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38.力になるんだ

 



 採光用の小さな窓から夕日の差し込み、室内はオレンジ色に変容する。

 衣服を収納するための家具、そして机と椅子、ベッドだけが置かれているメルの部屋はまだ住人が入居して間もない時間なのだということを教えてくれているような気がした。


 室内の中、ベッドの上にメルはいた。

 ベッドの上に腰をかけ、沈んだ表情のメルには、いつものような自信に満ち溢れた輝きはない。ただただ悲しそうに、つらそうに下を向くだけ。

 俺の入室に気付いたメルは、ゆっくりとその瞳を俺へと上げようとしたのだけれど、途中で下を向いてしまう。目を合わせることすら、つらいのだと感じた。

 あんなに胸を張って、人の目を見て自分の主張をしていたメルが、今はこんなにも怯えてしまっている。ボロボロになってしまっている。

 

 今のメルの姿を見て、俺は一瞬躊躇しそうになってしまう。

 こんな状態のメルに踏み込んでしまっては、彼女の心が余計に傷つくんじゃないのか。

 今のメルの心に触れることは、やってはいけないことなんじゃないのだろうか。

 そんな迷い……逃げの心を拳を握って振り払う。そうじゃない、そんなことは今までずっとやってきたじゃないか。

この数日間、それでメルが元気になったのか。メルの心が癒されたのか。

その気持ちはただの逃げだ。踏み込むと決めたんだ。メルと正面から話をすると決めたんだ。もう、いい加減逃げるな。

 メルの力になりたいと覚悟を決めたなら、踏み出せ。格好悪いのはもう終わりにするんだ。


 心臓のドキドキが止まらない。変な緊張が抑えられない。でも、いくんだ。

 そして、いざ、メルに話しかけようとした時、俺はとんでもないことに気付いてしまった――なんて話を始めるのか、何も決めていなかった、と。

 とにかくメルと話すんだ、向き合うんだ、力になるんだという気持ちばかりで、どういう風に話を持っていくかなんて何も考えていなかった。

 どうすればいいんだ。こういう場合、いきなり『メルが泣いている理由が知りたい』とか『涙の訳を教えてくれ』なんて言っていいのか。それじゃ、あまりにストレート過ぎじゃないのか。

 まずは話をしたいという意思を伝えるべき何じゃないのか。そもそも、メルは今、話をしてくれるのか。まずは許可を取った方がいいんじゃないのか。

 緊張がピークに達し、頭の中が酷く混乱してきた。

 まずい、まずいまずいまずい。メルの部屋に入り、彼女の前に立って二十秒は経っている。メルも流石に俺の様子がおかしいことにきづいたのか、下を向いたままの彼女からも困惑するような空気が感じ取れる。

 当たり前だよ。無言で部屋に入ってきて、仁王立ちをしているだけの俺って明らかに変な奴だ。このままじゃとにかくまずい。どうすればいいんですか、オードナさん。

 とにかく声を出すんだ。どんな言葉でもいい、声に出してしまうんだ。そうすればきっとこの変な空気を変えられるはずだ。

話し合いがしたいと言え、都合は大丈夫か訊ねろ。いや待て、訊ねてどうする、逃げられないように強引に持って行け、ああもうどうすりゃいいんだ、もういい、考えるな。

 頭がパニックを起こした状態のまま、俺はメルに向かって必死に震える声をぶつけるのだった。


「メ、メル! 今から君と話し合いがしたいんだけどお時間を強制させて頂いてもいいですか!」

「え……?」

「あ」


 必死過ぎて、意味不明過ぎる言葉になってしまった。やらかした、何してんだ、俺。

 あまりに意味不明過ぎて、メルがびっくりして俺の方を見上げてしまったほどだ。それはきっと反射、メルの意図した動きではなかったんだと思う。

 だけど、幸か不幸かメルの瞳が上を向いた。そして俺を見つめてくれた。

 このチャンスを逃しちゃ駄目だ。メルの目を真っ直ぐに見つめて、俺は緊張しっぱなしのまま、必死にメルに言葉をかけ続けた。


「意味不明でごめん! メルと、話がしたいんだ! メルの声が聞きたいんだ、聞かせて欲しいんだ! メルがつらくて嫌だっていうのは、分かるけど! でも、俺、馬鹿だからメルの為に何ができるのか分からなくて……直接訊かないと全然分からなくて!」

「リツキさん……」

「頼む、メル、俺と話をしてくれ! 確かに俺は全然頼りにならないというか、ネーナやメルの方がしっかりしていて俺、大丈夫なのかって自分でも思うような奴だけど、それでも力になりたいんだ! メルがつらそうに、悲しそうにしているのが嫌なんだ! だから、だから話をしよう! してください! お願いします、俺に時間を与えて下さい!」


