56.嵐の予感かな
異世界生活八十二日目。
「それじゃ、納品お願いするね」
「分かたの」
店の外まで見送る俺に、リムルさんは素直にペコリと頭を下げてくれた。
そして、外に用意してあるリヤカーを手にとって街の大通りへ向けて引いていく。その荷台には沢山の荷物が積まれている。
そう。今日はリムルさん、初めての納品のお仕事を担当していた。
ウチはメルが契約をとってきてくれたお店に商品を納めているんだけど、全てのお店がオードナさんのように馬車を用意して取りに来てくれる訳じゃない。
むしろ、オードナさんが特別なくらいで、ほとんどのお店に対する納品はこうやって自分でリヤカーを引いてお店に物を持っていかなければならないんだね。
そのお仕事はこれまで俺の仕事だったんだけど、リムルさんが裏方として働く以上、避けては通れない道だ。
今日は沢山納品しないといけなかったので、結構な重量になったんだけど……リムルさん、俺より力持ちだから全然堪えてなかったね。頼もしいです。
あとはリムルさんが無事に帰ってくるのを祈るだけだ。いや、物騒なことなんて何もないんだけど、こう、初めての子どもの買い物を見守る親の心境というか……リムルさん、年上でしっかりしてるんだけど、身長は子どもだからか、こんな気持ちになってしまう不思議なんだね。
「とにかく、今日はネーナもメルもお休みだから、その分頑張らないとね」
ネーナとメルが今日はお休みなので、表は俺とタヌ子さんのお仕事だ。
久々に接客仕事なので、今日はちょっと嬉しかったり。朝からお客さんとカウンター越しに話すのも、久々だった気がするね。うん、時々ネーナやメルにお願いしてカウンターに立たせてもらうようにしよう。
そんなネーナとメルは二人でお買い物……もとい、コタロやリラをつれて四人でお買い物。メルはともかく、ネーナはどこに行くにも絶対にコタロやリラと一緒だね。もう本当に二人のお母さんみたいだ。二人が一番好きなのはネーナと言うのも頷ける。
折角のお休みなので、二人……違うね、四人にはめいいっぱい羽と尻尾を伸ばしてきてほしい。その分今日は俺とタヌ子さんとリムルさんで頑張るぞ。
「ちょっといいかな、君」
「はい?」
店の外で気合いを入れ直していると、横から誰かに声をかけられた。男性ともとれる、女性ともとれる柔和な……なんとも穏やかで優しそうな声だった。
その方向を振りかえると、そこには見慣れない……というより、見たこともない冒険者風の人が立っていた。それを見て俺は驚き絶句せずにはいられなかった。その人というか、その人の恰好を見て、なんだけれど……
身長は俺と同じくらい……やや俺より低いかな? フードをかぶっているけれど、隙間から見える燃えるような紅の長髪が特徴的だ。冒険者風とも言うのか、動物の皮のようなもので拵えた上下の軽装を包むように身につけられた白銀色の軽鎧。そして、腰には一本の長剣が下げられている。
そこまでの恰好を見れば何も驚く必要はない。問題はそこからだ。
彼だか彼女だかは未だ分からないけれど、その人物の顔、目線を隠すように取り付けられている仮面のようなもの、それが問題だ。
黒魔術の儀式にでも使われそうな何とも怪しさ爆発の仮面。たとえるなら、ロールプレイングゲームにアイテムとして出てきて、うっかり装備しようものなら『呪われています!』なんて出そう……それくらい実に悪趣味かつ珍妙な仮面。それが全てを台無しにしていた。
こんなの誰が見ても絶対目を引くに決まってるじゃないか……もしかしなくても、このままで街中を歩いてきたのだろうか。何の罰ゲームだろうか。
そんなことを考えてた俺だけど、眼前の人物は俺の胸中の悩みなど当然知る由もなく、再び口を開いてきた。
「店を探しているんだ。『リリネコ商店』、街の人に訊ねて回ってこのあたりだと思ったんだけど、露店が一つもなくて困っているんだ。君はリリネコ商店って露店を知らないかな?」
優しい声で訊ねかけてくる仮面の人に、俺は小さく首をかしげる。
リリネコ商店はウチだけど、露店? ウチは店を持つ前はメロンパンやチョコレートを露店で売って生計を立てていた時もあったけど、そのことを言っているのかな?
