泣いた鬼
キョウ、強さなんていらないよ。
これは母の言葉であった。
ジョソと戦う姿は見たことがなかったが、俺に刀の扱いを教えてくれた母の強さは幼い時分の俺でもよくわかっていたし、だからこそ母の言う言葉の真意は良く理解できなかった。
キョウ、ジュソはね、本当は可哀想なんだ。
度々本島からこの島に派遣されてジュソ退治を請け負う母の言うことなのだから、ますます理解ができなかった。
キョウ、強さなんていらない。刀の扱いが上手いだとか、力持ちだとか、そんな強さは本当はいらないんだ。そんなのは本当の強さじゃない。
目の前では真面目に聞かない振りをしていながらも、その言葉は俺の胸に深く残った。
本当の強さじゃない。そんな言葉にぶっきらぼうに頷きつつも、ならば本当の強さとは何だと、心の中で何度も問うた。
許す強さ……。キョウ、例えば、許すことも強さなんだよ。
ほら、あんたまたあの娘とケンカしたでしょう。
あんたが本当に強い子なら、あんたから謝りなさい。
そういえば、よく近所の年上の娘とケンカをしていた気がする。
だめだよ母さん。許すなんて、俺にはできないよ……。
* * *
「言っておくが俺はこんなの、やったことがないぞ」
手伝うと言いここまで来てしまった手前、今更断るつもりもないが、正直何から手を着けて良いのやら、全くわからなかった。
「いいよ、この小屋だって元々わたし一人で建てたものだし、キョウはわたしの言う通りに手伝ってくれればいい」
「お前ひとりで……、それは……大したものだな」
人は見かけに依らないものだ。敵と対している時以外は、何処か抜けている女だと思っていたのだが、意外と器用であったらしい。現に今もせっせと慣れた手つきで道具やら何やらを揃えている。自分にないものを他人が持っているというのは、何だか気に食わないものだが、それでも素直に感心してしまう。
「大したことでもないよ、わたしはキョウのように力持ちじゃないからそれなりに苦労した」
ミに指示をされ、材料となる丸太を担ぐ俺を見て、ミは少し照れたようにはにかんだ。
ミの指示通りに木を切り倒し、ミの指示通りに木材を調達する。
母のもとで刀を習っていた頃、稽古の合間によくこうして自分なりの修行をしたことだ。だが、こうして思い出されるのは、何故だろう、自身の力を高める為の教えよりも、よくわからなかった母の言葉ばかりであった。
俺達はレンさんの家を出ると、またあの川のほとりまでやって来ていた。俺と、あの熊のようなジュソに壊されてしまった小屋を直す為だ。事情を聞いたレンさんからも手伝うように念を押されていたが、そうでなくとも最初からそのつもりだった。ばばあの戯言の所為でこうなったとはいえ、俺に多分の責任があるのだ。いくら打算的とはいえ、最低限の良心くらい俺だって持ち合わせている。
ただ、手伝うのにもっともらしい理由ができて助かってはいた。
「それはそうとお前……その格好……」
ミはこの小屋に着くなり着替えを始めた。
それはこれまでと同様藍色の着物であったが、その裾は異様な程短かった。膝よりも遥かに上である。加えて、上半身は台所に立つ者がするように、紐でたすきがけにしていた。眩いくらいに白い両手足の肌を存分に晒している。
鈍いとはいえ、さすがに俺の言わんとしていることに気がついたらしく、ミは手を止め、くるりとこちらに向き直ると、両腕を開いて自らの格好を示すようにした。
ころりと首を傾げ、心底不思議そうな表情だ。いちいち説明する気も失せる。
「この方が動きやすいのだが……変か?」
俺の言葉に、ミは心許ない表情を見せる。
「変だ。はしたない。お前女ならなぁ、そういうことに少しは気を使え」
昨日の髪のことといい、寝床のことといい、やはりこの女はどこかおかしい。あるいは女に見えるというだけで、実は女ではないということも……、化け物と対峙した時の全くといっていい程気後れしない様を見れば、重重承知できる。
そんな冗談めいた納得を頭に描きづつ、ふと壊れた扉からミの小屋の中を眺める。
