第百六十一話「食事は全ての基本だもんね。楽しみだわ」
広い甲板に男たちの野太い声が響き渡る。
引き締まった筋肉を最大限活かし、男たちは鉈を振るい、綱を繰る。
今、まさに。交易船の船上では巨大な水棲魔獣の解体が行われていた。
「しかし驚いたぞ。いきなりこのような魔物を持って現れるとは」
テキパキと動く部下達を見ながら、ガモンがしみじみと言った。
それも仕方の無いことである。
誰も、まさかララのような小さな少女が単身海に潜り、巨大生物を討ち取って持ち帰るなど考える訳がない。
「とりあえず、これで何人分くらいになるかしらね」
そんなガモンの視線をさらりと躱し、ララは逆に尋ねる。
ガモンは今一度魔獣を見て、分析する。
「見たところ、種類はブルースケイルギュスターヴ、年齢は五十を超えていそうじゃな。基本的に骨や鱗、目などが優秀な魔法素材となる故に狙われる魔獣じゃ。肉もまあ、食べられないことはない。この大きさならば……、二日くらいかの」
「ぐええ、二日しか持たないのね」
「なんせこの船には大食らいがいくらでも乗っとるからの。一瞬で骨になるじゃろ」
「ま、しょうが無いわね。足りなかったらまた釣れば良いし」
「魔獣を釣ろうなどと、他の者が言い出しても酔狂としか思われぬぞ」
まだララの事をあまり理解しきっていないガモンは、呆れた様な目で彼女を見た。
そもそも、ブルースケイルギュスターヴは広い海の深い奥底で静かに暮らしている魔物である。人の目に触れるのは、産卵期を迎えて砂浜へと上がってくる極僅かな期間だけだ。
自然と、その希少価値も高くなる。
これだけの大きな個体ならば、カミシロで売るだけでも一財産を作ることができるだろう。
「ララ殿、この魔獣の肉以外の素材はどうするので」
ガモンがララに尋ねてみると、彼女はそこまで考えていなかったらしく首を傾げる。
「ねえ、イール。どうしたらいいかな?」
「あたしに聞くのかよ」
突然話の矛先を向けられたイールがげんなりとして言う。
「普通に、然るべき人に買い取って貰ったらいいんじゃないか? 船長でもいいだろうし、カミシロに着いてから自分で店に売り込んでも良いだろ」
「ふむふむ……。船長は買い取ってくれたりするの?」
「もちろんじゃ。これほどの大物ならば、かなり良い値段を付けるぞ」
ララが持ってきたブルースケイルギュスターヴは、外傷らしい外傷の見当たらない、綺麗な身体だった。
今まさに肉と骨へと姿を変えているが、解体をしているのは、こういった作業に慣れたプロの男たちである。
素材としての価値は最上級と言って差し支えないだろう。
これを買い取ることができたのなら、ガモンはまた少なくない金を作り上げることができる。
「それじゃ、船長に売るわ。あ、記念に鱗何枚か貰ってもいいかな?」
「あい分かった。鱗は好きなだけ取っておくといいじゃろ。どうせ数は多い」
ララの言葉に、ガモンは白い髭を揺らして頷く。
二人の利害が一致した。
ララは解体中のギュスターヴの所へと駆け寄ると、皮を剥いでいた水夫に声を掛ける。
「お疲れ様! ねえ、鱗を何枚か取りたいんだけど、いいかな?」
「うおっ!? あ、は、はい。大丈夫ッス! ていうか、オレが取りますよ」
突然背中越しに話しかけられた水夫は驚きながらも頷く。
ララは彼の申し出を素直に受けて、十枚ほどの鱗を受け取った。
「うわぁ、綺麗……。ありがとう!」
「イエイエ。オレも久しぶりに肉食べられるんで、感謝してるッス」
青年はそう言うと、日焼けした肌と対照的な真っ白な歯を見せた。
船上では軽装の多い水夫たちは、皆一様に浅黒く日焼けしている。
それもまた、彼らの幹のような筋肉を強調しているのだ。
また作業へと戻った水夫と別れ、ララはイールたちの居る所へと駆け戻る。
「鱗、貰ってきたよ!」
そう言って、彼女は手に持った鱗をイールとロミ、ついでにガモンにも渡す。
