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卒業の春に

掲載日:2018/03/26

この物語は、短編作品「星降る夜に」の続編となります

【前作「星降る夜に」のあらすじ】

高梨颯太は中学3年生。

受験が間近に迫ったのある日の深夜、颯太はクラスメイトの鈴木奏から突然の電話を受ける。

満天の星空のもと、二人が交わした会話はごく短い他愛ないものでしかなかったが、その数分間は、確かに二人だけの時間だった。




仰げば尊し 我が師の恩…… 

 教えの庭にも 早や幾歳…… 


 広い体育館に生徒達の歌声がこだまする。鈴木奏(すずきかなで)は級友達と声を合わせながら、こみ上げる涙を必死で(こら)えていた。

(うっわ、この歌やっばーい。さっきまで全然平気だったのに、歌い始めた途端にウルウル来たー)

 卒業式マジックとでも言うのだろうか。普段は涙とは無縁、どちらかと言うとガサツなタイプの奏でさえ、目頭が熱くなるのを抑えることができない。

 周りの友人達も皆一様に目を赤く染め、あるいは人目も(はばか)らず大粒の涙をポロポロと(こぼ)しながら一生懸命に惜別の歌を口ずさんでいた。


 ふと前方に目をやると、二列先に高梨颯太(たかなしそうた)の背中が見えた。

(あっ、高梨君みっけ)

 その姿を目にしただけで、少し落ち着きを取り戻すことができた。

 あの星の夜以来、二人の間にこれといった進展はない。それどころかその翌日でさえ、颯太は実にそっけない態度で普段とかわりなく接してきた。

(それはまあ、私がそうお願いしたんだけどさ)

 満天の星空を眺めながらの、二人っきりの深夜のおしゃべり。耳元に響く颯太の囁き声に、いつもとは違う甘え声になってしまう自分を抑えることが出来なかった。

 恥ずかしさのあまりつい「誰にも内緒、二人だけの秘密だよ」などと口走ってしまったけど、後から思えばあんなセリフを吐いたことの方がずっと恥ずかしい行動だった。

 そのせいで翌日もその翌日もまともに目を合わせることすら出来ず、颯太以上にそっけない態度を取っていた奏だ。


(あーあ、やっぱりバレンタインはもっとちゃんとすれば良かったかなあ)

 何もしなかった訳ではない、チョコは確かに渡した。ただし1個20円の駄菓子チョコを。女子も含めたクラス全員に。

 当然ホワイトデーのお返しも飴玉1個だったが、奏がそのたった一個の飴玉を引出しの奥に大切に大切に仕舞い込んだのは言うまでもない。


 颯太とは1年生の時からずっとクラスが一緒だった。成績が近く話も合う二人は、クラス内でも何となく同じグループに属していた。

 成績はまずまず上位、だが志望校を目指すにはギリギリといったところだった奏が何とか合格できたのは、高梨颯太のおかげだと思っている。

 いや違う、そうではない。

(おかげなんかじゃなくて。あいつの、せいだ!)

 学年でトップクラスの成績を誇る彼は、奏にとっては目標でもあった。

 いつも自然体で秀才という感じがちっともしないのに、テストでは常に5位以内をキープしている。

 対する奏は10位前後。一生懸命勉学に(いそ)しんだ結果のその成績は褒められて然るべきものだが、だからこそ、いつも身近にいてもう少しで手が届きそうなのに3年間ただの一度も勝つことが出来なかったこの男を、意識するなという方が無理な話だ。

