43.決戦の時だ
異世界生活七十三日目。
街の大通り、人の溢れかえる中を俺は必死に駆け抜ける。
腕時計の時間をチェックすると、十一時四十分を指している。残り二十分、今日の正午ジャストが売上競争のタイムリミット。あとはタイムアウトにならないように出先からお店へ戻るだけだ。
中学時代、野球少年だったこともあり、体力にはまだまだ自信がある。ルシエラと比べると鼻で笑われる程度だけども。
店の扉が見え、俺は転がり込むように店の中へ舞い戻った。
そんな俺を見て、驚くのは店内の客の皆さん。何事だ、リツキがまた変なことをしているのかと好き勝手に言いたい放題。だけど、今の俺には冗談を返すほどの余裕はない。
俺が店内を見渡すより早く、俺の帰還を待っていたタヌ子さんから声がかけられた。
『リツキ様! こっちです!』
「分かった!」
タヌ子さんに導かれるまま、俺は二階へと駆けあがる。
途中、カウンター業務をしてくれているルシエラから『負けるな』という声がかけられる。振り向く余裕もないけれど、俺は拳を握って腕を上げることで、背中越しにルシエラに意思を示した。
負けないさ、みんながこんなにも協力して、頑張ってくれたんだ。
メルのためにも、店のみんなの思いに応えるためにも、絶対に負けられないからね。
二階のリビングでは、既にネーナが準備を整えてくれていたらしく、この三日間でかき集めた全ての契約書が揃っている。
そして、そこに今日俺が勝ちとった契約書と、タヌ子さんが持ち帰ってきてくれた契約書が合わさる。ただ、タヌ子さんの方は当然だが俺の署名がまだ入っていない。
そのことをタヌ子さんが急くように指示してくれた。
『リツキ様、早くサインをお願いします! リツキ様のサインをもらいしだい、取引先様の方へ署名終えた契約書をお渡ししに向かいますので!』
「ありがとう、タヌ子さん! 相手先には後日必ず挨拶に窺うことを伝えてね。本当は今すぐにでも店長の俺が直接向かわないといけないんだけど……」
『その辺りはしっかり私が頭を下げておきますので安心して下さい! 自慢じゃありませんが、私ほど謝り慣れている人は他にいませんよ! 謝罪の女神と呼んで下さい!』
……それは胸を誇れることなんだろうか。タヌ子さんなりのジョークだと思おう。
俺はタヌ子さんに感謝をしつつ、彼女の持ち帰ってきた机上の契約書に次々と名前を入れていった。全ての書面に署名を終えて腕時計を確認。時間は五分前、なんとか間に合った。
俺から契約書を受け取り、タヌ子さんは猛ダッシュで一階へ。タヌ子さん、本当にありがとう。もし、今回勝利したらMVPはタヌ子さんかもしれないね。
大きく息をつき、俺は机上の契約書を全てまとめて束にする。
やれるだけのことはやった。ギリギリまで駆け抜けた。あとは奇跡を信じて全てを待つしかない。
リビングに置いてある長椅子に腰をかけると、俺の上にコタロとリラが飛び乗ってきた。と言っても、コタロは勢いよく、リラはそっとちょこんって感じだけども。
二人を撫でる俺に、ネーナが労うように声をかけてくれた。
「お疲れ様です、リツキ様」
「ありがとう、ネーナ。でも、勝負はまだ終わってないから。もうあとひと踏ん張りしてくるよ。みんなが力を合わせて、これだけの物を揃えられたんだから、絶対に勝たなきゃね」
「そうですね……メルのためにも」
もし、この売上勝負に勝てたなら、絶対にメルの力になる。
例え今すぐ自信を取り戻せなくても、これが何かのきっかけになってくれるかもしれない。
今回の商談、その全てはメルの分析やデータに基づいたものだ。つまり、俺たちが契約を勝ち取れたのも全てはメルの実力なんだ。
貴族だどうだなんて関係ない、メルの試してみたいと願い続けた、夢見続けた商人としての力。それは本当に凄い力なんだって、自信を持っていいものなんだって、証明するんだ。
メルの頑張りは決して嘘なんかじゃなかったって、絶対に答えを出すんだ。
俺はネーナにメルの状況を訊ねてみる。メルは今、どうしているだろうか。
