第百八十八話「もう少し、一緒に歩かせて欲しいわ」
緑珠院でサクヤと別れた三人は、宿屋『花行燈』の部屋に辿り着くと同時に、崩れ落ちるようにして眠りについた。
サクラとの激戦は、知らぬうちに身体中を酷使していたらしく、一番早く目が覚めたララでも、窓の外に目をやればとうの昔に昼を過ぎていた。
「……、これは流石に寝過ぎたのでは?」
ミシミシと悲鳴を上げる身体の節々に顔をしかめつつ、ララはぽりぽりと頬を掻く。
まだ完全に意識が覚醒しておらず、ぼんやりと部屋にある二人分の小山を見つめる。
きゅぅ、と可愛らしく腹の虫が鳴いた。
†
「ううん……、まだ頭がふらふらします……」
「あたしもまだ完全には疲れが取れて無さそうだ」
花行燈の一階に設けられた食堂でテーブルを囲む三人。
昼のピークも過ぎて、中は閑散としている。
寝坊というのもおこがましいほどの時間に起き出してきた彼女たちは、一先ず腹の虫を治めるために、「お任せで何かお腹に優しい物を。ちょっと食べ応えがあったらいいな」というアバウト極まりない注文をコハルに投げた。
ロミは未だに眠気が覚めきっていないのか、ぽわんとした表情で欠伸を漏らしている。
タフネスには人一倍自信があったイールも、今回ばかりは少し身体が堪えているようだった。
「お待たせしました! 花行燈特製鍋焼きうどんでーす!」
ぼんやりとした雰囲気を作るテーブルに、明朗な声が響き渡る。
若葉色の着物姿のコハルが朱塗りの盆に載せて持ってきたのは、ぐつぐつと煮立つ小さな土鍋のうどんだった。
「熱いので気をつけて下さいね!」
「わ、うどんだ! 麺類なんていつ振りだろ……」
ララは全ての眠気が吹き飛んだようで背筋を伸ばす。
何か胃に優しいものを、というアバウトな注文で、まさかうどんが出てくるとは予想もしていなかった。
というより、うどんの存在がこのカミシロにあったことに彼女は感激していた。
『ララ様はうどんのレシピを古文書から解読して再現する程うどん好きだったので』
「ナイスよサクラ!」
鼻高々といった様子で言うサクラに、ララは思わず抱きつきすべすべと撫で繰り回す。
「麺類か。白いな」
「醤油の香りがしますね。沢山具も乗っていて、おいしそうです」
初めてうどんを見るイールとロミは困惑しながらも好奇心が勝っているようだった。
三人は早速箸を取り、手を合わせた。
「蒲鉾に葱に卵に椎茸、やっぱり目立つのはこの海老天よね!」
山海の幸をこれでもかと詰め込んだ、目にも色鮮やかな鍋である。
野菜や茸についてはともかく、蒲鉾や海老天はよくこの世界で再現できたものだとララは思わず感心した。
「つるつるとコシがあって美味しいですね。ちょっと、食べるのが難しいですが」
フォークを使って麺を口に運び、ロミが言う。
つるりと喉を抜ける麺は、噛むと確かなコシを感じられる。
丁寧に取られた出汁と醤油の透き通った麺汁が麺に絡み、口腔に豊かな味を広げる。
出汁と醤油の香る麺汁は人によって好き嫌いがでるが、彼女は美味しく頂けるようだった。
「パスタの親戚みたいな感じだな。それより太いし白いが。……うん、この切り身みたいな奴が美味しい」
「材料的にはパスタと一緒だと思うよ。その切り身みたいなのは蒲鉾って言うの」
はふはふと熱さも楽しみながら、三人は舌鼓を打つ。
三つの土鍋が空になるのにも、そう時間は掛からなかった。
食器を下げに来たコハルから食後の温かいお茶を貰い、三人はしばし腹を休める。
温かい物を食べれば、少し疲労も落ち着いたような気がする。
「ふぅ、いっぱい食べたわ」
膨れたお腹をさすりつつ、ララが温かい吐息を漏らす。