 志望校を決める際、奏は決心した。

 何がなんでもあいつと同じ高校に行ってやる。たとえ勝つことは出来なくても、ついて行くことくらいなら。少しでも傍にいられたら、と……。

 とはいえ、それを態度に出すほどの度胸はない。密かな思いを胸に秘めたまま今日この日を迎えてしまったことに、少なからぬ後悔を抱かずにはいられない奏であった。


 卒業式は滞りなく終了し、卒業生はいったん教室へと向かう。

 途中、渡り廊下を吹き抜ける風に混じる(ほの)かな花の香りに、思わず頬が緩むのを感じる。

 やっと冬が明けたばかり。まだ少し冷たい早春の風が火照った頬に心地良かった。


 教室に戻ると、担任から改めて一人一人に卒業証書が手渡される。

 奏は自分の名前が呼ばれると大きな声で「はい!」と返事をし、教壇に向かった。

 黒板には、おそらく担任が昨日のうちに書いたのだろう、カラフルなチョークで大きく描かれた『卒業おめでとう』の文字。

 その周りには、生徒達が寄せ書きのように思い思いの言葉を書き連ねている。

『先生ありがとう』『お世話になりました』『みんな元気でね』『大好き!』

 お世話になった恩師に。共に過ごした仲間達に。

 ただ一言に精一杯の想いを込めて。


 担任から(はなむけ)の言葉を貰い、皆で声を揃えて最後の挨拶。それで本当にお終い。

 慣れ親しんだ毎日とは違うとても長く感じた最後の日も、終わってみるとあっけないものだ。

 早々と帰り支度をする者、別れを惜しみ記念写真を撮る者、抱き合って泣いている者までいる。

 奏はその騒めきを眺めながら、何とはなしに自分の机を撫で回していた。

(あーあ、この机ともお別れか。1年間お世話になりましたねえ、君を一緒に連れて行けないのが本当に残念だよ。うふふ……)

 ペタリと顔を伏せ、慈しむように頬を押し当てる。冷たいような暖かいような不思議な感触にそっと目を閉じると、(かす)かに木の香りが漂ってくるような気がした。


「カナプン、何してんのー?」

 そんな奏に、野木(のぎ)(もも)()が声を掛けて来た。

「んー、机くんとのお別れを名残惜しんでいるんだよー。ねえねえモモチー、私、机くんと離れたくないよおー」

「あー、分かる。カナプンのお気に入りのベッドだったもんねー」

「授業中は大変お世話になりましたですー」

 流石にここまで大胆な姿勢を取ったことはないが、授業中にしょっちゅう居眠りをしては教師に頭を叩かれていた奏である。

(いいんだもん、夜遅くまで受験勉強しているから昼間はお休みタイムなんだもん)

 とは言い訳にしても雑すぎるが、それで本当に県内有数の進学校に合格してしまったのだからケチの付けようもない。


「それはそうとさー。この後みんなカラオケ行くって言ってるけど、カナプンどうする?」

「んー、行くー」

 机に顔を伏せたまま答える。

「ん、分かった。じゃあまた後でね」

 背中をポンと叩き、桃花が去る。

 奏は再び目を閉じ、教室を満たす喧騒にうっとりと耳を傾けた。

(なんだか夢を見てるみたいだなあ。今朝からずっとこんなフワフワした感じだ。卒業式かあ、今日でみんなとお別れだなんて全然実感わかないや。

 高梨君とは結局何もなかったけど、彼とはお別れじゃないもんね。第二ラウンドはまだまだこれから、高校に行ったら絶対にリベンジしてやるんだから。

 うふふ、覚悟しろよータカナシィー……)

 日差しがポカポカと温かい。本気で眠くなってきた。

(くぅ……)


「鈴木!」

「はひっ!」

 突然呼ばれて、奏は飛び起きた。

「違うんですせんせ!……」

 ではなく、目の前に颯太が立っていた。

(え、なんで高梨君?)

「あ、あのさ!」

「ふぁい」

 なんとか返事をしたものの、寝起きの頭がよく働かない。

「この後……、なんか予定ある?」

「えっ! べっ、別に」

「じゃあさ。い、一緒に帰らない……か?」

「えっ、うん。……うん???」

(何これナニこれ、夢? 夢なの?)