 俺は言葉を大にしながら、メルに頭を下げる。

 緊張と混乱、そして必死さが入り混じってとんでもないことになってしまっている。

 もう途中から自分が何を言っているのか分からない状態だった。自分のキャラだとか、イメージだとか、そんなものは完全にどこかに飛んで行ってしまっている気がする。


 でも、それでもやるんだ。オードナさんは俺に教えてくれた、馬鹿な俺にできることは、必死になってお願いしてでも声を聞くことだと。

 女性の心を読めるほど、俺には人生経験豊富でもなければ器用でもない。

 俺にできるのは、こうして格好悪くても無様でも、必死になってメルにぶつかることだけなんだ。


 誰に指を指されて笑われても構わない。とにかく必死になるんだ。格好悪くても、決められなくても、自分の声をメルに届ける努力をするんだ。

 嫌われても、蔑まれても、罵られても、拒まれても、必死になるんだ。そうすれば、メルの心に少しでも届くかもしれないから。

 必死に懇願し、土下座でも始めようかという勢いの俺に――メルは、ゆっくりと口を開いた。その声は、少しばかり呆れるような、それでいて懐かしさすら感じる、彼女の『熱』の籠った声で。


「……リツキさんは、何をするにしても一度落ち着かないと駄目ですわね」

「め、メル……?」


 メルの声に、俺はゆっくりとその頭を上げる。

 そこには、困ったように小さく笑うメルの姿があった。

 笑っていた。本当にわずかだけど、メルが笑ってくれた。

 泣き顔でも、苦しそうな顔でもなく、以前はよく俺に見せてくれたメルの笑顔、その一欠けらが垣間見えた。

 驚き呆然とする俺に、メルは幼子に教えるように、優しい声で言葉を続けてくれた。


「普段は落ち着きのある様子なのに、緊張したりすると、いつもこうですわ。オードナさんと話し合いをする前も、よく分からない行動をしたりしていましたものね」

「いや、本当にすみません……」

「今日だってそう。そんな風に見ているこっちがハラハラするくらい、必死になって……必死になってくれているって伝わってしまうから、どうしようもないではありませんの。顔を背けることも、逃げることもできやしませんわ……」


 そう言って、メルはゆっくりとベッドから立ち上がった。

 そして俺の傍へと歩み寄り、眉をハの字にして、困ったように微笑みながら語った。


「どうしようもなくお人好しで、普段も全然頼りなくて、呆れてばかりなのに……リツキさんに縋りたいと思ってしまうんです。こんなにも、必死になってくれるリツキさんだから……情けない自分を隠せなくなってしまいます」

「情けなくなんかないよ、メルは。だいたい、メルが情けないないなら、俺なんかどうすればいいのさ……店長なのに全然駄目駄目で、ネーナやメルの方が仕事の手際も良くて、最近は倉庫整理と掃除と荷物運びが一番得意かもしれないって思っているくらいなのに」

「もう、そうやってすぐに……本当に、ズルい人ですわ」


 そう告げた刹那、メルは倒れかかるように俺の胸へと顔を沈めた。

 一瞬意識を失ったのかと思い、メルに声をかけようとして、止めた。


 メルが、泣いていた。

 俺の胸の中で、子どものように、泣きじゃくっていた。

 それはこれまでのメルが見せた涙とは質の異なる涙だった。

 これまでのメルは、絶望に沈むように静かに涙を零していたけれど、今のメルはまるでコタロやリラのように、感情を爆発させた子どものような涙だった。

 どうすればいいのか分からなかったけれど、俺はメルをそのまま泣かせてあげることにした。今は、そうしたほうがいいと思ったから。

 彼女の背を押さえ、コタロやリラにするように頭を撫でながら、ただただ彼女が泣きやむまで待ち続けた。

 そして、声を上げて泣いたメルは、ゆっくりとその声を紡いでくれた。それは、彼女が俺たちにずっと伝えられなかった、押し殺していた想いだったのかもしれない。


「悔しいんです……苦しいんです……胸が痛くて、自分ではどうすることもできなくて……考えても考えても、悪いことばかりに思考がいってしまい、悲しくなるばかりで……店に出るのも、働くことも怖くなって……動けなくなってしまって……」

「メル……」

「助けて下さい、リツキさん……私、どうすればいいんですの……」


 目に涙をいっぱいに溜めながら、けれどしっかりと俺の目を見つめてメルはそう口にしてくれた。

 縋るように告げられたメルの心の声に、俺は強く頷いてメルの目を真っ直ぐに見つめ返し続けた。そうすることで、少しでも彼女が安心できるように。

 メルを救いたい、力になりたい。その気持ちが、少しでも多くメルに伝えられるように。




 

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