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37.勇気をもらったかな

 



 オードナさんと別れ、店に戻る頃には、日も落ちかけ始めていた。

 道ですれ違うお客さんに挨拶しつつ、俺は店内に足を踏み入れる。

 店の中では、閉店の準備を始めたルシエラとタヌ子さんの姿があった。

 俺の姿を見るなり、ルシエラは台拭きをテーブルに置いて、俺に近づいて来た。

 そして、俺にぐいっと顔を近づけ、息の当たる距離で文句を言ってきた。


「仕事を放り出してどこをほっつき歩いていた。ネーナは店に出られないんだぞ。私とタヌコだけで店が回ると思っているのか、馬鹿」

「ごめん、ルシエラとタヌ子さんに任せっきりになっちゃって。ちょっと色んな人に助言を貰ってた」

「……メルのことか?」


 頷いて肯定する俺に、ルシエラは『なら許してやる』と解放してくれた。

 そして、ルシエラに続いてタヌ子さんも駆けてくる。ぴょこんぴょこんと異様な足音をさせる様は可愛らしいを通り越して少し怖い。


『メルさんは大丈夫ですか!? 元気になれそうですか!? 何か良い案はありましたか!?』

「それは分からないけれど……メルと話をしてみようと思うんだ」

『話、ですか?』

「うん。慰めたり、元気づけたりするんじゃなくて、踏み込んでみようと思う。メルの目を見て、涙の理由を本人からしっかりと訊いてみようと思うんだ。俺はまだ、メルの心の傷に直接触れてないから」

「……それは勇気のいることだぞ、リツキ。他人の内側に踏み込むのは、口で言うほど簡単なことじゃない。拒まれたり疎ましがられたりするかもしれないぞ」


 ルシエラの言葉に、俺は『そうだね』と笑って答える。ちゃんと笑えているだろうか。

 誤魔化したり嘘をついたりする必要もない。でも、俺は本音をルシエラにしっかり伝える。どんなに格好悪くても、これが俺の本当の気持ちだから。


「正直、怖いよ。メルに余計なことをするなって思われたり、嫌われたりしたらどうしようって思わずにはいられない。俺のせいでもっと傷ついたりしたらって思うと震えが止まらなくなりそうだ。人の心に踏み込むのがこんなに怖いことだなんて思わなかったよ」

『リツキ様……』

「でも、やらなきゃね。拒まれても、恨まれても、必死になって踏み込んでメルの心に触れなきゃ、メルの『想い』が理解できないから。どうしてメルが泣いたのか、何にメルは傷ついたのか、その真実に触れなきゃメルを元気にすることなんで絶対にできないから」


 俺の勝手な思い込みや憶測で行動しても駄目なんだ。

 メルがまた笑顔に戻るために、そのための方法を探すには、直接彼女の声を聞くしかないんだ。

 拒まれるかもしれない。嫌われるかもしれない。でも、触れなきゃ駄目だ。

 どんなに苦しくても、必死に手を伸ばして彼女の心に触らなきゃ絶対に真実になんて辿りつけないから。

 俺の言葉に、やがてルシエラは小さく笑みを零した。


「思い出すな、リラが攫われたときのことを。その時のお前も、今みたいにふっきれた良い顔をしていたぞ。覚悟を決めた男の顔だ」

「リラの……」

「普段のお前は溜息が出るくらい格好悪いけれど、今みたいなお前は凄く良いと思うぞ。普段から今くらいしっかりしていろ、馬鹿」

「厳しいなあ……善処するよ」

『リツキ様! リツキ様は必ず最後にはビシッと決めてくれる方だとこのタヌ子、信じていました! 普段はあれでも、リツキ様は本当はやればできる方だとタヌ子は存じておりました!』

「それって、タヌ子さんも普段の俺は駄目駄目だって思っていたってことだよね……」


 二人から手厳しい言葉をもらい、俺は苦笑いをするしかない。

 ただ、二人が冗談めかして言って俺を励ましてくれているということは、流石の俺でも分かる。これからメルの元に向かう俺に声を送ってくれているんだね。

 俺は二人に感謝して、メルの元へ向かうことにする。そんな俺に、ルシエラは確認を取ってくる。


「私たちは一緒じゃなくていいんだな?」

「うん。とにかくまずは俺一人で必死になってメルと向き合ってみるよ。もし駄目だったら……」

「駄目だった時のことなんか考えるな、馬鹿。頼むぞ、リツキ」

『リツキ様! メルさんを、私の大切な同期をよろしくお願いします!』


 二人に俺は頷いて二階へと向かう。

 というか、いつのまにタヌ子さんはメルと同期になったんだろうか。メルが聞いたら『私が先輩ですわ!』って怒りそうだ。元気になったら、その辺りを訊いてみるのも楽しいかもしれないね。

