42.光が見えたんだ
異世界生活七十一日目。
営業先の商店から出て、俺は小さく肩を落とした。今回は話を聞いてもらえただけマシかな……
落ち込む心を押し殺し、右腕につけた腕時計で時間を確認。時間はもうすぐ十五時になるくらいだった。タヌ子さんとの待ち合わせ場所、いかないとね。
曲がりそうになる背筋を伸ばして、俺はタヌ子さんと待ち合わせ場所である大通りの奥に行った先の広場へと向かって行った。
売上競争のタイムリミットまで残り二日。
メルの頑張りの結晶であるメモをもとに、俺とタヌ子さんは今朝から分担して色んなお店に商品の営業へ走っている。メルの自信を取り戻すため、売上競争に勝つために。
……だけど、結果は正直予想以上に芳しくない。早朝から十三件ほど回ったけれど、明日契約まで辿りつけそうなのは二件だけで、残りの十一件は全てお断りされてしまった。
その理由は様々だ。話すら聞いてもらえず、門前払いされたものもあるし、話を聞いてもらえたけれど内容が折り合わず断念したものもある。
これだけの数を回って断られて、初めて実感としてメルの凄さに気付かされてしまう。
メルのデータは確かに間違っていなかった。話を聞いたもらえた店長たちの感じや話から、商品自体を仕入れたいという意思は確かに感じられた。ただ、そこで商談を失敗に終わらせてしまったのは、間違いなく俺のせいだ。
取引というものは、当たり前だけれど、俺が条件を提示して『どうですか』で終わりじゃない。そこからさらに延長戦というか、さらに話し合いが始まる。
『もっと安くならないのか』『未知の商品に大金を前払いというのは難しい』『商品契約の量と日数を半分にできないのか』等、相手側の要望も当然でてくる。その対応の難しさを俺は初めて身を持って味わった。
あちらが要求してくる値段は、当然おそろしく低い値段なので、それを鵜呑みになんてできない。メルがメモに記してくれた『最低設定額』まで何とか釣りあげなきゃいけない。原価はゼロだけど量産するにも人手がいるし、あまりに低価格では契約のうまみがない。
自分たちの利を確保しつつ、相手の要求とどこまで折り合いをつけられるか。それが今回の俺の痛感した、営業というか、交渉の難しさだ。メルはこれを楽しみ、良い契約をバンバン取ってきたんだから……本当に、メルは凄い。俺は門前払いされたりした時点でかなり心にきたというのに。
とにかく、今回の営業で一番痛感したのは、やっぱりタイムリミットだった。
売上競争に勝つことが目的のため、どうしても今回の契約締結には時間の猶予がない。二日後の正午までに商品を納入し、お金をもらえなければ売り上げに加算されないというルールがあまりに痛すぎた。
十一件断られた内、その多くがこの性急に契約を急がなければいけないという点だ。
あちらにとっても大金のかかる大きな取引、それをたった二日で答えを出せというのも難しい。むしろ二件でも取れただけでも大きいのかもしれない。
……うん、その二件はメルが途中まで交渉を進めてくれていた店なんだけどね。俺、自力で勝ち取った営業先、ゼロだね、泣きたい。
どうしても勝負の形式上、『お金は前払い』『契約するかどうかの回答は二日後まで』という条件は譲れない。値段の交渉はいくらでもできるけれど、この二つには交渉の余地すらない。それをきいて話にならないとお断りされてしまう。
正確には、この二つがセットだからいけないんだね。大金を前払いするような大きな契約なのに、回答期限が短過ぎるのが駄目なんだね。
もしこれが、月一万リリルとか小口の契約だったら、期限はこれくらいでも良かったかもしれない。けど、俺の持ちかける契約はどれも月十万リリルを超えるものばかりだ。
商品はメルの読み通り求められてるんだ。もし、平常通り、何も条件の足かせがなかったら売れているはずなんだ。売上競争のルールがどうしても足を引っ張ってしまっている。
なんとかしないといけない。そう考えながら、俺はタヌ子さんと待ち合わせ場所の広場に向かったんだけど……待ち合わせ場所にある、木でできた長椅子、その場所でタヌ子さんは群がられていた。
『わーん! やめてください! やめてくださいー!』
「ふかふかー」
