第百二十八話「うん、私はこれくらいでいいの」
ララとシアが連れだって塩の鱗亭に戻ると、ロビーでは起き出してきたイールとロミがミルと会話に花を咲かせていた。
ゆっくりと扉を開けて入ってきたララたちにいち早く気づいたのは、カウンターにもたれ掛かる様にして立っていたイールである。
「よう、二人とも。って、なんかシアの顔が赤くないか?」
「べ、別になんでもないよ」
「そうそう。ちょっと散歩したら火照っちゃって!」
怪訝な顔をするイールに、二人は慌てて両手を振りながら誤魔化す。
シアはいつも通りのゆったりとした白い服に身を包み、『体の水分を飛ばし、髪をさらさらにする』という便利な魔法を用いて乾かしていた。
足もちゃんと人間の物が二本あり、平時と同じくどこから見ても立派な散歩帰りの人間である。
砂浜から帰る前にララが何度も確認した。
「そうか? まあ、いいけど」
イールは挙動不審な二人に首を傾げつつも、一応は納得してくれたようだった。
そんな彼女の代わりに、ロミが口を開く。
「今日はこの後、まずギルドの方へ行こうかと三人で話してたんです」
「あれ、先に灯台じゃないの?」
「町の方で、何か朝ご飯を食べた方がいいんじゃないかって、ミルさんが言ってくれたんです」
「そういうことね。私はそれでもいいわよ」
たしかに、そちらのほうが無理のない流れだろう。
ララは納得して頷く。
カウンターではミルが恥ずかしそうに顔を俯かせて、耳をぴくぴくと動かしていた。
「それじゃ、決まりだな。行くのはあたしたち三人か?」
「わたしはちょっと無理ですからね。流石に二日連続で宿を空けるのは……」
「私はついて行くわ。案内人とでも思って頂戴」
そういうわけで、ミルは宿があるため留守番。
残りの四人でギルドと灯台へ赴くこととなった。
四人は一度そろぞれの部屋に戻って身支度を整えると、早速塩の鱗亭を出発した。
「気をつけて、いってらっしゃいませー!」
「ミルもがんばってねー」
元気に手を振るミルに見送られ、一行は町に向かう小道を歩き出す。
朝日が顔を覗かせる町は薄い靄に包まれて、海の方から冷たい磯の香りを携えた風が吹き込む。
港町の例に漏れずこの町の目覚めは早いらしく、すでに通りでは大勢の人々が往来していた。
「朝からすごい人ねぇ」
「港町だし、こんなものよ。それより朝ご飯は何食べる?」
ゆっくりとした歩調で通りの隅を進みながらシアが尋ねる。
三人は顔を見合わせ、ううむと唸った。
「あたしは別になんでもいいぞ?」
「私、朝はあんまりお腹空かなくて……」
「わたしも軽食程度で十分ですね」
「イールはともかく、ララとロミは朝あんまり食べないのね」
「シアはどうなの?」
「結構食べるほうだと思うわよ。朝の散歩もしたし」
言葉に含みを持たせて、シアはララに目配せする。
なるほど確かに、朝から魔法をいくつも使ってその上海中を泳いでいるとなれば空腹にもなるだろう。
「一昨日行った喫茶店は?」
「青の涙のこと? あそこ、朝はあんまり早くないのよね」
ララたちがシアの案内で訪れた路地裏の喫茶店は、店主のコートンがあまり朝に強い体質ではないらしく昼頃にならなければ開店しないのだという。
不思議そうに首を傾げるロミに喫茶店の事を話しつつ、一行はまた頭を悩ませた。
「もうこの際、おのおの露店で好きなものを買ってしまう?」
通りの左右を見ながらララが言う。
そこには色彩豊かな天幕を下げた露店がいくつも並び、朝から大きな声で出勤前の人々を呼び込んでいる。
ざっと見ただけでも焼き魚や串肉、パイ、パン、果物など様々な種類の食べ物が売られていた。
「良い案だと思うぞ。あたしは賛成だ」
「わたしもそれで。飲み物屋さんもあるんでしょうか?」
「向こうに何種類かのジュースやミルクを瓶で売ってるお店があるはずよ。あ、私も賛成ね」
「なら決まりね。それじゃあ露店を見て回りましょうか」
四人の意見が一致した事を確認し、ララがパチンと手を合わせる。
それを合図に、一行はひとまず近くの露店を覗きに行った。
「いらっしゃい! 新鮮なベリーを煮詰めたあまーいジャムだよー」
「うちの村で採れた野菜さ! 見てってくれ」
「焼きたてのパンだよ! ふわふわだよ!」
彼女たちが歩けば、威勢のいい声が雨のごとく降り注ぐ。
軽食だけというわけではなく、近隣の農村からやってきた人々が野菜や加工品を並べている屋台も多くある。
「お肉なんかは育てるのも売るのも領主に許可証を貰わないといけないけど、野菜なんかは自由に売っていいのよ」
「へえ、場所代とかもいらないの?」
「町に入るのにお金払うからね。だから場所取りは大変みたいよ」
アルトレットに露店を出す条件は、他の町と比べると格段に緩いらしかった。
そのためか、町の規模によらず露店の数や密度はヤルダやハギルといった大都市とも遜色ない。
