後編
その夜、吹雪が止むことはなかった。7月に平年の冬でも見られなかった猛烈な吹雪が国全体を囲み、ケンちゃんとアンちゃんが暮らす村も白く包まれた。吹雪でかたかた鳴る寝室の窓を眺めがら、ケンちゃんはベッドの中で今日の出来事を思い出していた。冬の女王様が放ったあの身を切るような冷たい風。ただ冷たいだけじゃなくて、顔に当たったとき、なんだかさみしい気持ちがした。冬の女王様は、ボクたちが作った雪だるまから、二人の楽しい気持ちが伝わったきたと言っていた。きっとあの風も同じように、冬の女王様の気持ちが込められていて、そこから悲しい気持ちが伝わってきたんじゃないのだろうか...。
さみしい、冬の女王様はそう言っていた
「やっぱり、やることは決まってるよね」
* * *
その日の朝、日が昇る前にケンちゃんはアンちゃんの家に向かった。大樹を出てから吹き荒んでいた吹雪はウソのようにぴたりと止んでいた。ケンちゃんには、冬の女王様が泣きつかれて休んでいるように思えてならなかった。
アンちゃんの家に着くと、ケンちゃんが昨日の夜に思った事をアンちゃんに伝え、今から大樹に行かないかと誘った。
「ええ、もちろんよ!私も昨日の夜、同じことを考えていたの。いまから行きましょ!」
支度をすませたアンちゃんと家を出て、雪が分厚く積もって歩きにくい道をえっちらおっちらと進んだ。大樹が望める湖の反対側にたどり着き、湖をそって大樹の門の前に着くころには、日はすっかり昇っていた。
「冬の女王様、あーーーそーーーぼーーー!!!」
ケンちゃんは身を仰け反らせ、大声で冬の女王様を呼んだ。相変わらず声が響かない場所であったが、同時に冬の女王様には自分の声が届いているという確信が、ケンちゃんにはあった。
やがて大樹の幹が徐々に変形し、たちまち門があらわれた。しかし昨日と同じように、どっしりと威厳のある門の大きさに見合わない、ほんのちょっぴりだけ開かれた隙間から、小さな冬の女王様の姿が現れた。
「ケ、ケンちゃんと、アンちゃん...」
門の隙間から覗かせた冬の女王様の頬には、泣きはらした涙の跡が残っていた。髪はみだれ、白いドレスはしわくちゃになっていた。
「ケンちゃん、アンちゃん。き、昨日は、その...」
「冬の女王様、あそぼッ!!」
ケンちゃんとアンちゃんはにっこりと笑い、冬の女王様を外の世界へ誘った。
「あ、遊びに!?で、でも...」
冬の女王様は一瞬うれしそうな顔をしたが、すぐに暗い表情に戻り、その身を門の裏側に隠した。
「でも、冬に遊べる遊びなんて、なにも...」
「そんなことないわ。冬の女王様って、冬の女王様なのに、冬の遊びを全然知らないじゃない?昨日まで、雪だるまだって知らなかったじゃない」
「う、うん。でも...」
「あるの!!」
アンちゃんは言葉をさえぎるように力強く言った。
「冬には楽しい遊びがいっぱいあるのよ。だから一緒に遊びましょ?私たちが教えてあげるわ!!」
* * *
大樹の外には、冬の女王様が知らない世界が広がっていた。ただ大樹から歩いて数分の場所に移動して、そこでケンちゃんとアンちゃんに教えてもらった冬の遊びを教えてもらっただけなのに。冬の女王様にとっては、ほかのどんな国を訪れるよりも、ほかのどんな世界へ旅するよりも、新鮮で、驚きで、そして何よりもうれしかった。冬はなにもない、ただ通り過ぎるのをみんながみんな家の中、土の中で待つだけの季節だと思っていた冬の女王様にとって、自分がつかさどる季節がこんなに魅力的だとは冬の女王様自身、思ってもみない大発見だった。
