4話 バルドゥクの新王
ヴァラファール大陸西の国バルドゥク。
前国王の弟ヒュザードの非道なる謀略により混乱状態にあったこの国も、新たな王の即位により徐々に落ち着きを取り戻し始めていた。
ローディスに逃れていた民もそれぞれの村や町に戻り、前と同じ、あるいは前よりも良い生活を送れるようになってきている。
「アロカン川の堤防はもう完成した?」
新国王となったバルディオ・ルツァ・バルドゥク――ディーは、城の五階にある自身の執務室で行儀悪く机に肘をつき、筆をくるくる回しながら側近の文官に訊ねた。
「いえ、まだです。人手不足によりあと一月かかるとの報告が入っております」
訊ねられた初老の文官は、大量に抱えた書類の中から手際よく該当するものを見つけ出すと、さっとディーの前に置く。
「雨期がすぐそこまで迫ってるってのに遅すぎでしょ。あの川が氾濫したらどんだけの被害が出ると思ってんの。さっさと王都から兵士を派遣して、とっとと作業終わらせて」
そう言うとディーは、用紙に筆を走らせ文官に突き返した。
「畏まりました」
態度も言葉遣いも全く王らしくないが、下す判断は的確なものなので、文官は彼の大抵の行為には目を瞑っている。
――諌めることを諦めたと言っても間違いではないが。
「あ、ケルニード山の件はどうなってる? ヴィアン=オルガからの返答はあった?」
背もたれにもたれ掛かっていたディーが、ひょいと身を起こして文官に訊ねる。
北のヴィアン=オルガ国との境にあるケルニード山で、気がかりな事件が発生していた。
「いえ、まだです」
「そっか……どうしたもんかねえ」
バルドゥクではケルニード山への入山を厳しく制限している。
理由は二つ。
一つは山に眠る上質な鉱石を守るため。
山中にはいくつもの洞窟があり、奥には赤い石が埋まっている。炎を近づけると仄かに輝く不思議な石。命が宿る石“炎魂玉”と名付けられたこの石は、所有者の寿命を延ばす力があるとされ、下位貴族では手が出せないほど高値で取引されている。
そしてもう一つはその“炎魂玉”を手に入れようとする者の命を守るためだ。
誰だって金は欲しい。小さな石一つで一生遊んで暮らせる金が手に入るならば、誰もが石を掘ろうと考えるだろう。
しかし、“炎魂玉”が埋まっている洞窟は、すべからくある生き物が住み処としていた。
火の民と呼ばれる馬に似た獣だ。
燃えるような赤毛に、馬にはない鋭い牙を持つ彼らは、知能が高く、そして大変好戦的だった。
無謀にも戦いを挑み、帰らぬ人となった者は数えきれないほどいる。
事態を重く見た数代前の王は、ケルニード山の護りを強化する法を定めた。
誰も命を散らすことがないようにと。たとえそれが無法者の命であったとしても。
王の思いが伝わったのか、火の民の恐ろしさがようやく分かったのか、ここ数十年で“炎魂玉”を手に入れようと企む輩はほとんどいなくなった。
そのため、ディーは今が入山制限を解く頃合なのかもしれないと考えた。
ケルニード山は風光明媚な素晴らしいところなのだ。それに資源も豊富にある。
国を豊かにするためにあの山を活用すべきだと、文官たちに相談したところ、概ね賛同を得られた。
では具体的に検討を始めるため、各地から優秀な人材を集めよう。
そんな話をしていた矢先のことだった。
何十もの“炎魂玉”が密かに売りに出されているとの報告が上がってきた。
偽物だろうという気持ちの方が強かったが、念のために調べてみると驚いたことに本物だった。
“炎魂玉”を手に入れる方法は、採掘を除けば、火の民の死骸から手に入れるしかない。“炎魂玉”は火の民の好物で、消化されていないものが体内に残っていることがあるのだ。
だが、その場合に見つかるのは数粒。それも親指の爪くらいの大きさのものがせいぜいで、それ以上の大きさとなると百年に一度見つかるかどうかだ。
何十もの“炎魂玉”が一度に出回るなどまずあり得ない話だった。
ディーはすぐに特務部隊を動かし、“炎魂玉”を貴族に売ろうとしていた男を城に連れて来させて話を聞いた。
男は白い外套の見知らぬ男に自分の代わりに売ってくれと頼まれたのだと言った。怪しいとは思ったが、金貨五枚という高額の報酬につられ、つい話に乗ったのだと。
そして、最後にこう付け足した。
『外套の隙間から刺青の入った手首と折り畳み式の弓が見えました。あの男はヴィアン=オルガの人間だと思います』
手首に入れられた刺青と折り畳み式の弓。
どちらもヴィアン=オルガ特有のものだった。
ディーはケルニード山の調査を特務部隊に命じると同時に、ヴィアン=オルガ王ナヴォルディスに事態を知らせる書状を送った。
「再度使者を遣わせますか?」
「うーん……いやいいわ。まだ十日も経ってないしね。せっついてナヴォルディス王の機嫌損ねて今後の関係が悪化しても困るし、それにザハーノ隊長もまだ戻ってこないし。あ、でも早馬の準備はしといてくれる? いつ事態が急変するか分からないからねー」
筆で机をこつこつ叩くディーに、初老の文官は畏まりましたと答え、持っていた書類に筆を走らせた。
と、そこに扉が叩かれ入室の許可を求める声がする。
ディーが頷き文官が彼の意を伝えると、扉が開かれ若い文官と近衛兵が入ってきた。