第百八話「これなら漁もすぐできそうね」
「それじゃあグローブは持ったな? 網はこれだ。釣り竿も……ほんとにそれでいいのか?」
「ああ。大丈夫だ」
「そうか……」
道具をテーブルに並べ、エドワードは最終確認する。
肘までをすっぽりと覆う、亜竜の革で作られた分厚いグローブはそれぞれに合ったサイズのものが支給された。
釣り上げる際の補助で使う網はマリンリザードの体格に合わせた大きな口のもので、それを使うのはララに任された。
最後にエドワードは釣り竿を担ぐイールを見てため息をつく。
「後は船だけだな。こっちだ、付いてこい」
エドワードはそう言うと店の外へと出る。
ララたちもテーブルの上の道具類を持ってそれに続く。
店のすぐ前にはなだらかな傾斜の砂浜が広がっており、そこにはエドワードの店で保有している大小様々な貸し船が並んでいた。
「乗るのは三人だが、釣り上げるマリンリザードのことも考えると……」
エドワードはその間を歩きながら、彼女たちに最適な一隻を吟味する。
真剣な表情の彼を見ながら、ふとララが言葉をこぼした。
「そういえば、私たちの中で船を操れる人はいるの?」
イールとロミは、その言葉にはっとする。
「そういえば……。わたしは船自体が初めてですよ」
「あたしも船に乗ったことこそあるが、操船したことはないなぁ」
降って湧いた新たな問題に、彼女たちは頭を悩ませる。
そんな様子にエドワードが気付いて近寄ってくる。
「どうした三人娘。神妙な顔して」
「私たち、船を操作できないのよ」
ララの言葉に、エドワードはなんだそんなことかと薄く笑みを浮かべる。
「安心しな。船の操作といっても今回あんたらが乗るのは小さめのボートだ。何も帆船に乗るわけじゃねぇ。俺の店にそんな立派なモンはないしな。ボートならオールと漕ぐ腕さえあれば誰だってすぐに動かせる。もし沖に流されたら船に積んでる発煙筒を使え。それを見つけたら俺が迎えに行くからな」
「そういうものかしら……。頼もしいわね」
ひとまず安心したララの様子に、エドワードはうむと頷く。
そもそも彼はあの釣り竿を難なく振り回せるイールの腕力さえあればどうとでもなると考えていた。
確かに沖へと流れる波に乗ってしまえば気づかぬうちに遠洋へと行ってしまうが、そのときは海に慣れた自分が助けに行くだけだ。
「心配なら最初は岸の近くで少し練習してみろ。すぐに慣れる」
そんなエドワードの助言に、ララたちは今度こそ安心して表情を崩す。
「じゃ、あんたらに貸す船を紹介するぞ」
エドワードはそう言うと、一隻の船の前に立った。
彼女たち三人が乗り込んでもまだまだ余裕のある、大柄な船である。
帆も無く屋根も無いただの半月型の船だが、横幅も大きく安定感がある。
中にはオールが六本と箱が一つ備えられている。
「三人乗りだが、漁船として使われる大きい船だ。これならマリンリザードも十匹くらい載せられる」
「想像してたよりも随分大きいが……、これくらいの方が転覆もしないからいいかもね」
「底も平らで動きやすそうですね」
船に近づきイールたちは口々に感想を述べる。
床板の張られた内側は歩きやすく、それだけに作業はしやすそうだ。
これならば漁も捗るだろうと三人は納得した。
「決まりだな。海に出すぞ」
そんな彼女たちの表情にエドワードは頷く。
そして彼は徐に手を船の足下に向ける。
「『凍れ一時の霞、道を示せ、その先を覆え』」
魔力が凝固し、濃い青の光となってエドワードの手の先に収束する。
暖かな空気が一瞬にして涼やかなものに変わる。
パキパキと小枝が折れるような音と共に、地面を薄氷が覆う。
「おおー! これって魔法?」
その様子を目の当たりにしたララが興奮気味に聞く。
