25.説明会その二かな
静まり返った室内に、一人の男の笑い声が響き渡った。
趣味が良いとはお世辞にも言えない、成金趣味のような装飾品を身に纏った三十前後の男は、愉悦が抑えられないとばかりに顔を崩して声を漏らした。
「なんだなんだ、異世界だけじゃなくて元の世界でも俺に金を与えてくれるってか。カハハッ! 最高じゃねえか、おい!」
自信満々に言い切る男に、俺と高宮さんは顔を見合わせて言葉に詰まる。なんて返せばいいんだろう、ちょっと怖いよこの人。
ただ一人、水上さんは動じることなく、糸目のまま穏やかに男に問いかけた。
「既に勝利宣言とは景気の良いようで何よりですね」
「当たり前だ。異世界のゴミども相手に頭を下げて、必死に端金を集めているてめえらみてえな連中と俺は違うんだよ。なんたって俺は売上順位『一位』なんだからよぉ!」
……嘘。この人、ランキング一位だったのか。
いや、確かに羽振りはよさそうに見えるけど、でもそれはつまり豪華絢爛な服装の分も出費もしているってことで。
そんな出費も気にならないほどにお金を稼いでいるってことなのかな。
でも、異世界のゴミどもって……なんだか、嫌な言い方だな。まるでネーナたちが馬鹿にされたようで、ちょっと不快だ。
この異世界で出会った人たちは、本当に良い人ばかりで、そんな風に言われるのは嫌だ。
俺たちの視線を気にする事もなく、男は下種びた笑みを零し続けて語っていく。
「突然訳の分からねえ場所に転移されちまった時はどうなることかと思ったが、蓋を開けてみればなんてことはねえ、最高の場所じゃねえか。元の世界じゃ明日の飯を食うにも困窮していた俺が、今ではヴェンセーナの大臣様の右腕だ! 奴に拾われ、奴が興味を示した商品をアホみてえな値段で売りつけるだけで笑えるくらい金が貯まりやがる!」
ヴェンセーナ。確か、俺の住んでいるグラオードの隣国だ。
国自体が結構荒れていて、そこからの移民の人が結構いるってネーナに聞いたことがある。王家が機能せず、貴族連中の言いなりの傀儡になっているとか。
そうか、この人はそこの大臣に拾って貰ったんだ。
俺が初めにネーナと出会ったように、この人はその大臣と出会った。
そして、商品を大臣に文字通り言い値で売りつけて、お金を稼ぎだしたんだろう。
……そりゃ、稼ぐ訳だ。一国の大臣ともなれば、お金なんてそれこそ見飽きるくらいに持っているだろうしね。
つまり、この人は俺たちが必死に奔走していた『客探し』をする必要がなかった。
でも、羨ましいとちっとも思えないのはなぜだろう。ネーナやコタロ、リラに出会えたことのほうが俺は何千倍も幸せに感じる。
そんな俺の考えを置いて、男は吐き気の催したくなる言葉を次々に口にし続けた。
「お飾りの王は俺にも逆らえねえ! 気に入った女は望むままに抱いた! 気に入らねえ奴は大臣に言って即座に首を刎ねさせた! 笑えるぜ、次の日からどいつもこいつも俺の機嫌取りに必死だ! 分かるか!? 俺には力があるんだよ! 一国を裏で支配できるような、天に選ばれた力がよ!」
「く、狂ってやがる……おかしいよ、アンタ」
「ガキが舐めた口きくんじゃねえ! 殺されてえか! 俺は近い将来、ヴェンセーナの王に昇り詰めるんだからよ! 俺が命じれば誰が相手でも跪きやがる! 最高だなあ、おい! 金と権力を持つってことが、こんなにも気持ちいいもんだとはな!」
「あなたはただ、その大臣の権力を笠に好き勝手しているだけなのでは?」
「奴も俺にとっては利用している駒に過ぎねえ! 奴の権力をそのままそっくり頂き終えたら、あとはボロ雑巾のように切り捨ててやるだけさ! そのための策は既に用意してある! あとは時間の問題だけなんだよ! ひゃはははは!」
高宮さんの言葉通り、この人は狂っている。
いや、狂わざるを得なかったのかもしれない。
