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第百二十五話「ぐぬぬ、いつか絶対勝ってやるんだから」

 塩の鱗亭、大浴場。

 間近に迫るアルトレット近海から吹く風が心地よい星空の下の広い露天風呂では、ロミ、シア、ミルの三人がゆったりと温かい湯に浸かって、一日の疲労を癒していた。


「はふぅ、やっぱり大きなお風呂は気持ちいいですねえ」


 長い金髪を纏めて白いタオルで包んだロミが、白濁した湯船の中で息を吐く。

 温泉でこそないが、味気ないただ寒いだけの水浴びと比べると天と地ほどの差がある。


「このお風呂が、この宿の一番の売りよね」


 青い髪を纏めたシアは湯船の縁に顎を乗せ、力の抜けた声で答える。

 彼女も自他ともに認める風呂好きで、この露天風呂にもよく訪れているのだという。


「昔は、お母さんと一緒に入ってたんです。このお風呂がなかったら、今頃はもう宿も潰れてたと思います」


 懐古の色を声ににじませ、しみじみとミルが言う。

 髪はシアに纏めてもらい、白い耳がぴこぴこと揺れ動いている。

 彼女が生まれたときから存在するこの大きな風呂は、彼女の思い出の詰まった場所でもあった。


「ここのお風呂が好きって言って来てるお客さんもいるのよ」

「分かります。わたしも、通いたいくらいですし」


 ミルが毎朝丹精込めて掃除している露天風呂は、隅々まで綺麗に磨き上げられている。

 白濁した湯に浸かりながら、漆黒の中に月明かりで浮かび上がる水平線を眺めると、一日の疲れがじんわりと溶けていくような気さえする。

 この風景を愛している客も多いだろう、とロミは頷いた。


「だから、わたしはこの宿を続けていかないといけないんです」


 確かな覚悟を胸に秘め、ミルは月を見上げて言った。

 幼い少女には少々荷が重すぎるかも知れない。

 それでも、彼女の決意は堅かった。

 シアはそんな彼女をちらりと流し見て、薄く微笑んだ。


「ぴっ!?」


 そのとき、金属同士が激しくぶつかり合う乾いた衝撃音が露天風呂に響きわたる。

 思わずロミが目を丸くして声をあげる。

 他の二人も驚き身を仰け反らせ、互いに顔を見つめる。


「な、なんでしょうか」


 ミルが不安げに声を震わせる。

 対してシアは心当たりがあったのか、ふっと吹き出すように笑った。

 彼女は垣根の向こう側、宿の裏庭の方角へ視線を向けた。


「元気にやってるみたいね」

「あー……」


 視線の方向と、その言葉でロミも察した。

 その間も断続的に音は響く。

 よく耳をすませれば、激しい声も聞こえる。


「なんだか、すみません。せっかくゆっくりお湯を楽しんでたのに」


 ロミが修練に明け暮れる二人に代わってシアたちに頭を下げる。


「いいのいいの。ここから聞いてるのも面白そうだし」

「そうですよ。裏庭を貸したのはわたしです。それに、周囲におうちはないので、迷惑にもなりません」

「ありがとうございます」


 申し訳なさそうに眉を寄せる彼女に、シアとミルは軽く手を振る。

 そうして三人は湯船に浸かりながら、そっと耳を澄ませた。


「ほら、右足が残ってるぞ! 腰を落として重心を低くしろ! 切っ先は揺らすな!」


 所変わって裏庭。

 ハルバードを持ったララと剣を構えたイールが肉薄し、激しい剣戟を交わしている。

 金属と金属が打ち鳴らす堅い音に挟まれて、イールの厳しい声が混じる。


「ぐぬぁ……」


 矢継ぎ早に飛び出す数々の指摘を、ララは瞬時に受け止めて吸収していく。

 彼女に足りないのは経験である。

 イールの動きを見て、彼女の声を聞いて、どんどんと時間を力に変えていく。


「鎧はあってないものだ。魔獣の牙はそれくらいすぐに貫く」

「こ、この下に着てるスーツは破られないと思うけど」

「御託を並べるんじゃない!」

「しゅみません……!」


 ちょっと反論しようものなら、すぐさま容赦のない声と一撃が飛んでくる。

 ララは舌を噛みながらも体を仰け反らせ、上からの斬撃を紙一重で回避する。


「――ふむ、今のは発育に助けられたな」

「悪かったわね、乏しい胸で!!」


 一転冷静になったイールの分析にララは顔を紅潮させてハルバードを振る。

 イールはそんな彼女の自棄じみた攻撃など難なく交わし、それに乗じて反撃を繰り出す。


「ぬわっ!?」

「考えなしの攻撃はしないほうがましだ。相手の動きを見て隙を見つけて、そこに叩き込め」


 そう言いながら、彼女は袈裟切りに剣を振る。

 ララは半身ずらすことでそれを回避し、同時に半歩分距離を離す。

 長柄武器であるハルバードは、接近戦においては剣よりも劣る。

