第二百十八話「そろそろ配達に戻ろっか」
「ふぅ、美味しかった……!」
膨らんだお腹をさすりながら、ララは満足そうに熱い息を吐く。
ルビの葉蒸しというエルフの料理を堪能した彼女達は、更に甘いパンケーキまで追加で注文し、至福の一時を味わっていた。
「エルフのパンケーキは、素朴な味ね」
「全部植物由来だからかな? バターなんかは使われてないんだよ」
ララの感想に、ソールが答える。
肉や脂を好まない彼らエルフは、植物由来の木の実や穀物、蜂蜜などを主な食べ物として用いているようだった。
「そういえばケイルソードは弓を持ってたわよね? お肉は食べないのに動物は狩るの?」
ふと出会ったときのことを思い出し、彼女は更に首を傾げる。
「動物は狩るぞ。毛皮は衣服になるし、骨は装飾品や道具になる。肉も食べはしないが、色々と使い道はあるんだ。肥料なんかに使われたりもするが、それは一部だな」
「使い道?」
「精霊へ捧げるんだ」
ケイルソードの言葉に、ララのみならず、イールとロミも驚く。
「精霊って、本当にいるのか?」
半信半疑で尋ねるイールに、エルフ達は揃って頷く。
「もちろんいるとも。というより、守護樹には精霊が住んでいるんだよ」
オーリエの窓から見える守護樹に視線を向けて、ソールは言った。
「精霊ですか……。存在自体、人間の社会では眉唾ものですが……」
「人間が自然を大切にしないからだって、お年寄りは言ってるわね」
むむむ、と唸るロミに、ティーナが言う。
精霊は自然を司る高位存在なのだと、彼女は説明した。
自然と共に生き、自然を守り、調和する、自然の隣人。
それが精霊という高貴なる存在なのだと、エルフ達は信じているようだった。
「一種の信仰?」
「そう言えるかも知れないね。ただ一つ違うのは、本当に精霊はいるって事」
「ソールも見たことあるの?」
ララの言葉に、ソールは当然の如く頷いた。
「エルフは最低でも三回、長い人生の中で精霊と相見える。一回目は生まれたとき。このときに、エルフは精霊から名前を授かる。二回目は成人したとき。精霊は今後の人生の指針をくれる。そして、三回目は死ぬとき。精霊は朽ちたエルフの骸を抱いて、自然への回帰を促してくれる」
「へぇ……。面白いわね」
ソールの説明を聞いたララは、興味深そうに頷く。
隣を見れば、ロミもまた、重要な話をメモへと書き込んでいた。
「精霊って奴はどういう姿なんだ?」
「んー、なんていうんだろ? 濃い光の集合みたいな。実体はないんだよ。不定形で霞みたいに溶けてる」
「でも声はちゃんと聞こえるのよ。優しい女の人の声」
「たまに気まぐれに守護樹の外を出歩いているって話も聞くな。現に俺も昔、森の中で精霊らしい姿を見たことがある」
口々に精霊の存在について語るエルフ達。
その口ぶりからして、精霊が実在し、彼らが実際に邂逅しているのは事実なのだろう。
「それで、その精霊にお肉を捧げるの?」
「そうだ。肉も自然の一部だからな。ちなみに弓はただ狩猟の道具として使うわけじゃないぞ。精霊に供物を捧げる時に弦を鳴らして、儀礼用の楽器としても使う」
「はぁ、だから弓なのね」
ケイルソードの説明は、ララの胸につっかえていた疑問を氷解させる。
鬱蒼と茂る森の中では、弓よりも剣や槍といった近接武器の方が扱いやすいと思っていたが、武器以外としての用途もあるらしい。
「十年に一回のお祭りだと、エルフがずらっと円になって、弓で音楽を奏でるの。一人一人持っている弓の音色は違うから、凄く綺麗なのよ」
うっとりとした表情で、ティーナが言う。
その祭事もまた、精霊への感謝とこれからの加護を求めて捧げる物らしい。
「所変われば信仰も変わる物ね」
「そうね。同じエルフでも集落によって、多少精霊との付き合い方も変わるらしいし」
ティーナはララの感想に頷き同意する。
リエーナの村では、精霊はあらゆる存在よりも高位の物として畏敬の念を抱かれているが、あるエルフの集落では良き隣人としてもっと友好的な扱いをしている所もあるようだ。
