第百九十八話「大変ですねぇ」
翌日、ララとイールが朝の鍛錬を終えて食堂に入ると、既にレイラとテトルがテーブルを囲んで、シア謹製の朝食を楽しんでいた。
「おはよう、二人とも。早いな」
柔らかい白パンを口に運びながら、レイラが感心して言う。
「毎日続けないと、中々上手くならないからね」
ララは少し自慢げに胸を張って答えた。
「テトル達も早いな。ちゃんと休めたのか?」
「ええ。久しぶりにたっぷり睡眠を取ることができて、心身共に最高の状態ですわ」
テトルはイールの問いに頷いて、唇を弧にして言った。
普段は次々に現れる仕事に忙殺されて、しっかり休む暇もなかったのだろう。
「それは良かったわ。さ、どんどん食べていってね。パンとスープはお代わりし放題よ」
そこへ、お盆を持ったシアがやって来る。
彼女はララ達の為の水の入ったグラスを運んできていた。
「そういえば、ロミちゃんは?」
「まだ寝てるわよ」
不思議そうに首を傾げるシアに、ララがさも当然という風に答える。
レイラは頭が痛そうに額を押さえ、小さくため息をついた。
「あの子はいつまで経っても、そこだけは治らないわねぇ」
「あ、あはは……」
遠い目をするレイラ。
どうやら彼女の元で修行をしていた時も、ロミの眠りっぷりは変わっていないらしい。
「ま、別に今日はこれといって急ぐ用もないし、いいだろ」
そう言うのは、すっかり三人の纏め役に収まったイールである。
今日の予定と言えば、次の旅に向けて休養を取ることぐらいだ。
これまでの船旅の疲れを全て取り去り、これから待ち構える長い旅路に向けて体調を整えるのも、旅人として大切な素養である。
「妖精鍛冶師の所に行くんだっけ? 場所は知ってるの?」
「ああ。知人から聞いただけだから、まだあたし自身の目で確かめた訳じゃないんだけどな」
ロミから粗方聞いているのか、レイラがイールに旅の行き先を尋ねる。
「妖精鍛冶師とは、また珍しいですわね」
食後のお茶を飲みながら、テトルが瞠目して言った。
「鉄と魔力を自在に操り、炎と水の精霊を手懐けて、ドワーフの名匠よりも鋭く強靱な刃さえ打ち、アラクネーよりも滑らかな絹を編む。と言った風な触れ込みでしたっけ」
「へぇ。なんだか凄いわね」
よく分からない。
よく分からないが、よく分からないなりに、よく分かった。
ララはそんな感じの表情で、もっともらしく頷いた。
「秘境にある隠れ里にひっそりと住まい、エルフと並ぶほど隔絶した社会をつくって生きてる種族ね……。私もまだ一回も会ったことないわね」
妖精鍛冶師を名乗るのは、レプラコーンという種族だ。
かの種族はかなり排他的で厭世的な思想を持っているらしく、一生その存在を知らないままに生きる人も少なくない。
レイラでさえ会ったことがないと知って、ララは改めてその種族の排他主義を実感した。
「一度気に入られて手製の武具を作って貰えれば、一騎当千の名将にもなり得ると言いますわね」
「ああ。だから少し、興味があるんだ」
イールは今からわくわくと胸を躍らせるようで、ララは彼女のそわそわとした落ち着きのない姿に新鮮味を覚えた。
「ふわぁ……。おはようございましゅ……」
そこへ、瞼を擦りながらロミがやって来る。
寝ぼけながら着替えたのか、神官服のボタンが掛け違いになっている。
「ロミ! もうちょっとしゃっきりしな」
「ふええ!? あ、レイラ様! ご、ごめんなさーい!」
レイラがここにいることがすっぽり頭から抜け落ちていたのか、起き抜けに叱責が飛び、ロミは一気に目が覚めた様子だった。
残像を残して奥へと引っ込み、しっかりと服装を整えておずおずと戻ってきた。
「お、おはようございます……」
「おはよ。今日も良く眠れた?」
「はい。おかげさまで……」
しゅんと萎縮した様子で、ロミはちらちらとレイラを見やる。
赤髪の神殿長はまったく、と呆れた様子だ。
「とりあえず、三人揃ったし私たちも朝ごはんにしましょうか」