「すごーい」
タヌ子さんが十人を超える子どもに群がられて、あちこちを触られていた。
子どもたちの誰もが目をキラキラさせて、タヌ子さんのもふもふした体を触る触る。いや、本当、何やっているんだろうね……まさか子ども相手のアイドル営業に成功していたとは思わなかった。
俺の姿を見つけたタヌ子さんは、子どもたちから逃げるように俺へ走ってきて背中に隠れる。追いかける子どもたちに、俺は窘めるように口を開いた。
「はい、今日はここまでね。お姉ちゃん、今から用事があるからね」
「えええ」
不満げな子どもたちだったけれど、やがて一人また一人と散って行った。
子どもたちが去り、安堵するタヌ子さん。そんなタヌ子さんに俺は問いかける。
「いったい何があったの? 子どもに大人気だったけれど」
『何もありませんよっ! リツキ様を待っていたら、広場で遊んでいた子どもたちが集まってきたんです! うう、酷い目にあいました……子ども相手だったからいいものの、あっちこっち触られて……』
「うん、そうだね、大変だったね」
棒読みで言葉を返しつつ、俺たちはタヌ子さんが先ほどまで座っていた椅子に腰をかけて、今日の営業の途中経過を話し合う。
タヌ子さんは涙ながらに今日のことを振り返って話してくれた。前から思っていたんだけど、涙、どこから流れているんだろうね、これ……
タヌ子さんは朝から十件の店を回って、そのうち取引成立したのは一件。
やはり、断られる理由は俺と同じ内容ばかり。どうしてもタイムリミット問題や大金前払いの問題が契約にブレーキをかけてしまう。
ただ、彼女の話を聞いて安堵したのは、俺と同じくメルの『貴族問題』が交渉の場にあがったことが少なかったことだ。
『メルさんのことを訊いてきたのは、メニエ商店さんとカーナベ商店さんとの交渉の時だけですね』
「そっか。俺も二件の商店で訊かれたくらいかな。普通の飲食店や個人営業店では特に何も言われなかったし……商店だけに情報が回ってるのかな? いったいどうして」
『きっと商店にだけ情報を密告してまわった人がいるんですよ! 許せません!』
「そんなピンポイントな……でも、変な感じだな」
メルの貴族ばれは、どこかの商人が気付いて、次々に噂する感じで広まったものだと思っていた。でも、何だかそれが少し違うような気がしてきた。
タヌ子さんじゃないけれど、これではまるで誰かが商店だけに伝わるように情報を回していったみたいじゃないか。そんなことをする人なんているのか。そんなことをして何の得があるのか……いや、今は考えるべきことじゃないね。今はどうしたら契約を伸ばせるか、それだけを考えればいいんだ。
「今日の営業した感じから見て、やっぱりメルの考えは間違っていないと思うんだ。もし、何のしがらみもなければ、今日やった交渉はもっともっと成功していたと思う」
『私もそう思います。やはり、どうしても売上競争の期限がですね……あの性悪、許せません! もっと売上競争の期間を延ばしなさい!』
拳を握ってタヌマールを糾弾するタヌ子さん。ぬいぐるみだから握る指ないんだけども。
しかし、本当に参った。この調子では明後日までに順位争いを決定づけられるような売上に期待するのは本当に厳しい。なんとかこの問題を解消しないといけないというのに。
俺は溜息をついて下を向きそうになるが、それをぐっと堪える。
駄目だ、俺が下を向いてどうするんだ。メルに上を向いてもらいたいのに、店長の俺がこんなんじゃ駄目だ。これじゃタヌ子さんまで落胆が伝わってしまう。
どんなに厳しくても、前を向かなきゃ。必死になって可能性を追わなきゃいけないんだ。
とにかく、現状の契約形式ではまともな成果をあげられない。何とか売り上げを伸ばすために手を打たなきゃいけない。
でも、どうする。ルール上、回答期限は伸ばせないし、お金を前払いしてもらうことは変えられない。では、弄れるのは値下げだけということになるけれど、それこそ値下げはもろ刃の剣だ。いくら契約が取れても、売上が下がっては何の意味もない。
頭を必死に悩ませて思考する。考えろ、きっと何か良いアイディアはあるはずだ。この状況を打破出来るアイディアはあるはずなんだ。
