39話 欠片を集め
セアルグとクラハ=ロナを出たライカは、どこに向かうのかも知らず、彼の言うままに氷孤を走らせていた。
夜は、深く静かに世界を眠りへと誘っている。朝からずっと氷孤に乗っているライカは、自分の目蓋が徐々に重くなってくるのを感じていた。
乱立する木の間を通り、凍りついた池の傍を駆ける。
ライカの疲れを察したのかセアルグは一度止まり、自分の氷孤に乗れと言った。ライカは少し躊躇ったが、結局彼の言葉に従った。
「眠っても構わないよ」
ライカの氷孤の手綱の長さを変えて握ったセアルグは、再び暗闇の雪原を走り出す。ぶ厚い防寒着を着ているのに背中にセアルグの体温を感じ、ライカは安心できるような落ち着かないような不思議な気持ちになった。そのおかげか少し眠気が遠ざかった。
「ローディスで王女付きの侍女をしていたと言ったことは覚えているかい」
しばらくしてセアルグは氷孤の速度を落とし、雪原の夜に相応しい静かな口調でライカに話しかけた。
「ええ」
「あのときは言わなかったが、お前は国王とある約束を交わしている」
「約束? どんな?」
国の頂点に立つ者と交わす約束。忠誠や忠義などといったありきたりなものしか思い浮かばなかったが、セアルグが放った言葉はライカに少なくない衝撃を与えた。と同時に、ああやはりとも思った。
「……誰の眼にも止まることなく国のために働くこと。人を助けるという名目のその任務は、何度もお前を危険な目に遭わせた」
「それは……人を傷つけるものだったの?」
「結果的にそうなったものもあったが……思い出したのか?」
「夢を見たの。……私の手は血に染まっていたわ。だから私は人殺しなんじゃないかと思ったのだけど、そんな訊き方をするってことは夢は現実だったみたい、ね」
疑念が確信へと変わる。ふと自分たちを捜している人間がいることをライカは思い出した。もしかしたら罪を裁くために捕らえに来たのかもしれない。
「……ああ。俺も、お前も、大勢の命を奪ってきた」
「貴方も? 貴方も王様と約束を交わしているの?」
「違う!」
突然セアルグが大きな声を出し、ライカはびくりと肩を震わせた。
「……すまない声を荒げたりして」
「ううん、大丈夫」
腰に回されたセアルグの左腕にぐっと力が入り、ライカの心臓が大きな音を立てる。彼の呼吸が耳に響く。寒いはずなのに身体が熱い。
「……少し昔話をしよう。――ローディスにはある集団がいた。その者たちは暗闇に溶け込むように存在していたことから『闇』と呼ばれた。いつの時代に組織されたのか、百年前か二百年前か、正確なところは分からない」
ざっざっざっざっ。疲れたそぶりも見せず黙々と足を規則的に動かす氷孤。
それに合わせてライカとセアルグの身体が揺れる。
「『闇』は戦が起こったことがきっかけで結成された。勝つためには敵国の内情を探る密偵が必要不可欠だと何代、何十代も前の王は考えたんだ。王と幾人かの重臣だけが知る影の存在として密かに集められた彼らは、報酬と引き換えに各地に放たれた。王が慧眼の持ち主だったのか、彼らは総じて非常に優秀だった。そのうち偵察だけでなく暗殺などもこなすようになった。国は彼らを重用した。もちろん密かに。そして彼らもそれに応えた。孤児を拾い、ときには誘拐まがいのことをして、より優秀、より忠実な人材を育てた……育て続けた。国と組織、けして表に出ることはないが、彼らの繋がりは深かった。戦が起こる度により深く繋がった。平和と呼べる時代が訪れても関係は続いた」
はらり、はらり。雪がちらつき始める。ライカやセアルグ、氷孤に当たっては融けて水になっていく。
雪の上に落ちれば雪でいられるのに。少しの違いで運命は大きく分かれてしまう。
水となってしまった雪を可哀想だとライカは思った。
でも、それは人間も同じこと。たった一つの選択が、その後の人生を大きく変えてしまう。
(それを私は知っている)
「だがあるときこの関係に終わりを告げる王が現れた。王は『闇』の人間を残虐非道な集団とみなし、本来は命令できないはずの騎士に、まだ幼い『戦の護』の代行として討伐令を下した。人を密かに殺めることは得意でも、多人数の、それも騎士相手の戦闘などしたことがなかった『闇』の人間は、大した抵抗も出来ないまま、最後まで表に出ることなく歴史の陰に消えていった。――二人の人間を残して」
「……それが私と、貴方……」
「そうだ」
ばらばらだった記憶の欠片が、互いに引き寄せられ、少しずつ元の形を成していく。だが、まだだ。まだ足りない。あと少し、決定的な何かが足りない。記憶を呼び戻すのに必要な、絶対的な何か。
考えると頭が痛む。
早く思い出せと心が急かす。もう思い出すなと心が止める。
私は、誰? 私は、何? 私は……私は……。
降る雪は白く、大地は白く、世界は白く、記憶も白く。
真っ白な記憶、その奥底に眠る色を探し、ライカは必死に手を伸ばした。