不思議に思いながらも、俺は仮面の人の疑問に応える。
「リリネコ商店はウチのことですよ。露店も以前はやっていましたけれど、今はこうしてみんなで力を合わせてお店を構えることができました」
「ああ! そういうこと! それはとても素敵だね」
「あ、ありがとうございます?」
俺の手を掴んで握手して喜んでくれる仮面の人。びっくりする俺。
ううん、この人、絶対良い人だ。良い人だけど、天然だ。優しくて、良い人で、ちょっと天然で……なんだかネーナに雰囲気似ているかもしれないね。
俺の手を両手で包んだまま、仮面の人は口元を綻ばせて嬉しそうに訊ねかけてきた。
「そうすると、もしかして君はリツキ・カグラ?」
「あ、そうです。リリネコ商店の店長をやっている、リツキ・カグラです」
「やっぱり! うん、ナティの手紙に書かれていた通りだね。はじめまして、リツキ。君のことをずっと想っていたよ。ナティから手紙をもらって、それには君のことが沢山書かれていたんだ。大切なあの娘を救ってくれた、勇敢なる君にはずっと会ってみたいと思っていたんだ」
「ど、どうもはじめまして。何か期待されていたみたいで、とても心苦しいことこの上ないんですが……あれ、手紙ってことは……」
俺の身の回りの人で、俺のことを手紙にしたためる人なんて思いつく限り一人しか記憶にない。
その少女……ネーナは確か一度家族に向けて手紙で近況報告を行っていたはずだ。
となると、この人はもしかしなくても……気づけば俺は、仮面の人に訊ね返してしまっていた。
「あの、もしかして、ネーナのご家族の方ですか?」
「それは秘密。でも、ナティは僕にとって最愛の女の子だと胸を張って言えるかな。そして、そんなナティを大切にしてくれる君は僕にとって最愛の男の子だね。素敵だよ、リツキ。僕がナティの立場なら、きっと僕は君に恋慕していたと思うんだ。愛しいよ、リツキ」
仮面の人がネーナを最愛の女の子と口にして何とも言えない感情が浮き上がりかけたのだけど、俺のことを続けて最愛の男の子と口にされてその感情は引っ込んだ。代わりにもっと何とも言えなくなったんだけど……この人、本当に天然なんだろうな。凄いことを平然と口にしている気がする。
というか、僕って言ったよね。僕ってことは、もしかしなくても男性の方なのでしょうか。いくら女の子っぽいとはいえ、男性の方に『最愛』とか『素敵』とか『愛しい』とか言われて胸がちょっとときめいただなんて思いたくない。お願いします、仮面の方。俺の尊厳のために女性でいてください。
俺はやんわりと仮面の人の手から逃れる。なぜ少し残念そうな顔をしているのだろう、勘弁して下さい仮面の方、その顔は女性だと確定してからにしてください。
「では、ネーナとの関係は深くはお聞きしませんが……あなたはネーナの関係者で、彼女の手紙を見た、それは間違いないのですね」
「もちろん、誓ってもいい。ごめんね、リツキ。ナティとの関係を話してあげられればいいんだけど、そうするときっと君にも迷惑がかかるから。きっとナティも君に『素性』は話していないよね?」
「う」
仮面の方の鋭すぎる指摘に俺は押し黙る。
……そうなんだね。俺はネーナの素性を教えてもらっていない。
彼女がいつか語ると約束してくれた、その日を待つと誓った。だから無理に訊くつもりはないんだけど……なんだか、こうして彼女のことを知っている人物が目の前に現れると、やっぱり嫌なものだね。
他の人がネーナのことを知っていて、一緒に過ごしている俺が何も知らないっていうのは、やっぱり悔しい……いや、俺何を嫉妬しているんだ。落ち着け、俺。深呼吸深呼吸。
呼吸を整えていると、仮面の人は少し申し訳なさそうに俺に言葉をつづけた。
「本当にごめんね。ナティには複雑な家庭事情があるんだ。君が事情を教えてもらっていないのは、それだけナティが君を大切に想っている何よりの証拠だ。あの娘も葛藤していると思う、どうか許してほしい」
「あ、いえ、それは大丈夫です。俺はネーナが傍にいてくれるだけで……」
