第百九十四話「金は残りの残骸でも稼げる」
「それでは、失礼して」
ピアは靴を柔らかい革のものに履き替えると、そっと海竜の上に乗る。
その巨体は十分な浮力と安定性を兼ね備え、彼女一人くらいならびくともしない。
「乗り込んで鑑定するって、中々凄いわね」
「わたしもここまで大きな魔獣の鑑定を見たことないですよ」
「水棲魔獣の鑑定士じゃないと、こういうことは中々しないだろうな。陸棲だとここまで大きくなるのは希だから」
鱗を傷つけないようにそっと歩くピアを見ながら、ララ達は感心して口を開く。
ピアは慣れた様子で、ルーペを片手に黙々と査定をしていた。
時折ポケットに入れた小さなメモ帳に数字を書きながら、時間だけが流れる。
「ありがとうございます。すごく状態がいいですね」
ピアが桟橋に飛び移り、ララ達の立つ埠頭へと戻ってくる。
一仕事終えた晴れやかな顔に、彼女の満足度が現れている。
「特に外傷らしい外傷がないのが素晴らしい。以前のマリンリザードの鑑定の時にも驚かされましたが、素晴らしい技術をお持ちですね」
「まあ、ビリッとさせれば大体の生物はイケるからねぇ。一番楽だし」
大仰に頷きながら絶賛するピアに、ララは微妙な顔で目をそらす。
彼女としては、ただ単純に狙いを定める必要もなく、出力を上げて雷撃を放つだけというのが楽だっただけである。
「鑑定の結果ですが、おおよそこれくらいが適正価格かと」
そう言って差し出された紙を囲み、ララ達は声を上げる。
カミシロへの往路で釣り上げたブルースケイルギュスターヴの数倍の値段である。
「船長はこれでいいか?」
「うむ。ギルドのお墨付きとなれば、文句もあるまいて。それに儂らはこれを更に解体して売ることになるからの。損はせんよ」
むしろ困るのはこれらを虎視眈々と狙っている商人達の方じゃ、とガモンは遠巻きに自分たちの様子を伺っていた商人達を流し見た。
「なんだかんだ言って、船長も中々やり手よね」
「まあ、カミシロ代表の交易船の一番偉い人だからな」
含み笑いの止まらないガモンに、ララが半目で言う。
この場にいるのは、生粋の商人達だった。
「では確かに」
「ありがとうね、ピア」
ピアは鑑定書をガモンに渡し、出張鑑定料を受け取る。
ララがぺこりと頭を下げると彼女は涼やかな目元を細める。
「そうだピア。この海竜の素材で軽鎧とナイフを作りたいんだが、素材を見繕ってくれないか?」
今か今かと待ち構えていたイールが、ララの肩越しにピアへ話しかける。
ピアは一度ガモンへ目配せし、彼の了解の元であることを確認すると、イールに向かって頷いた。
「承りましょう。海竜の素材を使うと言うことは、魔導具を考えていらっしゃいますよね」
「ああ。今の鎧もモノはいいんだが、如何せん只の鉄製だからな」
そう言ってイールは自分の胸を守る鉄板を撫でる。
細かな傷が付きながらも毎日丁寧に手入れを加えられた軽鎧は、彼女と共に過ごした歴史を感じさせる。
「そういうことでしたら、竜玉は是非使いたいですね」
「竜玉っていうのは?」
ララが首を傾げると、ピアは銀縁を押し上げて答える。
「竜種の体内にある魔力精製器官です。これがあることによって、竜種は莫大な魔力を得られるのですよ」
「へぇ。それが強さの秘訣ってことね」
「そういうことです」
竜種の力の根源たる竜玉を用いれば、魔力を纏った武具――所謂魔導具を簡単に作成できる。
それらは強力な力を内包し、魔剣や聖剣と呼ばれるようなものすら存在する。
「あとは鱗と牙、骨、皮でしょうか。使い勝手の良い物を見繕いましょう」
「ありがとう。恩に着るよ」
任せてくださいと胸を張るピアに、イールが頬を緩める。
「それじゃあ、竜の解体にはうちの男衆を使ってやってくれ」
「では、遠慮なく」
ガモンの指示が出され、周囲で待機していた屈強なカミシロの水夫達がやってくる。
「鑑定士殿の指示に従って竜を解体しろ。鮮度が命、張り切って掛かれぃ!」
「応ッ!」
ガモンの声に、男たちが銅鑼のような声で空気を震わせる。
彼らは直ぐさま持ち場に着き、各々の道具を手に取る。
「滑車を上げろ! 鱗に傷を付けるなよ!」
海竜は滑車で埠頭へと上げられ、すぐさま解体の為刃が入れられる。
血の一滴さえも無駄にすまいと、カミシロの水夫達が手早く取り分けて並べる。
「わ、早いわね」
「流石の手際だな」
流れるような手さばきに、ララは思わず驚きの声を上げる。
側で見ることしかできないララとイールは、ものの数分で海竜だったものが肉と骨と鱗と血に分けられる様子に目を見開く。
海に生きる男たちにとって、この程度の解体はお手の物だった。