「でもまあ、エルフは精霊がいないと生活できないのは共通してるかもね。エルフにとって精霊は、親みたいなもんだし」
「親というと?」
「文字通りの意味だね。エルフが子供を作るときは、男女のエルフが一晩、それぞれの家の木の枝を持って守護樹の天辺にある精霊の社に泊まるんだ」
「なんか、そういう所もファンタジーなのね……」
どうやら本当にただ一晩を寝るだけによって、持ち寄った木が精霊の奇跡によって赤ん坊になるらしい。
ララはその、突飛なエルフの生態に目を半分にする。
ファンタジーな世界に漂着してそれなりに長い時を過ごしてきたと思ったが、エルフという種族の生態は、これまでの経験を遙かに越えるファンタジー具合である。
「もし運が良ければ、精霊に会うこともできるかもね」
「あたしたち人間でも大丈夫なのか?」
「多分いいんじゃない? 前例を知らないから分からないけど」
根拠のない自信満々な笑顔で、ソールが言い切る。
そんな適当な、とイールが呆れた。
「でもま、可能性はあると思うよ?」
それでも自信を欠かさず言い切るソールに、三人が首を傾げる。
「だって、僕に人間とエルフの共和を促せって言ったのは精霊だからね」
「精霊が、ソールに……?」
戸惑い、驚きながらララが聞き直す。
「ああ。僕が成人になった時、精霊からそう指し示された。長きに渡る閉塞を解き放ち、博愛の精神を持って、人間と和平を結べるように生きなさいとね」
ソールの言葉に、イールは呆気にとられたようだった。
知らず知らずのうちに、話の規模がどんどんと大きくなっていっている。
「わたし達のことも、精霊様はご存じなんでしょうか?」
「多分ね。精霊はあらゆる事を知ってる。それも自分の管理下にある村の事となればなおさらだろうね」
「というか、普通村に外敵が現れたらまず精霊が何かしら行動を起こす。そう言ったことがないから、お前たちは元々の段階でそれなりに信頼を得ているんだぞ」
「そういうことだったのね」
ケイルソードの説明に、ララは納得して頷く。
確かに、いくらなんでも話に聞いていた以上にエルフが友好的すぎた。
それというのも、彼らの精霊に対する信頼感の高さによる物だったのだろう。
「だから、オルボン爺さんも口ではああ言ってるけど、多分直接的に攻撃したりはしないと思うわよ。あの人は、村人の中でも特別精霊を信頼してるから」
「そっか……。だからこそ、余計に怒ってるっていう気もするけどね」
「精霊に裏切られたってか?」
イールの挟んだ言葉に、ララは頷く。
ずっと信じていた者が、突然にその思想を転換させる。
それを生まれた頃から共感し、信じ続けていた者としては、それは裏切られたと感じても不思議ではない。
「でもまあ、同情はするけど、絆されるつもりはないよ。いつだって何だって、変化というものは訪れるんだからね」
ソールはカップの水で唇を湿らせて、固い意志で言い切る。
彼もまた、違う形ではあるが、精霊を厚く信仰してることだけは確かだった。
「変化ねぇ。……そうね、いつだって変化は劇的で、唐突ね」
目が覚めたら知らない土地に迷い込んでいた。
ララは実感のこもった言葉と共に頷いた。
「それじゃ、あたしたちもそのうち精霊に会うんだな」
「多分ね。今はまだその時じゃないけど、時が来たら精霊の方からきっと会いに来るよ」
そう言ってソールは少し楽しそうに口元を緩める。
彼もまた、精霊が自分の招待した人間と会うことを楽しみに思っているらしい。
「それじゃ、長居するのもアレだし、そろそろ配達に戻ろっか」
「それもそうね。モノク、ありがとう。おいしかったわ」
「ああ。人間のお客さんにもそう言って貰えると自信が付くよ」
ララたちが立ち上がり、カウンターに立っていたモノクにお礼を言う。
小太りのエルフは大きく目を見開き、全身でうれしさを表現していた。
そんな陽気な店主に別れを告げて、彼らはカフェ・オーリエを出た。