「メルは部屋かな?」
「いえ、リツキ様たちが朝商談に出かけた後、メルも外出しています。これまでずっと部屋で籠っていたメルから外に出たいと言ってくれたのは初めてだったので、許可しましたけれど……」
「そっか、それはいいことだね」
メルも少しずつ変わってきている。いや、元に戻ろうとしていると言った方がいいかもしれないね。
今日もこうして自分から外に出てくれている。立ち直ろうと行動し始めている。
そんなメルに何としても吉報を届けてあげたい。立ち直る一助になりたい。
やがて、腕時計はまもなく正午を指そうとしていた。それを確認して、俺はコタロとリラを膝の上から移動させ、机上の契約書の束を手に持ち、立ち上がってみんなに告げた。
「それじゃ、行ってくるよ。きっと……じゃ、駄目だね。絶対に、勝ってくるから」
「はい。お帰りをお待ちしております」
「いってらしゃ! 兄ちゃんいってらしゃ!」
ぶんぶんと手と尻尾をふるコタロ、小さく手を振るリラ、そして優しく微笑んでくれるネーナに見送られて、俺はリビングから転移するのだった。
転移先は以前と同じ、どこかの倉庫室内。
体育館のような場所に転移されると、そこには俺同様に転移されたらしいみんなの姿がある。
高宮さんに水上さん、そして早野さん。前回と同じメンバーの顔触れを見て安堵しかけたが、一人そのメンバーが足りないことに気付く。
……大和田さんが、いない。
室内のどこを見渡しても、大和田さんの姿がどこにも見当たらない。
ランキング一位を独走していて、今回の売上競争も余裕の一位だと思っていた彼が姿を見せないことに、俺は一瞬嫌な考えが脳裏をよぎる。いや、まさか、そんな。
そんな俺に、高宮さんが近づいて来て難しそうな顔をして口を開いた。
「久しぶりだな、神楽……って、挨拶しようと思っていたけれど、それどころじゃねえよな。あのオッサン、やっぱり来てないのか」
「お久しぶりです、高宮さん。あの、やっぱりって言うのは?」
「おいおい、お前売上ランキングをチェックしてなかったのかよ。あのオッサン、三日前から名前が消えたんだよ。ランキング一位だったのに、忽然と名前がランキング表から消えていたんだぜ」
高宮さんの言葉に俺は頭を鈍器で殴られたような感覚に襲われた。それくらい衝撃だった。
ランキングは自分のことばかりで、上位の方なんて何もチェックしていなかった。
大和田さんが独走ということもあり、一位は確定だと思っていたし、自分に関係ないからと特に見るつもりもなかった。あえていうなら、水上さんが上位にいるので頑張ってくれればってくらいの気持ちだった。
だけど、高宮さんの話では三日前から大和田さんはランキングから姿を消したという。
その言葉に背筋が凍る思いがする。このランキングから除外されるということは、『商売ができない状態』だと判断されたということ。それはつまり……死んだということだ。
いったい大和田さんの身に何があったのか。そんな俺の疑問を解消するように、傍に歩み寄ってきた水上さんが口を開いた。
「ヴェンセーナ国内でクーデターが起きたんだ」
「クーデター、ですか?」
「そう。王家をないがしろにする貴族たちに怒りの限界がきたらしく、騎士団長が民衆を扇動して反旗を翻したんだ。『腐敗した貴族どもに怒りの鉄槌を、我らが王に真の忠誠を』ってね」
「そ、そんなことがあったんですか!? 隣国のことなのに、俺、何も知らなかったっすよ!」
「知らなくて当然だよ。僕はヴェンセーナにいたから、リアルタイムでその現場に居合わせたから知ることができたってだけだからね」
そう言えば、水上さんは仕事でヴェンセーナにいたんだった。
つまり、隣国のヴェンセーナは内乱のようなものが起きて、それに大和田さんは巻き込まれて命を落としたということだろうか。
大和田さんは確か、ヴェンセーナの偉い貴族……大臣側についていたはずだ。つまり、民衆にとって敵側に位置する人間だ。
ごくりと息を飲む俺たちに、水上さんは軽く息をつき、首背面に手を当ててしんみりと悲惨な結末を語った。