思えば、ミの小屋には鏡台が見当たらない。戯言通り、男ならば不思議はないが、女であるならばあの ヒノトやツヅミのような子供でさえ、毎朝鏡の前で髪を整えていることを知っている俺からすれば、それは至極妙なことであった。それにそれだけではない。鏡台が無いそれどころか、ほとんど何も無かった。生活に必要なものだけを最低限揃えたふうでもある。何とも女の色気というものが感じられない。
「はしたないかぁ。キョウは嫌か? 女がこんな格好をしていると」
「いや、嫌ってわけじゃない。嫌ってわけじゃないが――」
そんな格好で膝を付いて作業されると、かなり危ういというか、こちらの目の遣り場に困る。とまではさすがに言うこともできず、
「そもそも何でそんな着物を持ってるんだ?」
と、適当にはぐらかす結果になった。だが、正直気になることであるのには間違いない。昨日の今日で準備が良過ぎる。
「これはな、本来ジュソ退治に行く時に着る着物なんだ」
「ああ、成程な」
訊いたのはこちらだが、案外簡単に納得させられてしまった。確かに、命の係わる戦いに形振りなどかまっていられない。自身の恰好のせいで後れを取り、ジュソにやられるなど、それこそ格好悪いこと極まりない。まあ、この女に関して言えばそのような葛藤があるのか、怪しいものだが。
昼になる頃には、俺が壊してしまった戸は完成し、ジュソに壊された壁の方の修理を進めていた。
戸と比べればこちらは少々骨が折れそうだ。
だが、元々そこまで大きい小屋ではないのだ、作りも簡素だしこの調子でいけば完成までそこまで時間はかからないだろう。
ならば、こんな面倒事は早めに済ませてしまおう。そう思った矢先だった。
「よし、ここらで少し休憩といこうか。キョウも疲れただろう」
「俺は別に、このくらいなんでもない」
別に強がりというわけではなく、正直な意見を述べたまでなのだが、
「わたしは、疲れたのだ。休憩にしよう」
というミの一言に押し切られ、結局休憩することとなった。ミの指示無しには、どうにも作業を進めることができないので仕方がない。
俺は木の真新しい小屋の戸に背を付け腰掛ける。
一息吐いていると、ふと視線に気が付く。
ジュソだ、ミに憑いているジュソがしきりにこちらを気にしている。確か、ヒナという名であったか。 俺が訝しげに視線を返すと、向こうは慌てて視線を逸らす。けれども一瞬、どこか意を決したかのような表情を見せると、こちらへ駈け寄って来た。
「あ、あの……」
「なんだ」
別段意識したつもりはないのだが相手がジュソというだけで自然、声色にどこか敵意のようなものが混ざってしまう。
ヒナの方に半身を向ける時、腰に差している刀が、かしゃりと音を立てた。その音を聞くなりヒナは「ひっ」と短い悲鳴を漏らしたが、それでも、おぼつかない手で何かを差し出してくる。
必死な様子にどう対応するか、判断しかねていると、
「貰ってやってはくれないか」
その様子を傍らで眺めていたミが申し訳なさそうな表情を向ける。
ヒナの手にあるもの、それは小さい握り飯であった。ご丁寧に、笹の葉に乗せてある。
「…………」
ヒナとミの視線の両方を受けている今の状況では断るのも憚られ、俺は「はぁ」と聞こえないくらいの溜息を吐くと、乱暴に握り飯の一つを摘み上げ、ひょいと口の中に放り込んだ。その小さな手で握られた握り飯は、苦もなく一口で食べることができる。
「お、おい…しい……?」
それを見届けたかと思うと、おずおずと尋ねてくる。
「まあ、まずくはないな」
塩だけで握られた質素なものに対して率直な感想を返すが、当の本人はそれで満足したのか、
「ふふふふ」
と、ミの方を向いて儚げに微笑んだ。
本当に儚げだった。触れれば消えてしまいそうな程に。本当にこんな奴にも、ジュソとして人を殺せるだけの力があるのであろうか。純粋にそう思った。
