5話 緑の来訪者
「失礼致します。キュリオンのギゼリ侯爵より陛下への献上品が届いておりますが、いかがいたしましょう」
執務机の前まで来た若い文官は、硬い動きで一礼すると緊張した面持ちで口を開いた。近衛兵は扉の前で直立不動の姿勢をとっている。
「またぁ? まったく、懲りないおっさんだねえ。即刻送り返して、次やったら審問場送りにするって遣いの奴に言っといてよ」
ギゼリ侯爵はヒュザードの肩を持っていた貴族の中でも、取り分け熱心に支援していた人物。にも拘らず、ヒュザードが倒れディーが王になった途端、ころりと態度を反転させ、必死で機嫌を取ろうとしてくる。
ここまで露骨だともはや呆れるほかない。
近いうちに審問場に召喚して牢にぶち込もう。
ディーはそう心の中の予定表に書き込んだ。
「承知致しました」
かくかくとした動きで若い文官は執務室から出て行った。
それと同時に昼二の鐘が鳴り響く。
「あー疲れたー、休憩きゅうけーい。俺、奥の部屋にいるから誰かに昼飯持ってこさせてくんない?」
「畏まりました」
書類を抱えたまま出ていく初老の文官の背中を見送り、ディーは奥の部屋に続く扉を開けた。
が、次の瞬間には扉を閉めた。
「……今なんか変なものがいた気が……俺ってば最近働き過ぎで疲れてんのかな」
眉間に指を押し当てるディー。
部屋に緑色のふさふさした物体がいたような気がしたのだが、もう一度開けて確かめるべきか否か、彼はかなり迷った。
ここは五階。小さなテラスはあれど外階段などはなく、奥の部屋に入るには執務室を通らなければならないはずなのだが。
「もしかして幽霊……? いや、でも今昼だし、ああゆうのって夜に現れるもんでしょ。って別に信じてないけどね! 万が一いたとしても平気だけどね!」
混乱しているディーは、誰もいない執務室で必死に弁明し始める。
と、そこに奥の部屋から声が聞こえてきた。
「我ハ地ノ民ダ。幽霊ナドトイウアヤフヤナ存在デハナイ」
「ひっ、ここには誰もいな…………地の民? 地の民って何だっけ? どっかで聞いたことがあるような……ああ、そうそうローディスにいる狼に似た容姿を持つ種族を地の民って言うんだって誰かから教えてもらったな。そっかー、地の民かー……って何でこんなところに地の民が? ってか人間の言葉話せるんだ!?」
長い独り言を言い終え混乱から立ち直ったディーが扉を開けると、そこには姿勢よくおすわりをしている深緑色の毛の大きな狼――地の民のエルがいた。
「うん、確かに実体があるわ。ってか、よく見るとライカちゃんと一緒にいた狼じゃない?」
「ソウダ。個体名ハエルト言ウ」
そう喋るエルの口からは鋭い牙が見え隠れしている。
だが、恐ろしいとは感じなかった。彼の灰色の瞳に高い知性が宿っているのが分かったからだ。
「やっぱり! それならそうと早く言ってよね」
言う隙を与えなかったのは自分であるにも拘わらず、ディーは拗ねた顔をしながらエルに近づく。
「ライカちゃんは一緒じゃないの? 会いたいんだけどなー。この間の剣雅祭で会えると思ってたのに会えなかったし」
剣雅祭のとき、宛がわれた部屋を抜け出してまでライカを捜したのだ。
しかし、もの凄い眼つきの悪い騎士にもの凄い睨まれただけで彼女と会うことは出来なかった。さらに言えば、抜け出したことが警護担当の特務部隊隊長ダジュニ・ザハーノに知れて、さんざん小言を聞かされたりもして、剣雅祭では碌な思い出が出来なかった。
眼つきの悪い騎士がローディスの騎士団長だったことに思い至ったのは、バルドゥクに戻って二日経ってからのことだった。
「ソノ願イ、我ニハ叶エルコトガ出来ヌ」
「何でよ? あんた……エル君はライカちゃんの飼い犬、いや飼い地の民なんでしょ?」
「新王ハ無礼ナ人間ノヨウダ。我ラ地ノ民ガ人間ニ飼ワレルナドアリ得エヌコト」
気分を害したらしいエルは、ふさふさの毛を逆立たせ、牙を剥き出しにしてぎろりとディーを睨む。
「ゴメンナサイ、冗談デス」
「……命ガ惜シイノデアレバ、我以外ノ地ノ民ニハ言ワヌコトダ」
「肝に銘じます。……で、ライカちゃんに会えないってどういうこと?」
「……ライカハ姿ヲ消シタ。コノ国ニ来テイルノデハナイカト思ッタノダガ、可能性ハ低イヨウダ」
殊勝な態度で頭を下げると、すぐに話を元に戻したディーに呆れながら、エルは攻撃態勢を解いた。
「ライカちゃんがいなくなった!? それどういうこと!?」
「言葉ノ通リダ。王ヨ、我ハライカヲ捜シテイル。可能ナラバ王ニモ助力願イタイノダガ」
「するする! するに決まってるでしょ!」
エルに掴みかからんばかりの勢いでディーは頷く。
「我ノ願イハローディスノ願イデハナイ。ソレデモカ?」
エルの言葉は、国としてではなく、ローディスに住む一匹の地の民が、バルドゥクに住む一人の男に助けを求めているという意味だったが、それでもディーは迷いなく答えた。
「当ったり前じゃない」
「……ソウカ。ナレバ我ガ知ル限リノコトヲ話ソウ」
ディーの偽りのない思いを感じ取ったエルは、一度尻尾を揺らすと、ライカが消えてからのことを話し始めた。