「じゃあ、支度できたら」

「うん……」

 まともに言葉を発することも出来ない奏に、颯太はワザとらしいくらいにぶっきら棒な口調でしゃべるだけしゃべって、自分の席へ戻って行った。

 その背中を呆然と見送る奏であったが、次の瞬間ハッと気付いた。

(あっ! カラオケ!)

 忘れてた、さっき約束したんだっけ。

 慌てて桃花の方へ振り返ると、遠くの席から目を丸くしてこっちを見ている彼女とバッチリ目が合った。

 どうやら今のやりとりを見ていたらしい。目を見開いたままグッと拳を握り、小さくガッツポーズを示してきた。

 奏もつられて拳を握り締め、コクンと頷いて答える。ああ、友情って素晴らしい。


 身支度、といっても大した荷物はない。卒業証書の入った筒をバッグに突っ込んで立ち上がる。

 少し離れた席の颯太もほぼ同時に立ち上がった。奏に声を掛けるでもなく、でもチラリと目配せのような視線を飛ばしてからゆっくりと教室を出て行く。

 奏も無言で席を発ち、あえて颯太とは別の出口を目指した。

 周囲の喧騒は先程までと変わらず、級友達に最後の挨拶もせずに出て行こうとする二人に声を掛ける者もない。

 だが奏は教室内に満ちる静電気のような緊張感と、背中に注がれる視線の集中砲火を感じずにはいられなかった。

(みんなの気遣いは嬉しいけど。あーあ、夜にはラインの嵐が待っているんだろうなあ。高梨のバカチンてば、あんなに大きな声で言うんだもん)


 バカチンは昇降口を出た所で奏を待っていた。

「行こうか」

「ん」

 短い会話の後は、長い沈黙。

 校門を出た二人は言葉を交わすことなく、黙々と歩き続けた。

(えええー、これってどういう状況? 私、どうすればいいの? 男子と並んで歩くなんて今までしたことないし。ましてや高梨君とだなんて……)

 胸が高鳴るどころではない。心臓の音が大きすぎて颯太に聞こえやしないかと本気で心配になるほどだ。

(こういう時って、恋人同士だったらどうするんだろう。手を繋いだりとか、腕組んだりとかかな。あれ?手ってどうやって繋ぐんだっけ。子供の頃は普通にやってたはずなのにやり方忘れちゃったよ。腕組むって? え、ちょっと待って、あれって確か女の人の方からするんだよね。てことは私がやるの?! 無理無理無理無理!)

 既に奏の心は現実世界を離れ、別の世界へと旅立っている。

 視線は宙を彷徨い、街の音も耳に届いていない。何処を歩いているのかも何処に向かっているのかも、放心状態の奏には全てが夢の中だった。


 気が付くと、池の畔に立っていた。


「あのさ」

 突然の颯太の声で、ハッと我に返る。

(えっ、ここ何処? 池? 公園? あっ……、シラサギ公園かぁ)

 シラサギ公園は、街の東部に位置する市民の憩いの場だ。

 休日には大勢の人々が訪れ大変な賑わいを見せるこの場所も、平日の今日は人出も少なく閑散としていた。

 大きく深呼吸をひとつすると、今日初めて颯太の顔をまともに見ることができた。

「はい」


 颯太は緊張した面持ちで奏を見つめてくる。


「三年間、ずっと同じクラスだったな」

「はい」

「なんだか長かったような短かったような……、よくわかんないけど」

「はい」

「でも、一緒にいられて楽しかった……と思ってる」

「はい」

 もう颯太以外の何も目に入らない、何も考えられない。彼の放つ一言一言だけが、胸の奥に突き刺さるように響いていた。


「それであの……、どうしても言わなきゃ、じゃないや。言いたいことがあるんだ」

「はい」

「あの……、一緒にいられて嬉しかった」

「うん、私も」

「だらかその、ずっと側にいてくれて有難うっていうか」

「私の方こそ有難うだよ。そんなことを言ってくれるなんて、ほんとに嬉しい」

 嬉しすぎて、涙が出そうだ。

「だっ、だから! あのっ、えっと!」

「はい!」


「こっ、これからも! よろしくお願いしますっ!」

 颯太はそう叫んで、頭を深々と下げた。

「こちらこそ! よろしくお願いしますっ!」

 奏も思わずお辞儀をしながら、大声で答える。


 暫くそうした後、二人はほぼ同時に頭を上げた。

(あはは、なにこれ。なんだか可笑しい)