「カムイの原因も分かったし、ララの捜し物も見つかったんだろ。これでもうララの目的は達成できたのか?」
湯飲みをテーブルに置いて、イールがおもむろに問いかけた。
ララはそれに頷きつつも曖昧な表情を浮かべる。
「うーん、確かにそのあたりは解決したんだけど……」
「何か見落としている事でもありましたか?」
質問を重ねるロミに、ララはふるふると首を動かす。
そうして、足下に転がっていたサクラを拾い上げる。
「精密作業工作室とか、中央情報集積保存庫とか、他の船の施設はもう壊れちゃったのかな?」
『むぅ、それらは私には分かりませんね。中央制御部と隣接していたいくつかの施設以外は、空中分解して各地に散逸してしまったので』
「そっか……。最低その二つがあれば色々作れて便利だったんだけど……」
サクラの返答に、ララは唸る。
それらは、彼女が乗ってきた船の施設の名前だった。
ブルーブラスト粒子などの特殊な素材を用いて超科学的な機器を製造する精密作業工作室。
古今東西ありとあらゆる情報を集め、蓄積し、保管していた中央情報集積保存庫。
その二つは、サクラのコアを中心に据えた中央制御部の次に船の心臓部として航行を支える重要な施設だった。
もし、仮にララが空を飛び出して故郷を目指そうとするならば、最低でもそれらを見つけ、揃えなければならない。
「つまり、まだ見つかってないのが二つあるってことか?」
「正確に言えばもっと色々あるんだけどね。骨子となるのはその二つかな」
「ララさんの事情をまだ完全に理解できてるとは思っていないんですが、探すのはやっぱり大変そうですね」
「どこにあるかも分かんないんだもんねぇ」
ララの言葉に、ロミとイールも思案顔になる。
何処にあるかも、そもそもまだ存在しているのかも怪しいような代物ばかりなのだ。
『ひとまず、私の探査波の範囲内にはありませんでしたね。カミシロの中に落ちていた物は全部集めていましたので』
「あ、あの方々に伸ばしてた穴ってそういう意図もあったのね」
『もちろんですとも』
ララが驚いたように言うと、サクラは誇らしげに声を弾ませた。
しかしながら、そうなればカミシロにはもうそれら二つの施設がある可能性は潰えた。
「となればこれ、辺境にあるかどうかも分からないわね」
「辺境の外ですか……」
難しい顔をして、ララが言葉を零す。
辺境の外となれば、ロミも、旅慣れているイールでさえも訪れたことのない新たな世界である。
「いいんじゃないか?」
お茶を飲んでいたイールがおもむろに口を開いた。
疑問を浮かべるララに向かって笑みを浮かべながら、イールはもう一度言う。
「いいんじゃないか? どうせ目的も何も決まってないような旅人なんだ。何か標になるような物を探しながらの旅も、いいと思うよ」
「イール……」
「わたしも賛成です! 元々辺境の外には行ってみたいと思ってたんです。それに、まだまだララさんやイールさんとは一緒に旅がしたいですから」
「ロミも……」
二人の温かい言葉に、ララは思わず涙ぐむ。
彼女はくしくしと目を擦り、二人に目を向ける。
「二人とも、ありがとう。私も、まだ二人と一緒に旅がしたい。二人と一緒に、この世界を見てみたい。もし良ければ、もう少し、一緒に歩かせて欲しいわ」
ララの言葉に、二人は頷く。
イール、ロミ、ララの三人は、誰からともなく、ふっと柔和な笑みを浮かべた。
『剣と、魔法と、ナノマシンですか。存外、いい組み合わせのようですね』
ララの足下からそれを見上げ、サクラが面白そうにくるりと回転して言った。
第一部完ということで。
ひとまずこれで区切りがついたかな、と思います。
これまで応援、ありがとうございました。