最初に雪玉をケンちゃんめがけて投げつけたのはアンちゃんだった。さらさらの粉雪で作られた雪玉がケンちゃんの顔にクリーンヒットし、バラバラにくだけ散った。
「うわっぷ!クッソ~、やったなぁ~!」
ケンちゃんは大きめの雪玉をこしらえて、アンちゃんめがけてえいやっと投げた。しかしアンちゃんは上手くかわし、いくつもの小さい雪玉をあっという間に作り上げ、連続攻撃でケンちゃんを追い込んでいく。笑いながら雪合戦をはじめた二人の様子を、冬の女王様はおどおどしながら見ていた。
「ち、ちょっと二人とも、ケンカはよくな...ブフッ!!」
ケンちゃんの作った特大の雪玉が、ひらりとかわしたアンちゃんの背後にいた冬の女王様の顔面にきれいに入った。粉雪が舞い、冬の女王様の顔が雪玉の中に消えた。
「あ。ご、ごめん。大丈夫?」
ケンちゃんが心配そうに近づいた。顔の上に居座っていた雪がボトッと落ちたと同時に、冬の女王様はわなわなと震えだし、
「ケ、ケンちゃん、や、やったわねぇ~!!」
なれない手つきで必死で雪をかき集めて、それをケンちゃんめがけて投げた。しかししっかりと握れていなかった雪玉はケンちゃんにとどく前にバラバラになってなくなった。
「あ、あれ?当たってないのに勝手にバラバラに...へブッ!!」
今度は横から繰り出されたアンちゃんの不意打ちが当たった。
「こっちよ~、女王様ぁ~!くやしかったら当ててみなさ~い!!」
「も、もう!なによッ!!二人してぇ~!!!」
冬の女王様は格好の的だった。
「...ねぇ、あれってケンちゃんとアンちゃんじゃない?」
「ほんとだ。あれ?もう一人の子はだれ?この辺では見ない子だね」
雪かきの手伝いをさせられていた村のほかの子供たちが、三人を見つけた。
「雪合戦してるみたいだ。いいなぁ、ボクも混ざりたいなぁ」
「ねぇ、ちょっとだけなら。やってもいいんじゃないかな?」
「うん、そうだよね!いつもがんばってお父さんとお母さんの手伝いしてるんだから、ちょっとくらい遊んだっていいよね!」
子供たちが三人のもとに駆けより、仲間に言えてくれるように頼んだ。
「ケンちゃんとアンちゃん、ボクたちも雪合戦に入れてよ!」
子供たちが近づいてくるのを見た冬の女王様は、さっとアンちゃんの背中に隠れた。
「いいよ!一緒にやろう!」
「ねぇ、その子だぁれ?村の子なの?」
村の子がアンちゃんの背中に隠れた子を指さした。
「冬の女王様よ。私たちと遊ぶために、大樹から出てきてくれたのよ!」
「ええ!!冬の女王様!?ほんとに!?」
子供たちは驚いてまじまじと冬の女王様を見つめた。
「は、初めまして。私は、冬の女王様ですぅ」
誰に言うわけでもなく、アンちゃんの背中に顔をうずめて、かろうじてみんなに聞こえる程度の自己紹介をした。
「ボク、初めて見た...」
それからも冬の女王様はいろいろな冬の遊びを楽しんだ。そりですべったり、色々な表情の雪だるまを作った。かまくらを作って、なかが思いのほか温かいことに驚いたり、器用な子は氷の板を冬の女王様に作ってもらい、それを利用して即席のスキーやスノボーを楽しんだ。冬の女王様が大樹から出てきたという噂はすぐに村に広まった。子供の帰りが遅いことを心配して探しにきた子供たちの両親が、大樹の近くで子供たちと一緒に遊んでいる冬の女王様を見つけたのだ。子供たちの親はすぐに村に戻り、このことを村のみんなに、そして城に伝えた。
日がてっぺんまで昇り、遊び疲れた子供たちは休憩していた。
「あぁ~!すっごい動いた~」
「こんなに遊びまくったのは久しぶりだよ~」
「もうお昼過ぎね、少しお腹がすいてきたわ」
