第二百二十五話「聞いてみるものね」
一瞬の暗転。
その後の彼女の眼下に現れたのは、息を飲むほど広大で絢爛豪華な空間だった。
上質な深紅の絨毯の敷き詰められたその部屋は、奥が見えないほどの大空間だ。
天井も見えず、煌びやかなシャンデリアが空中に浮かんでいる。
水や風の奏でる音楽がどこからか流れ、柔らかな空気が二人を包む。
「ここがミニミアの内部。オビロン様の玉座です」
「なんていうか、スケールが違うわね。流石は精霊というべきかしら」
絶句するしかないララに、シルフィは胸を張り誇らしげに鼻を鳴らす。
「ミニミアは世界に根ざす塔。世界の全てがここにあり、世界のどこへでも繋がっているのです」
「塔ね。世界樹って言葉がしっくり来る気もするけど」
「確かに、そのように形容されることもありますね。何せオビロン様は植物と縁の深い御方ですから」
シルフィは頷き、立ち止まっていた足を進める。
それに追随していたララは、妙な違和感を覚えて首を傾げる。
「なんか、私たちの歩く速度早くない?」
一歩歩けば十歩も、もしくはそれ以上に進んでいるような気がする。
周囲を流れる景色が、一瞬で移り変わる。
「ああ、申し訳ありません。慣れない方には少し辛いですよね」
シルフィは彼女の様子に気が付き、申し訳なさそうに言う。
「ミニミアの内部は広大なので、目的の場所までの距離を短縮する仕掛けがあるんです。そのせいで外の世界とは多少感覚が違っていて」
「そっか。……うん、慣れた。もう大丈夫よ」
説明を聞きながら、ララは感覚を調整する。
多少驚きはしたが、便利な機能である。
「それでは、先に進みますね」
そう言ってシルフィが腕を差し出す。
ララもそれを握り、二人は歩き出した。
「む、粒子が濃くなってきたわね」
シルフィと手を繋ぎながら歩いていたララが不意に声を上げる。
眉を顰め、しきりにあたりを警戒する様子は、気難しい猫のようだった。
彼女の顔を見て、シルフィは眉を下げる。
「流石ですね。もう少しでオビロン様の所に着きますよ」
その宣言通り、それから数分もしないうちに、彼女達は前方に白く輝く何かを見つける。
まだ遠く、微かに靄が掛かったように輪郭が定かではないが、それは簡素ながら品のいい玉座らしかった。
「あそこに座ってる人?」
「はい。あの方こそが正真正銘、本物のオビロン様です」
不思議な塔の、一歩歩けば百歩進む魔法のお陰で、驚く程の速さで影は鮮明になっていく。
玉座はララの想定よりも遙かに大きかった。
背もたれは見上げる程大きく、まるで巨大な柱のようだ。
反面、座面は小さく、そこに座る女性も必然小さくなる。
イールと同じくらいの身長だろうか。
「あの人が……」
歩調を緩めながら、ララが感嘆する。
薄い紗を纏い、葡萄色の透けた覆いで口を隠している。
細い手に捻れた枝の杖を持ち、青い瞳が二人を見て微笑んでいる。
「ようこそ、ミニミアへ。そしてまずは、昼の無礼をお許し下さい」
オビロンは静かに立ち上がると、恭しく頭を下げる。
驚いたのは、ララの方である。
まさか彼女がそのような行動を取るとは予想できず、わたわたと慌てて両手を振る。
「そんな、別に私殴り込みに来たわけじゃ」
慌てる彼女に、頭を上げたオビロンは薄く笑みを浮かべる。
金にも見える薄い緑色の長髪が小さな顔を煌びやかに彩り、太陽のような生命力に溢れた笑顔だ。
「分かっておりますよ。途中から、少し覗かせて貰っていましたので」
オビロンは悪戯っぽくそういうと、ぷっくりとした唇に人差し指を当てた。
彼女の領域内を駆け抜けてきたのだ、彼女が気付いていないはずも無かった。
「シルフィも、案内ご苦労様でした」
「はっ。滅相もありません」
いつの間にかシルフィはララの隣を離れ、玉座の傍らに膝を突いていた。
