29.賑やか過ぎるお店かな
異世界生活四十五日目。
説明会の翌日、今日もリリネコ商店は元気に営業中だ。
今日はメルがお休み、俺とネーナの勤務となっている。メルは今日一日を使って、売り上げを伸ばすための策をまとめるらしい。
夜、内容を教えてくれるみたいなんだけど、どんな話をしてくれるのか楽しみだね。
それと、今日からタヌキ……じゃなくて、タヌ子さんがお店で働き始めている。
メルの時と同様、ネーナが横について指導をしながら店のお仕事を覚えてもらう形だ。
カウンターでの接客業務からということで、とりあえず始めてもらったんだけど……
『ありがとうございましたー!』
「なんていうか……本当に異様な光景だなあ」
大きさにして百五十センチのタヌキのぬいぐるみがカウンターで接客をする様子は見ていて本当にシュールだ。
今日はタキシード姿ではなく、白を基調としたひらひらのメイド服姿になっている。
服装は自由に変えられるらしく、メス……じゃなくて、女性にも関わらずタキシードだったのはタヌマールに強制されていたかららしい。
晴れて自由の身になったので、好きな服に変えたそうだ。
タヌ子さんを見たお客さんの反応も様々だ。
そういう服なんだろうと全く気にしない人もいれば、可愛い可愛いとタヌ子さんをモフモフして帰るお姉様方もいる。なんというか、討伐者の皆さんって相変わらずおおらかだなあ。
多分、元の三十センチの大きさじゃなくて、人間大に大きくなっているから驚かれずに済んでいるんだろうと思う。あの中身が綿だって誰も思わないからね。
街を歩いたら、きっと子どもに大人気だろうと思う。事実、リラは昨日の夜、タヌ子さんをずっと離さなかったもんなあ。
なんとも珍妙な新メンバーは、思いのほかあっさり店に馴染んでいた。
タヌ子さんから視線を切り、俺は店内の商品整理の仕事に戻った。
賑やかな店内から聴こえてくるのは、コタロの元気いっぱいの声。今日はコタロはお店で遊んでいる。
店内でいらっしゃいませと叫んで回るのは、俺の真似をして楽しんでいるらしい。小さい子どもは何でも真似しようとするから可愛いね。
「らっしゃいあせー! らっしゃいあせ!」
「おお、コタ坊元気か? 飯はいっぱいリツキに食わせてもらってるか?」
「うん! お腹いっぱい! 兄ちゃん大好き!」
そう言ってコタロを撫でまわすのは半竜族のドメメさん。巨大トカゲのようなお顔がチャーミングなナイスガイだ。
半竜族というより、リザードマンって響きの方がしっくりくる気がする。初めて来店されたとき、ちょっと怖かったのは内緒だ。
ドメメさんに限らず、討伐者のお客さんはコタロに声をかけては可愛がっている。
ウチのアイドルというか、マスコット扱いだよね。コタロも人懐っこいから、喜んでお客さんとお話しするし、いいことだ。
ただ、お客さん的にはリラにも会いたいようで、リラは店に来ないのかとよく訊かれたりする。
リラ、人見知りするからあんまり店に降りてこないからねえ……気長に慣れるのを待ってもらうしかない。
昼前の時間帯、この時間のリラは大抵二度寝しているか、動物図鑑に熱中しているか、俺の背中に乗っているかだね。今日は二度寝の日かな。
コタロを撫でまわしながら、ドメメさんは店内でエアロバイクを漕いでいたルシエラに近づいて豪快に笑いながら話しかけた。
「よう、ルシエラ。最近全然討伐に顔を出さねえじゃねえか。魔物を切り潰すのが生き甲斐だったんじゃねえのかい」
「勝手に人の生き甲斐を捏造するな。やることがないから魔物退治をしていただけで、私は別に魔物を殺すのが好きな訳じゃないぞ」
「がははっ! 冗談はその可愛い声だけにしておけよ!」
瞬間、ドメメさんが宙を舞った。
ルシエラのアッパーカットがドメメさんの顎を正確無比に打ち貫いた。
どう見ても三百キロはありそうなドメメさんを浮かすってどういう……というか、声が可愛過ぎること、気にしていたのか……絶対にそのことでからかわないようにしよう。
店内乱闘を見なかったことにして、俺は商品整理の仕事を続けていく。
手袋とヘアゴムの量が減ってきているから補充しないとね。
倉庫に戻ろうとした俺だが、そんな俺の服の裾を掴む女の子が一人。大地の民、リムルさんだ。
今日はどうやらご機嫌斜めらしく、最初からジト目モードだ。やばい、俺なんかしたかな。
恐々としながら、俺はリムルさんに問いかけてみる。
「あの、何かご用でしょうか?」
「聞いてないの」
「は?」
「店員を募集していたなんて聞いてないの。いつのまにか新人が二人も入ているの」
「あ、ああ……そうですね。二人とも縁があって、ウチで働いてもらうことになりまして」
俺の言葉に一層不機嫌さを増して、リムルさんは去って行った。相変わらず小さい『つ』が発音できないらしい。