「大和田さんは、民衆の前で首を落とされたよ。貴族たちと一緒に、民衆の罵声を一身に浴びながら」
「ひっ……」
水上さんは一言、『僕には止められなかった』と悔やむような言葉を紡いだ。
無理だ。そんな状況で止めたり助けたりできるほど、俺たちは強くもなんともない。大和田さんの後に殺される死体が一つ増えるだけだ。
むしろ、大和田さんの最期を見つめ続けた水上さんは凄過ぎる。俺なら絶対に、目を背けて恐怖に負けて逃げ出していたはずだから。
だけど、こんな形で大和田さんがランキング一位の座を譲り渡すことになるなんて思わなかった。
確かに褒められたような人ではなかった。性格的にも、やっていることも俺には受け入れ難い人だったけれど、こんな風に殺されることになるなんて考えもしなかった。
改めて認識を強くする。結局、この異世界で積み上げた大金なんて砂上の楼閣に過ぎないんだ。どれだけお金を持っていても、少しでも理不尽に巻き込まれて命を落とせば全てが終わりなのだから。
水上さんは冷静にその時のことを振り返りながら語ってくれた。
「僕が王都に辿り着いた時には、既に民衆全てに火がついたような状況だったよ。誰も彼もが『王のために』と叫び、貴族に対する怒りを燃やしていたんだ。何より武力となる兵士がクーデター側に回ったのが貴族たちには痛かっただろうね。数日持たずに王城の貴族たちは縛りあげられていたよ。その後のことは……あまり話したくはないね」
「マジっすか……俺、元の世界でのことしか知らないんですけど、クーデターなんて簡単に成功するとは思えないんですけど。普通、兵士とかも権力側が掌握しているものなんじゃないんですか?」
「それを問題としないくらいに勢いがあったみたいだね。誰も彼もが口にしていた『王家のため』、全てはこの大義名分に集約されていたのかもしれない。何にせよ、僕が彼の最期をこの目で見てしまった以上、彼がこの場所に来ることはもうないんだ。悲しいけれど……ね」
水上さんがそうまとめて終わってしまったけれど、俺はその話に何かひっかかりを感じた。なぜかは分からないけれど、違和感を覚えてしまった。
ここにいない、ランキングに名前が載っていない以上、大和田さんが死んでしまったことは間違いないとは思う。だけど、その過程が少しひっかかってしまう。
ヴェンセーナは荒れているという話を聞いていた。大和田さんの態度や水上さんの話から、貴族が権力を握って王家を押さえ、好き勝手やっていたということも分かる。
だけど、そんなに簡単にクーデターが成功するものだろうか。
兵士と民の心がここまで一つになるなんてことが起こりえるのだろうか。
これが、徐々に反抗運動が起こり始めて、それが限界に達したというのなら分かる。
だけど、話を聞いている限り、本当にこのクーデターにはそんな動きすらなかったように思えた。匂いすら感じられなかったからこそ、貴族も対応する暇すらなかったのではないだろうか。突発的に起こったはずのものなのに、ここまであっという間に抑え込めたのは、それが前もって誰かの手によって綿密に計画立てられたものだったとしたら。
また、騎士団の人が『王のために』という大義の元、人々をまとめて動いたというけれど……では、騎士団の人はどうやってその大義を手にしたのだろう。
貴族も馬鹿じゃない、王家をないがしろにして好き勝手にしているという情報は決して民に漏れないようにしていたはずだ。表向きは王家を尊重するような姿を見せていたはずだ。
貴族に刃を向けるというのは、尋常じゃない覚悟がいることはメルの一件で理解させられた。平民が貴族と戦うのは、生半可な覚悟じゃ無理だろう。
いくら騎士団の人が『王はないがしろにされている』と民に訴えても、それを鵜呑みにするだろうか。騎士団の人が嘘を言っているかもしれないと疑うのが普通じゃないだろうか。だって、表向きは王を頭に据えた政治を行っていたはずだから。