「ヒナはな、嬉しいんだよ。自分を見ることができる人が増えて。昨晩のように大勢でご飯を食べても、レンさんも、おばあさんも、ヒノトも、ツヅミも、ヒナを見ることができないんだ。それはとても寂しいことだと思う。何か……上手く言えないがな」
言いながら、ミはヒナから握り飯を一つ受け取る。
この様子、俺やミ以外のジュソを見ることができない者からしたら、握り飯が宙に浮いているかのような怪奇現象にでも見えるのであろうか。
「こうしてわたし以外の者と食事をとるのは初めてのことなんだ」
まあ、ヒナは何も食べることができないのだがな、と最後に付け加え、苦笑した。
寂しい……か。
何かの間違えで自分がもしジュソだったらなら、そのような感情を味わうのだろうか。そう思うと少し不思議な気分になった。
だが、ジュソが危険な存在だということは良く知っている。身をもって。そんなジュソと親しく接するなど、いざという時に迷いや隙、躊躇いなど、良くないものばかりを生む。
まさに深淵に臨むがごとき愚行である。
そう言ってやりたい気持ちは山々であったが、無邪気に歯を見せる二人を前に、何となく言う気にはなれなかった。
夏の天気の下、しばらく、仲睦まじい姉妹のような二人を眺める。
その様子に〝恨み〟や〝危険〟といった暗い印象は皆無であった。
油断すると本当の姉妹のようにさえ見えてくる。
関係無い。他人事だ。
そういうことに、しておいた。
* * *
「よし! そろそろ抹茶わらび餅を食べに行こうか!」
ミの入れた茶を飲み、一息入れていると、突然ミが立ち上がり言った。
「あ? 何だって?」
その抹茶なんたらというやつも、「そろそろ」という言葉の真意もわからなかった。というよりか、わけがわからなかった。
「霧乃園の抹茶わらび餅だ。知らないのか?」
ミは心底意表だという反応を示した。
霧乃園……甘味処か茶屋のことだろうか。レンさんの屋敷の近くにもいくつか店は確認できたが、用のない俺にとっては、どれがどんな店だなんて全く把握していなかった。
「わたしはあの店の抹茶わらび餅を初めて食べた時から虜でな、三日に一遍は食べないと我慢がならないのだよ」
まったくもってどうでも良い理由であった。
「お前、この小屋にずっと籠っているって言ってなかったか? レンさんにもそう言っていたのだろう」
「三日に一度、こっそり村まで帰っていた」
「おい」
何ともいいかげんな奴である。
「それはそうと、まだ壁の修理が終わってないだろう。終わるまで我慢はできないのか」
「できないな」
きっぱりと言い切った。腹立たしいが、むしろ気持ちが良いくらいだ。
「これでも散々我慢した方だ。それに、わたしがいなければ修理はできないのだから、結局わたしが行くといえば行くことになるのだぞ」
俺がやれやれといった具合に、諦めの溜息を吐くと、ミはそれを了承の返事と受け取ったか、
「では行こうか」
と先頭切って歩き出してしまった。
その様子をしばらく眺め、やがて俺は重い腰を上げた。
「きゃぁあ!」
「キョウ! 今のは!?」
「あ? 悲鳴のようにも聞こえたな」
何の目印も無いと思っていたが、何度も通れば意外と覚えるもので、今は大体森を出るまで中程くらいまで来たかなと当たりを付けていた、その時である。甲高く短い女の悲鳴が聞こえた。音の大きさからしてそう遠くはなさそうだ。
「こっちの方角からだな。キョウ、行ってみよう」
悲鳴を聞くなり、ミは駈けて行ってしまった。一瞬迷ったが、はぐれては後々面倒と考え直し、「ちっ」と露骨な舌打ちを一つしてからミの後を追う。
何度か葉を掻き分けた末に二つの人影が目に入った。
一人はヒナと同じような白髪の幼い娘。眩い白衣に、より映えるような緋色の袴姿。神社の巫女のような出で立ちである。だが、その白髪は、頼りなさそうなぼさぼさ頭であった。声やその恰好が無ければ男児のようにも思える。
もう一人は壮年の男。手には木の枝のように歪な形をした刃物を手にしている。
娘の目は恐怖に焦点が定まらなくなっているのに対し、その男の目はまさしく常軌を逸していた。まさに狂気そのものである。
