59.初経験かな
驚くネーナに、レイは嬉々として近寄っていく。
そして、予想通りというか、当然の流れとでもいうように抱擁。ううん……ネーナが他の誰か、それも男かもしれない人に抱き締められているのは嫌な気分……に、なると思ったんだけど、レイ相手だと全然それがないのはなんでだろうね。逆に苦笑いというか、そういう類の笑いが出てしまうね。
抱きしめられて我に返ったらしく、ネーナはレイの顔を見て疑問を口にした。
「あの、どうしてここに……」
「ナティからの近況報告の手紙を見て、一度は会いにいかないといけないと思っていてね。ようやくその時間が取れたんだよ! ナティの元気そうな顔をこうして見ることができて、心から安心しているよ! 人攫いに捕まったという手紙の一文を見たときは、心臓が凍りついたかと思ったよ!」
「その件については大変ご心配をおかけしました。ですが、リツキ様に助けて頂きまして……」
「囚われのお姫様を助け出すのは運命に選ばれた騎士の役目! 君はリツキという素敵な騎士に巡り合えたことに感謝しないといけないよ!」
「はい、レイ様。私はリツキ様に心より感謝しています。リツキ様を心よりお慕いしております」
「そうだね! 僕もリツキを心から慕うとともに、愛おしく思うよ! リツキは僕たちにとってまさしく『運命』だ!」
「止めて、本当に止めて、恥ずかしいから止めてください」
コタロとリラを両手で抱きしめながら、俺は二人に顔を埋めてしまう。
いや、ネーナだけでも俺を過大評価し過ぎなのに、それが二人分となると本当に恥ずかしい。まるで俺がとんでもなく凄い人間みたいじゃないか。花火振りまわしてビビらせただけなのに、いやもう本当に勘弁して。
こういう時には大抵メルがネーナに突っ込みを入れてくれるんだけど、メルの方を見てもあまりかかわりたくないって感じで少し距離をとる始末。いや、なんでさ。
ただ、メルのそんな気持ちをレイは微塵も推し量るつもりはないらしい。
ネーナから離れたかと思うと、メルを視界にロックオンして彼女に向けて嬉々として言葉を紡ぎ始めた。
「メル嬢も久しぶりだね! いったい君と再開するのは何年振りだろう! あんなに小さな女の子だった君が、こんなにも可憐な女性に成長して僕は嬉しく思うよ!」
「あっと……ご、ご機嫌麗しゅうございます、レイ様。この度は……」
「そんな固い話し方は止めておくれ! 幼いころから君は僕にとって妹も同然の存在なんだからね! 君がナティと一緒に働いているとは全く知らなかったよ! 先日の晩餐会でもラリオ老は何も教えてくれなかったし、本当にびっくりしているよ! メル嬢のことを聞いても花嫁修業に出したとしか言ってくれなかったしね!」
「は、花嫁修業じゃありませんっ!」
顔を赤く染めて反論するメル。ただ、あの、メルさん、どうして俺の背中を盾にしているんだろうね。メルがこうやって誰かに苦手意識を持つのは本当に初めて見るなあ。
レイは社交性という意味では抜群みたいだし、特段メルが苦手意識を持つようなところは見当たらないんだけど……よく分からないね。
俺は混沌とした状況にため息をつきつつ、レイに話しかける。
「レイ、ネーナに用があったんじゃないんですか? 確か話があるとか」
「おお、そうだったね! 僕の愛しいナティ、今日は君に大切な話があってきたんだよ。もちろん、元気そうな君の姿を確認することも大事な用件だったんだけれどね」
「レイ様のお話……『家』のこと、ですか?」
「そうだね、その通りだ」
ネーナの確認にレイは頷いて肯定した。その瞬間、ネーナの表情が少しだけ強張ったのを見てしまった。
家のことで色々複雑な事情があるのはネーナ本人から聞かされていたし、メルからも触れないように言われている。
俺もネーナが話してくれるまでは待つことを決めたんだけど……その家のことで何かあったみたいだね。
俺は視線でネーナに大丈夫か確認すると、ネーナは笑顔に戻って頷いてくれた。
「リツキ様、少しレイ様と二人でお話することをお許しください」
「あ、いや、それは全然……家のことだからね、納得いくまで話しておいで。コタロとリラのことは俺に任せて」
「姉ちゃん、いてらしゃ!」
「いってらっしゃい」
コタロとリラの応援を受けながら、ネーナは微笑んでレイとともに二階に上がっていった。どんな話をするのかは分からないけれど、それがネーナにとって吉報であればいいね。
レイの姿が見えなくなった瞬間、俺の背中に隠れていたメルは大きく安堵の息をついた。