大金を得て、権力を手にして、何もかも思い通りになって……それが間違っていると、指摘してくれる人も誰もいなくて。
それがとても悲しいことだって、十五の俺でも何となく分かる。
倫理とか道徳とか、そういうブレーキが壊れてしまっているんだ。異世界の人々を一人の人間として見ていない、まさしく物として見ているからそんなひどいことができる。
……反面教師にしよう。こんな風には、絶対になっちゃ駄目だ。
お金や欲は人を狂わせる。そして孤独はそのブレーキすらも破壊するんだな。
ひとしきり満足気に笑い終え、男は最後に気分の悪くなる言葉を吐き出した。
「売上一位は俺が遠慮なく貰っておいてやるから安心しろよ。やりたいことをやるだけやったら、あとは大金持って日本で豪遊させてもらうわ。ああ、てめえらは必死に這いずり回ってゴミカスみてえな金を必死に稼いでやがれ。お前らみたいな能無しのクズでも、必死に商売していればジジイになってくたばる寸前に十億貯められるかもしれねえぜ? カハハハハッ!」
それだけを言い残し、男は倉庫内の扉から出て行った。
男の姿が消え、再び室内に静けさが戻る。
やがて、高宮さんが感情を抑えられないとばかりに爆発した。
「なんだよアイツ! 言ってることは最低だし、あんな奴がランキング一位なのかよ!?」
「お、落ち着いて下さい高宮さん」
「落ち着いてられるか! 最後の最後まで馬鹿にしやがって! おい、タヌキ野郎! あいつのランキング一位を取り消せ! あんなの人格問題で失格にしろ!」
『大和田様は売上一億六千二百万リリルで堂々の一位となっております。失格にする理由がありません』
一億六千万。たった一カ月ちょっとでそんなに……三百万貯めた俺の約五十倍強。俺たちを見下す訳だ。
ただ、答えをくれたタヌキに水上さんが質問をする。
「いいのかい? 他の人の売り上げや名前を教えてしまっても」
『問題ありません。皆様が自分の所有する倉庫に戻られましたら、新たな紙が張り出されることになります。そこに百位までの方の順位と名前、そしてお住まいの国と街の名が記載されますので』
うわお、個人情報保護なんか微塵もするつもりがないね。
でも、百位までだけなんだ。まあ、それを見て目的の順位までいくにはどれだけ稼げばいいのか分かるってことか。本当に商売競争させたいんだね。
ただ、水上さんはその話を聞いて、顎に手を当ててポツリと別の言葉を呟いた。
「なるほどね……そういうこと。タヌマールだったか、つくづく良い性格をしているらしい」
「性格、ですか?」
俺の問いかけに水上さんは何でも無いよと笑って流した。
そんな水上さんに言葉の意味を問いかけようとしたが、それより早く高宮さんがいきり立って宣言した。
「決めた! あんな野郎を一位にするくらいなら、俺が一位を目指してやる!」
「一位をですか? 一億六千万リリルある相手に、二十万でですか?」
「それは今の段階だ! 俺だって頑張れば一億や二億くらい……なあ、神楽。俺の倉庫の商品を全部合わせて二億で買ったりしない?」
「そんなお金あったら俺が一位になってますよ……そもそも、このルールを知っている相手との商売は無効って紙に書かれていたじゃないですか。売上、増えませんよ」
「ああ、そうだった……くそ、俺の倉庫の中、本当に役に立たないものばかりなんだよ……誰だよ、こんなクソルール考えた奴、人によって当たり外れ大きいし不公平じゃねえか。なんでオッサンはスタートで大臣に気に入られて、俺は寂れた村の気難しいババアなんだ……」
落ち込む高宮さんに何も言えない。言えるはずもない。
もしネーナたちと同棲のことなんて知られようものなら、本気で殴られそうな気がする。
ただ、高宮さんも復活が早い。拳を握りしめ直し、俺たちに向かって力説する。