彼女はオビロンに労いの声を掛けられると、嬉しそうににやける顔を隠そうと俯いた。
「それでは、まずは歓待の準備をしないといけませんね」
そう言って、オビロンが杖をコンと突く。
水面に波が広がるように、絨毯の敷き詰められた床が揺れる。
「おお!?」
驚くララの目の前に現れたのは、小柄なテーブルセットだった。
「大きい物も出せますが、二人で座るならこれくらいでいいでしょう?」
そう微笑みかけながら、オビロンは玉座を立つ。
ララもシルフィに促され、テーブルを隔てた対面に腰を下ろした。
「来客なんて何年ぶりかしら。今までずっと引き籠もってたから、ちょっと緊張するわね」
言葉の割にうきうきと楽しそうにしながら、オビロンが言った。
人間よりも更に高位な存在であるため、もっと高貴で威厳のある人物だと勝手に想像していたララは、そんな彼女の親しみやすい姿に少なからず驚いた。
彼女達の隣で、どこから持ってきたのかティーセットを用意して、シルフィが甘い香りのお茶を準備していた。
「それでは、準備も整いましたね。お話しましょうか」
目を細め、さも楽しげにオビロンが言う。
「幾億の星を越えて、この大地に降り立った貴女は、どんな事を聞きたいのかしら?」
「色々知ってくれてるのね。嬉しいわ」
「私は世界を見る者。何か見慣れないものがあったら、すぐに気が付くわ。だから、あの日、空から銀の匣が飛来した日から、その目覚めを密かに待っていたのですよ」
「また気の長い話ねぇ」
装置は半分地中に埋もれ掛かっていた。
墜落してから、かなりの月日が経っているはずだ。
それを彼女はどのような思いで待っていたのか。
「私にとっては、それほど長い時ではありませんでした。永遠の炎を持つ者には、一瞬も悠久もさほど違いはありませんので」
「神様みたいな感覚ね。私にはよく分からないわ」
「神様ですから」
えっへん、とオビロンは可愛らしく胸を張る。
想像される神様の例に漏れず、彼女も随分と神様らしい胸囲を揺らす。
「その後、私たちが色んな所を旅してたのは知ってるの?」
「ええ。私も日々の業務があるため、断片的にですが」
神様と言えど仕事からは逃れられないのか、彼女は眉を寄せて言う。
なんとも世知辛い神様社会を垣間見て、ララも肩を竦めた。
「それじゃ、私たちが何を探してるのかも知ってるのね」
ララの問いに、彼女は頷く。
「貴女方が古代遺失技術と呼ぶ、前時代の遺産。そして、貴女がやって来た時に飛散した銀の欠片たち。ですよね?」
淀みなく返ってきた答えに、ララは満足げに頷く。
「ソールにも教えて貰う約束はしてるんだけど、オビロンは何か知らない?」
「むしろ私が知らないはずもないです」
「ですよねー」
確信を持ってララが話を進めれば、オビロンも素直に頷く。
「それじゃあ、教えて貰えると嬉しいんだけど」
「いいですよ。久しぶりの来客、できうる限りのおもてなしをさせて下さい」
ララのお願いに、オビロンは快く頷く。
ララは立ち上がり、目を見開いて驚く。
「ありがとう! 聞いてみるものね」
「私にとっては、それほど重要なものでもありませんので」
感激するララに、オビロンは軽く言う。
世界を俯瞰する彼女にとっては、点在する遺跡や異物の場所を教える程度造作も無いらしい。
「それよりも、ですね」
カップで唇を濡らし、オビロンが話題を切り替える。
首を傾げるララを見て、彼女は目を細める。
「私も一つ、伺いたいことがあるのです」
「何かしら? 答えられることなら答えるけど」
一宿一飯どころではない恩を受けたララは、ぽんと胸を叩く。
「ララさんと行動を共にしている、赤毛の少女——イールと言いましたか。彼女の様子はどうですか?」
 




