2.分かんないな
「分かんないな……」
食料品を前にして、俺は頭をかきながら眉を寄せる。
結局、メロンパン以外で実験しても結果は同じだった。
板チョコも、弁当も千切ったり食べたりした部分は十秒経てば元通りに戻ってしまう。
特に幕の内弁当の変化は分かりやすかった。
付属の割りばしでミートボールを掴み、弁当から離すと、その十秒後に全く同じミートボールが弁当箱の中に現れた。箸で元のミートボールを掴んでいるのに、だ。
ペットボトルの水も同じだ。少し飲んでも、十秒すれば中身が満タンに元通りとなる。
「どうしてこんな風になるのかは分からないけれど、一つだけ言えるのは俺が飢え死にする可能性がなくなったってことかな。それは嬉しいんだけど……でも、分かんないな」
弁当箱を眺めながら、胸に溢れる疑問がもやもやしてどうもすっきりしない。
食べ物や飲み物が十秒で復活するのは分かったけれど、ではどうしてペットボトルのキャップや弁当の包装は復活しないのだろうか。
もし、十秒制限で全てが元通りとなるのならば、その部分も戻らなければ違和感がある。
でも、キャップの封は開いたままだし、弁当箱の包みは敗れたままだ。
いまいち掴めないルールに苦悩しながら、俺は一息ついて床に体を投げ出した。
「駄目だ、考えたところで無駄だ。そもそも、異世界に転移させられて商売しろなんて状況自体が異常なんだ。原理を理解しようたってできるもんか」
原因追及を諦め、俺は倉庫に横になって溜息をつく。
腹が満たされたことで、心の中に浮かんでくる不安な想い。
しんと静まり返った巨大倉庫の中で、俺は明るい天井を見上げながらひとりつぶやいた。
「俺、元の世界に帰れるのかな……」
俺が急にいなくなったら、父さんも母さんもペットのぽち丸も悲しむかな。
元の世界のこと、友人のこと。色々考えながらゴロゴロして過ごしていたが、やがて俺の体に異変が生じる。
異変というか、自然現象。尿意だ。
俺は体を起き上がらせて、倉庫内を見渡した。
当然ながら、倉庫内にトイレなんて気のきいたものはない。
風呂もなければトイレもない、この部屋は純粋に倉庫としての機能しかもっていないようだった。
つまり、用を足すためには、一度外に出ないといけないということだ。
「……マジか。あの化物たちが暴れているなかで、俺はトイレを済ませないといけないのか」
一瞬、倉庫の隅にでも済ませてしまおうかと思ったが、それは人としての尊厳を失う気がした。
覚悟を決め、俺はトイレを済ませるために外に出ることにした。
もちろん、何も用意せずに外に向かうことはしない。
あの異世界の猛獣たちに出くわしたときに対処できるような、そんな準備をしておくのが望ましい。
そんな便利アイテムはないかと、俺は倉庫内を必死に探しまわって色々と漁ってみた。
「まあ、当たり前だけど武器になるようなものなんかないよな。日本の店で販売されているようなアウトレット品だもんな」
とりあえず、武器代わりになりそうなものを床にまとみてみた。
スコップ、シャベル、花火セット、百円ライター、カッター、はんだごて、電動ドライバー。
そのどれもがあの化物に通用するとは思えない。そもそもはんだごてにいたっては、コンセント式だから使いようがない。バッテリーでもあれば違ったのかもしれないけれど。
「とりあえず、花火とライター持っていくか……音や光に驚いて逃げてくれたりするかもしれないし」
リュックサイズの袋に入ったお徳用花火を背負い、百円ライターをポケットに入れた。
これで化物を追い払おうとしているなんて言ったら、現地の人に笑われるかもしれない。
でも、これが俺にできる精いっぱいの武装なので仕方がない。
覚悟を決めて、俺は恐る恐る倉庫の扉を開いてジャングルへと足を踏み出した。
うっすらと光差す大森林。むせかえる自然の香り。
「とりあえず、さっきの化物たちはいないみたいだな」
軽く安堵をし、俺は森の中へ足を踏み出した。
そして、扉からでて背後を振りかえり、驚き過ぎて目が飛び出そうになってしまった。