「とにかく、情報交換しよう! あのオッサンは放置して、少しでも稼ぎを増やすために手にしている情報を共有しよう! 倉庫のこととか商品のこととか、イマイチよく分からねえし、協力し合えばお互いに楽になるかもしれないだろ!」
「俺は構いませんよ。と言っても、知ってることなんてたかが知れてますけど……」
「そうだね、君たち相手なら僕も構わないよ」
「マジすか!? ありがとうございます、水上さん! ありがとな、神楽!」
今にも躍り出しそうなほどに狂喜乱舞する高宮さん。本当に切羽詰まってるんだなあ。
ただ、高宮さんの申し出は正直ありがたい。俺も倉庫のことや商品のことを全て理解している訳じゃないし、少しでも情報が欲しい。
引き換えに俺の持つ情報を差し出すことになるけれど、別に何も問題ない。俺の情報によって、二人が俺より上の順位になるならそれはそれで構わない。
……うん、正直な本音を言うと、今回のランキング争いに俺は全然乗り気じゃなかった。
一位の報酬があまりに吹っ飛び過ぎて現実感がないし、何よりそこまで求めていない。
百位以内に入れて、電気がもらえたら嬉しいなあ、くらいの気持ちだ。
それと、大和田さんだっけ。あの人の姿を見て、少し心が冷めてしまったというのもある。
確かにお金は稼がなきゃならない。でも、それはこの一カ月で無理矢理成し遂げることじゃない。
俺が優先すべきはコタロやリラの件をはじめとした、みんなのこと。自分の元の世界への帰還は後回しだ。
幸い、元の世界では時間の経過がないということも教えてもらった。時間に焦る必要がないなら、じっくりで構わない。
ネーナたちと一緒に、自分のペースでしっかりこつこつ。少なくとも俺はそれでいいと思っていた。
「なあ、君も一緒に情報交換しようぜ。頑張ってお金を稼ぐ方法を考えよう!」
そう明るい声で高宮さんは一人残っていた女の子に声をかける。
けれど、女の子は軽く息を吐き出し、やがて入口の方へと向かい始めた。
完全無視ってこれはひどい。そんなことを考えていると、少女はある場所で足を止めた。その場所はタヌレットとか言うぬいぐるみの前。
じっと見下ろす彼女に、タヌレットは声をかけるが……その声はすぐに聞けなくなった。
『早野彩音様、何か御用で――』
……飛んだ。
タヌキの首が、ぽーんと跳ねるように空を飛んだ。
彩音と呼ばれた少女は、腰の剣を抜いて疾風のごとき速さで振り抜いていた。
ルシエラほどじゃないけど、速い……いやいやいや、そんなことを感心している場合じゃない。
俺は慌てて空を飛んだタヌキの首をダイビングキャッチ。元球児は伊達じゃない。
タヌキの首から下は見事に真っ白な真綿が出てしまっていて、何も喋らないし動かない。
……ぬいぐるみって死んだりするのだろうか。そんなことを思いながらも、俺はタヌレットの首を両手で持ったまま、その少女に問いかけた。
「いきなり何をするんですか。剣を抜くだなんて……」
「目障りだから斬っただけよ」
それがなにか、とでも言うような早野さん。いや、目障りという理由で斬られたら、斬られる方はたまったもんじゃないと思うんですけど。
呆然とする俺に、早野さんは剣を鞘に収めて、扉へと向かって行く。そして、扉の前で足を止めて言葉を紡ぐ。
「私は私の命で遊ぼうとする奴を許さない」
「命で遊ぶって……いや、ですけど、説明係の人……じゃなくてぬいぐるみを斬ったところで何の解決にも」
「説明係ですって? あなた、本当に馬鹿ね。そいつらの言うことを全て真に受けているの? そいつらが真実を語ってくれている確証なんて何一つないと言うのに」
「それは……」
「状況に流されて生きているのね。実に楽な生き方だわ、これからもそうやって生きていくといいわ。そいつらの言うことを盲目的に信じて、唯々諾々と従って、せっせと商品を売ってそいつらのために金を集めればいい」
「おい、いくらなんでもそんな言い方は……」