子供たちは大樹の根元に腰かけて、リラックスした様子で言った。
「ううん、私はお腹いっぱい」
冬の女王様はとても満足そうに言った。
「お腹いっぱい?もう何か食べたの?」
「ううん、違うの。うれしくて、楽しくて、とっても満たされているのが分かるわ。私、冬がこんなに楽しいって知らなかった。そりで滑るのってすごくスリルがあるのね。雪合戦で大きな雪玉、小さな雪玉をみんな投げたいように投げて、でも当たってもそんなに痛くないの。かまくらって雪でできてるのに、中は温かいの。私おどろいちゃった。まるで大樹の中みたいなんだもの!もっと早くみんなに会う事が出来たらよかったのに。私、もっと冬の面白いことを知りたいわ」
「大丈夫だよ!冬はもっと面白いことがあるんだよ。ちょっと休憩したら、また遊びに行こう。ねぇみんな!!」
うん!もちろんだよ!子供たちは口々にそう言った。
「ありがとう、みんな」
冬の女王様の頬に涙が流れた。ケンちゃんとアンちゃんは、その涙が昨日冬の女王様が流した、冷たくて悲しい涙とは違う、温かくてうれしいときに流れる涙であると悟った。
「でも、今日はもうおしまい。ほら、みんなのお父さんとお母さんが迎えに来たわ」
子供たちが湖の方を見ると、自分のお父さんとお母さんだけでなく、もっと大人数、村の人たち全員がいるのではないという数の人たちが集まって、遠巻きにこちらを見ていた。
その後ろから兵隊たちが、集団を脇に誘導している。それからきれいな装飾を施された馬車が、白くて立派な馬車に引っ張られながらゆっくりとやってきた。その周りを茶色の馬に乗った数名の家臣によって守られている。二日前に広場の噴水の前で、王様のお触れを伝えに来た偉そうな家臣も一緒だ。
馬車が子供たちが休んでいる大樹の前で止まった。馬車の扉が開き、中から装飾つきのジャケットとゆったりしたマントを羽織った、恰幅がよく背の高い王様が現れた。ケンちゃんとアンちゃんは王様を見るのは初めてだったが、頭にキラキラと輝く王冠を被っているその姿は、だれが見ても彼が王様であるという事が分かる。
そのあとから背の高い美しい女性が馬車から降りてきた。その姿は子供たちにもなじみのある春の女王様だ。この国ができて初めての王様が、最初に国に招いた女王様だ。冬の女王様と同じティアラを被り、桜色のドレスを着ている、彼女の周りから、ほのかに花の香りがする。
「余と女王を以てしても説得しきれなかった冬の女王を、まさかお触れを出した二日後に、村の子供たちが大樹の外に連れ出してくれるとはなぁ」
大きな声を出しているわけでないのに、まるで洞窟の中にでもいるように、遠くまで王様の低い笑い声が響き渡る。
「王様!冬の女王様を責めないで下さい!冬の女王様は、本当はとってもいい人なんです!!」
冬の女王様が何かひどいことをされるのではないかと思い、ケンちゃんとリンちゃんは王様の前に出てきて、必死にお願いした。
「二人とも、大丈夫よ。王様は冬の女王様に何もひどいことなんてしないわ」
王様の代わりに春の女王様がそう答えると、冬の女王様に近づき、かがんで額を冬の女王様の額にくっつけた。しばらくすると女王様は額を離し、悲しそうな顔をして、
「...そう、そんなに思いつめていたのね...ごめんなさい、気づいてあげられなくて」
冬の女王様をぎゅっと抱きしめた。
「ううん、いいの。ケンちゃんとアンちゃんが、もう悩まなくていいって教えてくれたから、私、もう寂しくないわ。私こそごめんなさい。春を遅れさせてしまって。きっと、みんな怒ってるわ」
「...そうかもしれないわね。でも大丈夫。きちんと謝ったら、きっとみんな分かってくれるわ」
