3話 何でも屋の葛藤
ローディス国王都ラシィリニオスに数ある宿の一つ、『妖精の隠れ家』。
安くて美味い料理が食べれると評判で普段から賑わっている宿だが、今日はいつも以上に人が集まっており、入りきらない人たちが通りに溢れだしていた。
人が多ければ多いほど揉め事は起きやすくなる。
その証拠に、あちらこちらから、肩がぶつかった、酒が足に零れた、などと言い合う声が上がっていた。
夕二の刻を告げる、王都のどこにいても聞こえるはずの鐘の音が、聞き取りにくいほどだ。
「宿が潰れなきゃいいけどな」
裏口から入り、厨房を抜けて一階の受付横の定位置に辿り着いたキールは、時折みしりと音を立てる柱に眼をやった。
何故、こんなにも人でいっぱいなのか。
それは、この宿にヴィアン=オルガから来た旅芸人の一座が泊まっており、その中の一人がこれから歌を披露するからだった。
彼らの芸を、キールは昼間、王都中央にある大噴水広場で見ていた。
悪くない腕だったと思う。特に、宙に投げた林檎に短剣を命中させる技はなかなかのものだった。
だが、
「ライカさんならもっと上手く出来るぜ」
ふん、と鼻を鳴らして、まだ芸が続いている中、キールは回れ右をして広場を去った。
どうしても比べてしまう。何をしていても、何を見ても考えてしまう。
彼女のことを。
誰にも何も言わずいなくなってしまったライカのことを。
マールから知らせを受けたとき、何かの冗談だと思った。マールが嘘をついてるのだと腹が立った。
だが、違った。
彼女は本当にいなくなった。
それからキールは、あらゆる手を使って彼女を捜している。寝る間を惜しんで国中を駆け回り、少しでもそれらしい噂を聞くとそこに飛んでいった。
――成果は全くなかったが。
「騎士たちも捜してくれりゃいいのに……フェリシア様の決めたことだとはいえ、納得いかねえよ」
騎士は国を護るために在る。
それは分かっている。だが、人だって国の一部ではないのか。人がいて初めて国と言えるのではないのか。
キールは、そうフェリシアに訴えたかった。たとえ、それがどれほど無礼な振舞いであっても。
「俺なんかが直接会えるわけないけどな」
はぁ、と大きく息を吐いて、外出時には常に持ち歩いている革袋の口を開ける。
情報を求め七日かけてバルドゥクとの国境にある町ダクバとファラムルまで行ってきたのに、収穫はゼロだった。
これでほぼ全ての町と村を回ったことになる。なのに、ライカの痕跡は何一つ見つからない。
もしかしたら、と最悪の結末が頭をよぎった。
「いや、絶対にそんなことあるわけねえ。バルドゥクに行ってるエルがきっと見つけたって知らせを持って帰って来る。……来るに決まってるんだ」
勢いよく首を振って、キールは革袋の中身を整理し始める。
傷薬の残りを確認しカンテラに油を継ぎ足していると、慌ただしく接客していた宿の女将が近づいてきた。
「おかえり、キール。あんたがいない間、何人もの人間が仕事の依頼に来てたよ。人気者になったねえ。言われた通り全員断っといたけど、本当に良かったのかい?」
「ただいまっす。大丈夫っす、今はちょっと手一杯っていうか、余裕がないっすから」
ライカが見つかるまで、誰からも依頼を受けるつもりはない。こんなときに他人のことで動き回るなど、絶対に嫌だった。
「そうかい。何か困ってることがあるんだったら言うんだよ、力になるから。……ああ、そうだ、あんたに手紙が来てたんだった」
ふくよかな身体を揺らして女将は、受付の後ろにある棚から封筒を取りキールに渡した。
――キール様へ リムストリア国 ナナリノより――
封筒に書かれた名を見たキールの心臓がどくんと跳ね上がる。
「おや、もしかして恋文なのかい?」
「ちがっ、そ、そんなんじゃないっす!」
「早く返事を出しておやりよ。――はいはい、すぐに行くよ」
客から呼ばれた女将は、声を上げて笑いながらキールから離れていった。
「そんなんじゃないって言ってるのに……」
キールはぶつぶつ独り言を言いながら封を開け、手紙を取り出した。
少し小さ目だが整った女性らしい文字。
いつも元気いっぱいで何事にも全力だった彼女からは想像できない綺麗な字だ。などと本人に言えば、きっと頬を限界まで膨らませて怒るだろう。
その顔を想像して、キールはふっと顔を緩ませた。
「えーっと、なになに……元気にしていますか。私は元気、だと思います――」
元気にしていますか。
私は元気、だと思います。
お母さんには少し痩せたんじゃないかと言われたけど、あんまり自覚はありません。
少し前、お母さんから姉さんのことを聞きました。
お母さんは『朱の霞』のツェルエ様からあの出来事の直後に聞いていたそうです。
私に話すべきかどうか迷ったけど、お前にも知る権利があるだろうから、と言われました。
最初は、私だけ知らなかったことにすごく腹が立ちました。
どうして教えてくれなかったのだと、キールやライルさんのことを恨みました。
……でも、それは間違った感情だと気付きました。
私を気遣って何も言わなかったキールたちを恨むなんて間違ってますよね。
私、もっと強くなります。そして姉さんがいた『朱の霞』の一員になります。
『朱の霞』になって、このリムストリアを誰もが幸せに暮らせる国にしてみせます。
誰も理不尽な死を迎えないように、理不尽な差別に苦しまないように。
私一人の力じゃ無理だけど、皆が力を合わせればきっと変われると信じています。
だから、えっと……私が落ち込んだとき、また手紙書いてもいいですか?
キールの元気を分けてもらいたいので。
「それでは、また会えることを願って。ナナリノより……か」
再会を願う言葉は、手紙の締めくくりによく使われる、いわば決まり文句のようなもの。
だが、それでもキールは嬉しかった。自分もまた会いたいと思っているから。
「ん、もう一枚紙があるな。――追伸、ユイレマに来た商人や賞金稼ぎの方たちにライルさんのことを訊ねてみましたが、今のところ誰もそれらしき人を見たという人はいませんでした。何か情報が入ればすぐに知らせますね――まあ、期待はしてなかったけどな」
言葉に反してキールの表情は暗い。
リムストリアにライカがいないとも限らないと考えたキールは、一月以上前にナナリノに手紙を出していた。ライルか、もしくは彼に似た人物を見たという人がいたら教えて欲しいと。
その答えがこれだ。
可能性は低いと思っていたとはいえ、実際に否定されると気持ちが沈む。
ナナリノからの手紙は嬉しい。彼女がどうしているのか気になる。
だが、今キールの心の大部分を占めているのはライカの存在なのだ。彼女が見つからなければ、どこにも進めないし何も始められない。
「とは言え、返事は書かねえとな。あとマールに報告もしねえと」
髪をぐしゃぐしゃっと掻いて、引き出しから紙と筆を取り出す。
先にマール宛の報告書を書こうと筆を握ったキールだったが、彼はおや、と視線を足許に落とした。