第二百二十二話「聖遺物とかそのあたりになるよな」
「うぅ、凄く疲れました……」
「インパクトが凄かったわねぇ」
オビロンと話し、一旦持ち帰って検討することとなった三人は、コルミと共に守護樹へと戻る。
螺旋階段を降りながら、ロミはげっそりとした様子で言った。
「まさしく神話の中のお方ですね。レイラ様にどう伝えたらいいか……」
「泣いて悔しがりそうだな」
「それ以上に頭痛の種になりそうですけどね。レイラ様も中間管理職ですから」
これから大変なことになりそうだ、と今からロミは胃を抑える。
「とりあえずケイルソードのところへ帰りましょ。一晩寝て考えを纏めなきゃ」
「それでは、私はこのあたりで。基本的には守護樹の部屋にいますので、いつでもいらしてください」
螺旋階段の途中にあるドアの前で、コルミが立ち止まる。
そこにはエルフの言葉で彼女の名前の書かれたプレートが掛かっていた。
「ありがとう。そうさせて貰うわ」
そうしてコルミとも分かれ、ララ達は守護樹を出る。
夕暮れの村には疎らに人影があり、見慣れない彼女達にチラチラと視線を向けている。
「やあ、精霊との謁見はどうだった?」
「ソール! ケイルソードとティーナも。ずっと待ってたの?」
大樹の洞を出ると、背後から声が掛けられる。
三人が振り返れば、木に背を預けたソール達が立っていた。
「精霊とは平和的にお話ができたわ」
「色々難しい宿題も出されたけどな」
ララが驚き駆け寄りながら、簡単に精霊との話を伝える。
彼はふむふむと頷き、満足そうに笑った。
「それより、待たせちゃったみたいでごめんね」
「いいよいいよ。ジローナ婆さんからの依頼を終わらせた後は、特に用事もなかったからね」
「兄さんは森の仕事があるはずなんだけどねぇ」
「ティーナ!」
戯けた様子のティーナや憤慨するケイルソードもやって来て、途端に賑やかになる。
「まあまあ、兄妹喧嘩はほどほどにしてよ。僕はもう家に帰るけど、三人はケイルソードの所に泊まるんだよね」
「ええ。お邪魔させて貰うわ」
「そっか。それじゃあ安心だね。僕の家はケイルソードが知ってるから、何かあったらいつでも来てくれていいからね」
そう言って、ソールは村の外れの方へと歩き出す。
ララ達は彼の背中が影へと消えるまで見送り、帰路に就いた。
「さ、早く帰りましょ。木に吊してる寝具が湿っちゃうわ」
「あわ、完全に忘れてましたね」
ティーナの言葉に、ロミがはっと声を上げる。
日中、いろいろなことが立て続けに起こったせいで忘れていたらしい。
「あたしは肉が食べたいんだがな。やっぱりエルフに見られるとマズいか?」
「そうだな……。忌避する者も多いだろう。できるだけ匂いを抑えて、隠れて食べるしかないんじゃないか?」
「うむむ、そこまでするのもなぁ……」
食文化のギャップにイールが頭を悩ませる。
エルフ達は植物由来の食物だけでも生きていけるらしいが、人間はそういう訳にもいかない。
栄養バランスを考える上でも、食事というのは頭の痛い問題だった。
「まあ、家は他の家からも多少は離れてるからな。多少食べる分には問題ないぞ」
「ケイルソード達はあんまり忌避感ないの?」
「俺は日常的に動物を扱ってるからな」
狩人でもあるケイルソードは、毎日のように害獣の駆除を行っている。
そのお陰か、肉に対する苦手意識も他のエルフと比べれば薄いらしかった。
「私もそういうのあんまり気にならないから、安心していいよ」
「ありがとう。恩に着るよ」
心優しいエルフの兄妹に、イールは頭を下げて感謝する。
食用肉は持ってきた荷物の中にまだ蓄えがある。
イールは歩きながら、どう調理するか考えていた。
ケイルソード達の家へと辿り着いた彼女達は、陰干ししていた寝具を取り込み、空き部屋の中に運び込んだ。ツリーハウスの一部屋を、滞在中は間借りすることとなる。
「はぁ〜、ふかふか〜」
ぼふりと柔らかいベッドの上に飛び乗って、枕に顔を埋めながらララが愉悦の声を漏らす。
「ララも干し肉食べるか?」
「あ、食べる食べる!」
荷物を整理していたイールが、干し肉を囓りながらララにも放り投げる。
ララはそれを上手くキャッチして、塩味の効いた懐かしい硬い肉を囓る。
「美味しいわけじゃないけど、腐っても肉ね」
「人間、肉食べないと活動できないからなぁ」
こればっかりは仕方がない、とイールは嘆息する。
その隣では、ロミが蹲ってメモ帳に猛然とペンを走らせていた。
