前編
カッコォォーーーン!!!
井戸の中で何かがぶつかった。せまい井戸の中でこだました音がのぼってきて、ケンちゃんに音の大砲となって直撃した。
「うわっ!!」
ケンちゃんはビックリして井戸から身をのけ反り、耳をふさいだ。何も起きないことを確認すると、おそるおそる井戸の中をのぞいた。
「あちゃ~、まただよ」
井戸のなかで桶が転がっている。でも桶がやけに近い。水が干上がっているわけではない。氷が張っていて、その上に桶があるのだ。
しめしめ、水を汲まなくてよくなったぞ!ケンちゃんはさっさと水を汲むのをあきらめ、おうちに帰ることにした。
雪が音を吸収し、真冬の寒さが動物の気配を外に出させようとしない7月の朝、ピンと張りつめた静かな朝。太陽もなかなか顔を出さず、まだ少しうす暗い。
ケンちゃんは家に帰る道すがら、澄んだ空気ごしに遠くに望める山々を眺めながら、帰路についた。雪が屋根に分厚く覆いかぶさって、木こりの仕事をいったん休止して、雪降ろしの仕事をしているお父さんのうんざりしたような顔が目に浮かぶ。
「ただいまぁ~」
「おかえりなさい。あら、ケンちゃん、桶の中が空じゃない、水はどうしたの?」
「うん、井戸の水が凍ってて汲めなかった」
家に帰ったケンちゃんはお母さんに井戸のことを話した。
「またなの?もういい加減にして欲しいわ!」
「なんだ、また井戸に氷が張ってるのか」
マグカップになみなみと注がれたコーヒーを眠そうにすすりながら、お父さんがため息をついた。
「冬の女王様が大樹から出てくる時期から、もう4か月かぁ。本当なら、もう春の女王様どころか、夏の女王様が大樹に入ってもおかしくない時期なのにな」
「ほんとにそのとおりよ。おかげでいつまでたっても森には入れないし、木を切ってそれを売るあなたの仕事だって捗らないじゃない」
お母さんが頭を横に振りながら朝食の支度に戻った。
「お父さん。この国って、4人の女王様が春、夏、秋、冬を交替でつかさどっているんでしょ?いままでにこんなに一つの季節が長引いたことってあるの?」
パンと目玉焼きが出てくるまでの少しの間、ケンちゃんはお父さんに聞いた。
「う~ん。女王様にも都合ってものがあるからなぁ。無いことはなかったけど、長くても数週間くらいのもんだったよ。今回みたいに数か月も続くことはなかったなぁ。ましてこんかい長引いているのは、春とか夏とかじゃなくて、冬だろう?動物は冬眠から目覚めないし、植物は育たないしで、けっこうみんな参ってるなぁ」
コーヒーがいくぶん冷めてきたのか、眠気が覚めてきたのか、お父さんのコーヒーをすするスピードが速くなってきた。
「あぁそうだ。ところでケン、お前ももう10歳になったんだ。今日は凍った井戸の氷の砕き方を教えてあげるから、あとで付いて来なさい。なに、簡単だ。縄にくくり付けた大きめの岩を氷に落とすだけだから。明日からはそうやって水を汲んで来るんだぞ」
「えぇ~!」
ケンちゃんはあからさまにイヤそうな顔をした。
* * *
正午ごろ
重たい岩を括り付けた縄に必死にしがみついてできたた豆が痛い。次からはお父さんの革手袋を借りようと考えながら、ケンちゃんは村の中心の広場をふらふらしていた。冬が長く続き、人がまばらだ。農家のおばちゃん、猟師のおじさん、冬の生業を持たない村人たちは蓄えを減らすまいと、なるべく外から出ようとしなかった。
広場の中心に向かうと、噴水のふちに座っている女の子を見つけた、アンちゃんだ。
「あ、アンちゃんだ!!」
「ケンちゃん!あら、どうしたの?手が真っ赤だけど、転んで手でも擦りむいたのかしら?」
「ううん、違うよ。もう10歳になったからって、パパに井戸の氷の割り方を教わってたんだ。でもその時にできた豆が痛くて、もうたくさんだよ」
「ふぅん、男の子も大変ね」
アンちゃんは噴水のふちから立ち上がり、ハンカチを取り出した。
「私も最近おばあちゃんに編み物を教わってるの。でもほら、編み物って7月にやるものじゃないでしょ?でも冬がいつまでたっても終わらないから、おばあちゃんの編み物レッスンとお手伝いも、終わりが見えないのよ」
ハンカチを噴水の氷で少し濡らし、手をやさしく拭きはじめた。