やばい、リムルさん凄く怒っている。今小声で『千切れればいいの。いつか千切てやるの』って言っていた。超怖い、俺のいったい何が千切れるんだ。リムルさんに俺の何を千切られるんだ。
ゾクゾクとしながら、俺は倉庫に戻ってあらかじめ量産していた商品を持って店内に。
店内では、タヌ子さんが豪快にお金を床にぶちまけて『ごめんなさああい!』とペコペコ謝っていた。カウンターにヘッドバッドするぬいぐるみ、本当にシュールだ。
この時間の商品整理を全て終えたとき、店内にラリオさんが姿を現した。
俺の姿を見つけて、ラリオさんはニコニコと笑顔で開口一番に挨拶。
「リツキ君、艶本は入荷したかの?」
「してませんってば……というか、普通はメルのことを最初に訊くものじゃないんですか。まずは孫娘のことを気にして下さい」
「ほっほっほ、そうじゃった。メルはどうかな? ちゃんと仕事をこなしておるかの?」
「ええ、助かっていますよ。仕事を覚えるのは恐ろしいくらい早いですし、ラリオさんが薦めるだけのことはあります。というか、俺より仕事できますよ、メル」
「そりゃ褒めすぎじゃよ。メルが優秀なのは違いないがの」
軽く顎に手を当て、ラリオさんは俺を見つめて問いかけた。
「メルやワシの素性は訊いておるかの?」
「ええ、お聞きしました。領主様の娘だとか……ラリオさん、貴族様だったんですね。びっくりしましたよ」
「なあに、隠居した身じゃし、今は婆さんとこの街で呑気に余生を過ごしておるよ。まあ、ワシのことはいいんじゃ。あやつはガードラ……ワシの息子の三女、末娘として生まれたんじゃが、これがまた優秀でな。何をするにしても、兄弟の中で一番飲み込みが良かったもんじゃよ」
「それは分かります。メル、本当に凄いですからね」
俺の言葉に、ラリオさんは嬉しそうに笑う。
孫娘、本当に可愛いんだろうね。当たり前だけど、おじいちゃんって感じだ。
ただ、そこからラリオさんの表情が変わる。少し真面目な表情になり、俺に語り続けた。
「ただ、優秀すぎるゆえにメルが経験できなかったことがある」
「経験できなかったこと、ですか?」
「うむ。優秀で努力家であるメルが唯一経験できなかった大切なこと、それをリツキ君のもとで学んでほしいんじゃよ。今回はその良い機会だと思って、無理を承知でメルのことをお願いしたんじゃ。だからこそ、リツキ君には感謝しておるよ。このような機会をくれたことにの」
「あの、その経験とはどういう……」
「時が来ればおのずと分かるよ。ま、可愛い孫娘をよろしくたのむぞい。なんなら胸くらい揉んでもええぞ?」
「俺、まだ死にたくないんですけど……」
「まあ、ネーナちゃんの大きさに慣れてしもうたリツキ君にはメルの胸ではちと物足りんかの。ほっほっほ」
「誰の胸も触ったことありませんってば……」
俺をからかうだけからかって、ラリオさんは笑っていつもの書籍コーナーへ向かおうとした……が、その足を何故か止めた。
そして、懐から一枚の紙切れを取り出してそれを俺へ渡してくる。
首を傾げる俺に、ラリオさんは『開けてみろ』と悪戯っ子のような笑顔を浮かべて視線で指示を出す。
折り畳まれた紙きれをゆっくりと開くと、そこには不思議な文字列が書かれていた。
左に日本語の五十音が書かれ、その横にはこの異世界の文字が書かれている。
なんだろうこれは。そんなことを考えている俺に、ラリオさんは『あ』を指差して口を開く。
「この文字は『あ』と読むのではないかの?」
「……え?」
「この文字は『い』、この文字は『う』。違うかの?」
「あ、合ってます。え、いや、え、どうして」
次々に日本語、ひらがなを読み解くラリオさんに俺は驚きを隠せない。
どうしてラリオさんは日本語を読めるのか。この世界の人にとって、日本語は意味不明な言葉の羅列に過ぎないことはネーナたちにも確認済みだ。
困惑する俺にラリオさんは楽しげに笑いながら、こともなげに言い放つ。
「複雑な文字はこれからじゃが、規則性からそれらの単純なものは読み解けたよ。どうやら合っているようで何よりじゃな」
「まさか、本を毎日店内で読んでるだけでこれを読み解いたんですか!?」
「伊達に暇人はしておらぬよ。さてさて、これでまたやる気が出たわい」
笑みとともに、今度こそラリオさんは書籍コーナーへ去って行った。
その場に残された俺は、紙きれを手に持ったまま呆然とするしかない。
……いや、あのお爺さん、本当に凄いや。
メルといい、ラリオさんといい、あの家系は傑物だらけだ。
凄い人だと感嘆しつつ、ふと見たラリオさんがグラビア雑誌に夢中になって鼻の下を伸ばしていたのは見なかったことにした。俺は何も見なかった、見てないんだ。
というかラリオさん、孫娘がウチにいるのに、そんな姿晒していいんですかね……




