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34.こんなのってないよな

 


 異世界生活六十七日目。


 朝、メルが体調不良でダウンした。

 

朝食をみんなで食べる時間になっても、待てども待てどもメルが来ない。

 心配になって、メルの部屋までネーナが行ってみたら、ベッドの上から起き上がれない状態だった。


 ネーナからそのことを伝えられたとき、俺はもうこれ以上ない程に慌てまくった。

 異世界に来てから、病気というものに無縁だったので驚き過ぎてしまい、『このままではメルが死んでしまう!』と恐怖に駆られてしまった。

 まだ準備中の魔物討伐斡旋所に飛び込み、そこに駐在している美人医師に『メルを助けて下さい! メルが死にそうなんです!』と土下座する始末。

 面倒そうに表情を顰めながら、美人医師は重い腰を上げてメルの部屋まで来てくれた。

 そして、ベッドの上のメルを診ること数分、俺に土下座命令。

 素直に従う俺の背中に足を踏みつけ、『寝不足と疲労が溜まっているだけだ。一日ゆっくり寝ていれば治る。これは朝から私の手を煩わせた罰だ』の一言。朝から大騒ぎして本当にすみませんでした。

 その後十回ほど俺を踏みつけて美人医師は満足して帰って行った。リラがそれを見て、目を輝かせて俺の上に飛び乗って『元気になれ、元気になれ』と呟いていた。リラ、兄ちゃん別に女の人に踏まれて元気になる趣味とかないんだよ。


 とにかくメルが重い病気とかじゃなくて安心した。

 そして、今日は店が定休日だったことも幸いした。これならみんなでメルを看病できる。

 いや、例え店が営業日でもネーナとタヌ子さんをお休みにして、看病に当てただろうけれど。一度リビングに戻り、俺はメルの看病についてみんなと話す。


「今日はメルの看病に専念しよう。寝不足と疲労だけと先生は言っていたけれど、熱が出ちゃっているからね」

「看病は私とタヌコさん、ルシエラさんの三人で行いましょう」


 あれ、俺は? さり気なく俺が外されている。

 俺の視線に気付いたのか、ネーナはにっこりと微笑んで至極当たり前のことを言う。


「メルも年頃の女の子ですから、やはり同年代の男の子に体を拭かれたり着替えを手伝ってもらうのは嫌がると思うんです」

「すみません、おっしゃる通りです」


 そんなことをしたら完治したメルからどんな目にあわされるか。

 戦力外を通告された俺は、メルの代わりに家事を一手に引き受けることにする。

 早速コタロとリラに、俺の意気込みを語ってみる。


「今日はネーナたちの手が離せなくなると思うから、兄ちゃんが家事を頑張るぞ。兄ちゃんがコタロとリラに美味しい料理作ってやるからな!」

「いやー!」

「やだ」


 二人から全力で断固拒否された。しょぼん。

 俺もネーナたちを見習って、時々料理をやってみるんだけど、コタロとリラの評価は最低ランクらしい。

 ルシエラ先生曰く『おおざっぱ過ぎる』。コタロとリラ曰く『おいしくない』。俺の料理人への道は完全に断たれてしまっているようだ。基本何でも食べるコタロが嫌がるあたり、本当に酷いのね……美味しいと思うんだけどな、創作料理『男の浪漫焼き』。


 そういう訳で、役割分担。

 ネーナがメルの傍について身の回りのことを、ルシエラが食事等の準備を、タヌ子さんは買い出し、俺はみんなが動けない分の家事をすることになった。

 こうして誰かが動けない時に支え合うのも家族ってもんだね。いつも寝食を共にしていると、やっぱりこう不思議な絆が芽生えてくる。全然苦にも思わない。


 メルが倒れた原因は、間違いなく頑張り過ぎたことだと思う。

 今回、メルが倒れた理由は無理のし過ぎだったけど、責任はもちろん俺にもある。店長なのだから、メルを強引にでも止めなきゃいけなかった。どうしても仕事を渡したくないと言っても、説得しなきゃいけなかった。本当、情けないし申し訳ない……同じ失敗は二度としないようにしなきゃいけない。

 今朝のような、大切な人が倒れたなんて血の気の引いてしまう報告を聞くのは二度とごめんだ。とにかくメルにはゆっくり休んでもらいたい。

 メルが頑張ってくれていることは本当に嬉しい。でも、それでメルが体を壊してしまっては何の意味もない。健康なメルがいること、それが一番大事なのだから。


 みんなで頑張ろうと話し合い、いざ行動に移そうとすると、ネーナがびっくりした表情で部屋の入口へ視線を向けていた。

 何事かと振り返ると、そこにはいつもの他所行きの格好をしているメルの姿があった。

 顔を真っ赤にして、肩で呼吸をしながら、いったいどこへ行こうというのか。

 慌ててメルに駆け寄り、少し強い口調で言いつける。


「動いちゃ駄目じゃないか! メルは疲れが溜まっているんだから、今日は寝ていないと!」

「駄目ですわ……今日は三件、話し合いの予定を入れていますの……どれも重要な案件で、もうすぐ契約が成立しそうですのよ……」

「ば、ばかっ! こんな状態で何を言っているんだ! 全部キャンセル、中止だよ! 今日はお仕事無し! 体を休める日! 先方には俺が出向いてそう伝えるから!」

「ですが……」

「こればっかりは譲れないから。メルが店のために頑張ってくれているのは嬉しいけど、それが理由で体を壊しちゃったら元も子もないだろ? お願いだ、店長命令ってことで聞きわけてくれないか」