 メルが叫んで、俺やタヌ子さんが怒られて、みんなが笑って……それがこの店、リリネコ商店なんだ。俺の、俺たちのお店なんだから。


 二階へあがると、リビングにいたネーナやコタロ、リラが俺を迎えてくれた。

 ただ、俺の顔を見て、ネーナは俺が何をするつもりなのか悟ったらしい。

 コタロとリラの頭を撫でる俺に、ネーナは瞳を閉じて問いかける。


「メルと会ってお話しするのですね」

「うん。メルと向き合ってみる。それが大事だって、気付かせてもらったから」


 俺の言葉に、ネーナはゆっくりと瞳を開いていく。

 ただ、その瞳が俺の方を向くことはない。下を見つめたまま、ネーナは申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。


「すみません……本当は、私がメルの傷を癒さなければいけなかったのに。私には、何もメルの力になることができませんでした。大切な親友なのに、私は何も……」

「ネーナ、そんなことは……」

「私の声はメルには届きませんでした。私では駄目なんです……私相手では、メルは心の傷を話せないんです……生まれて初めて、『自分の家』のことを悔しく思いました」


 ……そうか。ネーナも恐らくメルと同じ貴族の家の出身だ。

 ネーナではメルの心の傷に触れるのは難しいかもしれない。同じ貴族の娘であるネーナに、貴族の家系であることによって生じた今回の騒動への想いをネーナ相手に口にするのは酷だ。

 ネーナが悲しそうな表情になり、リラとコタロは心配そうにネーナに近寄って声をかける。ネーナの悲しみが伝わってしまったのか、リラとコタロも今にも泣きそうだ。

 そんなネーナに、俺はわざとらしく明るい声を出して想いを伝える。空元気でもいい、元気が少しでもこの場のみんなに伝わるように。


「大丈夫だよ、ネーナ。後は全部俺に任せて」

「リツキ様……」

「それに、ネーナが何の力にもなれなかったなんて嘘だよ。メルが来てから、ネーナはずっとメルの力になってくれたじゃないか。メルの指導に、私生活の補助に、ネーナがいたからこそメルはこんなにも早く店に馴染んだんだ」


 その言葉は、決して嘘なんかじゃない。

 ネーナがいてくれたからこそ、メルの姿があったんだ。

 仕事にプライベートに、全てにネーナが尽力してくれたからこそ、メルはイキイキと働いてくれたし、俺やルシエラ、コタロといった面々にも早く馴染んでくれた。メルと俺たちとの間をつないでくれたのは、いつだってネーナだったじゃないか。

 俺はネーナを見つめて、しっかりと気持ちを伝えた。


「だから、今度は俺の番。これまではネーナがメルの力になってくれたように、今度は俺がメルの力になりたいんだ。頼りない俺で申し訳ないんだけど……ネーナ、今回は俺を信じて欲しいんだ」

「リツキ様……その言い方は卑怯です。リツキ様に信じてほしいと言われて、それを否定するなんて私にはできません」


 そう言ってネーナはやっと微笑んでくれた。

 そんな彼女に呼応するように、コタロとリラも俺に言葉を送ってくれる。


「兄ちゃん、僕も兄ちゃんを信じてる! よく分かんないけど、メル姉ちゃんを『頑張れ』ってするんだよね!」

「……リツキ、頑張って。メル、待ってる」


 二人の応援に、俺は『任せろ』と笑って頭を撫でる。

 『任せろ』なんてらしくない台詞だとは思うけれど、二人にはこれくらいがちょうどいいんだ。似合わない言葉だけど、それでリラとコタロが安心して笑えるなら、俺は必死でそれを貫き通すべきだから。


「それじゃ、行ってくるよ。メルと向き合って、話をしてくる」

「どうか、メルのこと……お願いします」

「兄ちゃん、頑張れ!」

「リツキ、頑張って」


 三人に笑って頷き、俺はリビングからメルの部屋へ向かい始めた。

 メルの部屋、その扉の前で足を止め、一度大きく深呼吸。息を吐き出し、心を決める。


 行こう。メルの心の傷に触れるために。

 そして話をしよう。どれだけ嫌われても、拒まれても、逃げずに彼女と向き合うために。

 一瞬恐怖で震えそうになる足を右手で殴り、俺は顔を上げる。

 そして扉に手を伸ばし、ゆっくりとその扉を開いた。もう一度、メルの眩しい笑顔に会うために。




 

明日までは18時更新から時間が遅れます。

昨日の遅れがまるまる今週の更新遅れに響いて、本当にすみません……

土曜日からまた18時定時更新に戻れると思います。よろしくお願いいたしますっ!


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