場違いにもほどがある
「お花が届く……いえ、置かれるようになったのは、今からひと月ほど前の事です」
試験を終え、ようやくお嬢様に認めていただいた僕は、改めて彼女の口から事件の詳細を伺うことになった。
「ひと月前、ですか」
予想していたよりも遥かに、事件発生はとても前の出来事だった。そのことに僕は、依頼人の手前だということも忘れ、怪訝そうな表情を浮かべる。
「はじめのうちは週に一、二回でしたわ。それが最近になって、毎日届くようになりましたので、何かあるのではないかと」
僕の反応を受け、華蓮さんはすかさず、そんなフォローを入れた。けれども、それにしたって、普通もっと早くから疑うと思うのだが。この聡明なお嬢様なら、特に。僕なら週一でも、いや一度届いただけでも気に掛ける。もしかして。
「そういうことは、よくあるのですか」
「ええ、お恥ずかしい限りですけど」
念のため、くらいの軽い気持ちだったのだが、予感は的中した。成程、日常的にそのような行為が、しかも反応を見る限り複数人から繰り返されているのであれば、そりゃあ気にしないだろう。本当に住む世界が違う方なのだと、改めて実感させられる。
その世界観の違いに、ぽかんと口を開けてしまったしーちゃんや、苦笑いをしてしまった僕に、園宮さんが付け加える。
「お嬢様は眉目秀麗、文武両道。その上、謙虚な心を忘れない、まさに大和撫子を体現したようなお方です。全てにおいて秀でている方ですから、その程度のこと、至極真っ当、当たり前のことにございます」
「もう、園宮ったら。言いすぎです」
褒め言葉の羅列に、照れ笑いをするお嬢様。それにしても、園宮さんは鉄面皮のような人かと思っていたが、意外と親馬鹿(メイド馬鹿?)なのかもしれない。幼い頃からお世話をしていれば、その成長を喜ばずにはいられない気持ちも、分からないではないのだが。
「しかし、女子生徒からも人気があるのは事実、と」
「下駄箱にラブレターが入っていたり、休み時間に中庭に呼び出される程度の事は、まぁ、頻繁に」
しーちゃんのそんな下世話な質問にも、言葉を濁しながらもきちんと答えてくれた。
秘密の花園で巻き起こる、めくるめくラブロマンス。漫画の中だけの話かと思っていたが、現実世界でもありうることのようだ。
こほんとひとつ咳払いをしてから、華蓮さんは話を続ける。
「お花が置かれている場所は、日によって異なります。下駄箱の中でしたり、ロッカーの上でしたり」
「じゃあどうして、同じ人からだって分かったんですか」
「勘、ですわ」
『勘!?』
これには僕等よりもずっと事情を知っているはずの姫幸先輩でさえ、驚いたように声を上げた。いや、彼女は一応、プロとして、プロである僕らに話を持ち掛けた責任を感じたのだろうが。
そんな先輩の立場を慮ってか、華蓮さんは続ける。
「一応、根拠もありますのよ。そのお花だけはいつも、お花だけでカードも何もない、とか」
「けれども、最後の最後は勘だと」
「ええ」
少し頬を赤らめ、楽しそうに微笑むお嬢様。聡明な彼女のことだ、それだけで探偵を雇おうとは思うまい。きっと、彼女なりの推測があるのだろう。園宮さんが動じていないことからも、それは明らかだ。何かあるが、それは言えないということか。いいだろう、望むところだ。
「確認ですが、依頼は贈り物の差出人を突き止めること、でよろしいんですよね」
「はい、結構ですわ」
けれどもここで、彼女はただしと前置いた上で、難しい条件を追加してきた。
「出来れば隠密に。もし可能であれば、潤がその方と接触を図ることも避けてほしいのですが」
探偵に依頼をするという時点で、表立って動いてほしくないという心理も、暗黙の了解のように含まれていることはままある。浮気調査などが、その最たる例であろう。僕らはあくまでも依頼されている身。依頼人の希望に最大限沿う形で仕事を全うするのが、プロというものであろう。しかし、今回は事情が事情だ。聡明なお嬢様に隠し事をしても仕方がないと判断し、僕は正直にこちらの事情を述べることにした。
「それは少々、難しいですね……。僕もプロの探偵です。差出人をきちんと特定しないまま依頼人に報告することは、僕の信条に反します。周囲への聞き込みは勿論、本人に探りを入れることもあるでしょう」