積み上げられた骨の山から、ピアが眼鏡に適うものをいくつか選ぶ。
「これと……これですね。皮はこちらのものを剥ぎ取ってください。ああ、血も一瓶。牙は奥から三番目の物を」
彼女の指示で、男たちが素材を切り出す。
それはすぐに梱包材の藁が詰められた木箱に収められ、イールの手に渡される。
「それと、こちらが海竜の竜玉ですね」
そう言って、ピアが両手でそっと掬うように一つの丸い宝石を取り上げた。
「わわ、綺麗!」
碧瑠璃色の透き通った、つるりとした宝玉だ。
それは太陽の光を浴びて、キラキラと眩い光を放っている。
「これが竜玉か。随分でかいな」
「そうですね。私もこの大きさを見ることは中々ありません」
驚いたようにイールが言う。
竜玉は竜の生きた年月に比例して少しずつ大きくなっていくため、これほどの大きさに育つには何十年という時が必要となる。
これ一つだけでも、かなりの金額が付くはずだった。
「いいの? これ武具に使っちゃって」
「いいんだよ。金は残りの残骸でも稼げる」
「言い方……」
丁重な手つきで竜玉を仕舞い、ほくほくとした顔でイールが言う。
「それでは、私はこのあたりで」
「ああ、ありがとうな」
「ありがとね、ピア」
ピアは自分の役目は終わったと、道具を片付けるとララ達に綺麗な一礼を見せる。
そうして彼女はスタスタと歩いて瞬く間に人混みに紛れてしまった。
「行っちゃったわね」
「競りも見ていかないんだな」
そんな彼女の背中を見送り、ララ達はしばし茫然とする。
ピアほどの鑑定士となれば、競りの現場も見飽きているのだろう。
「それじゃあ、残りの素材は競りに掛けるが良いか?」
「ああ。よろしく頼む」
ガモンの言葉に、イールが頷く。
竜玉やいくつかの素材を抜いても未だその巨体は健在で、すべてを売り切ることができれば、かなりの財を成せるだろう。
「昼過ぎには全て終わるじゃろう。それまでのんびり待っておれ」
「ええ。よろしくね」
「よろしくお願いします」
どれほどの値が付けられるのか、今からうずうずとしている船長である。
後のことは全て彼に一任することにして、ララ達は港を後にした。
商人達の闊歩する通りを抜けて、露店の立ち並ぶ大通りを当てもなく歩く。
時間的にもまだ昼食には早く、何をしようかと迷うところだ。
「どうせなら競りを見ていっても良かったかもね」
「そうだなぁ。まあでも、今から行くのは中々骨が折れるぞ」
悔やむララに、イールは背後を指さしながら言う。
そちらの方へと振り向けば、港へと向かう大きな人の流れができていた。
「わ、なんだろアレ」
「十中八九あたしたちの海竜とカミシロからの交易品だろ。あれだけ見栄えするものは中々無いからな」
驚くララに、イールが説明する。
これだけ多くの人が詰めかけるということは、それだけカミシロの品々も認められてきたということだろう。
「そうだ。ちょっと果物を買っていっても良いか?」
「え? ああ、ロッドのお土産ね」
「そういうことだ」
露店の前でイールが立ち止まる。
蔓を編んだ大きな籠には、色とりどりの瑞々しい果実が積まれて並んでいた。
「いらっしゃい! どれも今朝もぎたての新鮮なヤツだよ」
露店の番をしていた若い青年が自慢げに一つ掲げて言う。
イールはじっと籠を見つめ、手早くいくつか選んで財布を取り出した。
「これをくれないか」
「あいよっ」
硬貨と果実を交換し、イールは無事に果実を手に入れた。
そのうちの一つをララに差し出す。
「ほらよ」
「わぁい! ありがと!」
ララは喜んでそれを受け取り、服の裾で擦ってかじりつく。
ぱりんっと弾ける気持ちの良い歯ごたえで、じゅんわりと甘い果汁が溢れ出す。
「おいしい! これ、なんて言うの?」
「ポリムだな。ヤルダだとあまり見ないが、この辺じゃあよく作られてるんだ。花や葉も、精油とか香水とかに使える木の実だぞ」
自分も果実に歯を立てつつ、イールが解説する。
「温かい風が必要なのと、割と塩に強いから、こういう沿岸部で良く育てられるんだよ。逆にヤルダみたいな内陸だと、ポリムよりもコリンとかの方が育てやすいし大きいし旨いからな」
なんだかんだと言ってララ達三人の中で最も年齢が高く旅の経験も深い彼女は、三人の中で最も博識でもあった。
「ポリムにコリン……。なんだかみんな食感で名前付けてる感じがするわね」
「さあな。その辺はよく分からん。なにせずっと昔からある木の実だからなぁ」
サクサクとかシットリとかもあるのかな? とララが首を傾げる。
イールは彼女の視点に苦笑した。
「じゃあロッドへの土産も買えたし、一度宿に戻るか」
ポリムの欠片を放り込み、イールが白い歯を零して言った。