「つめたっ!へぇ、編み物かぁ~。ボクも新しい手袋が欲し...あれ?」
広場の中心に数人の兵隊が集まっている、その兵隊さんに囲まれるようにしてキレイな服を着た偉そうなおじさんがいる。
偉そうなおじさんがお立ち台の上に立って大声で話し始めた。
「皆の者!静粛に、静粛に!!」
なんだなんだ、なんかあったのか。村人がちらほらと立ち止まり、話すのをいったん中断した。
「静粛に、静粛に!!え~、おほん。私はこの国の王に代々仕えている家臣の一人である。此度は王様直々のお触れを皆に伝えるために、こうして参った」
人だかりがさっきよりも大きくなり、村人が家臣の方に注目していることを確認したのち、家臣は話を続けた。
「みなも知ってのとおり、冬の女王様が大樹に籠られてから久しい。大樹からお姿をあらわし、春の女王様に後の任をおまかせするはずの時期はとうに過ぎている」
そうだそうだ!どうなっているんだ!このままじゃ商売あがったりだ!広場の大人たちが騒ぎ始めた。
「静粛に!静粛に!!そこで事態を重く見た王様は、今回の件を解決するためにお触れを出された。そこにはこう書かれている。心して聞くように」
いちど大きく咳ばらいをしたあと、筒状に巻かれた羊皮紙を広げて、大きな声で読み上げた。
”冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう。
ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない。
季節を廻らせることを妨げてはならない。”
読み終わると、家臣は羊皮紙を丁寧に巻きなおして、兵隊の一人に手渡した。受け取った兵隊はいちど荷車に戻り、そこから看板を取り出して、噴水の前に設置した。
「お触れにも書かれているが。王様のご厚意により、今回の件の解決に大いに貢献した者には褒美を与えるという事だ、みなの者、王様の期待に応えられるよう、しっかりと励むように!!」
そう告げるやいなや、家臣はぶるっと身震いすると、そそくさと自分の馬車に戻り、そのまま城に戻っていった。村人も家臣がさっさと帰っていくのを見届けたのち、何事もなかったかのように普段の生活に戻っていった。一部の村人はあきれ顔だ。
「...聞いた?冬の女王様を大樹から出すことができたら、ご褒美がもらえるんですって」
兵隊が噴水の前に残していった看板を読みながら、アンちゃんは言った。
「ご褒美って何がもらえるのかしら。このお触書きには、なにも書かれてないけど」
「なんでも欲しいものをくれるんじゃないかな。ボクは凍らない井戸と革手袋が欲しいなぁ。あ、でも、井戸が凍らないなら、皮手袋はいらなくなっちゃうね」
ケンちゃんは豆を指でぷにぷにと押しながら言った。
「ねぇ、私たちで冬の女王様に会いに行ってみない?」
アンちゃんはケンちゃんに言った。
「えぇ~。でも、冬の女王様のいる大樹に行くの?冬の女王様がいる大樹の中って、きっと外より寒いよ。ボク寒いのヤダ」
「大丈夫よ、たくさん服を着ていけば問題ないわ。なんならあたしがケンちゃんの服を編んであげる、それなら寒くないでしょ?」
* * *
女王様が住む大樹は、王様の城に負けないくらい大きな樹木でできている。この国が成立して初代の王様が、最初のお妃様である春の女王様を国に迎え入れたときに、魔法使いからお祝いとしてもらった魔法の種を王様が湖のほとりに埋めて、またたくまに成長した大樹を女王様の住まいとしたのだ。
大樹のなかに入った女王様が交替で季節をめぐらせるのと同時に、大樹はその様子を大きく変える。春の女王様が雪を溶かせば、夢から目覚めたばかりのような優しい桜色の花が咲き乱れる。夏の女王様がさんさんと照りつける太陽を運んで来れば、ツルが大樹に巻きつき、虫や動物たちがその周りを取り囲み、生命力あふれる緑の葉を生い茂らせる。秋の女王様が収穫の時期を告げれば、絵の具で塗ったように葉が赤く色づく。冬の女王様が最後の木の葉がハラリと落ちるのを見届けたら、枝は雪の結晶で飾り付けられ、いくつものつららが垂れ下がり、キラキラ煌めく。王様はこの大樹を国のシンボルとして、代々まもり続けている。
「……って、おばあちゃんが言ってたわ」