「素敵だね! 今日この時を迎えるまでドキドキしていたけれど……うん、君ならいい。君がいい。君がナティの居場所になってくれるなら、こんなに嬉しいことはないね! 愛しいよ、リツキ! 僕は初めて出会う君を心から愛している!」
「あり、がとうご、ざいます」
お礼がとぎれとぎれになったのは許してほしい。
突然仮面の人に抱擁されたら、誰だって驚いてこんな返答にもなると思うんだ。鎧着てるから依然として性別は分からないけれど……とても良い香りがしたのは記憶の奥底に封じておこう、性別が分かるまでそうしよう、うん。
というか、この人、本当に天然が過ぎる。男でも女でもいいけど、初対面の相手にこれだけ声高に愛を叫ぶってどうなんだ。いや、親愛の愛とは分かるんだけど、店の入り口でこんなことをしてしまえば、嫌でも目立つに決まっているじゃないか。
人波のピークを過ぎた時間とは言え、まだまだ人も多い時間だ。討伐者の皆さんの視線丸集めじゃないか。店先で抱擁を始めた店主を見たら、彼らがどうするか……当然、面白がっていじるに決まっているというのに。
「おいおい、リツキ、朝から店の入り口で愛の抱擁とはやるじゃねえか! おい、ネーナちゃんでもメルちゃんでもねえ場合は賭けはどうなるんだ?」
「いや、まだリツキの女が決まったわけじゃねえだろ。今日はネーナちゃんたちは休みだって聞いたぜ。二人のいない間だけの関係かもしれねえだろ。賭けは続行だよ、俺ぁメルちゃんに一万リリル突っ込んでんだからな」
「ちょっとリツキー! ネーナやメルを選ばずに新しい女の子に手を出すってどういうことよ! お姉さん流石にそれは許さないわよ!」
「でもあれ、女の子? もしかしたら男の子かもしれないよ? やだ、そっちの方が面白いかも。リツキー、応援してるよー」
行きつけのお店、普段から弄りに弄ってくれている店主のスキャンダル、そりゃあもう面白くて仕方ないでしょうね。うん、お客さんに愛されるって素晴らしいことだね、泣きそう。
そんな光景に首をかしげるのは天然仮面さん。本気で何の騒ぎになっているか分かっていないらしい。ううん、この天然……絶対この人ネーナの家族だよ、秘密って言ってるけど、丸わかりだよ……
そんな天然仮面さんは首を傾げたまま、そして俺を抱擁したまま口を開く。
「どうやら街の人の注目を集めてしまったようだね。これでは、ここで君やナティとゆっくり話もできそうにない。今日はナティに話があってきたんだけれどね」
「そうなんですか? ネーナは今日、お休みで買い物に行ってますよ」
「そうなんだ。もしかして、手紙に書かれていたコタロやリラも一緒かい? 可愛い半獣人の子たちにも会いたいよ。会って抱きしめたいな」
「コタロは喜びますよ、リラは全力で逃げそうですけれど。どうします? 昼前には一度昼食で帰ってくるとは思いますけれど……ああでも、メルも一緒だから街で適当に食事を済ませて夕方まで帰らないかも」
「ふふ、僕は今日一日だけ時間を許されているからね。ナティが戻るまで、君の傍で待たせてもらうよ。ところで、メルっていうのはもしかして、メル・レーグエン・ダーシュタルト嬢?」
「そうですけれど……」
「彼女も一緒にいるんだね! なんて素晴らしい日なんだろう! ナティやメルと再会でき、想いを募らせ続けていたリツキと運命の出会いを果たすことができた! 僕の生涯で奇跡の日を制定できるとするなら、今日をおいて他にないよ! 世界の全てが愛おしいよ!」
「あの、感激なのは分かりましたから、抱擁する手の力を強くするのは止めてもらえませんか。あの、割と本気で」
俺の言葉に、仮面の人は『痛かったね、ごめんね』と謝りながら離してくれた。
いや、痛みは全然なかったんだけどね、これ以上仮面の人が感激するとね、周りの人からの好奇の視線にさらされ続けて俺死んでしまいそうだからね。あと、仮面の人の甘い匂いに充てられて色々駄目になりそうだったのは忘れることにする。
……いや、仮面さん。離してくれるのはいいんだけど、どうして依然体を密接したままなんですかね。本当に色々と天然だなこの人!
