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第百五十六話「ロミ、これ何か知ってるの?」

 数日後の早朝。

 塩の鱗亭、花貝の部屋のベッドの上に柔らかな陽の光が差し込む。

 丁寧に洗われた真っ白なシーツにくるまって安眠を享受していたララは、もぞもぞと身体を芋虫のように動かす。


「ぅ……」


 いつもと同じ時間ぴったりに、彼女はぱちりと瞼を開く。

 大きな青い瞳が部屋を見渡す。

 静けさが見守る。


「はうぅ……」


 上半身を起こし、ララは目一杯両腕を伸ばして身体をほぐす。

 両隣ではロミとイールが穏やかな吐息で眠っている。

 この平和な時間が、ララは好きだった。


「ん、良い匂いがする」


 ふと、彼女はすんすんと鼻を動かす。

 ドアの隙間から、懐かしい匂いが漏れ出している。

 よく耳を澄ませれば、とんとんとまな板と包丁が打ち鳴らす軽快なリズムも聞こえる。

 ララはそろりと身体を滑らせて、冷たい床に足を付けた。

 ベッド脇に用意していた服を着て、靴を履く。

 そうして、そのまま足音を忍ばせて部屋を出た。


「ふんふんふふーん」


 音程も歌詞も無い鼻歌を奏でながら、ララは廊下を歩く。

 歴史を感じさせる細い道を歩けば、朝の匂いはよりはっきりと明瞭になってくる。


「いいわね。ごはん、と佃煮かな? あとはお味噌汁と……、目玉焼きとお魚ね」


 歩きながら、ララは匂いの正体を考える。

 ララにとっても馴染み深い、故郷でも食べた料理の数々だ。


「おはよう!」


 朗々とした声を響かせながら、ララはロビーに躍り出る。


「おはようございます」

「おはよー。いっつも早いわねぇ」


 彼女を出迎えたのは、テーブルを拭くミルと食器を運ぶシアだった。

 早いと言いつつシアも宿の制服を纏って仕事を始めているのだがら、ララよりも早い目覚めである。


「ミオさんは厨房?」

「はい。今仕上げのところです」

「あ、ララさん。おはようございます」


 ララとミルが話していた丁度その時、ロビーの奥に併設された厨房から割烹着姿のミオが現れる。


「ミオ、おはよう。今日もいい香りよ」

「ありがとうございます。今日は海苔の佃煮とストライプトラウト塩焼きを作ってみたんです」


 ミオはララを見ると、いつものように柔らかい笑みを浮かべて迎えた。

 彼女は数日前の夕食以来、朝夕にこの塩の鱗亭の厨房を借りて料理を作っていた。

 その際にはミルも傍らに立ち、彼女の技術を学ぼうとしている。

 毎回、少なからぬカルチャーショックを覚えているらしく、ミオとしても早くなんとかせねばと使命感を胸に抱いている。


「とっても美味しそうねぇ。あ、配膳手伝うわ」


 ミオが持っていた米櫃を受け取り、ララはテーブルに運ぶ。

 塩の鱗亭では毎食、焼きたてのパンと炊きたてのごはんを好きな量だけ食べることができるのだった。


「おはよう。今日も旨そうだな」


 ララ達が準備をしていると、眠たそうに欠伸をしつつイールがやってくる。

 彼女が引き摺るようにして連れてきているのは、まだ半分寝ているロミである。


「おはよ。ロミは相変わらずね」

「まあな。けど今日くらいは早起きして貰わないと」


 そう言って、イールはロミの柔らかい白パンのような頬をぺちぺちと叩く。

 ふにゃ!? と可愛らしい悲鳴を上げて、ロミが目を開く。


「うぅ、もう少し穏便に起こしてくれても……」

「これ以上優しくしたら永遠に寝てるじゃないか」


 ロミが赤く腫れた頬を膨らませて抗議するが、残念ながら支持されるのはイールの主張である。


「皆さん、用意もできましたし、朝ごはんにしましょう」


 丁度良いタイミングで、ミオが三人を呼びかける。

 丸い大きなテーブルには、人数分の食事が並べられている。

 三人はすぐさまテーブルにつき、そうして元気よく食べ始めた。


「うぅ……。このごはんもしばらく食べ納めか……」


 残念そうに声を落として、ララが言う。

 ミオは恥ずかしそうに口元を隠した。


「でも、カミシロに行けばもっと美味しい料理がありますよ」

「私はミオの料理がいいんだけどなぁ……」

「ふふ。そこまで言って頂けると、料理人冥利に尽きますね」


 素直なララの言葉に、ミオは心底嬉しそうだ。

 自然な笑みが口元からこぼれる。


「ミル、ロッドのことしばらく頼むよ」

「はい! 責任を持って毎日お世話しますからね」


 嚥下して、イールがミルに言う。

 これからしばらく、ロッドとは離ればなれになる。

 その間はミルがここで彼の世話をしてくれる話になっていた。


「私もついてるから、安心して頂戴」

「むぅ、わたしだけでもお世話できるのに……」


 ネコのような笑みで割り込むシアに、ミルは頬を膨らませて反論する。


「けれど、早いものですね。今日が船出の日ですか」


 ロミが白パンを両手に持ってしみじみと言う。

 今日は、ララ達がアルトレットを離れる日。

 カミシロに向けて、海へと飛び出す日だった。


「船旅は人によって体調を崩す人も多いので、今日の朝ごはんはほどほどにしておいた方がいいですよ」