 颯太と笑顔で見つめ合う。さっきまでの緊張が吹き飛んでしまったような晴れやかな気持ちで、彼の次の言葉を待った。


「……」


「……」


 だが、いつまで待っても次の言葉が来ない。

(え?)

 奏は、やり遂げた感満載の満面の笑みで自分を見つめる颯太に、絶句した。

(まさか、これで終わり? いやいやいやまさかまさか。ここまで期待させといてこれだけだなんて、そんないくら何でも)

 だが颯太は満足げに「はあーっ」と息を吐く。その幸せそうな顔を見つめる奏の胸にふつふつと怒りが沸いてきた。


(何これどういうこと? コクるんじゃないの? 普通コクるよね、絶対コクるよね。それともこれでもうコクったつもりなの? ひょっとしてアレ? かの有名な『月が綺麗ですね』的な?

 平成も終わろうとしているこの時代の今時の女子に向かってそんな明治な言い回しが通用するとでも思ってんの? 冗談じゃないよ、そんなので納得出来るわけないでしょ。

 だいいち、モモチーにどう説明すればいいの。後で絶対にライン来るよ。『どうだった?』って。

 『これからもよろしくお願いされました』って返すの? 馬鹿でしょ、お笑いでしょ、伝説になって十年先までネタにされちゃうよ。どうしてくれんのこの馬鹿タカナシ!)


「はは……、やっと言えた」

(言えてないよっ!)

 俯いて照れくさそうに頭を書く颯太は、奏が噛みつかんばかりの形相で睨み付けていることにも気付いていない。

(こっ、このヘタレ男……)

 でも……、


 この人はずっとこういう人だったな。そう思うと、今度は無性に笑いがこみ上げてきた。

「ぷっ……、あはははっ!」

「え? は、あはは……」

 突然、声を上げて笑い出した奏に釣られるように、颯太も笑い始める。

「うんっ、うんっ。私もよろしくねっ」

 笑いながら、右手を差し出した。

 颯太もおずおずと手を伸ばし、意を決したように奏の手をぎゅっと握った。その力強さに奏の方が驚いたが、同時にさっきの肩透かしへの怒りを思い出し、急にこの男に仕返ししてやりたくなった。


 彼の手を両手で掴んで、グイと引っ張る。

 それで少しでもよろけたらザマアミロというつもりだったのだが、屈強な男子の体はビクともせず、代わりに自分の方がバランスを崩してしまった。

「あっ」

 少し俯いた姿勢で一歩踏み出し、颯太の胸に頭をトンと当ててしまう。

「え……」

 これには颯太も本気で狼狽えた。

「す、鈴木。ちょっ」

 すぐに離れようとした奏であったが、颯太のあまりの慌てっぷりが可笑しくて、逆にグリグリと額を押し付けて行く。

(ざまあ見ろ。もっと困れ)

 そう思うと少し笑えてきた。笑いながら、改めて思う。

(ああ、私はやっぱりこの人のことが……)


 頭を引いて、彼の顔を間近に見上げる。

「鈴木……」

「あのね、高梨君。私もずっと言いたかったことがあるんだよ」

「う、うん」

 戸惑う彼にニコッと微笑んで。


 手を掴んだまま、頭ひとつ高い彼に向かって精いっぱい背伸びをして、


 緊張で真っ赤になっている顔にそっと頬を寄せ、


 その耳元に、唇が触れそうなくらい近くから、



()……」



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