57.嵐は勢いを増しています、かな
「ああ、なんと素晴らしい店内なんだろう! 今、僕の胸は感動に打ち震えているよ! この感動は美国と謳われるシェネラーゼ王都に足を踏み入れたあの時に勝るとも劣らない!」
店内に入るなり、レイは感嘆の声をあげて両手を広げている。
仮面をしているから顔は見えないけれど、きっとあの仮面の下ではくりんとした目がキラキラに輝いているんだろうね。
店内に入るなり、大声で感動を叫ぶものだから、店内のお客さんの注目はレイが一人占めだ。というか、こんな怪しい仮面かぶった人が両手を広げて感動に打ち震えていたら、そりゃ誰だって見るよね。
そんなレイに一番最初に反応したのはカウンターにいたタヌ子さんだ。
カウンターからぴこぴこ足音を立てながら出てきて、びっくりした様子で俺たちに話しかけてきた。
『どうしました!? 店内で大声をあげられて、何か不備でもありましたか! このタヌ子、今朝の開店前のお掃除では魂込めて職務を全うしたつもりですが、もしゴミでも落ちていたなら私の落ち度! どうかお怒りは私、この私タヌ子におぶつけください! 間違ってもメルさんに報告したりしないでください! ネーナさんならいくらでも報告して構いません!』
「いや、どんだけメルに怒られるのが怖いのさ……別にメルは怒鳴ったりしないでしょ?」
『リツキ様は分かっていません! メルさんと私はほぼ同期、確かにちょっぴりメルさんが先輩ですが、私の中では同期なんです! しかも仕事内容は同じ表の接客! はっきり言います、メルさんは私にとって良き友人であり良き好敵手なのですよ!』
「えええ……」
『メルさんと私は実に個性が似通っています。仕事のできる女性、頼りがいのある女性、そう、私とメルさんは互いに切磋琢磨して競いあう仲なんです! そんなメルさんに情けない姿を見せるわけにはいきません! メルさんの前では常に恰好良い女性でありたいんです!』
「タヌ子さん、悪いことは言わない、一度自分を見つめ直そう。タヌ子さんはどちらかというとコタロやリラのポジションだから。俺はタヌ子さんの子どものようなドジをしてペコペコみんなに必死に謝る姿も魅力的だと思っているよ」
『優しく全否定されました!?』
ガガーンとショックを受けているタヌ子さん。
いや、俺だって本当のことを伝えるのはつらいんだ。でも、これは誰かがいつかやらなきゃいけない仕事なんだ。だから身を切る思いでタヌ子さんに真実を伝えているだけなんだ。ルシエラあたりに言われたらきっと立ち直れなくなるだろうから。
メソメソするタヌ子さんだが、そんなタヌ子さんに興味を示しに示したのはレイだった。
レイは嬉しそうに……それこそ、コタロやリラのように尻尾があったらぶんぶん振っているであろうってくらいに喜んでタヌ子さんに声をかけた。
「はじめまして、美しい人。僕の名前は訳あって名乗れないことを許してほしい。リツキ、彼女はこの店の店員なのかい?」
「え、ああ、そうです。タヌ子さんといって、ネーナの同僚になりますね。タヌ子さん、こちらは……」
そこまでいって、俺は紹介の言葉を止める。
この人、俺の時は『レイ』って呼んでくれって言ったのに、タヌ子さん相手には名乗れないって言ったね。どうやら本当に『レイ』って呼び名は心許した相手だけに許す呼び名らしい。いや、初対面だった相手である俺にそれを許すのもどうなのさ……
とりあえず、呼び名をどうしよう。タヌ子さんになんと紹介すればいいのか。
そんなことを考えていると、元気を取り戻したらしいタヌ子さんは、ペコリと頭を下げて挨拶をしてくれた。
『はじめまして、仮面の方! 私の名はタヌ子と申します!』
「仮面の方……いや、間違いではないんだろうけれど、レイ、呼び方はそれでいいんですか?」
「もちろんさ! この仮面は僕も心から気に入っている一品でね、実に素敵だと思わないかい? この仮面が僕の代名詞になれるなら、これほど嬉しいことはないよ!」
「えええ……気に入ってたんですか」
流石に『悪趣味だから変えた方がいいですよ』なんて言えない空気だ。
いや、でもこれはどうなんだ。本人の趣味だと言っても、流石に限度があるんじゃないか。もっと顔を隠すなら良い物があるんじゃないのか。でも本人が気に入ってるようだから、それでいいのかな……うん、この件は突っ込まないことにしよう。