「もぐもぐもぐ……。え、私に言ってる?」


 ミルが忠告すれば、山盛りのご飯を食べていたララが不思議そうに首をかしげる。

 この様子なら大丈夫かもしれないと、ミルは妙な安心感を覚えた。


「やっとカミシロまでの道が開けたんだから、あっちでも色々見たり食べたりしたいわねぇ」


 ララは箸を止めると、恍惚とした表情で言う。

 彼女のカミシロに対する期待はうなぎ登りである。


「カミシロへは、船で一週間ほどです。時間にするとそれほどでもないですが、その間ずっと波に揺られるのは思っているより大変ですよ」


 この中で唯一、それを経験しているミオが言う。

 本来陸に慣れきった彼女たちが何日も洋上で揺れるのは、確かにかなりの負荷が掛かるはずだった。


「そのあたりは覚悟の上よ。ガモンさん率いる優秀な船乗りさんたちもいるんだし」

「それもそうでしょうかね。でも、お気を付けて」


 ぽんと胸を叩くララに、なおも心配そうにミオが言う。

 彼女はいささか心配性すぎるのではないか、とララは少し思った。


「と、もうこんな時間ね。そろそろ準備して港に行かなきゃ」


 教会の鐘が鳴り、時刻を告げる。

 ララ達はミオの忠告を受けて朝食はそこそこに、荷物を取りに部屋へと戻った。



 ララ達が港に着いたのは、それから程なくの事だった。

 後片付けもそこそこに、シアたちも見送りに同行してきた。


「いつ見てもこの船は圧巻ね!」


 ララは港に接岸する巨大な帆船を見上げて感嘆の声を上げる。

 波にゆらりと揺れる船は広い影を岸に落とし、今も屈強な水夫たちによって山のような荷物が積み込まれていた。


「やあ、来たね。待っておったよ」

「ガモンさん! 今回はありがとう」


 ララ達が圧巻されていると、背後から聞き慣れた老人の声が届く。

 振り向けば、いつもと同じ着物と袴に身を包んだガモンが、お付きの者を従えて立っている。


「何、こちらの頼みを聞いてくれた適切な報酬じゃよ。それより、体調と準備は万全か? これからしばらくは海の上での生活じゃ」

「ええ、ばっちりよ!」

「傭兵は長旅には慣れてるからな。安心してくれ」

「ぶ、武装神官も旅には慣れてますよ!」


 頼もしい三人の答えに、ガモンは満足げに頷く。


「もう程なくして出港じゃ。そろそろ我々も乗り込もう」

「分かったわ!」


 ガモンの言葉に、ララは興奮気味に頷く。

 初めての航海を前にして、かなりテンションも上がっているようだった。


「あ、ララちゃん。ちょっと待って」


 その時、シアがララを呼び止める。

 彼女が振り返ると、シアは懐から小さな袋を取り出した。


「これ、あげるわ」

「えっと、中は見て良いの?」

「今はダメ。船が出たら良いわよ」

「そう? まあ、ありがたく受け取っておくわ」


 いつもと同じ、ネコのような笑みを浮かべるシアに首をかしげながらも、ララは素直にそれを受け取る。

 シャラリと透き通った音が微かに聞こえる。


「それじゃ、行ってくるわね」

「ええ。気をつけてね」

「お達者で!」

「体調には気をつけて。何かあったら船医さんにすぐ伝えるんですよ」


 船に乗り込むララ達を、岸に立つ三人は口々に言葉を投げかけて見送る。

 背の高い甲板に立ち、ララ達も手を振る。


「それでは、出港じゃ。碇を上げろ!」


 ガモンの銅鑼のような声が響く。

 水夫達が雄叫びを上げ、碇を巻き上げ、帆を下ろす。

 陸から流れる風を受け止め、船はゆっくりと滑り出す。


「行って来まーーす!」


 口に両手を添えて、ララが叫ぶ。

 シア達は波止場の先まで彼女たちを追いかけ、手を振り続けた。

 風を抱きかかえた船はぐんぐんと速度を増し、煌めく海原を割るようにして進む。

 白波を立て、朝日を受けて、港は徐々に小さくなっていく。


「……もう見えなくなっちゃったわね」


 甲板の手摺りにもたれ、ララが言う。

 空虚な寂しさは、別れのたびに感じるが、いつまで経っても慣れることはない。


「さっき、何を貰ったんだ?」


 隣のイールがララに尋ねる。


「そうだった。もう見て良いわよね」


 服のポケットから、シアから受け取った袋を取り出す。

 淡い水色の布は柔らかく、中には薄い何かが入っているようだ。

 海に落としてしまわないよう慎重に、ララは袋の口を開けて中身を手のひらの落とす。


「なんだろ、これ」

「ぴっ!?」


 現れたのは、三枚の薄い鱗のようなものだった。

 水のように透き通り、擦れるとシャラリと涼やかな音が響く。

 朝日を反射し、七色に光る様子は宝石のように美しい。

 ララがその正体を計りかねて首をかしげる横で、ロミが短い悲鳴を上げた。


「ロミ、これ何か知ってるの?」

「こ、ここ、こここ……」


 突然鶏のようになってしまった少女に、ララとイールが怪訝な顔になる。


「これ、人魚の鱗です……!」


 震える指で指し示し、ロミが信じられないと唇を震わせる。

 その言葉に、ララ達も今一度それを見る。

 ララの手のひらの上で、小さな贈り物は誇らしげに輝いていた。

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