば向こうの要望にもある程度柔軟に対応できると思うぞ」
「そう言ってくれるだけでも嬉しいわ。今日はありがとう」
ララが立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。
「いいってことよ。むしろ助かったのはこっちの方だからな」
サムズも立ち上がり、ララに応える。
ひとまず、ララは今回の内容を村へと持ち帰り、今後の方針を検討することとなった。
話が終わったのを察したのか、イールと、治療を終えたロミも二人の所へ近寄ってくる。
「今日は本当に助かったよ」
「こちらこそ。また進展があったら来るわね」
「あ、もうお話終わりました? すみません、気付かなくて」
話を締めくくる二人に、ロミが申し訳なさそうに言う。
いいのよ、とララは彼女に笑いかける。
「それじゃあ、そろそろ帰るか?」
剣を腰に提げ、イールが言う。
「そうね。帰ってからすることもできたし」
ララは頷く。
そうして、彼女たちは連れだって森へと向かう。
気がついた村人たちが立ち上がり、三人を見送る。
「それじゃあねー!」
ララが振り返って大きく手を振ると、人々から大きな歓声が上がった。