「そう、ですよね」
お嬢様も、無理は承知だったのだろう。意外にもあっさりと引いてくれた。それが申し訳なくなって、僕は代替案を出す。
「ただ、探偵を雇ってまで探していると思われたくないのであれば、例えば、華蓮さんの秘書として探している、というように取り繕うことはできますが」
「分かりました。では、そのようにしていただけますか」
ほっと、華蓮さんは少し安心したようだった。それもあってか、ぼそりと照れたように、本音を漏らす。
「私、できることならその方ときちんとお話をして、どうして私に花を贈ってくれるのか、直接伺いたいんですの」
「相手側がどのような感情で動いているのかは、まだ分かりません。でも、やれるだけはやってみます」
「ありがとう。頼みました、潤」
彼女の笑みに、何故だろう。何か含みのようなものを感じた。
折角ですからという華蓮さんのありがたいお言葉と、どうぞこちらへという園宮さんの鮮やかな手際により、おなかをすかせていた僕らは、今後もう二度と味わうことのないだろう、素晴らしい昼食をいただいた。ご自宅の農園で今朝採れたばかりの新鮮なお野菜を使ったサラダはみずみずしく、自家製のドレッシングとの相性も抜群。普段野菜の事を
“ビタミンは果物で事足りる。何故あんな苦いものを食べなければならないのか”
とのたまい、全く食べない姫幸先輩ですら、一口食べた瞬間から目を輝かせ、あれよあれよと完食していた。スープはカボチャを使ったポタージュで、やわらかな甘みとなめらかな舌触りが至福の時を演出する。メインはグリルしたチキンが乗った、キノコをふんだんに使ったクリームパスタ。キノコから出る出汁で十分に旨みを含んだクリームソースに、チキンの香ばしさと黄金の油が合いまったパスタは、もはや絶品以外の言葉が出てこないほどに美味しかった。食後にはウバの薫り高いミルクティーを淹れていただき、至れり尽くせりである。一つ一つ食材にこだわり、丁寧な手順でつくられると、普段見慣れた料理でさえも宝石のような輝きを放つ。料理人という職業の、プロフェッショナルとはどういうことか、奥深さを感じさせられた。
あまりのお料理の美味しさに、当初の目的を忘れかけつつも、無理やり仕事モードに切り替える。帰り際、参考になればと贈り物のリストを預かってから、姫幸先輩の運転する車に乗せられて、僕たちは学校へ到着した。ちょうどこの日は休日で、教職員が数名待機してくれているとのことだった。
「じゃ」
敷地内ではなく、近くの駐車場に車を停めたと思ったら、そういうことだったのか。僕らを先に降ろすと、姫幸先輩はそのまま車を走らせようとする。
「え、姫さんついてきてくれないんですか!?」
当然、案内も兼ねてくれるのだろうと思っていたしーちゃんは、驚いて引き留めようとする。けれども、姫幸先輩は揺るがなかった。
「この後仕事だって言ったじゃない。それに、大の大人の男である来也君、連れて入るわけにもいかないし」
「僕は問題ないとでも!?」
茶化していったのであろう言葉に全力で突っ込みを入れたというのに。先輩は無視して続ける。
「あと、ここちょっと苦手なのよね……。あの人がいるから」
「あの人?」
「大丈夫、後の事はその人に任せてあるから」
苦手とする人に僕らを任せるというのも、どうなんだろう。そんなことを考えている間に、姫幸先輩は本当に、車を発進させて去ってしまった。
それにしても、あの百戦錬磨の女王、廣野姫幸が苦手にするとは、一体どのような人物なのか。興味半分、不安半分で、僕らは高校へ向かった。
高峰邸ほどではなかったものの、流石お嬢様学校。白を基調にした、華奢な細工が施された仰々しい門が待ち構えていた。だからてっきりまた、警備員に止められるのかと思ったら、
「こんにちは」
それよりも早く、美しい女性が僕らを出迎えてくれた。
「氷野妃白と申します。高峰華蓮さんの担任を、務めさせていただいております」
よく通る澄んだ声で挨拶され、彼女の素性は分かったものの、僕らは釈然としなかった。担任ということは、この学校の教師なのだろう。確かに、グレーのジャケットに紺のブラウス、白のフレアスカートという清楚な出で立ちは、学校の先生と言われても納得できるかもしれない。しかし、それがかえって彼女の美しさを際立たせているようで、