 この時ばかりは強権発動。お飾りの店長とはいえ、今回ばかりは従って貰う。もう同じ失敗はしない、メルに恨まれても今回は譲れない。

 俺の言葉が全員の意見だと伝わったのか、メルは黙りこんで小さく頷いた。

 ……目尻にちょっと涙が溜まっている。多分、いや、間違いなく悔しいんだろうな。

 メルは誰かに迷惑をかけたりすることをとにかく嫌う性格だ。こうして俺たちに迷惑をかけ、仕事にも影響を及ぼしてしまったことが悔しくて仕方ないんだろう。

 俺たちは迷惑だなんて微塵も思っていないんだけど……とにかくメルには拝み倒してでも休んでもらわなきゃ困るんだ。

 俺は必死に頭を下げて、メルに懇願する。


「頼む、メル、お願いだから今日だけはゆっくり休んでほしいんだ。メルが体を壊したのは間違いなく店長である俺の責任なんだよ。ごめんな、メル。俺がもっとメルの体調をしっかり考えていれば、こんなことには……」

「お願いですから、謝るのは止めて下さい……逆につらいです。本当にこんな下らないことでご迷惑をおかけして……すみません……」

「いいんだよ、迷惑なんて微塵も思っていないんだから。今日だけは俺たちに任せて、ゆっくり休もう。元気になったら、またメルのやりたいように好きな仕事をしていいんだからね。もちろん、二度と無理はさせないように今度は俺も頑張るから」


 何とかメルを説得して、俺はメルから今日行く予定だった三件の店や商店を教えてもらった。事情を正直に話し、俺が交渉を引き継ぐか、もしくは日を改めてメルと話を続けてもらうかお願いするしかない。

 契約も最終段階まで来ていると言っていたから、メル無しでも話は進むかもしれないし、大きな変化はないと思う。

 そう考え、俺はメルのことをみんなに任せて、教えてもらった店を回ることにした。

 何事もなくスムーズに終わる――そう信じて疑わずに。













「契約中止……ですか?」

「ええ、そうです。申し訳ありませんが、この話はなかったことにして頂きたいのです」


 『ミラレ商店』、その店長にはっきりとそう告げられ、俺は言葉を失った。

 呆然とする俺に、店長も申し訳なさそうな表情を作っている。だが、彼の口調からして、心変わりする意思はないようだ。

 メルの話では最終段階まで行っているとの話だったはず。他の誰でもないメルが仕事に関して虚偽の報告をするはずがない。

 いったい何が起きているのか。理由を掴めない俺に、店長は申し訳なさそうに再び頭を下げて、理由を説明する。


「本来ならば、最初にお伝えすべきことでした。メル『様』からお話を頂いたお話は確かに魅力的でした。『テンネンスイ』でしたか、水の質も素晴らしく、あれなら良い果実水が作れるでしょう」

「商品に問題はなかったと……それではどうして」


 俺の問いかけに、店長は一瞬口を噤む。

 少し悩んだ後、大きく溜息をついて真実を語った。


「恥を承知の上でお話しするのですが、もともと当店は水に関する取引をリリネコ商店とする予定はなかったのです。確かに以前までは『良い水』の仕入れ先を探していたのですが、メル『様』がお話を持ってきた時には、既に他店との仕入れの契約が成立しておりました」

「そうなのですか……では、どうして私たちとの契約の話を進めたのでしょうか。当店から話を持ち込んだ時に、断って頂くことはできたと思うのですが……」

「できませんよ……あの方は、メル様はこの地方の領主の娘ではありませんか」


 店主の言葉に、俺は大きく目を見開いた。

 なぜそこでメルの家のことが出てくるのか。どうしてメルの素性を。

困惑する俺に、店主は力なく話を続けていく。


「仮にも貴族様、それもこの地方の領主の娘の持ちかけた取引を断ったなどと知れたら、ウチのような小さな商店は瞬く間に見向きされなくなってしまいます。それが怖くて、私はどうしてもメル様の取引を断ることができませんでした」

「そんな……メルが、自分から素性を話したんですか? メルが取引を受け入れなければどうなるか分からないなどと言ったのですか?」

「いいえ、そんなことはありません。ですが、口にしないからこそ怖いこともあります。今、我々の間では有名ですよ。『リリネコ商店という店が領主の娘の立場を利用して、強引な取引を強制している』と」

「な、そんなことしてませんっ!」


 あまりな言葉に俺は思わず激昂してしまう。店に対してというより、メルに対してなんて失礼な言葉なんだろう。

 そんな俺の反応に、店主はしまったとばかりに口を押さえて、申し訳なさそうに言葉を並べる。


「も、もちろん私の意見という訳ではありません。ですが、他の商人たちの中にはそう見ている人もいるという話です。事実、私はメル様の立場が怖くて、今回の話を断ることができませんでしたから……」