俺がいた倉庫がどんな建物かを確認しようとしたのだが、その肝心の建物がそんざいしていなかった。
まるで何もない空間が削り取られたかのように、宙に浮かんでいる大きな扉。
ふよふよと浮かぶ扉以外、建物など何一つなかった。
「……トイレ、済まそう」
現実逃避ぎみに、俺は扉から離れて近くの木にでも用を足そうと歩いていく。
けれど、背後からフヨフヨと不思議な音が聞こえてくるのを感じて、恐る恐る背後を振りかえった。そして後悔した。
何も見なかったことにして、更に先に進むこと数歩。
そして、おもむろにたちどまり、後ろを振り返って絶句。
俺の背後、その散歩後ろにはなぜか倉庫の扉がふよふよと浮いてついてきていた。
「……なんでさ」
原理とかそんなことを考える隙すらない。
扉が浮いて付いてくる、ファンタジー以外の何物でもない。
軽く息をつき、俺は我慢の限界に達していた小便を済ませてしまう。
頭は依然すっきりしないけれど、尿意がすっきりできたのでよしとしよう。
ただ、水辺が近くにないので手洗いができないのがもどかしい。
トイレの後はやはり手を洗いたくなるもの、それを欠かしてしまえば落ち着かないのが人の性。
「あ、そっか。ペットボトルの水で洗えばいいのか」
無限に復活する水の存在を思い出し、俺は背後をついてくる扉へ再び戻った。
俺が近づこうとすると、逃げずに待っててくれるらしい。ついてくるけど逃げはしない、この動く扉は非常に利口な扉らしい。
中に置いていたミネラルウォーター500mlのペットボトルを取り出し、俺は両手を水で流して簡単に洗ってしまう。乾燥は……自然乾燥でいいか。
手を洗い終え、化物が戻ってこないうちに倉庫の中へ戻ろうとした俺だが、その動きは止まることになる。
少し離れた場所から、女の子の悲鳴が聞こえた。
その声に身を竦ませ、ペットボトルを倉庫に置いて俺は声の聴こえた方向に視線を向けた。
悲鳴が聞こえたということは、そこに自分以外の人がいるということ。
そして、悲鳴をあげなければいけない、のっぴきならない事情があるということだ。
その二つが合わさったとき、俺の脳裏に見知らぬ少女が獣に襲われる嫌な未来が想像されてしまった。その後、自分が襲われる未来も。
恐怖のあまり、倉庫の中に向かいかけた足を俺はなんとか自制して必死に止めた。
「……いや、いかんでしょ。それは人として絶対にいかんでしょ」
自分の身を守るために、何も聞こえなかった振りをして逃げる。それは逆に勇気のいることだ。
自他ともに認めるチキンな俺にとって、人を見捨てて逃げるという手は打てない。
そんなことをしてしまえば、小心者の俺は絶対に罪悪感で心が折れてしまう。
だからこそ、俺はその悲鳴の方向へと向かう以外の選択肢をとれなかった。
言うなれば、消極的救助。何事もありませんようにと願いつつ、俺はその方向へと向かうのだった。
走ること100メートル。
木々を避けて、森林の中にある少し開けた道。その場所に、少女はいた。
正確には少女たち。悲鳴をあげたらしき少女のほかに数名の人間の姿が見えた。
あきらかに自分とは異なる文化の衣服に、間違いなくこの異世界の住人たちだろうと安堵する。そして、化物に襲われている訳でもないことにもホッと一息。
ただ、状況がのんびり笑って見ていられるような空気でないことも確かだった。
怯える少女と、その背後の二人の子供たち。
そんな少女たちを取り囲む大人たち。数にして六人。
その様子からみて、『犯行現場』という単語が脳裏に過ってしまい、俺は思わず身を固くした。
誘拐か、性犯罪か。どちらにせよ、この状況は非常に拙い状況であることに疑う余地はない。
「た、助けて下さいっ! この人たちに襲われているんですっ! お願いします、どうか!」
なんとか止めようと、慌てて足を一歩踏み出した俺に気付いた少女が涙声で助けを求めてきた。
彼女の声に反応するように、俺の方へ視線を向ける男衆。
その誰も彼もが剣やら斧やら、明らかに人を殺めるための武器を手にしていた。
対する俺は花火セット装備一式。本当、どうしよう、これ。