第百三十二話「えっと……、あなたがピピさん?」
「蒼灯の灯台はこの町に来たときからシアさんに言われていましたけど、なかなか行く機会がありませんでしたよね」
通りを歩きながら、ロミが口を開く。
彼女たちが蒼灯の灯台の事を知ったのは、このアルトレットへ足を踏み入れた直後のことだった。
今も灯台へと先導するシアが紹介した。
「ギルドで依頼受けたり交易船の爺さんに会ったり、色々用事が入って後回しになってたな」
「前々から興味はあったんだけど、ここ数日でかなり気持ちが高まってるのよねぇ」
ララは期待に胸を膨らませ、町のはずれに小さく見える白い尖塔を眺めた。
「蒼灯の灯台はいまいち知名度は低いけど、観光名所としてはかなりお勧めよ」
シアは少し自慢げに、そう言った。
彼女はその灯台をかなり気に入っているようで、そこへ案内する足取りも軽い。
「あんまり知られていないのはなんでなの?」
「やっぱり、海とか市場とかの方が人を集めるのよね。灯台はどこまでいっても灯台だし、まあ仕方ないと言えば仕方ないのだけれど」
ララの質問に、シアは肩を落として答える。
彼女にとっては魅力的な灯台も、訪れる旅人たちにとってはどこまで行ってもただの灯台なのだった。
「それに町からちょっと離れてるのも原因のひとつだろうな」
遠くに小さく見える塔を見つつ、イールが言う。
確かに、海や市場など人が多く集まる場所と比べればかなりアクセスは悪い。
「道もあんまり整備されてないわね」
ララは足下に視線を落とす。
幅が広く人通りも多い町の中心地は、舗装こそされてはいないものの毎日大勢の人々によって堅く踏み固められた道である。
反面、そこから少し外れて灯台へと続く道を見てみれば、か細く砂利の多く混じる頼りない小道だ。
「このあたりも、なんとかしたいんだけどね」
無念そうにシアは言う。
彼女は割合頻繁に灯台を訪れるそうだが、それ以外にこの道を使うのは灯台に住む灯台守と極希に現れる突飛な旅人だけである。
これではこの道がしっかりと踏み固められるのはかなり難しいだろう、とララは苦笑と共に思った。
「そういえば前からちょいちょい話には出てたけど、灯台守っていうのはどんな人なの?」
以前から気になっていた事もこの際聞いてしまおうと、ララがシアに尋ねる。
シアは長い人差し指を唇の下にあて、どう説明したものかとしばし悩む。
「まあ会ってみれば分かるとは思うけど、かわいい子よ」
「え、女の子なのか?」
シアの口から飛び出した言葉に、イールが思わず振り向く。
灯台守という言葉から漠然と枯れた老人のような姿を想像していただけに、その事実はかなり衝撃的だった。
「そうよー。とは言ってもミルほど小さい訳じゃないわ。今は二十歳半ばくらいだったかしら」
「それくらいの女の人がかわいい子という表現って事はシアは一体――」
「世の中、知らない方がいいことも沢山あるのよ」
思わず目を伏せて考えるララに、シアは目の据わった笑みを浮かべて反応する。
生命の危機を感じて、ララは思わず背筋を伸ばした。
「ごごご、ごめんなさい!」
「そんなに怯えなくてもいいのに……」
いささか過剰なララの反応に、シアは唇をとがらせる。
そんな彼女の様子を見ながら、人魚というのは長命種なのだろうかと密かに思考を巡らせるララである。
「ほら、この丘を上った先よ」
細い道をてくてくと歩けば、小高い丘の麓にやってきた。
シアが言うには、この丘を登り、海へ着きだした岬の先端に、灯台はある。
ここまで来ればあとはもう少しとシアは三人に発破を掛ける。
イールは言わずもがな、ララも身体能力をナノマシンで強化しているだけあって、それほど疲労している様子はない。
「はぁ、なんで人は歩かなければ目的地にたどり着かないんでしょうか……」
そんな哲学的な問いを呟くのは、白杖に体重を預け荒い息を吐くロミである。