つまり、騎士団の人は民に『動かぬ証拠』を突きつけたということになる。王家がないがしろにされているという、誰が見ても一発で分かるような証拠を。
だけど、それ以上の答えが俺には出ない。誰が見ても分かる証拠とはなんだろう。
例えば、俺たちが元いた世界なら簡単だ。例えば大和田さんが好き勝手している映像や写真を撮ったり、録音したりしてそれを見聞かせするだけでいい。立派な物的証拠としてそれで終わり、成立する。
でも、そんなビデオカメラやレコーダーのようなものがこの世界にも存在するのだろうか。それなら話は早いけれど……いや、待てよ。そんなものがこの世界に存在せずとも、俺たちは全員アウトレット商品が――
「――リツキ君?」
「え、あ……」
「何ぼーっとしてんだよ、お前。疲れてんのか?」
瞬間、ぞっとするような悪寒が背中を走った。
慌てて顔を上げると、そこには首を傾げた水上さんと高宮さんがいるだけ。
なんだったんだ、今の凄い重圧というか、感覚は。困惑する俺に、高宮さんが溜息をつきながら俺を諭すように語りかける。
「大和田のオッサンのことがショックな気持ちは分かるけどよ、切り替えようぜ。もう分かってたことじゃんか。この世界は、異世界は……こういう世界なんだってよ。やりきれねえけど、信じられねえけど……」
「そう、ですね……」
「亡くなった人のことを悪く言うつもりはないけれど、大和田さんは手段を誤ったのかもしれない。大きな力に組みするということは、それだけ責任がつきまとうということなんだからね。それに、命の危険だって本気で安全を心掛ければそれほど危険な世界じゃないんだ」
「えええ、危ないじゃないっすか! 外は魔物とかいるし!」
「この異世界は、生きることだけを考えるなら難しいことじゃない。倉庫と商品がある以上、君たちは街から出ずに街中だけで商売をしていれば死ぬことはほとんどないんだ。時間は確かにかかるかもしれないけれど、元の世界に戻ることを考えたなら、焦らずゆっくりそうやって稼いでいくのが大切かもしれないよ」
「確かに……俺も神楽もこうして大和田さんより生き延びてるもんな」
水上さんの言葉に高宮さんが納得している。
水上さんの言う通り、この世界で生き延びることは実はそこまで難しいことじゃない。街に引き篭もっていれば魔物に襲われる可能性もないし、ただの露商なら大和田さんのようなこともない。唯一怖いのが強盗くらいだけど、それも微々たる可能性だ。
大和田さんは確かに恐ろしいスピードでお金を稼いでいたけれど、その代償はあまりに大き過ぎた。こうならないよう、俺たちは気をつけなくちゃいけない。
……そうだね。大和田さんのことは、終わったことだ。どれだけ考えても、大和田さんは生き返らないし、過去は変えられない。終わった事件のことを考えていても答えなんて見えないし、見えても何もできやしない。
考えなきゃいけないのは、今からのことなんだ。これから始まる売上競争最後の場で、俺は戦わなくちゃいけないんだから。
何としても百位以内に入る。そのために最後の最後まであきらめずに頑張ること、それが今の俺にできること。
覚悟を決め、深呼吸。
心を落ち着かせていると、部屋の中にぽひゅんという間抜けな音が響き渡った。
それは以前タヌ子さんが登場した時と同じ状況。部屋の中央には彼女の時と同じタキシードとシルクハットに身を包んだ、タヌ子さんと瓜二つのタヌキのぬいぐるみが現れた。
その三十センチほどのぬいぐるみは俺たちに淡々と語りかけてきた。
『本日は『第一回・異世界商売ゲーム』の結果発表会におこし頂き、誠にありがとうございます。本日は私、社員番号百四十九番、タヌリーゼがこの場の進行役を務めさせて頂きます』
タヌ子さんと全く同じ声で機械的に語るタヌリーゼ。
そんな姿に気合を入れ直し、俺は最後の勝負へと出るのだった。
新年明けましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いいたします!
戻りましたので、今日からまた更新再開いたしますー! 何卒よろしくお願いします!