「ロミは何書いてるの?」
「今日オビロンさんが仰ってた事を全てです。色々溢れて来ちゃいまして」
「ああ、神職としては中々興味深いだろうなぁ」
「興味深いって次元を超越してるんですけどね……」
一字一句漏らすまいと書き留めるのは、まさに神話の生き字引の言葉である。
神託や古代遺失技術の一部でしか神話の時代を知ることができない現代の彼女達にとっては、喉から手が出る程に追い求めている物だ。
「レイラ様に報告するのが楽しみですが、多少反応が怖いところでもありますね……」
「神話の時代って、大体どれくらい前のことなの?」
「エルフですら数世代重ねてますので、何千万、何億といった単位の話になりますね」
「それで数世代っていうエルフに恐怖感を覚えるわ……」
どれだけエルフと人間の間には、時間的な乖離があるのだろうかとララは眉を寄せる。
時間感覚の相違というのは、そこから交流関係に齟齬が生まれる原因になりかねない。
「しっかし、オビロンの言葉は迂遠な言い回しが多くて分かりにくかったんだが」
「それは私も同じ。ロミが理解してくれてると思ってたんだけど」
干し肉を囓りつつ、イールがぼやく。
「塔の七層と言うのは、恐らく世界を貫く白亜の塔のことですね。この世界は十層に重なっていて、白亜の塔はそれを繋ぎ止めているんです」
「ファンタジーな世界観はよく分かんないわねぇ」
「根底界、神獣界、地下界、地上界、天空界、天上界、神霊界、聖霊界、神界、星界ですね」
「よくそんなすらすらと言えるな」
「見習い時代にこのあたりの知識は全て叩き込まれますから。ちなみに私たちが今居るのは地上界で、塔の七層というのは神霊界のことですね。アルメリダ様は聖霊界で、その使徒はオビロンさんと同じ神霊界にお住まいです」
淀みなく語るロミに、二人は思わず感嘆の声を上げる。
職業柄、こういった説明にはなれているのだろうが、馴染みの無い二人にとっては、彼女の神職者らしい一面を垣間見れる機会である。
「女神様は神様なのに神界じゃないの? というか神様よりも上位の世界が二つもあるのね」
「神界にはアルメリダ様のお父様やお母様、原初の神と呼ばれる方々がお住まいですね。星界は神話の時代の神話の世界とも言われてまして、今でも分からない事が多いのです」
そのあたりのお話も聞ければ良かったんですが、とロミが少し残念そうに眉を下げた。
「あたしは親友の寵愛を受けた娘って言われたんだよな。ロミは我が母の愛を目指す娘だったか」
「一説ではオビロンさんはアルメリダ様の娘というお話もあるので、恐らく私はキア・クルミナ教徒というのが関係しているのかと。イールさんの親友の寵愛というのは、すみません、心あたりがなくて……」
「いや、いいよいいよ。あたしも分からん。多分これが関係してるとは思うんだけどな」
そう言って、イールは自身の右腕を持ち上げる。
禍々しい鱗に覆われた異形の腕は、彼女の最大の武器にして障害だ。
「最近思い始めてたんだけど、あんまりイールの腕って言われないよね」
「普段は鎧で隠してるしな。見せるときは人と場所を選んでるよ」
改めてランプの光の下でイールの腕を眺めながらララが言う。
明らかに常人の物から逸脱した、迫害の対象にすらなりかねない外見だ。
イールもそのあたりは重々承知した上で生活しているのだろう。
「イールはそれ治したいとは思ってないんだっけ?」
「旅を始めたきっかけはこれを治すことだったんだけどね。長いこと傭兵やってると、コイツに助けられたことも多いのさ」
そう言って、イールは己の右腕を見る。
そこにはララもロミも知らない、数多の思い出があるのだろう。
彼女の琥珀色の瞳に懐古の念が浮かぶ。
「今持ってる剣も、この腕がないとあたし程度で扱える代物じゃないしな」
「そういえば、新しい剣はほんとにオビロンに作って貰うの?」
「ああ、もしそれが本当なら、神話級の武器って事だよなぁ」
イールは思い出したように言って、水龍の素材の入った袋を一瞥する。
「もしできるなら、是非一目みたいですね。というか、教会上層部に知られたらちょっと面倒なことになりそうです……」
「聖遺物とかそのあたりになるよな、絶対」
相手が相手だけに断ることもできない。
これはできる限り口外しないように気をつけなければならないだろう。
急激に両肩に錘がのしかかったような錯覚を覚え、三人は額に皺を寄せて黙り込んだ。




