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緋の扉3 ~秘められた鼓動~  作者: 緋龍
散らばった心
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6話 ヴィアン=オルガの吟遊詩人

「あれ、ベルがいねえ。今日戻るってマールに言っといたんだけどな」


 困ったなとキールは、足許にある布が何重にも敷かれた籠を足でつつく。

 キールとマールが連絡手段に用いている青耳兎のベルが、寝床にいなかった。

 これではマールに文を送ることが出来ない。

 

「しょうがねえ、書き終わっても戻って来ねえようなら持っていくか」


 ちっ、と舌打ちをして、キールは紙に筆を走らせ始めた。

 ベルは『妖精の隠れ家』を住み処にしているのだが、キールが長期間いなくなるときは、城にいるマールが面倒を見ることになっていてた。そしてキールが戻る日の夕方頃にベルを宿に返すのだが、うっかり忘れているのだろう。

 そう決めつけながら手を動かしていると、わっ、という歓声とともに大きな拍手が宿内に響いた。

 歌を歌うヴィアン=オルガの旅芸人が二階から下りてきたのだ。

 竪琴を手にしたその人物は、階段の途中で止まると優雅に一礼をして口を開いた。 


「皆さん、こんばんは。わたしの名はアシェン=カヌカ。ヴィアン=オルガのカヌカ=ロナという町からきた吟遊詩人です」


「え!?」


 声を聞いたキールが驚いて顔を上げる。その拍子に、紙に黒い線が走った。


「げっ、しまった! くっそー、もっかい書き直さねえと……」


 引き出しから新しい紙を取り出す。しかし、視線は階段にいる人間に向けられたままだった。

 キールが驚いた理由、それはアシェン=カヌカと名乗った声が男のものだったからだ。


「歌を歌う前にヴィアン=オルガという国について簡単にお話しましょう。よく知らないという方も多いと思いますので」


 アシェン=カヌカの提案に異を唱える者は誰もいなかった。彼の見せた笑顔に、逆らえない魅力があったからだろう。

 雲のように白い肌に、一部分だけ編まれた黒色の長い髪。晴天の空のような青い瞳は、慈愛に満ちたとても優しい色をしている。


「ヴィアン=オルガは、ロナ、ガロ、バヤ、ザナ、ユンザ、そしてオルガの六つの部族に分かれています。王家というものはなく、代々、定められた儀式にのっとり王が選ばれます。今代のナヴォルディス王はオルガの出身ですね。因みにヴィアン=オルガという国名は初代の王がお生まれになった村の名です。今はもうありませんが、村があった場所は聖地と呼ばれ、この場所での争いは、ある特別な場合を除いて固く禁じられています」


 赤ら顔の男たちが、一様にふむふむと頷く。キールも手を止めて、始めて知る異国の話に耳を傾けた。


「気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、村の名には部族の名が、人の名には村の名が入っていて、名を聞いただけでどこの誰かが分かるようになっています。それと、これも」


 言いながら袖をまくり上げたアシェン=カヌカの手首には、つたのような刺青が入っていた。


「ヴィアン=オルガの子は十五になると手首に刺青を入れます。大人になった証として、そしてどの部族かを示す印として。――さて、お話はこれくらいにして、そろそろ歌いましょうか」


 美貌の吟遊詩人が竪琴を構えると、じっと話を聞いていた客たちの間から歓声が湧き上がった。


「何を歌おうか迷いますが……そうですね、しっとりとした歌にしましょうか。賑やかなものは昼に歌いすぎてしまったので」


 アシェン=カヌカはそう言って、竪琴をポロンポロンと鳴らす。

 ざわついていた宿の中が、途端にしん、と静まりかえった。

 ローディスでは、歌を生業なりわいとする者は女ばかりで、男の吟遊詩人はいなかった。いや、もしかしたらいるのかもしれないが、少なくともキールは噂すらも耳にしたことがなかった。

 男が人を魅了する歌など歌えるはずがないと決めつけていた。

 だが、アシェン=カヌカを見て、キールは自分の考えが誤りだと思った。彼の歌声は、聞く者の心を震わせる音に違いないと。

 ――そして、それは間違いではなかった。 

 

  春の風を感じ 夏を待ち

  夏の雨を浴びて 秋に焦がれ

  秋の空を仰ぎ 冬に怯え

  冬の大地を歩き 春をこいねが


  恋しいあなた わたしはここに

  ずっと ずっと 待っています

  何度季節が 廻ろうとも

  いつまでもあなたを 待っています


 高く、低く、静かに、感情的に。

 アシェン=カヌカの歌声は、聞いている者の心の奥深くにまで響いた。


  春に咲く花は 夏に枯れ

  夏に飛ぶ鳥は 秋に消え

  秋に泳ぐ魚は 冬に尽き

  冬に鳴く虫は 春に絶えゆく


  愛しいあなた わたしはここに

  ずっと ずっと 願っています

  何度季節が 変わろうとも

  あなたの幸せを 願っています

  あなたが望む 幸せな明日を

  わたしはひとり 願っています


 竪琴の音の余韻を残して、歌は終わった。

 だが、誰も身動き一つしなかった。ときが止まってしまったかのように動けないでいる。

 ぽたりと音がして、キールが視線を落とすと、新しく用意した紙に水滴の跡があった。

 何故濡れているのだろう、そう思いながら無意識に顔に手をやったキールは驚いた。

 

「俺、泣いてる……?」

 

 

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