どちらを切るべきか、それは一目瞭然と言える。
「ああ!」
娘は震える足で後退ると木の根に足を引っ掛け、尻餅をついてしまう。そして緩慢な動作で、身動きのとれない娘の頭上高く、男の刃物が振り上げられた。
「キョウ、ジュソは任せたぞ!」
「ちっ」
またも指図をされたことに腹が立ったが、相手がジュソである以上、切らない理由はない。
まず初めにミが娘のもとに飛び込み、そのまま娘を抱くようにして転げると、続く俺は草木を薙ぎ払う為に抜いておいた刀をそのままに、男の刃物が振り下ろされるであろう場所に身を滑り込ませ、その刃物が俺の脳天を割るより早く、男の腕諸共首を刎ねる。
宙に舞った男の頭は空中でくるくると滑稽に回転すると、醜い悲鳴を上げながら、泥が空気に混ざり合うように消えていった。少し遅れて男の体が倒れると、同じように消え去った。
「あああの、ありがとうございます!」
白髪巫女装束の娘は頭をこれでもかと下げ、礼を述べた。目にはまだ、溢れんばかりの涙を浮かべたままであった。
「ぼくは志乃咲雷華といいます」
頼まれてもいないのに娘はそう名乗った。これ以上関わる気はないので、名など教えられたところで何の意味も成さないのだが。
「ああ、あの志乃咲家の者か」
面倒なことに、どうやらミには心当たりがあるようだ。
「志乃咲家?」
「鬼の家系としては有名だ。その功績で島中に名を馳せている」
「鬼? 鬼って、あの鬼か?」
あの鬼かと口をついて出た言葉は、別に鬼というものがどういうものか説明を求められると困ってしまうくらいに、鬼について何かを知っているわけではなかったが、言葉として知っている鬼に対して抱く想像と全くかけ離れている姿を見て思った、純粋な感想であった。
俺は雷華と名乗った娘の姿をまじまじと見る。その服装こそ森の中では異様であったが、それ以上に異様なものが目に入った。それは本来人にあってはならないもの。ぼさぼさな白髪に隠れ目立たない為、これまで気がつかなかったが、頭から左右に二本、角というよりも、白く角ばった小石のようなものを生やしている。
なるほど、この辺が鬼なのだろうか。
「ぼくの家はこの島に代々続く鬼の家系なんです」
俺の視線に気がついた雷華は何故だか顔を赤くし視線を逸らすと、徐に話し始めた。どうやらミは事情に詳しいらしかったので、恐らくこれは俺に対する説明だろう。
だが、せっかくの説明も鬼を知らない俺にとっては全く無意味だ。
「ぼくの家の祖先はかつて鬼子として忌まれ、この島に流されました。この村には無いようですが、島にはそんな経緯で発祥した鬼の家系がいくつかあるんです」
島流しか。確かに、そのような話は珍しい話ではない。この娘のように生まれつき白髪であるなど、異様な外見で生まれてくる子は鬼子として殺してしまう風習。それは、文明が発達した今なお、執拗に根付いている地域もある。そのような地域には、電気などではなく、目に見えぬ、根本的な文明の灯というものすら届いていないのだ。外から見ればそんな風習は、生まれてくる鬼子以上に忌わしく、恐怖に満ちているであろうが、中でそれを見る人々にとっては疑う余地なんて微塵も無い。暗く、狭く閉ざされていれば、知る術もない。それが風習というものだ。正常、異常なんて言葉は最初から意味などないのだ。
他の奴らだってそうだ。この島に住む者の大半は祖先が罪を犯し、この島に流されたと聞く。家を捨て、名を捨て。だから今の自分達が呪いを受けている現状を呪うならば、自らの祖先を、風習を呪うしかないのだ。それを当たり前のこととしてきた過去を、ただ呪うしかないのだ。
「そんなお前がこんなところで何をしている」
とりあえず、鬼に対する疑問は多々あったが、聞いたところでどの道理解ができる自信がなかったので無理やり話を進めることにする。
昼間とはいえ、わざわざこんな薄暗い森に一人で入るなど、子供と言えどこの島に住む者であれば、それがどれだけの危険を孕んでいるのかくらいわかりそうなものだが。