「そうだったんだ。いつも近くにあるから当たり前だって思ってたけど、あの大樹って本当はすごいんだね」
お触れが出された翌日、たくさんの服を着込んでコロコロと雪だるまのようになったケンちゃんとリンちゃんは、広い湖の反対側に見える大樹を眺めながら言った。この日はめずらしく雪が降っておらず、澄んだ青空が広がっていた。まつ毛が凍るほど寒いが、太陽が出ているためいつもと比べてちょっとだけ暖かい。
「でも、なんで冬の女王様は大樹から出ようとしないのかな。王様たちは理由を知ってるの?」
「じつは王様だけじゃなくて、春、夏、秋の女王様が冬の女王様を説得しようとして大樹に入ろうとしたみたいなの。でも冬の女王様は話を聞いてくれるどころか、大樹の入口を開けようとしないんだって。もともと冬がいつまでたっても終わらないから、村人が王様に何とかするようにお願いしたの。でも王様や女王様が説得しようとしてもダメだったもんだから、他の人でも無理だろうって、村の大人たちは諦めているみたいなの」
「じゃあボクたちも話を聞いてもらえるどころか、中に入れてもらえないんじゃ……」
「そんなのやってみなきゃ分からないわ。それに私、ご褒美とか関係なしで、前から女王様と一度あってみたかったの」
「え、そうなの?でも女王様たちはボクら子供たちとたくさん遊んでくれるじゃん、リンちゃんだって女王様と一緒にピクニックに行ったり、大樹に遊びに行ったこともあるじゃん」
「でも冬の女王様とは一度も会ったことがないの。冬の女王様はいちど大樹に入ったら、春の女王様が来るまで、ずっと出てこないのよ。季節をめぐらす役目を終えた女王様は、次の自分の季節が来るまで、この国からいなくなっちゃうでしょ?」
「そういえば、ボクも会ったことがないなぁ。ほかの子も冬の女王様と遊んだことがあるって聞いたことがないよ」
「だから、今日は冬の女王様に会いに行って、いっぱい遊んでもらおうと思うの。もし遊んでもらえたら、みんなに自慢しちゃうわ」
「そりゃいいや、じゃあボクたちが冬の女王様の初めてのお友達ってことだね!」
ケンちゃんとアンちゃんは意気揚々と大樹を目指して湖に沿って歩きはじめた。途中湖を眺めながらお母さんに作ってもらったお弁当を食べて、凍った水たまりを踏んで氷の感触を楽しみ、だれも触っていないまっさらな雪にダイブしたり、雪だるまを投げ合ったりして大はしゃぎ。大樹に着くころには雪で服が真っ白なのに、顔は真っ赤になっていた。
ケンちゃんもアンちゃんも、冬の大樹を近くで見るのは初めてだった。王様のお城に負けないくらい大きくて立派な樹の幹に風にのった雪がはりついて、茶色い幹がうっすらと白くなっている、葉っぱは一枚も残っておらず、代わりに二人の背丈の何倍もある太いつららがびっしりと枝から垂れ下がっている。そのつららが太陽の光を反射してキラキラ煌めいたかと思うと、つららから滴がしたたり落ち、それが空中でみるみる雪の結晶に変わり、風に吹かれながらゆっくりと回りながら落ちてゆく。
「キレイだね」
「ほうとうね。いままで冬にここに訪れなかったのが不思議なくらい。」
「大樹の中には招待されたことがあるから、入り口がどこにあるか知ってるけど、女王様が開けてくれないと入れないよ」
「女王様ぁ~!冬の女王様ぁ~!!」
アンちゃんは大声で冬の女王様を呼んだ。
「私は村に住んでいるアンって言います~!!冬の女王様に遊んでもらいたくって来ました!ここを開けてくださぁ~い!!」
湖には大樹以外に高いものはなく、アンちゃんの声は広がるように空に消えていった。雪も声を吸収して、急に二人は取り残されたような気持ちになり、少しさみしさを感じた。
「それじゃあ聞こえないよ。こうやって叫ぶんだよ」
ケンちゃんは冷たい空気を胸いっぱいに吸って、大きく体をのけぞらせた。
「女王様ぁーーー!!あーーそーーぼーーー!!!」
ケンちゃんは力いっぱい叫んだ。大きな声を出すのが得意なケンちゃんも、いつもと違ってぜんぜん自分の声が響かないと思いながら、くりかえし大きな声で女王様を呼んだ。
あたりはシンとし、様子を見ていたケンちゃんとアンちゃんは、本当に大樹のなかに女王様がいるのかと思うようになった。