「女優さんみたい……」
しーちゃんが相手に聞こえないよう、ぼそりと呟いたように、テレビの向こう側の人かと見まごうほどの美貌の持ち主だった。
あまりの美しさに見惚れかけた僕としーちゃんだったが、はっと我に返り、僕らも自己紹介をした。
「参道です。こちらは八柳、僕の助手です」
「よろしくお願いいたします」
「承っております。どうぞ」
氷野さんが先導する形で、僕らは校舎内に入っていく。しかし、本当にこの人が、姫幸先輩が苦手だという“あの人”なのだろうか。とても気にはなるが、初対面の方に面と向かってそんな失礼なことを尋ねるわけにもいかない。悶々とした心持でいると、
「姫から何かお伺いになりましたか」
ご本人から話を振ってくれた。
「案内は貴女にお願いしてある、ということぐらいは」
「もう、あの小栗鼠ちゃんは。言葉が足りないのはいつものことなので、大目に見てあげてくださいね」
「ええ」
これだけのやりとりではあったが、はっきりと分かった。成程、この人は、姫幸先輩の黄金期を知っているのだ。それも、かなり詳しく。そりゃあ、やりづらいよなと、珍しく僕は先輩に同情する。誰だって、触れられたくないことはある。特に、中学生の頃の記憶なんて。
「ああ、それと」
彼女の正体が判明し、勝手に納得していた頃、氷野さんは突然くるりと後ろを振り向いた。そして、特に大したことではないという風に、軽く言った。
「金属探知等は等に済んでおります。失礼かとも思いましたが、念の為ですので、ご了承くださいな」
最近の学校は警備が厳しくなっていると聞いてはいたが、まさかここまでとは。唖然としている僕に、しーちゃんが肘で突っついて、センサーの位置を教えてくれる。会話に参加していなかった彼女は、最初からあちこちに目を光らせていたようだ。
それにしても、僕にはセンサーの存在すら認識させないとは。その言葉運びは、頭の回転が恐ろしく速い証拠だろう。姫幸先輩が苦手とする理由が、なんとなく分かった気がした。
とりあえず、現場を見ておかないことには話にならない。氷野さんの案内で、僕らは一通り、校舎内を見て回ることになった。彼女は担任ということもあり、前々から相談を受けていたようで、今回の事もすでに打ち合わせ済みだったらしい。おかげで、靴箱、ロッカー、教室、更衣室など、一切の無駄なく、効率よく回ることが出来た。
一周して戻ってきた僕らは、一息つくことにする。応接間に通され、氷野さんがお茶を入れに行っている間、つまり、しーちゃんと二人きりになったタイミングを見計らい、ここぞとばかりに切り出した。
「しーちゃん、どう思う?」
かなり声を落として喋ったからだろう。彼女もつられて、ひそひそ声になって話す。
「とりあえず、外部犯の線は限りなくゼロに近そうですね」
「ぼくもそう思う」
ぐるりと簡単に見て回っただけではあるが、周囲には高い塀がそびえ立ち、監視カメラも至る所に設置してある。また、花が置かれていたという靴箱やロッカーは、勿論他の生徒も使うわけだから人目にもつく。そんな危険を冒してまで、花を届けるためだけに侵入しようと思う部外者はいないだろう。
同意が得られたことで気が大きくなった僕は、思い切って、仮説をぶつけてみる。
「華蓮さん、本当は犯人の目星がついているんじゃないのかな」
「えっ」
「それは、高峰さんが知っていて犯人をかばっているとも、捉えられかねませんよ」
この瞬間を見計らったように、氷野さんは戻ってきた。
「お茶をお持ちしました」
立ち聞きするつもりはなかったのですが、そう言ってから、彼女は笑う。
「なかなか、大胆な考え方をなさるんですね」
「知っているとは思っていませんよ。ただ、見当はついているのではないかと。見当はつくが、確証がないというところでしょうか」
「ほとんど同じように聞こえますが」
「心の問題ですからね。そりゃあ、微妙な違いにもなるでしょう」
おそらく、この人は分かっていて、それを確信に変えるため、否、僕の口から言わせるため、あえて尋ねているのだろう。そこまで察することが出来たので、本来ならば迂闊な言動は避けたいのだが、一人置いてけぼりをくらっているしーちゃんのために、僕はきちんと説明することにした。