うん。そう頷くと冬の女王様は、遠巻きに事の次第を見守っていた村人の前まで歩み寄り、ぺこりとお辞儀した。
「みなさん、春が来るのが遅れたのは私のせいです。私のわがままで、みんなに迷惑をかけてしまいました。今の私に何ができるのか分からないけれど、私にできることがあるのなら何でもします!本当にごめんなさい!!」
冬の女王様は涙ながら、またぺこりとお辞儀をした。
「...ま、まぁ、分かってるんなら、まぁいいんじゃねえの?」「次からこういう事がないようにすれば、オレは文句ねえよ」「ほかでもねぇ冬の女王様のことだしな」「それにしても、本当に小さいわねぇ。私の9歳になった娘と、大して変わらないじゃない。こんなに小さいのに、私のおばあちゃんよりも長く生きてるんでしょう?」
大人たちも、ちらほらと許すむねの反応を返した。どこからともなく拍手の音が聞こえはじめ、やがて割れんばかりの音に変わった。その様子を王様と春の女王様、そして子供たちは遠くから見守っていた。
「...みんなもありがとう。あの子がこんな風に心を開いたのも、あなたたちのおかげよ」
初の女王様が優しい笑みを浮かべ、子供たちに向き直った。
「そんな、ボクたちはただ冬の女王様に遊んでもらいたくって」
ケンちゃんが照れくさそうに頭をかきながら答えた。
「でもそれがあの子にとって、もっとも望んでいたことなのよ。それは私たち女王や王様では叶えることができない、あなたたちにしか出来ない事だったの」
「さよう、一緒にしゃべったり、遊んだりする友達が欲しいという願いは、お金や宝石では叶えることができないものじゃ。余と姉妹であるほかの女王が友達になることも無理というもの。これは、純粋な気持ちで冬の女王を友達として受け入れ、外の世界に連れ出すことができた、君たちにしかできない事だったんじゃよ」
顎に蓄えたひげをなでながら、王様は感慨深げに語った。するととつぜん、大樹の方向からガラスが割れるような大きな音が一斉に響き渡った。大樹に目を向けると、太い枝に垂れ下がっていた太いつららにビッシリとひびが入り、一斉に砕けた。砕けたつららは空中でさらに細かく砕け、氷の結晶となってゆっくりと落ちてきた。ちりじりになった氷の結晶に太陽の光が乱反射して、きらきらと輝く。大樹はさながら白銀の桜吹雪を身にまとい、つららが垂れ下がっていた枝には桜色のつぼみが顔を出していた。
冬の女王がケンちゃんとアンちゃんのもとへ歩みより、大樹を眺めていた。冬が終わり、間もなく春がやってくることは、だれの目にも明らかだった。
「もう、冬が終わっちゃうんだね」
ケンちゃんが少しさみしそうに冬の女王様に向き合った。冬の女王様は、すでに腰から下は透け、上半身を通して向こう側が見える。
「うん、そうね」
冬の女王様は答えた。でも彼女の目に憂いはもうない。
「でも、もう大丈夫。私、冬は寂しい季節じゃないって分かったから。冬はとっても魅力的な季節で、なによりも私にはたくさんの友達がいるって、みんなが教えてくれたから」
冬の女王様は笑った。もう冬の女王様の姿は見えない。でも笑っているという事だけはわかる。きっとまだ、そこにいる。
「冬の女王様!!!」
アンちゃんが叫んだ。冬の女王様がまだそこにいるのかすら、もはや分からない。冬の女王様に届くように、アンちゃんは力の限り叫んだ。
「私たち、もっと冬の女王様と遊べるようにしっかりと準備しておくわ!面白い遊びを考えて、冬に食べるごちそうをたくさん用意して、冬の行事を盛大にできるように準備しておくわ!!また来る冬のために!!!」