とにかく、落ち着こう。この人はつまり、ネーナの関係者で、ネーナに用があって店にきてくれたらしい。そして、ネーナが会うまで待つつもりだと。
それなら、店内で待ってもらうのが一番かな。上にあげてもいいんだけど、まだ完全にネーナの関係者だと確定した訳じゃないし、関係者でもネーナにとって喜ばしい客かどうかも分からない……ほぼ九割九部、喜ばしい客なんだろうけれど。仮面の人、ちょっと話しただけでも分かるくらい、良い人だからなあ……天然はネーナに輪をかけて酷いけど。
「とりあえず、ネーナが戻るまで店内にどうぞ。色々扱っていますので、退屈はしないと思いますから。もし私の手が空いているなら、話し相手も務めますから」
「わあ、楽しみだな。あの子と君が頑張って作ったお店、本当にドキドキするね!」
「ではどうぞ。えっと……あの、すみません、なんとお呼びすれば?」
「あ、ごめんね。まだ名乗っていなかったね。まず先に僕から名乗らなければいけないのに」
申し訳なさそうにそう言って、仮面の人は俺に寄り添ったままゆっくりとその手を仮面にかけた。
そして、周りの人に見えない、俺だけが見える程度に仮面をずらして俺と目を合わせた。
仮面の下、そこに隠されていたのは、燃えるように赤い紅の瞳、そして驚くほどに整った美しい容貌。……いや、この人、本当に美人だ。男でも女でも、性別なんて些細な問題だとでもいうくらい、とんでもなく。
ネーナ同様、優しく人懐っこそうな、大きな丸い瞳をこちらに向けて、仮面の人は吐息を感じさせる距離で、俺にその名を口にした。
「レイだよ。全ての名前を君に明かせないこと、どうか許してほしい。だけど、僕はこの呼び方が気に入っている。心許した人にだけしか呼ばせていない、とても僕の誇りに思う大切な呼び名なんだ。親愛なるリツキ、どうか君にはこの名で呼んでほしい」
「レイ……さん、ですか」
「さん、なんていらない。レイとだけ呼んでほしい。そうすれば、きっと僕の心はもっと感動に打ち震えるはずだから」
「よし、お店に入りましょう、レイ。とにかく急いで入りましょう」
嬉しそうな顔で微笑む仮面の人……もとい、レイの背中を強引に押すように俺は店内へと戻って行った。いや、もう、なんか討伐者の皆さんの冷やかしの声がとんでもないことになっています。勘弁して下さい。
仮面を戻して、先ほどまでのように目線を隠したレイさんとともに、俺はいそいそと店内に入って行った。まあ、店内に入ったところで、野次馬の皆さんも店内に移動するだけだと気付いたのはすぐ後になってのことなんだけれども。
俺は大きくため息をつきながら、これから起こるであろう嵐の予感に頭を痛めるのだった。こういう予感、当たるんだよね……レイ、店に入るなり両手を広げて感動の言葉を大声で並べるのは勘弁してくれませんか、みんな驚いていますから。あとルシエラ、『なんだこのうるさい奴は』なんてハッキリ言わないでね、お客様だからね。