そんな俺の横で、タヌ子さんが未だタヌマールへの怒りを呟き続けている。
『全く、だいたいルールの説明から気に食わなかったんですよ! 私を派遣するだけさせて、説明は自分の用意した紙を読み上げさせるだけ! 私、説明役というよりも皆さんの怒りをぶつけられるだけのクレーム処理係じゃないですか!』
「あ、ああ、説明会の時のことか……タヌ子さん、あのときとキャラが違うと思ってたけど、あれは紙を読み上げてるだけだったんだね」
『そうですよー! タヌマールの用意したルールをただ機械的に読み上げるだけ、あんなの仕事じゃないです! 本当に出て行ってよかったです!』
ぷりぷり怒るタヌ子さんはなんだか微笑ましい。
しかし、あのルールの説明は全部タヌマールが用意した紙を読んでいただけだったんだね。当たり前か、ルールを決めるのは全ての元凶のタヌマールに決まっているんだから。
つまり、あのときの話はタヌ子さんの言葉ではなく一言一句が全てタヌマールの言葉なんだ。つまり、ルールは絶対で変更なんてきかない。やっぱり契約内容は値段以外に変えられな……
「……待て、よ?」
『どうしました、リツキ様?』
「ちょ、ちょっと待ってね。今、思い出しているから」
タヌ子さんを制して、俺は必死に記憶をさかのぼる。
ルールは確定、あの時の話は全てタヌマールの言葉。
あのとき、今回の売上競争のルールをタヌ子さんは何と明示していた。この売上競争は何をもって争うと決めていた。
『既にご存知かと思われますが、皆様の倉庫の紙面には『売上順位』というものが表記されていると思います。それは皆様がこの異世界にてアウトレット品を売り、得た金額から出費を差し引いた額から算出した皆様全員の中での売上順位となっています。言い換えますと、皆様の『アウトレット品販売取引締結による収入と出費の差額』の順位となります』
そう、あの時タヌ子さんはこう言っていたはずだ。
そのときは、なんでこんな回りくどい説明をするんだろうとしか思っていなかった。
もっと簡単に説明すればいいじゃないかと思っていたけれど、もし、もしも、タヌマールが『この方法』を言葉の裏に隠していたならば。
『ルールは単純、今日より三十日後の正午をタイムリミットとし、皆様にはこの売上順位を競って頂きます。最終日の正午までのアウトレット品販売取引締結の収入と実際の出費を対象として判定、その差額がもっとも多い一位から百位までの方にタヌマールより褒賞を与えさせて頂きます』
もし、俺の考える方法が通るなら……売上だと認められるなら。
俺は心を落ち着けるために軽く深呼吸。そして、タヌ子さんに向き直り、口を開く。
「タヌ子さん、ちょっといいかな。訊いてもらいたいことがあるんだ」
『はい? なんでしょう』
「今から俺の話す方法が今回の売上競争に勝つ為の方法として、『タヌマールが認めそうかどうか』。それを判断して欲しいんだ。もし、わずかでも可能性がありそうなら……賭けてみたいと思うから」
『わ、分かりましたっ! あの性悪に対する判断というのがあれですが、私でお役に立てるなら!』
そして、俺はタヌ子さんに考えた案を全て伝えた。
俺の話に驚いたものの、タヌ子さんは力強く頷いてゴーサインを出してくれた。性格の悪い、ひねくれたタヌマールならば、と。
その答えに安堵して、俺たちは作戦を練り直して再び営業へと出向いた。
タイムリミットは残り二日。まだ、負けていない。俺たちは諦めてなんてやらない。
これまでメルが頑張ってきたことの答えを示すためにも、最後の最後まで動き続けてやるんだ。みんなの力で、メルの頑張りは嘘じゃなかったって証明するために。
は、話がとんでもないところで大晦日になっちゃいました(白目)
本当なら今年いっぱいに三部終わる予定だったのですが、あばばばば……何もかも年末の忙しさのせいにします(逃)
というわけで、今年も今日で終わりです!
今年は大変お世話になりました! 小説を書いて、皆様に読んで頂いて、沢山の声をもらえて……本当に本当に、幸せな一年でした! 幸せ過ぎるくらいです!
こんな作者ですはありますが、来年も何卒よろしくお願いいたしますっ! それではみな様、よいお年をっ!