彼女も旅の武装神官である故に、それなりに歩くことには慣れている。
しかしそれでもイールやララと比べるとどうしても体力的には劣ってしまう。
その上、海から吹く冷たい潮風や状態の悪い砂利道が余計に体力を奪う。
シアも息は上がっているようだったが、頻繁に通っているだけあって慣れた様子である。
「別にそんなに急いでいないし、ゆっくりで良いわよ」
シアは遅れ気味のロミを見ながら優しく声を掛ける。
「ありがとうございます。でも、もう少しですし、がんばりますよ!」
自分を鼓舞するように語調を強めてロミが返す。
事実、もう丘は半分以上登り切り、灯台も間近に見えていた。
「近くで改めてみると、かなり大きい灯台ね」
白く輝く塔を見上げ、ララが驚嘆の声を上げる。
丸く、先端に掛けて徐々に細くなる灯台は、町中から眺めた時よりも随分と大きい。
いくつか窓がある以外にはほとんど装飾らしい装飾もない、つるりとした壁である。
塔の頂上には、灯台たる最大の理由でもある巨大な青い光を漏らす窓がある。
光は常に回転しているのか、一方向から見れば一定間隔で明滅しているようにも見える。
「あれが蒼灯の灯台か。さすがに迫力があるな」
「はふぅ。あ、扉の縁にフシフ様のレリーフがありますね」
肩で息をしながらも、ロミは目敏くキア・クルミナ教由来の紋章を見つける。
鱗を持った女性を象るレリーフは、アルトレットの中心地でも頻繁に目にしたが、ここ蒼灯の灯台に刻まれているのはそれらよりもかなり古いものだった。
「潮風なんかで随分風化してるけど、ロミはよく分かったわね」
「ふふん。これでも一応神官ですから」
一応どころの話ではないのだが、ロミはうれしそうに胸を張って自慢げに答える。
「さ、立ち話も何だし早速中に入りましょうよ。もうピピも起きてると思うわ」
「ピピっていう人が灯台守の女の人?」
「そうそう。寝坊助なのが玉にきずなの」
朝遅く起きて夜早く寝るという、三度の飯よりベッドが好きな灯台守なのだとシアは呆れたような声色で説明した。
「とはいえ、灯台守としての責任感は人一倍あるから有事の際には何日でも起きてるし今まで一度だって光を消したことはないのよ」
「へぇ、すごいわね」
まだ見ぬ灯台守の姿に、ララたちは三者三様の姿を思い浮かべる。
そんな彼女たちに代わって、シアは灯台の足下にある両扉をノックする。
「ピピ、起きてるかしら?」
「……」
二度、三度と同じ事を繰り返す。
不穏な雰囲気が四人を包み込んだ。
「……入りましょうか」
シアは諦めた様子で、そんなことをいう。
「ええ、いいの!?」
さっきまでのノックはなんだったのか、とララが思わず言葉をこぼす。
シアはだって仕方ないじゃない、と唇をとがらせた。
「大丈夫よ。たぶんピピは優しいから恐らく怒ったりしないわ。……寝起きだろうからちょっと不機嫌かもだけど」
「言葉の端々から不穏な雰囲気がにじみ出てるんだけど!?」
「ええーい! 行くったら行くわよ! こんな時間まで寝てるあの子が悪い!」
シアはもうどうにでもなれと振り切れた様子で、扉のノブを握りしめる。
丁度その時、おもむろに扉が開いた。
「きゃあっ!?」
全体重を掛けて扉を押し開こうとしていたシアは、唐突に開いた扉にバランスを崩す。
「危ない!」
とっさにイールが手を伸ばすが間に合わない。
ララとロミが反射的に目を閉じる。
「……何やってるの?」
しかし、シアが地面に倒れる音は聞こえない。
代わりに三人の耳に届いたのは、呆れた様子の若い女性の声だった。
恐る恐るララが目を開く。
そこに立っていたのは、さらりと長く緩いウェーブを描く黒髪の女性だった。
革を柔らかくなめしたズボンに麻の半袖という、作業着のような服装である。
「えっと……、あなたがピピさん?」
「そうだけど。シアと一緒のあなたたちはだれ?」
黒髪の女性、灯台守のピピは不思議そうに首を傾げてララたちを見た。