そんなメルの姿に苦笑しつつ、俺はメルに訊ねかけた。
「レイのこと、随分苦手みたいだね。メルがこれほどまでに態度に出すのは珍しいかもしれないね」
「はあ……あの方は昔から苦手なんですのよ。小さい頃から自由気ままに人の頃を振り回して、好き勝手やって、本当に無茶苦茶、破天荒な方で……それで本人に悪気が微塵もないのですから性質が悪いんですわ。決して悪い方ではなく、むしろとても善人だとは認めますが……まさかあんな悪趣味な仮面をつけて、こんなところにまでお忍びでやってくるなんて、悪ふざけにもほどがありますわ」
「レイは天然みたいだからねえ……でも、ネーナとの関係は分からないけれど、家族かそれに近い人なんでしょ? ネーナも久しぶりに家の人に会えて安心しているんじゃないかな」
「それはどうでしょう。ネーナにとっては、このまま家から離れてリツキさんの傍にいる方が何百倍も幸せなことなのかもしれませんわ。あなたの傍にいる間は、優しい夢だけを見ていられますから」
「それはどういう……あ、ごめん、ネーナじゃなくてメルに彼女の家の事情を訊こうとするのはいけないね」
「いえ、私もこんな言い方しかできなくて申し訳ありません。もう少し、もう少しだけ待ってあげて下さいまし。あの娘の抱えている事情は、本当に重い物ですから」
メルの言葉に俺は頷いて応えた。
ネーナがどんな重たい物を胸に抱えているのかは分からない。それはきっと、無理矢理に強要したりしても意味がないものなんだろう。
だったら、俺は待つよ。ネーナがいつか、その重荷を俺と共有してくれるまで、そのつらさを少しでも俺に背負わせてくれるまで。いや、何ができるかは分からないけれど、その時は絶対にネーナの力になるんだ。
俺が今、こうして異世界で今を生きていられるのは、間違いなく彼女がずっとそばにいてくれたから。ネーナのために力になりたい、その気持ちは誰にも負けないから。
俺はコタロとリラを撫でながら、メルに呟いた。
「ネーナが踏み出してくれたときは、全力で力になるよ。ネーナにはいつまでも笑顔でいてほしいから」
「ですわね……でも、リツキさん。それをネーナではなく、私が横にいる時に口にするのはどうかと思いますわよ」
「え、何か拙かったかな」
「この方は本当にもう……リツキさんのばか」
「今更だな。リツキは正真正銘の馬鹿だぞ」
メルの言葉に呼応するように、黙々とプラモデルを弄っていたルシエラからも俺への罵声が飛んできた。いやいやいや、なんでさ。
二人から馬鹿と言われては、流石に俺も凹んでしまうね。
しょんぼりする俺に、コタロは首を傾げて『どしたの! どしたの!』と訊いてくる。コタロはいつでも可愛いね。
リラは俺が元気になるように、頬をぺちぺちとしながら『元気出して』と言ってくれる。リラも本当に可愛いね。二人がいるかぎり、俺は今日も元気です。
レイとネーナの話は一時間ほどで終わったようだ。
二階から下りてきて、二人の表情を見る限り、急にネーナが店から連れて行かれたりするようなことはないみたいだ。良かった、本当に良かった。
でも、それだけじゃ不安だったので、ネーナにそれとなく訊いてみると、笑顔で『リツキ様のお傍に居させてください』と言われた。すみません、頭なら何度でも下げるので一緒にいて下さい。
ただ、ネーナと話をしたことで、レイは用件を済ませたらしい。
コタロやリラに自己紹介をしたり、ひとしきり抱きしめたり、仕事に逃げようとするメルを掴まえて話し込んだりしたものの、用が終わったので家に戻るとのこと。
本当に何もかもが急で台風のような人だなと思いつつ、俺たちはレイを見送るために店の外に出ていた。昼下がりの時間で客も少ないからね。
店の一同……じゃないね、リムルさんはまだ戻ってきてないので、残るメンバーでお見送り。俺はレイにみんなを代表して話しかける。
「また遊びに来て下さいね。歓迎しますから」
「ありがとう! リツキ、どうか僕の可愛いナティのことをよろしく頼むよ! 他の誰でもない君ならナティを任せられるからね! ナティ、リツキから離れないようにするんだよ! 彼は君にとってかけがえのない騎士様なんだからね!」
「はい、レイ様。リツキ様がお許しになる限り、お傍に」
「良い返事だ! メル嬢にタヌ子嬢、ルシエラ嬢、コタロ君にリラちゃんもナティをよろしくお願いするよ!」
「もちろんですわ。ネーナは私にとって大切な親友ですもの」
『はい! こちらこそよろしくされる所存ですよ!』
「他人に誰に言われるまでもないぞ」
「うんっ!」
「ネーナと一緒」