エドワードは氷を広げながら頷いた。
「俺は氷魔法が多少使えるからな。こうやって氷を敷いた方が船を動かしやすい」
少し自慢げに言いながら、エドワードはさらに氷の道を海までつなげる。
魔力によって構成された氷は、彼が魔力を供給し続ける限り存在し続ける。
暖かな空気はすぐにまた彼女たちにまとわりつくが、その中でも魔氷は解けることなくあり続ける。
「さ、後ろから船を押してくれ。すんなり動くはずだ」
「りょーかい!」
魔法を使い続けるエドワードの指示で、ララたちは船の後ろに回って押し始める。
彼の言葉通り、船はあっけなく動き出し、氷の上を滑り出す。
「おおー! 流石魔法の氷ね、するする滑っていくわ!」
「いや、流石にそんなにすんなりいけるとは思わなかったんだが……。まあ、いいか」
なにやら納得のいかない様子のエドワードも頭を振り、気にしないことにした。
だんだんと彼女たちとの上手い付き合い方を理解し始めていた。
船はその間も砂浜の斜面をゆっくりと滑り、やがて波打ち際へ進水する。
「ほら、早く乗り込めー」
「おー!」
魔法を中断し、エドワードが言う。
ララが跳躍して一番に船に乗り込む。
続いてイール。
最後にロミが二人に引っ張られる形で乗り込んだ。
「それじゃ、まずはその辺りで少し漕いでみろ。コツが掴めてきたら知らせるんだぞ」
「はーい! それじゃあ私一番前ね!」
船を漕ぐという初めての体験に、ララは若干興奮気味のようだった。
備え付けのオール二本を掴み、一番前に陣取る。
「ほら、前後逆だぞ。漕ぎ手は進行方向の後ろを向くんだ」
「え、そうなの?」
イールに指摘され、ララはおとなしく後ろを向く。
彼女の前にイールが同じ様に座り、流れでロミが指示役となった。
「ええっと、わ、わたしがここでいいんですか?」
波に揺れる船の後端に腰を降ろし、おろおろとロミが言う。
「あたしとララは力仕事担当だからな。司令塔は任せたよ」
「うう、前が見えないのは予想外だけど……。でも漕ぎ手の方が楽しそうだし、よろしく!」
「ふええ……。ふつつかものですが、がんばります」
二人に押され、ロミも一応決心が付いたようだった。
彼女はしっかりと正面を見据え、ぎゅっと拳を握る。
「それじゃ、軽く漕いでみましょうか」
「はい! えっと、よ、ヨーソロー!」
「よーそろー!」
顔を赤くしながらも大きな声で号令を出すロミ。
彼女に続いて、ララとイールも大きく復唱しながら櫂で大きく水を切る。
ザクン! と飛沫を立てて櫂が潜り、ララたちが体を倒しながら動かすことでがっしりと水を捕らえる。
「ほーい!」
ララの楽しげな声に合わせ、二人は櫂を胸元へ戻す。
その一掻きで、船体が滑るように前進した。
「おお! 動いた! 動いたわよ!」
「そうだな、そりゃ動くさ」
キラキラと目を輝かせて言うララに、イールも少し楽しげに返す。
正面を見据える船頭のロミも、船が動いたことに緩んだ口元を隠しきれない。
そのままの調子で漕ぎ手の二人は櫂を動かす。
時折ロミがタイミングのズレを指摘し、ひとまず船を直進させることを練習した。
それが終われば面舵、取舵の練習も行う。
「随分慣れてきましたね」
いつの間にか肩の力も抜けたロミが安心したように言う。
三人とも飲み込みは早く、一度感覚を掴めば後は早かった。
「速度も出るようになったし、停止旋回も慣れてきたな」
テンポよくオールを動かしながら、イールが頷く。
「これなら漁もすぐできそうね」
「その前に一度エドワードさんのところへ戻りましょう」
「そうね。まだマリンリザードの生息地も知らないし」
そう言うわけで、三人は練習を終える。
ロミの号令で船首を陸に向けた船は、二人のエンジンによって滑らかに動き出した。