「鍵は華蓮さんが念を押すように言った、“なるべく隠密に”」
「……つまり?」
「華蓮さんは自分が動くことが周りにどれほどの影響を及ぼすか、きちんと分かっている。だからこそ一カ月待ったんだ。贈り主が自分から名乗り出てくれるのを」
「なるほどー。だからご自身で確認することが出来なかったんですね」
「その通り」
これほどもどかしいこともなかったのではないかと思う。それだけ、彼女が心根の優しい持ち主ということか。それとも、まだ僕が推理できていない事象があるだけなのか。
いずれにせよ、まだ思い至っていないことをあれこれ模索するより、一先ず、今ある推理を固めた方が早そうだ。ちょうど、当事者の一人である氷野さんもいることだし、僕は華蓮さんには伺うの出来なかった細々とした話を聞くことにした。
「貴女はどの段階で、相談を受けましたか」
「二週間前の放課後、それが最初だったと記憶しています」
「おそらく、それが第一段階」
「私に、伝えることが?」
「正確には、誰かこの学校で影響力のある人間に知らせること。そうすればきっと、それとなくでも、送り主の耳に届くだろうから」
「しかし、そのぐらいじゃ伝わらなかった」
「だから、実力行使に出ることにしたんだろう」
華蓮さんの失策は二つ。一つ目は、自分の身分を過信したこと。お嬢様しかいないようなこの学校では、自分も特別扱いはされないだろう。そう踏んだのだろうが、それは自分の家を、高峰財閥をなめすぎている。そして二つ目は、相談した相手が氷野さんだったこと。華蓮さんはこの人を、少し優秀な先生、くらいにしかとらえていなかったのかもしれないが、僕に言わせればこの人の本質は僕たちに近い。仕事となれば、徹底的なまでに情報を隠すぐらいのことはするだろう。だから、思ったようにはいかなかったのだ。
これで、ここに至るまでの経緯は、大体把握した。ようやく、本題に入れる。
「でも、結局、贈り主さんはどなたなのでしょうか」
しーちゃんがタイミングよく発してくれたことにより、僕らは頭を贈り主探しに切り替える。
「ここ一か月の間に、何かしらの変化があった学生はいませんか」
「何かしら、とは」
「例えば、分かりやすいところでいえば、最近転校してきた学生とか」
「我が校に転入制度はありません」
時期から見ても、転校生が華蓮さんに一目惚れし、という線は悪くないと思っていたのだが。間髪も入れずにはっきり言い切られると、少しがっくりくる。ううむ、やはりお嬢様学校。僕らの常識では量れない。
「それに、もし仮にそのような生徒がいても、お答えすることはできません」
「そんなぁ」
加えて、このガードの固さ。僕らは推理することは出来ても、本人には辿り着けないだろうと、改めて思う。まぁ、これは依頼人の意に沿う事になるから、良いのだけれど。
意気消沈するしーちゃんを励ますように、僕は言った。
「大丈夫。多分、僕らに開示できる情報の範囲内で、贈り主にたどり着くことが出来るよ」
「どうしてですか」
「華蓮さんが僕らに任せているからだよ。まぁ、これも正確を期すなら、華蓮さんが睨んだ人物には僕らもたどり着くことが出来る、ということかな」
そうでなければ、彼女は僕に依頼なんかしなかっただろう。勿論、華蓮さんへの信用で成り立っていることは否めないが。そこまで話して、何故か意外そうに、しーちゃんは僕に尋ねた。
「潤さん、今回はやけに慎重ですね」
「そりゃあ、依頼人もそうだけど、何より今回の標的は未成年の可能性が高いからね」
「確率的にはそうですけど……。でも、生徒とは限らないんじゃないですか」
どうやら、しーちゃんはまだ外部犯説を捨てきれてはいなかったようだ。もうとっくに、そんな話は無くなったものと思っていたのだが。これに反発したのは、当然氷野さんである。
「我々の中にいるとでも」
「可能性の話ですよう」
笑顔対笑顔の対決。女の人って怖いなぁとずれたことを思っていたら、先に折れたのは意外や意外、氷野さんだった。
「ああ、そういえば」
「庭師が一人、新しい方に来ていただいております。二カ月ほど前からかしら」
「会うことはできますか」
「お待ちください」
一度は捨てたはずの外部犯説。けれども、怪しい者は疑うのが探偵だ。事実に近づけることを期待して、僕らはその庭師に会うことになった。