「何って、仕事ですよ。この島の鬼の家系は大抵、ジュソ退治を生業としていますからね」
その答えを聞いて、俺は心底呆れ返る。
「ジュソ退治ってあれがか? どう見ても一方的襲われているようにしか見えなかったぞ」
「…………」
その言葉を聞くなり雷華は表情を曇らせ、すっかり鳴りを潜めてしまった。
「ったく、自分の力量も知らないで返り討ちとはとんだ阿呆だな。これじゃあジュソを退治するのが仕事ってよりも、ジュソに襲われるのが仕事って言う方がよっぽど合ってるぞ」
「…………」
「これに懲りたら家に帰って大人しくしていろ。次見つけた時は助けてやらんからな。鬼だか何だか知らないが、勝手に野垂れ死ね」
「ふっ」
「ふ?」
「ふ、ふぇぇぇぇぇん」
両の拳を握りしめ、顔を伏せたままに、とうとう泣き出してしまう。ああ面倒だ。
ぼろぼろと零れ落ちる大粒の涙は、袴の赤と地面の土色を点々と濃くしていった。
その様子を見て、俺の中で一層鬼という言葉からかけ離れて行った。
「…………泣かせた……」
後ろからヒナの声が微かに聞こえた。
「泣かせたな」
次いでミがやれやれとでも言いたげな表情で、雷華の頭を撫でてやる。頭から生えている二本の短い角の所為でとても撫で辛そうだ。
「キョウ、相手はまだ年端も行かぬ子供だぞ、少しは容赦しろ。それでなくともキョウの顔はいつも怒っているようで怖いんだ」
「…………」
何も言い返すことができない分、あからさまに面倒だという表情を向けてやる。
「ふぇぇぇん……ひっく……ふぇぇぇん」
「よしよし、もう泣くな。怖かったのだろう。わたしがとてもおいしい抹茶わらび餅を食べさせてやるから。な?」
子供をなだめる母親のような表情で
「お前、最初から食べに行くつもりだったろう……」
雷華はぼろぼろと溢れる涙を白衣の袖口でぐいと拭うと、
「子供扱い……ひっく、しないで下さい……」
と小さな鬼は小さく漏らした。
「ぼくは出来損ないで、両親からはとっくに見限られています。それでも、村の人達は僕のことを見つけるなり、鬼神様とか、鬼子様、とか呼んで敬ってくれるんですけどね。基本的に見えるような所では戦いませんから。あの人達は僕に守られてるって信じてるんです。でも……それが逆に辛くて……」
この村まで逃げて来ちゃいました、と雷華は力なく苦笑した。二本の鋭い八重歯を見せ、その笑みは投げやりな自嘲を含んでいた。
俺達は結局ミに無理矢理、霧乃園なる甘味処に連れて来られた。
昼過ぎだというのに店内には俺達以外に人はおらず、雷華の声の他には奥で店主らしき若い娘が茶を準備する音しか聞こえない。この店の儲けの程が心配になるが、それでも正直、静かで落ち着く所だと思った。それならば一人で来てみようかとも思ったが、この店を紹介したのがこのとろい女であるということを思い出し、それはないなと考え改めた。
そもそも俺にはそんな金は無い。
「それである時思ったんです。もし、一人でジュソを祓うことができれば、大手を振って父と母のもとに帰れるかと」
ぼうっと店内の品書きやら、たった三人の客相手にあたふたと慌てるように働く店主の様子やらを眺めていたが、ジュソという言葉に反応し、意識を話の方に戻される。
「それで、あの森に一人で?」
ミは真摯に雷華の話に耳を傾けているようだ。
「はい、この村に着いてからそれ程日にちは経っていませんが、あの森からジュソが湧きやすいという噂は何度か耳にしていましたので」
ジュソ退治は二、三人で行くのが定石、というミの言葉を思い出す。こいつの理由はそれ程切迫したものなのだろうか。そんな定石を知った上で、それも自分に力が無いとわかった上で、そのような結論に達したとしたらそれはこの娘にとってよほどのことなのであろう。
「ところで、キョウさんはこの村から出たことがないのですか? えっと、その、鬼についてもあまり知らない様子でしたので。山を一つ越えた先にある僕の村では鬼の家系がたくさんありますから」