高宮さんが反論してくれようとしたのだけれど、それを少女は許さない。
振り返り、俺たちを睨みつける視線は同世代の少女とは思えないほどに冷たくて。
本気で怒ったルシエラのような彼女の迫力に、俺は何も言えなくなる。
そして、少女は憎悪を押し殺すように言葉を続けた。
「一つだけ良いことを教えてあげる。私の順位は八百二十位で同位の人間は三人、そして売上金額はゼロよ。この世界に送られて、私は一度もアウトレット品を売っていない、魔物を倒して稼いだお金を用いて、出費だけを続けているわ」
「そ、それが何だよ。つまり全然稼げてねえってことじゃ……」
「分からない? 売り上げはゼロ以下にはならない、つまり私の売り上げ金額は最低額ってことになるわ。順位でいえば最下位にならなきゃおかしいはず。それなのに私は八百二十位に位置している――では私の下にいるはずの百七十八人はどこに消えたのかしらね?」
その言葉に、俺は先ほどのタヌレットの言葉を思い出した。
タヌレットは確か、注意点として俺たちにこう言っていた。
『商売をこれ以上続けることができないと当方が判断した方は強制的に売上順位が最下位とさせて頂いております』
刹那、背中に悪寒が走った。
何も考えずに流していたその言葉の意味を、やっと理解したから。
否、本当は気付いていたのかもしれない。だけど、そのあまりに残酷すぎる現実から目を背けたかっただけだ。
本来ならば最下位である早野さんが最下位とならず、その下に百七十八人もの人がいる理由、それはそれだけの人数が『商売ができない人』と判断されたからだ。
ただ、それが商売をする気がない人という理由なら早野さんも該当するはず。けれど、彼女は除外されたりしていない。
つまり、ランキングから除外され、最下位となる条件、商売ができないという意味、それは――もうその人たちは何らかの理由でこの世には存在しないということに他ならない。
そうだ。分かっていたんだ。
この世界は元の世界のように優しくも平等でもない。
俺だって運がよかっただけで、死ぬ可能性は何度でもあったんだ。
初めてこの世界に足を踏み入れたとき、ネーナたちに出会えず森から抜けようとしたときに魔物に襲われていたら。
ネーナたちを助けようとしたとき、機転が効かずに奴隷商人たちに斬られていたら。
リラが攫われたとき、連中から頭を殴られたときの傷が深かったら。
そうだ、死の可能性なんて無数に存在していた。
もし、他の人たちが俺よりも遥かに街から遠い場所に初期位置を決められ、そこで誰にも出会えなかったら……この世界が『そういう世界』だと誰からも教えられずに不用意に出歩いたら……
呆然とする俺たちに、早野さんはタヌレットの胴体を俺に向けて蹴り上げて、睨みつけたまま呟いた。
「この世界は当たり前のように『死』が『充満』している。私たちをこんな目にあわせたこいつらの言うことなんて何も信じない。ガラス張りの板の中で鑑賞される働き蟻になるなんてまっぴら。私は私の目的のために動くだけよ」
「目的……? それは……」
俺の問いかけに、少女が答えることはなかった。
だけど、その少女が瞳に宿していた感情、それが恐ろしいほどの殺意だということは俺にも分かった。
同じ年頃である筈の少女が、一カ月強という期間の中、いったいこの異世界で何を経験したのだろうか。何があればそこまでの殺意を抱けるのか。
怖いという感情よりも、何故か俺は知りたいという感情が芽生えてしまっていた。
ただ、今の俺にその答えを知る方法はなんて何一つなかったけれど。
今の俺にできることは、去っていく早野さんの背中を見送ることだけだった。
……みんなに、早く会いたいな。
たった少し前に別れたばかりのはずなのに、今はみんなのいる温かな世界がどうしようもなく恋しいと思ってしまった。




