塩むすび
塩むすび。
炊いた米を塩だけで握った食べ物。
塩むすび。
軟らかすぎず硬すぎず炊かれた米を、程よい塩加減で握る。
塩むすび。
厚みのある美しい三角に整えられたその姿。
塩むすび。
白くつややかな米粒が崩れることなく並び、ほんのり湯気が上がる。
箸など使わず直接手に持つ。
はっきりと分かる米粒の感触。
そしてその香り。
まさに日本人の原始の記憶に焼き付けられた、正餐の原点。
目で味わい手で味わい鼻で味わった。
ならば行かん、口福の彼方へ――。
日本人諸氏なればお分かり頂けるだろう。
この瞬間の高揚を。
そしてその瞬間を無惨にも奪われた絶望と激昂を。
憤怒を込めて辺りを睥睨し、自分勝手な事情のみを言い連ねるその口を閉じさせ威圧する。
国を救えだと。
勇者様だと。
知ったことか。
この手には先ほどまで手にしていた塩むすびの感触がありありと残っているというのに。
この鼻から胸一杯にその香りで満たされていたというのに。
この口は、歯は、ほんの数瞬で口福へとたどり着き、満たされていただろうに。
その全てを台無しにしておいて、何だその言い草は……!!!
かの口福の源を大切に捧げ持っていたはずの両の拳を固く握りしめ、激情のままに駆け出した。
この恨み、 晴 ら さ で お く べ き か … … ! ! !
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かつて“勇者”として召喚したニホンジン達は、その差こそあれ、一様に礼儀正しく恩義を重んじる人柄であった。
今回召喚した人物も間違いなくニホンジンであったと、召喚陣が明確に示している。
かのニホンジンをあそこまで激憤させるシオムスビというのは大変な至宝であるのだろう。
シオムスビとの対峙を邪魔されたなら、“勇者”は狂戦士となり、召喚した我らにその牙を向ける。
それを恐怖と共に根深く刻み込まれた。
そしてその時より召喚陣には『ニホンジン』と共に『シオムスビ対峙時を除く』の条件付けをすることが厳格に定められたのであった。
余談ではあるがその後も「てっめぇ!よくも幻の味噌を使った俺の味噌汁を!」「今が最上にして最高の状態の熟成肉」「オレのピザポテト」「ちょっとあたしの一日十個限定スイーツ」「季節限定」「ご当地オンリー」「みぃちゃんのアイス~アイスぅぅぅ(号泣)」などと会話どころではない“勇者”の召喚が相次ぎ、その度に術者は平謝りしては送り返し、一つ一つ“至宝”を召喚陣に追加していった。
そうして勇者召喚の召喚陣は『飲食物対峙時を除く』の条件付けにたどり着くまで延々と文言を増やし続け、複雑怪奇にして史上最大面積記録を更新し続けたのであった。
食べ物の恨みは恐ろしい。