 それよりも中距離、剣が届かないギリギリのラインから攻めるのが定石である。


「くぬぅぅ、なんで付いてくるのよ!」

「そりゃあたしだってその武器の弱点は知ってるからな!」


 しかし理想を語っても現実は非情である。

 イールはしっかりとララの動きに追随し、彼女の側に密着する。

 憤慨するララに対してイールは余裕綽々と言った様子で笑みさえ浮かべている。

 絶え間なく剣戟を繰り出し、それをララがハルバードの柄で受け止め、受け流し、または足運びで回避する。

 付かず離れずを保ちつつ繰り広げられる一連の戦いは、まるで月下で踊る輪舞のようでもあった。

 イールの長い赤髪が空を舞い、宙に揺れる花びらのようだ。


「イール、その長い髪邪魔じゃないの?」


 攻撃の手を緩めることなく、ふとララが尋ねる。


「別に、もう慣れたな。むしろ目眩ましに使ったりするぞ」

「なんて卑劣な……」

「勝てばいいんだよ、こんなもん」


 そう言いながら、イールが体を素早く一転させる。

 髪が風に乗って浮かぶ。


「わぷっ」


 赤い風に頬を撫でられ、思わずララがたたらを振む。


「こんな風になっ!」

「卑怯な!?」


 赤の中から銀の刃が飛び出す。

 予備動作を見れば簡単に回避できる単純な一撃だったが、イールの長い髪がそれを阻害する。

 結果として、ララの目には突如としてそれが現れたように見える。

 身を捩り、なんとかそれを回避するも、彼女の体勢は致命的に崩れている。


「やばっ」


 思わずララは体を堅くする。

 そんな隙を逃すほど、イールは優しい心を持っているわけではなかった。


「ほい、終わり」


 鼻先に剣先を突きつけられる。

 ぐうの音も出ないほどに完璧な決着だった。


「うがああ! 全然勝てないじゃないのよー」


 地面におしりを付いて、ララが涙目で叫ぶ。

 これまで幾度となく手を合わせてきたが、彼女の勝率は芳しくない。

 電脳によるほぼ完全な記憶とナノマシンによる効率的なフィードバックによって技量は凄まじい速度で上がっているが、イールがいまだそれを上回っているのだ。

 ララの隣に立って、イールは苦笑して答えた。


「そりゃまあ、ハルバードなんて使いにくい武器に遅れを取るわけには行かないさ。それもまだそれを握って数日の素人なんだぞ」

「それは……そうかもだけど……」


 それでもやっぱり悔しい物は悔しい! とララは身を投げ出して言う。


「そもそも、そんなに大きい剣を片手で扱ってるのが卑怯よ」


 ララがイールの剣を見て言う。

 彼女の剣は大振りの両刃で、一般的には両手で構えて扱う代物だ。

 それを彼女は怪力の右腕を存分に活用して、軽々と片手で扱っているのである。


「両手より片手の方が振れる範囲は広くなるからな。合理的な判断だよ」

「その判断を下せるのはあなたくらいでしょ」

「そりゃあ、普通の奴が持てるような柔な作りはしてないからな」


 どこか自慢げなイール。

 彼女の剣は、イールが傭兵としての暮らしの中で集めた魔獣の素材や希少な鉱石、そして多額の金銭をつぎ込んだ特別製である。

 ただ何よりも頑丈であることを追求された剣の重量は、その外見以上にあった。


「たぶんララなら持てると思うがな」

「ナノマシンを身体能力に充ててたら普通に持てるわよ。けど、それじゃあハルバード使ってる意味がないじゃない」


 イールの言葉にララは唇を尖らせる。

 彼女のハルバードもまた、宇宙船の装甲板を素材にした特別製である。

 驚くほどの軽量を誇るそのハルバードは、ナノマシンのアシストのない平時のララでも難なく扱えるようになっていた。


「ぐぬぬ、いつか絶対勝ってやるんだから」

「ふふ、楽しみにしてるよ」


 青い目を鋭くさせて睨むララに、イールは穏やかな笑みで応える。


「それじゃ、とりあえず今日の所は終わりにしようか」

「……そうね。お風呂に入りたいわ」


 激しい運動を続けたことにより、二人とも滝のような汗を流していた。

 額の汗を拭い、ララが立ち上がる。

 イールが彼女に手を貸し、引っ張り上げる。


「はー、ロミたちはもう入ってるんでしょ?」


 いいなぁ、とララが言葉をこぼす。


「ま、運動の後の風呂もいいもんだぞ」


 イールはそう言って、彼女の小さな背中を叩いた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] イールには1度も勝ったこと無いって書いてあるけど、26話で勝ってますよ?
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