とにかく俺はタヌ子さんに、レイについて紹介をした。
「この方はネーナの知人みたいで、今日はネーナに会いに来たらしいんだ」
『ほええ、そうなんですか! でもネーナさん、今日はお休みでメルさんたちとお買い物に行ってしまいましたね』
「そうなんだよ。だから、帰ってくるまでお店で待ってくれるらしいから、一応そのことを伝えておくね」
『分かりました! このタヌ子、ネーナさんのお客様への接客業務もお任せ下さい! 何せ仕事の鬼と呼ばれたこの私、どんなお仕事でも……』
「あ、カウンターにお客さんが」
『ふひゃあ! たたた大変お待たせしましたー!』
タヌ子さんが慌てて駆け出していく。いや、『お客さんがいるから俺がいくね』って言おうとしたんだけど……あ、こけた。店内で走るのは危ないね。
お客さんたちも笑いながらタヌ子さんに手を差し伸べる。タヌ子さんも完全に愛されキャラとしてお客さんに馴染んだなあ。ネーナやメルとは別の支持層ができてるよね。
「本当に可愛らしい人だね。彼女のような明るい人が同僚でナティも毎日楽しいだろうね」
「タヌ子さん、みんなをいつも明るい気持ちにさせてくれる素敵な人ですからね。他にも沢山素敵な友人に囲まれて暮らしていますよ。例えば……」
そう言いながら俺は視線をルシエラの方に向けて、止めた。
ルシエラ、明らかに『私を紹介するな』と言いたげな視線を俺に向けている。凄いや、リムルさんと肩を並べるくらいのジト目だ。
ルシエラ的には忙しい自分を面倒事に巻き込むなという感じなんだろうけれど、いや、でも君、机の上でプラモデル改造してるだけだからね。前はラジコン改造してたけど、今度はロボットのプラモデルを改造始めたのか、どこの世界へ突き進んでるんだ君は。
嫌がるなら仕方ないと思い、ルシエラの紹介を止めようと思ったのだけど、レイは今の俺とルシエラの視線のやり取りを見ていたようだ。
完全に彼女が従業員であると悟り、嬉々としてルシエラに近寄って行った。あ、駄目だ、この人怖い物知らずだ。ルシエラの近づくなオーラもお構いなし、本当に天然だな。
というか、この人ネーナの関係者ってことは、つまり貴族なんじゃないのか。貴族って冥府の民にあまり良い感情を抱いていない人が多いっていうけれど、大丈夫なのかな。あのネーナですら、初めてルシエラを見たときは少し躊躇したくらいなのに。
だけど、レイは怖がるどころか満面の笑み……仮面だから絶対にそうだとは言い切れないけど、楽しそうに口元を緩めてルシエラに話しかけていた。
「はじめまして、美しき人! 僕の名は『仮面の人』、どうか君の名を教えてほしい! 君と仲良くなりたいんだ!」
「リツキ、蹴り飛ばしていいか? 割と全力で蹴りたい気分なんだ」
「あの、それって仮面の人をですかね、それとも俺をですかね……」
可愛らしい声で恐ろしいことを言うルシエラ。
ピンバイスでロボットの足の裏になぜか穴を開けている彼女に、俺は先ほどタヌ子さんにした説明を繰り返した。
だけどまあ、ルシエラは恐ろしいほどに興味がなさそうに『そうか』と言うだけ。ううん、本当に興味のない相手には冷たいね、ルシエラ。
ネーナの関係者だという言葉には少し反応したものの、それだけ。視線で『早く会話を終わらせろ』と無言の圧力が苦しいです。
ルシエラの気分を損ねても仕方なし、適当に話を切り上げて終わらせた。
ルシエラから離れたところで、レイは小首をかしげながら訊ねてくる。
「どうやら気分を害してしまったようだね。ナティの世話になっている人に失礼を働いてしまった、本当に申し訳思うよ」
「いや、ルシエラはいつもあんな感じなんでお気になさらずに。基本、気まぐれなんで」
「ふふ、そう言ってもらえると救われるよ。でも、そんな彼女が一緒にいることを選んだリツキは人間として魅力的だってことだね。そのことが僕は嬉しいよ!」
「いや、喜ばれましても……それで、どうします? 今店にいるウチの店員はこれだけで、あとは昼前にネーナともども戻ってくると思うんですけれど」