「そんな……」

「ですので、リリネコ商店の店長さんが今回出てきてくれて助かりました。メル様には直接言えませんでしたから……どうか、どうか今回の契約を無かったこと、穏便に済ませて頂けないかと……」


 店主の言葉に、俺はもう言葉を返すことができなかった。

 そんな理由って、有りなのか。こんなこと、許されるのか。

 店主の話も分かる。まさか領主の娘が商店の営業として訪れるなんて考えもしなかっただろうし、貴族を恐れて拒否できなかったという話も分かる。

 だけど、それじゃまるでメルの今までの頑張りの結果が権力を武器に勝ちとったもののようじゃないか。現実、商人たちはそうやってメルを揶揄していると言っていた。


 メルは、それこそ倒れるまで頑張った。

 自分の努力の結果が嬉しいと、自分のやりたかった夢が叶ったと、笑っていた。

 店長の話は、そんなメルの頑張りを全て否定するような言葉だった。

 認められない。認めたくない。けれど、ここで強引に契約を迫れば、事態はもっと悪化する。それこそ、メルの権力を使って取引を強制する結果になってしまう。そんなことをすれば、メルは絶対に悲しむ。

 為すすべなく、俺は店長に頭を下げて話を受け入れて店を去ることしかできなかった。



 何とも言えない気持ちを胸に抱いたまま、次の店を訪れると同じような話になった。

 内容はやはり契約を待ってもらえないかということ。

 どうしてもメルの背後が気になり、取引を進めたが、現在そこまで求めている商品ではないらしい。

 ただ、話が完全に終わりという訳ではなく、延期という形だったのは不幸中の幸いだった。契約が一カ月先からのスタートになるという変更だった。


 しかし、そこでもやはり話題はメルのことになる。

 店長は難しい顔をして俺に一つのことを願い出た。それは『メルを交渉相手から外して欲しい』とのことだ。

 理由を訊ね返すと、やはり領主の娘という点が問題になる。

 メルが優秀なのはあちらも理解しているけれど、どうしても貴族相手では意見を言い難いらしい。もし反感を買ったら……そう考えてしまうそうだ。

 大声で反論したい気持ちが暴れそうになったが、それを必死に抑えて俺は肯定も否定もせずに話を持ち帰ってみることを伝えて店を後にした。どうしようもない悔しさが胸を支配せずにはいられなかった。こんなのって、ないだろ。


 肩を落としたまま、俺は最後のお店、飲食店へと足を踏み入れた。

 しかし、その店の店長は不在らしく、取引のことに関して話し合いを行う為に、リリネコ商店へ向かったとのこと。どうやら入れ違いになったらしい。

 その話を聞いた時、俺の脳裏を嫌な予感が掠めた。

 ……もし、これまでのような話を今回の店主もしようとしているなら。

 店は休みだけど、入れない訳じゃない。メルが倒れている今、副店長のネーナが対応し、店長との話し合いに当たるだろう。だけど、そんな状況をメルがのんびり眠っているとは思えない。

 話し合いは二階で行われるだろうから、もしメルがこれまでのような話を耳に入れたら……


 気付けば俺は、店へ向かって走りだしていた。

 どうか気のせいであってくれと、俺の杞憂であってくれと願いながら、必死に。

 けれど、こういう時の嫌な予感はえてして外れないもので。

 俺が大慌てで店に戻り、店を掃除してくれているルシエラ、コタロ、リラの横を通り過ぎる。

 全力で階段を駆け上がり、そして普段使われていない応接室へ向かおうとした時――その扉の前で力なく尻もちをついているメルの姿があった。


「メル……」


 俺の呼びかけにも、彼女は何も答えない。

 ただ、呆然としたまま、切れ長の瞳の奥から涙をぽろぽろと零れさせていた。


 ――遅かった。

 メルは全てを知ってしまったのだと、言葉無くてもはっきりと理解させられた。

 いつも強気で凛としていたメルの姿が、まるで別人かと思えるほどに弱く、そして儚く感じられて。




 その日、誰が何を話しかけてもメルから返事が返ってくることはなかった。

 ただ力なく頷き、時折思い出したように涙を零した。

 どんな声をかけてもメルには届かない。自分のそんな無力さが、ただひたすら情けない。

 今は少しそっとしてあげようというネーナやルシエラの言葉に俺は従うしかない。明日になれば何かが変わるかもしれない……そんな根拠のない願いに俺たちは縋りながら。

 けれど、願えば叶うほど世の中は甘くも優しくもない。







 次の日、メルは仕事を休んだ。

 体を震わせながら、目に涙を貯めて、弱々しく彼女の口から紡がれた言葉。


『働くのが怖い。お店に出たくない』


 誰よりも仕事を愛し、夢中になっていた彼女から出たその一言――それは、俺たちにとって何よりも衝撃で重い一言だった。




 

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