第百四十四話「バイクなら乗れるんだけどな」
肩にそっと触れて、優しく揺らす振動に、ララはゆっくりと瞼を開く。
柔らかなベッドの上で、いつの間に寝入ってしまったようだった。
「おはよう、寝ぼすけ」
「ん……。おはよ」
肩を揺らしていたイールはララが覚醒したのを見ると、苦笑しながら言った。
「あれ、ロミは?」
「昼食を買いに行ってくれてる。もうすぐ帰ってくると思うぞ」
ララはくしくしと目を擦り、身体を持ち上げる。
窓の外の太陽を見れば、もう正午を少しすぎている。
「ふああ……。完全に寝ちゃってたわ」
「そんなに疲れる事したか?」
「ちょっとね。久しぶりに細かい作業をすると予想以上に体力使っちゃって」
肩にのしかかるだるい重さに彼女は顔を顰める。
二三度回せば、関節がゴリゴリと音を立てた。
「何やってたのかは知らんが、あんまり無理するんじゃないぞ?」
「あれ、なんだか今日は妙に優しいわね」
労うイールに、ララはきょとんとして言う。
「あたしはいつも優しいつもりだが?」
「いだだだだっ! そういうとこよ!?」
青筋を浮かべながら、イールは目を細めてララの小さな耳たぶを掴む。
ララは涙目になって抵抗するが、体格に勝る彼女に勝てるはずもない。
激しい攻防の末、ララがベッドへ倒れイールが覆いかぶさる。
「お待たせしましたー。って、お二人共何をやってるんですか?」
そこへ丁度やって来たのは、紙袋を抱えたロミである。
「おう、おかえり」
「聞いてよロミ! イールがひどいの!」
見る人が見れば誤解を受けそうな光景ではあるが、ロミは微妙に二人について耐性が付いてきたようだった。
そのまま一緒に話し出す二人に呆れたように息を吐き出すと、ドアを閉めてベッドの前までやってくる。
「とりあえず、二人とも座って下さい」
唇を尖らせ、めっと子供を叱るようにロミが言う。
「はーい」
いそいそとイールがベッドの縁に座り直し、ララも立ち上がる。
一ミリも恐怖は感じない、むしろ可愛らしいロミの怒り顔であるが、こういう人ほど本気で怒ったら怖いというのが常である。
「そうだ、お昼ごはんは何?」
ララが紙袋に視線を向けて言う。
「露店でホットサンドが売っていたので、それを買ってきました。色々種類があるので、メモを頼りに食べて下さい」
「わぁい! ホットサンド! 私、ホットサンド結構好きよ?」
「ララは何だって好きって言って食べる気がするけどな」
ロミの言葉に、ララは青い目を輝かせ諸手を挙げて喜ぶ。
「そういえば、今のところは嫌いな物ってないかなぁ」
イールの皮肉を受けて、ララが首をかしげる。
確かにこれまで、どうしても身体が受け付けない食べ物は無かった。
ウォーキングフィッシュも苦手なのは生きているときのビジュアルだけで、むしろ味は好物の域にまで入る。
「私とりあえずハムチーズね! イールは何か好き嫌いってあるの?」
紙袋に直接書かれたメモを頼りに、ララがホットサンドを取り出す。
こんがりと焼き上げられた白パンに挟まれたチーズの香りが食欲をそそる。
早速かじりつくララの横で、イールは首をかしげる。
「そうだな、甘い物はちょっと苦手かも知れない」
「性格が甘くないものね!」
どうだと言わんばかりの表情でララが返す。
イールは冷めた目で彼女の額をこつんと小突いた。
「いだっ!?」
「誰が冷血だ」
「な、何もそこまで言ってないのに……」
涙目で訴えるララをスルーして、イールも紙袋に手を伸ばす。
彼女が選んだのはエッグサラダのホットサンドだった。
続いてロミは、ベーコントマトを選ぶ。
「飲み物も買ってきてるので、好きなのを取って下さいね」
そう言って、ロミはもう一つ小ぶりな袋をテーブルに置く。
中には金属製の筒が三本入っている。
「オレンジジュースとアップルジュースとミルクです」
「私オレンジ!」
「じゃああたしはアップルだな」
「というわけで、わたしはミルクですね」
一瞬でそれらの分配は決まり、それぞれが筒を持つ。
上部に付けられた蓋を取れば、そこから飲めるようになっている。
「ロミは好き嫌いあるの?」
話の流れのまま、ララがロミに尋ねる。
「そうですね、甘い物とミルクは大好きですよ」
彼女の言葉に、二人はそろって頷く。
ロミと一日でも行動を共にしていれば、嫌でも分かる。
「嫌いな物……、苦手な物なら辛い食べ物でしょうか」
「辛い食べ物?」
「はい。スパイスがよく効いた物とかですね。あとはコーヒーもちょっと苦手です」
少し顔を赤らめてロミが言う。
どうやら彼女の味覚は所謂子供舌と言うもののようだった。
「疲れたときに辛い物食べると割と回復が早いんだがな」
「わたし、かなり汗っかきなので食べてると凄く汗掻いちゃうんです。服もすぐに……」
その時の事をロミがげんなりとした顔になる。
「汗といえば、乗馬の件はどうなったの? いい汗かけた?」
「ああ。そっちは大丈夫だ。ロミもすぐに慣れてロッドに乗れるようになった」
「ほ、ほんとに乗るだけですけどね。まだ手綱を握って一人で走るのは……」
イールの指導の賜か、そもそも素質はあったのか、そちらはすんなりと解決したようだった。
これはいよいよ覚悟を決めねばならないか、と馬に乗れないララは生唾を飲み込む。
「でも、馬に乗るのは思っていたよりも随分楽しいですね。視線が高くなって、風を分けるように走って」
「ロミも乗馬の楽しさが分かってきたか」
「……バイクなら乗れるんだけどな」
少々興奮気味で話すロミに、イールも満足げである。
そんな二人の隣で、ララは小さく言葉を零した。
「あ、そうだ。この後はギルドに行くのよね?」
「そうだな。まだちょっと時間は早いけど、夕方には行くつもりだぞ」
「それじゃあ時間までちょっと買い物してもいい?」
「別にいいぞ。することも無いし、荷物持ちくらいしてやるよ」
「わたしもご一緒しますよ。いくつか少なくなってきた荷物もあるので」
ララの言葉に、二人も頷く。
ララは三つ目になるホットサンドに手を伸ばしつつ、この後の予定を組み立て始めた。