「それでは店内を色々見回らせてもらうとするよ。ちらりと見た感じ、ここには見たこともない商品ばかりだからね! 興奮が抑えられないよ! 胸がドキドキするね!」
「そ、そうですか、どうぞごゆっくり」
この世の春とばかりに喜ぶレイに少し引きつつも、俺は頭を下げて仕事に戻った。
うん、ネーナのお客さんであるレイの相手をすることも大事だけど、店内の仕事も大事だからね。タヌ子さん一人に全てを任せるのも心苦しい。ここはしっかり働かないとね。
レイのことは置いといて、ひとまず俺はタヌ子さんと一緒に仕事に励み続けた。
カウンター業務の傍ら、ちらりと視線でレイの方を追ってみると、レイは商品を鼻歌交じりで楽しそうに見つめたり、常連さんと楽しげに談笑していたり。いや、本当に楽しそうだね……あのコミュ力、ちょっと凄いな、店長として尊敬しないと。
ラリオさんが今日来てくれていたら、同じ貴族同士で話も合ったかもしれないけれど、こういう日に限ってラリオさん来てないんだね。
でもまあ、レイも楽しそうだし、このまま時間が過ぎればネーナと何事もなく会わせることもできるよね。そんな風に順風満帆の未来を想像しながら仕事をしていたんだけど……まあ、最初に感じた嵐の予感は当たるもので。このまま何事もなく終わるはずがなかったんだね。
突然、店の扉が乱暴に開かれたかと思うと、そこから現れた背丈の小さな男衆たち。
百五十センチくらいの若者三人組が、ズカズカと店の中に入り込んできた。いや、お客様かもしれないからこんな表現はまだしちゃいけないとは思うんだけど……明らかに客じゃないよね、空気が。
そして、カウンターにいる俺の姿を見つけて、リーダー格の男が乱暴に声を荒げて叫んだ。
「てめえか! 俺らのお嬢を誑かして無理矢理働かせている最低最悪のクソ野郎は! ちょっと面貸せや! 俺らのお嬢を散々な目にあわせて、ただで済むと思ってんのか!」
ドンと力強く床を踏みしめ、俺を睨みつけてくる男衆たち。
静まり返る店内、俺の横であわあわと震えるタヌ子さん。大きく肩を落としてため息をつく俺。
……いや、もう、なんだろうね今日は。どういう日なんだろうね。
カウンターから出て、俺が最初にすべきことなんて分かってる。俺は頭を押さえながら、懇願するようにその言葉を絞り出すのだった。
「……ルシエラ、お願いだから離してあげて。とりあえず、何か色々と誤解があるみたいだから、ちゃんとお話してみるから」
俺が視線を向けたその先には、鳩尾を押さえて床に蹲って悶絶する若者二名。
そして、残る一名の首を片手で掴み、軽々と持ち上げるルシエラの姿。
一秒もない刹那の間に、三人の若者をねじ伏せたルシエラ。そんな彼女の姿に、興奮して賞賛と歓喜の声を浴びせる荒っぽい討伐者の常連の皆様。ルシエラ、討伐者の皆様から絶大な支持を受けているからね……本人は気にもかけていないけれど。
若者を床に放り投げ、ルシエラは黙って俺の横に並んでくれた。普段は本当にあれだけど、本当に必要な時はいつだって動いてくれる、そんなルシエラだからみんなに慕われるんだね。
そんなルシエラを心から頼もしく想いつつ、俺は蹲る若者……間違いなく大地の民である若者たちにそっと声をかける。
「あの、すみません。詳しい事情とかをお聞きしたいんですけど、今、お話しできます?」
未だ悶絶する若者たちは、俺の問いかけに必死に首を横に振った。
痛みでまだうまく会話できないみたいだ。彼らの回復を待つにしても、とりあえず店のど真ん中は拙い。
「とりあえず、店の隅にある机に移動しましょうか。そこなら椅子もありますし、お話もできますから」
「奥の机は駄目だ。そこは私の遊び道具が占拠しているからな」
「胸を張って言わないでよ……一つ前の机と椅子を使うから。そこで痛みが引くのを待ちましょうか」
「賛成だね。その頃には彼らの頭も冷えているだろうからね」
「……いや、何普通に会話に参加しているんですか、レイは」
いつの間にいたのか、俺の横で楽しそうに口元を緩めるレイ。本当に天然だね、君は。
俺はお店のお客様たちに騒がしくしたことへ頭を下げつつ、若者三人を机まで転がし……もとい、運ぶのだった。欠伸をしながらついてくるルシエラと、嬉々としてついてくるレイ。はあ、本当に今日はいったい何なんだろうね……