ブルースケイルギュスターヴの鱗は、その名前の冠する通り、濃い青色に光っていた。
眩しい太陽の下に翳すと、うっすらと透けて見える。
ガラスのように滑らかな表面を撫でると、ひんやりと冷たい。
「ほう、分厚くて良い鱗じゃ」
様々な角度から鱗を眺め、ガモンが言う。
交易商人としての、いわゆる職業病のようなものなのだろう。
「結構大きいね。まあ、あの図体なら仕方ないか」
「このひんやりとしているのは、魔力由来のようですね。水の魔力を若干ですが感じます」
イールとロミも受け取った鱗を眺め、触り、口々に感想を漏らす。
特に何かに使う理由は思いつかないため、彼女たちはひとまずそれを懐に仕舞った。
「解体したものは順次、骨や鱗や皮は纏めて船倉に、肉などの食べられる部位は食料庫に運び込む。それで、商いの話じゃが……」
指示を与えずとも自ずからテキパキと動いて作業を進める部下達を見ながら、ガモンが口を開く。
しかし、ララは面倒臭そうにひらひらと手を振って、彼の言葉を止める。
「そういう話、私苦手なのよ。船長側で決めてくれていいわよ。ガモンさんのことは信用してるし」
「む、本当にそれでいいのか?」
ララの言葉に、ガモンは虚を突かれた。
不思議そうに目を開き、あくびを漏らしているララを見る。
そんな様子に、イールは我慢しきれず吹き出した。
「ぷははっ、商談せずに相手に全部任せるヤツなんて初めて見たな」
「でも、ララさんらしいといえばらしいです」
どうやらイールとロミは常識的な感性を持っているらしい、とガモンはあからさまに安心する。
というよりも、ララが常識を知らなさすぎるのである
「ええ、でも私そういうのどうも苦手なのよ」
「傭兵なら、これからいくらでも交渉する機会があると思うぞ」
「うええ……」
イールの言葉に、ララは分かりやすいくらいに肩を落とす。
本当に、このような交渉事は苦手らしかった。
「そういうときはイールに任せるわ。上手いんでしょ?」
「あたしだって上手いって程じゃ無いけどなぁ……」
面倒事を押し付けられたような形に、イールは顔をしかめる。
彼女の隣では、ロミが可笑しそうに笑いを堪えていた。
「では、商談は無しで、こちらが価格を決めていいんじゃな?」
「ええ。よろしく頼むわ。多少値引かれても私は相場知らないし、船代ということにするわ」
「そこまで信頼されていては、悪徳な事もできぬなぁ」
「元からそんなことしないでしょ」
残念そうに言うガモンに、ララは軽く言い返す。
なんだかんだと口では言っているものの、ガモンがそのようなことをする商人ではないことは漠然とだが分かっていた。
「ま、一国の代表として他国と取引できる交易商人なんて、信頼が命だもんな」
「そうそう。それが言いたかったの!」
イールの言葉に、我が意を得たりとララも頷く。
じろりとイールが疑わしい目を向けるが、それは華麗にスルーする。
「それよりも! 私は早くお肉が食べたいわ」
「結局はそこか! 確かに魔獣の肉、特に水棲魔獣の肉ってあんまり食べないから分かるが……」
「わたしも、この魔獣は食べたことないので興味ありますよ」
「お主らは相変わらずのようじゃな。これの肉を使った料理は、早速今晩の食事から使われるじゃろう」
商談――らしい商談も無かったのだが――の時よりも目をキラキラと輝かせる三人衆に、ガモンは今度こそ呆れた様に笑う。
先日、『赤クジラ』で同伴した時にも感じたことだが、彼女たちは何よりも食い意地が張っている。
しかも、よく食べる。
それこそ『赤クジラ』で見た、テーブルに満載の料理がするすると煙のように消えていく様は、もはや見事としか言いようがなかったほどだ。
「食事は全ての基本だもんね。楽しみだわ」
ララは早くも舌舐めずりすると、ペコリと凹んだおなかを押さえた。