この娘、何故だか俺に対して話す時だけ、声色が少々不自然に上擦る。先程の俺の言葉が相当応えたのだろうか。自分ではそれ程きつく言ったつもりはないのだが。
「ない。というよりも俺はそもそもこの島に来たばかりだ」
「本島の人間ですか……」
途端に雷華は顔を強張らせた。声色も急に落ち着いたものに変わる。
無理もない。この島の人間は本島の人間を毛嫌いしている。それは、この島が呪われた島だからだ。本島の呪いを一身に受けたこの島を、本島の人々は呪われた島と呼ぶ。これ程不条理なことがあるであろうか。この島に来て間もなくレンさん達の世話になっている俺は、全くそのような様子を見せない彼女らのお陰で、まるで実感がわかないでいたが、この娘の反応で改めて自覚した。
これが普通の、この島における正常な反応なのだろう。
「あの、僕から質問をしておいて勝手ですが、あまり大っぴらには言わない方がいいですよ。その、あの……何かと……ありますから」
「ああ、わかってる」
「キョウさんはこんな所まで来て、何故ジュソを退治しようと思ったんですか? 本島にはそんな依頼を請け負う仕事があるのですか?」
「キョウはな、ジュソを切るのが好きらしいぞ」
俺の回答が一瞬遅れたすきに、ミが会話に割って入る。
自分で言ったことではあるが、他人の口から改めてそれを聞くと、酷く可笑しい言い草だと思った。奇人変人と見られても文句は言えまい。
「ジュソを? 何故です」
案の定雷華は、困惑とも不思議ともとれぬ、複雑な表情を見せる。
どう弁明したら良いものか。
「修行だ。相手が強ければ何でも良いが、人を切れば罪になるだろう。俺は自分の力が試せればそれで良いんだ」
それがもっともらしい理由に聞こえたかはわからない。
「はぁ、そう……なんですか」
俺の無愛想な言動に何か感じ取ったのか、雷華は慌てて今度はミに視線を移す。
「それで、そのずっと気になっていたんですけど……ミさんの後ろの……それって、やはり……?」
どうやら雷華にはジュソが見えるようだ。森で襲われていた時は、ジュソに憑かれていたことを考えると別段不思議ではない。だがヒナとなると話は別だ。ヒナが見えるのは憑かれているミ自身か、俺くらいの筈だ。
ヒナはいつしか自分に視線が注がれていることに気が付き、くりっと小首を傾げた。
「見えるのか?」
視線を一瞬ヒナに向けた後、雷華に問いかけた。
「はっきりとは見えません。靄がかかったように薄っすらとです。鬼は人よりもジュソのような怪異に寄った存在ですから、ぼくの家のような鬼の血が濃い家系ではジュソを見たり、ジュソを触れたりできるんです」
「そうか、だが心配には及ばないよ。この子はまだ大丈夫だ」
ヒナの頭をやさしく撫でながらミはそう雷華に言った。
急に撫でられた方のヒナはあまり状況が飲み込めていないのか、不思議そうに目をぱちくりさせ、ミと雷華と時たま俺を交互に見るのであった。
「まだ……ですか」
『まだ』という言葉に不安を隠しきれない様子がありありと見て取れた。
「それに、雷華を襲うことはない。ジュソは自身が憑いた人間を狙って殺す」
「いえ、ぼくは何もそんなつもりで言ったわけではありません」
雷華は慌てて否定した。
「ただ、複雑な気持ちであることは確かです。自分の命の恩人がこんな危険な状態だなんて」
「わかっている。わたしだってわかっていてそのままにしているのだ。ジュソを憑けておくことが自殺行為に等しい愚行だということを。ただ今はまだ必要なんでな。見逃してくれ、な?」
その語調は決して命に関わる話をしているようには思えない、どちらかというと子供をあやすようなものであった。
「そ、そんな、見逃すだなんて。ぼくにはそんな偉そうなこと言う資格は無いです」
ミの言葉に雷華はそう声を小さくした。
「そう卑下するな。それよりここのわらび餅はどうだ? 絶品だったろう」
「はい、とてもおいしかったです。あ、ここはぼくが持ちます。助けて頂いたお礼です」