「冬の女王様、本当に中にいるのかな」
ケンちゃんは心配そうに言った。
「そのはずよ、じゃないと冬が終わらないはずないじゃない」
アンちゃんも自信がなさそうに答えた。他の女王様だったら呼べば開けて迎え入れてくれたのに、こんなことは初めてだった。
「やっぱりボクたちとは遊びたくないから、会ってくれないのかな」
「そんなことないわ。きっと出てこれない理由があるのよ」
「理由って、どんな?」
「分からないわよ!私にも」
ケンちゃんとアンちゃんは動かなかった。さっきまで真っ赤だった顔がだんだんと引いてきて、冷たい横風が吹くようになっていた。
「ボク、なんだか寒くなってきた」
「うん、私も……」
「今日はもう、帰ろうよ」
「そうね、またこんど来てみましょ」
二人が来た道を引き返そうとしたとき、何かを思い出したようにアンちゃんが言った。
「そうだわ!もしかしたら冬の女王様は誰もいなくなったときに、大樹の外にこっそり出ているのかもしれないわ。私たちが来た目印に、雪だるまを作りましょうよ」
「いいね!ボクたちが来たことが分かったら、もしかしたらボクたちのところに遊びに来てくれるかもしれないね!」
ケンちゃんとアンちゃんはさっそく雪だるま作りに取りかかった。雪だるまを作るのはお手の物だ。まず小さい雪の球を作って、それをころがす。ちょうどいい大きさになったら大樹の入り口のすぐ横において、また新しい雪玉をこしらえる。二人で二体の雪だるまが出来上がった。枝をさして手を作り、石を並べてくっつけて笑った顔を作りだした。
「ボクの帽子も被せてあげよう」
ケンちゃんは被っていた赤いニット帽を雪だるまの頭にちょこんと乗っけた。
「こうしたら冬の女王様は帽子を届けにボクの家に来てくれるかな?」
「どうかしら。帽子に書いてある名前で誰の帽子かは分かるかもしれないけど、家が分からないんじゃないの?」
「あ、そっか。まぁ大丈夫だよ。だって女王様だもん」
「なによそれ、理由になってないわよ」
ケンちゃんとアンちゃんは笑いながら来た道を歩き出した。そろそろ日が傾きはじめた。冬だから太陽が沈むのも早い。夏だったらもっと長く外で遊べるのになと思いながら、二人は今日の晩御飯の話をはじめた。
すると突然、さっきまで吹いていた風とまったく逆の方から風が吹いてきた。冬の風とは違ったすこし温かい風だ。ヒュンと身を切るような鋭くて冷たい風とは違い、柔らかく包み込んでくれるような風。まるで家の中に入る時の安心感に包まれるような風。
二人は大樹の方へ振り返った。雪だるまを作った場所のとなりの幹がボコッと盛り上がったと思うと、盛り上がった幹がだんだんと大きくなり、それが重くて威厳のある門のような形になり、ズズズズッとゆっくり外側に開いた。
「ケンちゃん!!」
アンちゃんは興奮気味に叫んだ。
「うん、入り口が開いてるよ!!」
ケンちゃんも今まで何度もくくったはずの大樹の門なのに、なぜか今回はじめて見るような不思議な気持ちになった。
門は少しだけ開き、様子を見るようにしばらくの間そのままだった。すると門の向こうから何かが動いているような気配がして、やがてそれが人の形をしたものだと分かった。ケンちゃんとアンちゃんはおそるおそる門に近づき、中をのぞきこもうとした。
「こんにちは、はじめまして。ボクは村に住んでいるケンっていいます。こっちはお友達のアンちゃんです。」
ケンちゃんは自己紹介をして、門の向こう側にいる人物を見た。白くてキレイなドレスを着た、ケンちゃんたちと同じくらいの小さい女の子だった。
「こ、こんにちは。はじめまして。わ、わたしは、冬の女王様ですぅ」
女の子は恥ずかしそうに挨拶した。もじもじと体を門の裏側に隠し、ティアラを乗せた頭だけをのぞかせて、しばらくして思い出したかのように指をさして聞いた。
「そ、その人形はなに?わ、わたし、はじめて見るわ」
ケンちゃんとアンちゃんは振り返り、冬の女王様が指差した方を向いた。
二人は顔を見合わせて言った。
「あれは雪だるまって言うんだよ、知らないの?」
二人が作った、仲がよさそうに寄りそって立っている雪だるまを、冬の女王様は控えめながらも興味津々に見つめていた。