「そうだな。久しぶりに大陸の料理が食べたくなったなぁ」
当然と言えば当然なのだが、カミシロでは大陸の料理は出ない。
パンもスープもなく、肉もあまり食べられないようだ。
「はいはーい。それじゃ、メニューから選んでね」
注文を取りに来たシアに、三人は思い思いに朝食をオーダーする。
ララとイールは朝からがっつりと、ロミは寝起きのため軽めに、というのがいつもの風景である。
「各地の名物料理を求めて旅をするのも、良いかもしれませんわね」
「お、テトルも旅に興味が湧いてきたのか?」
三人のテーブルをぼんやりと見ながらテトルが言った。
イールが少し嬉しそうに聞くと、彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。
「少し、ですけどね。それに、今はそんなことができるような立場にはいませんし」
「責任ある立場っていうのも大変ね。いっそのこと魔導自動車に通信設備積んで旅したらいいんじゃない?」
「面白い案ですわね。……けれど、やはり実際に立ち会わなければならないことも多いので」
ララとさほど年も変わらないテトルだが、彼女には責任の鎖が幾重にも巻き付いている。
改めて彼女の存在の大きさを感じる。
こうして『女神の翼』を使ってやって来ているのも、実のところ随分と無理をしているのだろう。
「まあ、あんまり根を詰めすぎないようにしろよ」
「ええ。もちろんですわ。倒れてしまったら元も子もありませんので」
家族を心配する姉の言葉に、テトルは素直に頷いた。
「はーいお待たせ! ミートパイセットが二つと、ポタージュよ」
そこへお盆を抱えてシアが現れる。
テーブルに並べられるのは熱々焼きたての大きなミートパイが二つと、とろりとしたコーンポタージュである。
テーブルの中央に籠に入ったパンが置かれ、ミートパイにはコンソメのスープが付く。
「やっぱり美味しそうねぇ。頂きます!」
プスプスと音を立てるパイ生地に感動を覚えながら、ララがナイフを差し込む。
ザクッと小気味の良い爽快な音と共に、ハーブと脂の香りが解き放たれる。
「ん~~!! 美味しい!」
切り分けた大きな一口を運び、ララはきゅっと目を閉じて言った。
「ララお姉さまは本当に美味しそうに召し上がりますわね」
「だって、本当に美味しいんだもの」
微笑ましそうに見るテトルに、ララは当然の如く答える。
未開拓惑星探査の際に主食となる味気ないレーションとは、まさしく天と地ほどの差があるが、それを差し引いてもミルとシアの作る料理は絶品に違いなかった。
「そういえば、保存食の在庫はあるんだっけ?」
「ああ。カミシロで買ったのがまだ残ってるな。とはいえ多少減ったし、食べ終わったら補充するか」
瞬く間に消えつつあるミートパイを間に挟んで、ララとイールは今日の予定を立てる。
明日の早朝にはアルトレットを発つ手筈になっている為、今日のうちになくなった消耗品も補充しなければならない。
「明日にはもうお別れですか。名残惜しいですわね」
「ああ……。また仕事が一杯溜まってるんだろうなぁ」
二人の会話で、また日常に戻らなければならないことを悟った二人は、死んだ魚のような目でうっすらと笑う。
ヤルダでは今、二人の不在を優秀な部下達が必死にカバーしているところだろう。
これは帰ったらまた、当分は睡眠時間を削らねばならないだろうと思うと、変な笑いもこみ上げるというものである。
「レイラ様もテトルさんも、大変ですねぇ」
「他人事だと思って……。次の神殿長はロミにしてやろうか」
「うええ!? だ、ダメですよぉ。わたしはしがない武装神官の小娘なんですから!」
「ちぇっ。こういうときだけなよなよしくなるんだからな」
少し地の口調を見え隠れさせながら、レイラがロミをむっすりと睨む。
ロミは反射的に視線を逸らし、ポタージュに匙を向けた。