そう言うと雷華は懐を探り始めた。
「いや、それでは食べさせてやるといったわたしの立場がないだろう」
ミは片手で雷華の腕を制しながら言った。
「それはいいが、お前、金はあるのか? お前もレンさんに世話になっている身だろう。ちなみに俺は一銭も無いぞ? そもそも本島の通貨とは違うしな」
「家を出る時にある程度持ってきた。底を突くのは時間の問題だがな。まあその時はその時でまた、こっそり家に帰って持ってくるまでだ」
「なんだか盗ってくるみたいな言い方だな……」
こいつの両親は何とも不憫だ。
ミの小屋は未だ完成していないので、必然と三人でレンさんの家に帰ることとなった。
昨日よりも人数が増えたことに、ヒノトとツヅミが喜んだのは言うまでもない。
奥の方からばたばたと音が聞こえたかと思うと、たちまち、まるでわらわらと餌に群がる子犬達のようなガキ共に取り囲まれた。
当の雷華は戸惑いを隠せない様子だ。
「申し訳ないです、レンさん。こんな人数で押し掛けて。今日中に小屋を直せれば良かったのですが……」
そんな雷華達を横目にそう伝えてはいるが、小屋が直らなかったのは、途中でお前がわらび餅を食べたいと言った所為ではないのだろうか。
「いいんだよ、みーちゃん。人数が多ければそれだけ楽しいし、子供達も喜ぶからね。何ならあと二、三人は連れてきても大丈夫だよ。食べるものはさ、たくさんあるんだから」
レンさんは気持ちの良い笑顔でそう言った。
本当にこの人は何でそこまで世話を焼いてくれるのだろうか。
「おねーちゃん頭に何か生えてるー」
「何これー何これー」
「ちょっと、くすぐったい。はははは、ちょ、やめて、くすぐったいってば」
早速雷華はヒノトとツヅミのおもちゃにされていた。少々やかましいが、俺としては標的が変わってくれて好都合であった。ジュソ相手ではてんで駄目だが、これはこれで使い道があるようだ。
「なんでそうなる!」
「ならばどうなる?」
ミは布団を三人横並びに敷いた。自然と間に挟まれる雷華の布団は、俺の布団に妙な程近くなる。
「こんな広い部屋なんだ。もっと広く使えばいいだろう。こんな近づく必要がどこにある」
まったく、毎回こんなやり取りをしなければならないのか、俺は。
「その方が寂しくなくて済む」
「またそれだ。お前は自分のことばかり考えている。そのガキだって一応は女だぞ」
「雷華、キョウなら大丈夫だ。レンさんから変なことはするなと念押しされているからな」
「お前、その言い方だといつもは変なことをする奴みたいになってるぞ。言い改めろ」
「あ、あの……、ぼ、僕なら大……丈夫……です……」
突然割って入ったかと思うと、雷華は言い難そうに言葉を絞り出した。
顔は耳までゆで蛸のように赤く、何故だかこちらと目を合わせようとしない。言葉ではそう言うが、きっとミの傍若無人な様子に心底頭に来ているのだろう。
「よし、決まりだな」
そう言うや、そそくさと布団に潜り込んでしまう。続けて雷華も顔を真っ赤にしたまま布団に入る。
何が決まりなのだ。この件に関して俺の主張は完全に無視される方向らしい。
「お前まで、いいのかそれで!」
「キョウ、言っておくが、こっそり布団を移動させても無駄だぞ。わたし達がそれに合わせて移動するからな。何度も繰り返すようなら面倒だから、もうキョウの布団に直に入るからな」
また突拍子もないことを言いだした。何のつもりの脅しなのだろう。これには雷華も布団の中で戸惑いを隠せないようだ。布団を頭までかぶり「ぼくは……そんな……でも……」と何やらぶつぶつと呟いている。
「お前、余程切られたいらしいな」
こいつが何故、布団の位置にそこまでのこだわりを見せるのか心底わからなかった。以前だって布団の中で少し話して、それだけであったのに。まあ、それ以外のことがあったならあったで困るのだが。
行燈の明かりを消し、布団に入るとミの、
「ふふふふ」
という、妙に嬉しそうな笑い声が聞こえてきた。
気味が悪い。