それぞれの返答に、レイは心から嬉しそうに表情を緩めた。
いや、仮面をしているから目線は分からないんだけど、口元が完全に緩みきっている。ネーナのこと、本当に可愛いんだろうね。愛されるっていうのはいいことだ。
そして、レイはもう一度俺の方を見て、ゆっくりと口を開く。
「リツキ、迷惑をかけることになるけれど、どうかナティを守ってあげておくれ。本当は僕たちがそうできればいいんだけど……その力のない情けない僕たちを許してほしい」
「家の事情は分かりませんが、ネーナのことは任せて下さい。ネーナは俺たちにとって……俺にとって、かけがえのない人です。ネーナの力になれること、嬉しく思います」
「……本当にナティは君に出会えて幸せだね。リツキ、君に心からの感謝を」
そう言ってレイは右手を差し出してきた。とても女性的な、細く綺麗な手だと思う。
多分、握手を求めているんだろうね。そう思って、俺は快く自分の右手を差し出したんだけど……無警戒だったのが拙かった。本当に拙かった。
俺が差しだした右手を、レイは嬉々として掴み、こちらがびっくりするくらいの力で引き寄せてきた。いやもう、その小さな細身の体のどこにそんな力がってくらいの強さで。
びっくりして、よろけるようにレイの方に引き寄せられた俺を抱きとめ、レイは笑みを零して、その顔を俺の頬へと近づけてきて……え、嘘。ちょ、待っ――
右頬に触れる、温かな感触。
俺とレイの距離がゼロになり、唖然とするリリネコ商店のみんな。
ゆっくりと俺から離れて仮面に手をかけ、そっと仮面を上にあげるレイ。
その仮面の下から、美しく、そして可愛らしい紅の瞳を覗かせながら、悪戯っ子のように微笑みながら言葉を紡ぐのだった。
「――親愛の証を君に。リツキ、本当に君のことを心から愛おしく思う。また君に会える日を楽しみにしているよ! また会おう、僕の可愛いナティの騎士様!」
そう笑って告げて、レイは店から去って行った。
未だ熱の残る右頬を押さえながら、呆然とする俺。いや、あの、え、もしかしなくても、キス、されたのかこれ。
唇同士ではないとはいえ、あの、俺、初めてのキス体験なんだけど……というか、どうなんだこれ、今日出会ったばかりの人にキスされるなんて、どうなんだこれ。やばい、嬉しいとか全然なくて、みんなの反応が怖すぎる。
みんなの反応に恐怖しつつ、ゆっくりと俺はみんなの方を振り返る。
なんと弁解しようか……そう考えていたんだけど、みんなの反応は予想とはちょっとずれていて。
ネーナはびっくりしたように目を丸くしている。うん、それは何となくらしいなと思う反応だった。コタロとリラは特に変わった様子はない。問題なのは他の三人の反応だ。
まず、メル。なんというか、本気でドン引きしてる。怒るとか顔を真っ赤にするとかじゃなくて、本気で引いてる。
ルシエラは俺を見てなぜか納得している。『そういうことか』と、目から鱗とでもいうような感じで。
タヌ子さんは顔を押さえて『いけませんよ! そういうのは全然良いと思いますけど、いけませんよ! でもでもでも、嫌いじゃありません!』なんて言いながら身悶えしてる。
……いや、もう嫌な予感しかない。みんながこんな反応をする理由を聞きたくない。どう見ても、男と女が目の前でキスした反応じゃない。お家に帰りたい、寝たい。現実なんて知りたくない。
でも、そんな逃避をしても現実は何も変わらない訳で。
俺は必死に震える足を押さえつつ、この中で一番優しく現実を教えてくれそうなネーナに震える声で訊ねかける。怖くても、知りたくなくても、触れなきゃ、真実に。
「あの、ネーナ……レイ、なんだけど……レイの、性別って、さ」
俺の質問に我を取り戻したネーナは、可愛らしい瞳で俺を見つめ返しながら、その残酷な現実を教えてくれた。
「レイ様……レイお兄様は、私の二番目のお兄様で、その――男性です」
『ひゃあああああ! なんですかリツキさん!? どうして私の手で必死に頬をぬぐっているんですか!? 私の手が恋しい年頃なんですか!? わ、私はなんて罪な女なのでしょう!』
タヌ子さんの嬉しそうな声を耳に、俺は必死に右頬を清め続けるのだった。
必死に拭い続ければ、俺の人生初だった接吻経験はノーカウントになったりしないだろうか。レイ、いつまでも良きお友達でいよう。
ちなみに、俺のセカンドキスの経験は、激しく落ち込んだ俺を元気づけようと両頬にキスをしてくれたコタロとリラだった。コタロ、リラ、兄ちゃん負けないからね。泣くのは一人になってからだからね。




