13話 夜を裂く咆哮
「油の残りは?」
「もってあと一刻ほどかと」
「そうか……」
ザハーノは頷きながら、眉間に皺を寄せた。
洞穴の入り口からの光がなくなって、およそ二刻。再び空が明るさを取り戻すまで、少なくとも四刻はある。だが、カンテラの火は残り一刻分しかない。
灯りが消えれば、待っているのは完全な暗闇。いかな特務部隊員といえども、何も見えないところに長く居続けるのは精神的に辛い。ましてや、すぐ外には閻孤の群れ。
今までは無事でいられたが、この先もそうであるという保障はどこにもない。狭い入口を強引に広げて入ってこないとも限らないのだ。
続く緊張に隊員たちも疲労の色が隠せなくなってきている。もし閻孤の襲撃を受けたとして、全力で戦うことは難しいだろう。ただでさえ、戦力を欠いているというのに……。
ふぅ、と息を吐いて、ザハーノは硬い土壁に背を預けて眼を閉じた。
部下の命を守るために自分にできることは? 自分がすべきことは?
囮となって閻孤を引きつけてみるか? だが、何匹いるか分からないのに、全ての注意を自分に向けさせることが出来るのか?
「……無理だろうな」
数匹程度ならば可能だろう。上手くいけば勝てるかもしれない。
だが、十を超える閻孤相手では、とても自分一人の力で対応出来るとは思えなかった。
「とはいえ、いざとなれば覚悟を決めねばならんか」
眼を開けて剣の柄に置いた手に視線を落とす。
薄闇の中見える、傷だらけの手。手だけではない、身体の至るところにいくつもの傷がある。
多くの命を護り、また多くの命を奪ってきたという証。
弱き者を助けたいと剣を手に取ってからどれだけの月日が流れただろう。
誰かを護るために誰かを殺める。その矛盾しているともいえる行為に悩んだこともあった。
だが、戦とはそういうものだと言い、すまないと頭を下げた前王の哀しそうな顔を眼にしたとき、国のために命を賭そうと心に誓った。迷いは消えた。
ヒュザードが王になるとなったときは剣を置こうと思ったが、奴が死んでバルディオが王になったことでそうならずにすんだ。
だから今も、誰かを、大切な部下を護るために、剣を振るうことが出来る。
「何としても生きて帰さねばな」
ザハーノは眼を開けて、気丈に振舞っている部下たちを視界の隅におさめた。
これからの国の発展を担う者たち。
彼らの未来を奪うわけにはいかない。彼らは無限の可能性を秘めているのだから。
老いゆく命を懸けることなど、容易いことだ。
「夜が明けるとき――」
ここを出よう。そうザハーノが呟こうとしたときだった。
アオォォォォォォンッ!
獣の雄叫びのような声が轟き、大地が震えた。
「王ヨ、マモナク山ニ入ルゾ」
「……あ……うん、そ、そう」
森に微睡む馬の背にへばりつく格好のディーはぐったりとした様子で、並走するエルに視線を向けた。
馬を乗り換えてからおよそ四刻。地上を照らすものは太陽から月へと変わり、大地は昼間とは違う一面を見せている。
ケルニード山の手前に広がる丘陵地帯。その最後の場所となるラタニ湖。太陽の光を反射してきらきらと輝く昼とは違い、今は鏡のように静かに月を映している。
絵のように美しい光景。
だが、四刻もの間、馬より遥かに早く走る生き物に、ひたすら落ちないようにしがみついていたディーには、その景色を楽しむ余裕など欠片も残っていなかった。
とにかく早く降りたい。ただそれだけを願っていた。
「閻孤ノ匂イガスル……人間ノモノモ混ジッテイルナ」
あっという間にラタニ湖を過ぎ、ケルニード山中へと入る。
一旦立ち止まったエルは、首を動かしながら鼻をひくつかせると、すぐにまた走り出した。
風を切るように、風と同化するように、エルと森に微睡む馬は夜の山を登っていく。人間にとっては灯りがあっても走るのは難しい場所だが、彼らは平原と同じように駆けることが出来た。
深い緑の匂いに混じって、湿った土の匂いがディーの鼻をかすめていく。
山中に流れる川を飛び越え、長い跳躍を四度ほど繰り返したところでエルは足を止めた。
ふん、と不快そうに鼻を鳴らす。
「コレダケノ数ヲ集メルトハナ」
「……つ、着いた? ……って、何? なんかもの凄い殺気を感じるんだけど!?」
森に微睡む馬の背で死にそうな顔をしていたディーが、ぱっと上体を起こして剣の柄を握る。
周りに生い茂る木々。そのあちこちから敵意を感じた。まるで木が怒っているのかと錯覚するほどだ。
だが、暗闇の中で不気味に光る赤い眼がそれを否定している。
「大分数が多いみたいだけど大丈夫、エルの旦那? 正直、俺は勝てる気がしないわー」
「戦ウ必要ハナイ。コチラガ上ダト示セバイイ。――耳ヲ塞イデイロ」
「分かった」
言われた通り、ディーは両耳を手で塞ぐ。
それを横目で確認したエルは体勢を低くし――大地を揺るがす咆哮を放った。