「まあ、ヤルダなんかは町の関税やら場所代やらにかなり掛かる上、売り上げからもいくらか持って行かれるからな」
「うええ、あそこってそんなに色々取られるの!?」
「それでもあれだけ犇めいてるんだから、補って余るほど儲かるんだろうさ」
知られざるヤルダのきつい出店規制に目を丸くするララ。
それだけ身を削られたとしても、あれほどの大都市ならばかなりの売り上げが期待できるというのも驚きだった。
「お、あたしはあそこで買おうかな」
イールが不意に声をあげて足を早める。
その先にある露店で、彼女は何かを小さな紙袋に包んでもらう。
「それは何?」
「雑穀パンのローストチキンサンドだよ。結構安かった」
イールが袋の口を開けて見せる。
中には分厚いローストチキンが沢山の野菜と共に丸い雑穀パンで挟まれた大きなサンドウィッチが二つも入っていた。
「朝からがっつり行くわね」
感心したような、呆れたような目線をララが送ると、イールはまあなと頷いた。
「朝は食後に一番動くからな。理想を言えば朝昼晩の順に量は少なくしていった方がいい」
「合理的と言えばそうだけど、なかなかそれって難しいわよね」
「わたしなんか、朝は全然食べられなくて、夜は沢山食べちゃいます……」
ロミが深刻そうな顔で頷く。
幸いにして、彼女が昨夜の露天風呂で険しい表情で腹部をつまんでいたことを知るものは、この中では一人しかいない。
「私も、朝の散歩が無かったらあんまり食べられないわねぇ」
「あれシア、いつの間に?」
背後から会話に参加したシアは、いつの間にかその手に小さな袋を抱えていた。
中からはおいしそうな、香ばしい焼きたてのパンの香りが漏れ出している。
「さっきちょっとね。フィッシュフライバーガーよ」
サクサクに揚げられたきつね色の衣のフィッシュフライが、焼きたてのふんわりとしたパンに挟んである。
瑞々しい葉野菜や真っ赤なトマト、黄金色のチーズなど、見た目にも鮮やかである。
「む、二人とももう決まったのね。ロミ、私たちも何か探すよ!」
「ですね。何がいいでしょうか……」
早々に朝食の決まった二人を見て、俄然ララもやる気を出す。
まだ決まっていないロミと共に周囲の露店を探す。
どの露店からも食欲を刺激する良い香りが漂ってきて、ついつい目移りしてしまう。
「わたし、あれにしますね」
「あう……ロミが行っちゃう」
ロミに先を越され、ララが悔しげに声を漏らす。
「別に競争じゃないんだぞ?」
「そうそう。ゆっくり選びなさいな」
「なんか二人とも増えてない!?」
気が付けば、イールとシアが持つ紙袋の数も増えている。
ホットドックやフライドポテトなど、朝からがっつりと重いラインナップである。
「あっ、私あれにするわ」
ぴこんと毛先を立ててララが一つの露店を見定める。
彼女はそこへ駆け寄り、店主の女性に声をかける。
「おば、お姉さん! 丸パン一つ頂戴」
「あら、元気な子ね。いいわよ」
恰幅の良い婦人は突然やってきたララに少々驚きながらも、並べてあった丸いパンの一つを紙に包む。
それが少しだけ大きいものだったのは、おそらくララの言葉選びのおかげだろう。
「ありがとう! とってもおいしそうだわ」
「うふふ。うちの村で作ってる焼きたてのパンよ。きっと気に入るわ」
屈託のない笑顔を浮かべるララに、パン屋の女店主も白い歯をこぼす。
代金を受け取った彼女は、疾風のように去っていく小さな背中をまぶしそうに見た後、すぐにやってきた別の客の相手をし始めた。
「お兄さん、そのジャムの小瓶ひとつくださいな」
「おう、いいぜ。持ってきな!」
イールたちの所へ戻る前に、ララはもう一つ別の露店に寄る。
そこはベリー系のジャムを数種類扱っている店で、若い青年が店に立っていた。
ララはそこで、小さな瓶に入った赤いラズベリージャムを一つ買う。
「ありがとう。これ、瓶も綺麗ね」
「瓶は全部、俺が作ったんだ。ジャムは幼なじみがな」
どことなくラブコメの波動を感じながらも、ララは代金を渡す。
彼女が去る間際に、店の裏からかわいらしい少女が追加の商品を持って現れた。
「ふむ、なかなかお似合いね。それじゃ、ありがとっ」
ララは一言そんな言葉を投下して、また疾風の様に駆けていく。
残された露店の青年と少女は顔を見合わせ、頬を赤くした。
「お待たせー。私も買ってきたわよ」
「おかえり。丸パンと、ベリージャムか?」
「うん、私はこれくらいでいいの」
物足りなさそうに見るイールに、ララは先回りして答える。
そこへロミと、更に追加で何か買ってきたシアも帰ってきて、一同が揃う。
「あとは飲み物を買って、どこか広場のベンチででも食べましょうか」
全員がいることを確認してシアが言う。
特に反対意見が出ることもなく、四人は飲み物を売る露店を目指して歩き出した。




