21話 海の向こうへ
キールは弓だけではなく、どこの町にでも売られているような一般的な長剣や、長旅で重宝する保存食など、必要になりそうな物を片っ端から買い込んでおり、それらを一旦床に並べてから手際よく三つの革袋に入れていった。
そして、ダレスたちが行商人としてヴィアン=オルガに入ると聞くや否や「ちょっと待ってて下さいっす」と再び部屋を飛び出し、大きな木箱を抱えて戻ってきた。
「皆さんご存知ラシィリニオスの特産品、アス葡萄酒っす。ここらじゃ珍しくない酒っすけど、ヴィアン=オルガでは稀少酒扱いされてるっす。アス葡萄はこの辺りでしか収穫されないっすからね。これを持っていけば、人気者間違いなしっすよ!」
がちゃんと木箱を床に置き、キールは得意げに蓋を開けてみせる。中には栓された灰色の瓶がぎっしり詰まっていた。
「ほお、アス酒か。俺はソルド花酒の方が濃厚で好みだけど、あれは高いからな。これなら庶民にも手が届く値段だし、いい選択だな」
瓶を一本取り出し耳元で揺らすヴォード。
アス葡萄酒は渋みが少なくすっきりとした口当たりが特徴で人気の高い酒の一つだ。他国の商人もよく買い付けに来る。
ソルド花酒などに比べれば味は劣るが、最高級酒は値段も最高級。その点アス葡萄酒は、少し無理をすれば庶民でも買える。時期や店によって多少値段の差はあるが、だいたい一瓶銀貨一枚といったところだ。
「いや、俺たちは人気者になりたいわけでは――」
行商人は手段であって目的ではないと、ダレスは顔をしかめる。だが、アス葡萄酒を飲みたそうにしているヴォードだけでなく、グレアスも賛成の意を示した。
「そうですね、酒は人の口を軽くします。相手の警戒を解くのにも役立つでしょう。ですが、持っていっても問題ないのですか? これはこの宿のものでしょう?」
「大丈夫っす。朝になったら同じものを仕入れに行くっすから。あ、お金も今はいらないっす。皆さんがライカ様と戻ってきたときに、ライカ様から貰うことにするっす。俺の蓄えが底を尽きそうなくらいの出費っすから、だから絶対に戻ってきて下さい、っす」
膝に付きそうなほどキールは深く頭を下げる。本当はライカが戻ってくるのであれば金などいらない。彼女から貰うと言ったのは、ただ少しでも形のある約束が欲しかったから。
「キール……貴方の思い、確かに受け取りました」
グレアスはキールの頭に手を乗せて、優しい笑みを浮かべる。
「なあに、心配すんなっての。俺たち三人の手にかかれば不可能はねえよ、なあダレス?」
自信に満ちた顔でダレスを見て、ヴォードはキールの肩に手を置く。
「……必ずライカを連れて戻る」
ぶっきらぼうに、だが真剣に約束の言葉を口にし、ダレスはキールのもう片方の肩に手を置いた。
「ありがとう、ございますっ……す!」
「礼なんか要らねえって。お前のためだけに行くんじゃねえんだから……ってキールお前もしかして泣いてる?」
「なっ、泣いてないっす!」
肩が震えていることに気付いたヴォードが顔を覗き込もうと腰を屈める。キールはぐいと眼をこする仕草をすると、下げていた頭を勢いよく上げた。
「すばらしい友情ですね、いい曲が書けそうですよ! ああ、興奮してきました!」
伝えるべき情報を紙に書き終えたアシェン=カヌカが、身を捩りながら歓喜の声を上げる。ダレスたち四人は揃って得体のしれないものを見るような眼で彼を見たが、吟遊詩人は完全に自分の世界に入っていて視線には全く気付かなかった。
「ダレス団長、お気を付けて。こちらのことはお任せください」
王城の敷地の隅にある翼竜の厩舎前で、やや緊張した面持ちのフレイエが姿勢を正した。
水平線の向こうでは朝を告げる太陽が顔を出そうとしている。
「頼む。迷惑をかける、フレイエ」
ごつごつした鈍色の翼竜の背に跨ったダレスが、フレイエに小さく頷く。言葉は少なくても、彼の漆黒の瞳には感謝と謝罪の色が浮かんでいた。
「ヴォード団長、くれぐれも慎重に行動なさって下さい。揉め事は絶対に避けて下さいね。グレアス団長の指示に従って下さい」
ティアナンがダレスの前に乗るヴォードを心配げに見上げる。
「俺は子供か! ったく、もうちょっと他に言うことがあるだろうが」
そう言って子供のように拗ねた顔をするヴォードに、場の空気が和む。
「こちらのことは心配しなくていいですよ。今日から騎士総出で取り締まりを行いますから。犯罪の気配があればどんな小さなものでも見逃しません」
「第一騎士団の副団長は何とも頼もしいことで……頼んだぞ、ティナ」
「お任せ下さい。無事の帰還を確信しています、団長」
ティアナンは迷いなく言い切り、拳を胸に押し当てた。
「別れの挨拶はもういいだろ。早く行かねえとそろそろ団員が起き出すぞ」
翼竜の首元より少し下に跨り、鈍色の背を撫でていたイシュヴェンがやや呆れ気味に出発を促す。
出来る限りヴィアン=オルガに行く日数を短縮するために、翠北海を巡回している第一騎士団の船まで、イシュヴェンが操る翼竜シャウリッカで運んでもらうのだ。
ヴォードによれば、シーグロードに半日から一日で行ける距離に騎士団の船がいるのだという。
「ええそうですね、行きましょう。二人とも掴まって下さい」
イシュヴェンの後ろにいるグレアスが振り返り、翼竜に初騎乗の二人に指示を出す。
「よしっ、さあ張り切って飛んでくれよ、シャウリッカ!」
イシュヴェンの求めに応じ、四人を乗せた翼竜が大地から離れる。フレイエとティアナンに見送られながら、翼竜は北に向けて大きく翼をはためかせた。




